競技用車椅子エンジニア
小澤 徹 さん
- 選手1人1人と対話して車椅子を造る
- −夢を追いかけてたどり着いた仕事−
高校卒業後就職し,働きながら工業大学の夜間部に通い卒業。複数の職種を経てエンジニアとなる。
仕事内容を教えてください。
主に陸上競技用の競技用車椅子を製造するエンジニアです。全国の販売店からも注文を受けて製造しますが,直接自分が会う場合は,設計から製作,調節まで全部を手がけます。
まずはどのような車椅子が必要なのか,選手と徹底的に話すことから始めます。障がいの内容を聞き,タイヤの大きさ,角度,椅子の部分のサイズなどを相談して,コンピュータで設計図を描きます。ほとんどのパーツはパイプで,切ったり曲げたり溶接したりしてスタッフと組み立て,最後に図面どおりできているかを確認します。
競技用なので,とくに体の小さな日本人選手にとってはスピードを出すための軽量化が大事ですが,振動を吸収するための強度も必要。軽量化と強度,相反するもののバランスをどうとるかが難しいところです。
なぜこの仕事を選んだのですか。
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車椅子を組み立てる様子
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選手と話しながら調整を重ねる
実は,この会社は私にとって4社目です。中学生の頃から自転車が好きで,自転車のフレームを造るビルダーになりたいと思っていたので,高校生の頃にアルバイトをしていた自転車関係の店にそのまま就職しました。3年ぐらいしたとき,店に来ていた大学生に「大学には夜間部もあるから通ってみたら」と勧められたのがきっかけで,工業大学の夜間部を受験し,働きながら4年間通いました。その後,自転車とは全く関係のない2社に勤めましたが,当時のパラリンピック(長野)で活躍した日本人選手の車椅子を造っていた今の会社に興味を持ち,この仕事に就きました。
車椅子への興味というより憧れていたビルダーの仕事に近づきたい気持ちで始めましたが,やってみるとおもしろくて,どんどん楽しくなっていきました。
最初はテニスやバスケットボール用車椅子の組み立て担当でしたが,陸上競技用がやりたくて希望を出し,今に至ります。
この仕事をやってよかったことはありますか。
私が携わった車椅子を使って,選手がパラリンピックでメダルを取ると,非常にうれしいです。この会社は,もともと先代の社長がオートバイ製造をしていて,事故で車椅子を使うことになったのがきっかけで車椅子製造を始めています。入社した当初,社長から「おまえ,職人にはなるなよ」と言われました。「職人になりたくて入ったのに,何を言っているんだろう」と思いましたが,それは,職人が好きな物を造って押し付けるのではなく,選手と話をして選手に合った物を造りなさいということだったのでしょう。今はもう亡くなりましたが,先代の社長の存在は私にとって大きかったですね。エンジニアの先輩にも恵まれました。先輩が切り開いた競技用車椅子の道を,今は私が引き継いでいます。4社目でようやくやりたいことと,それを導いてくれるすばらしい人に出会えたことが,私にとって財産です。
2020年東京パラリンピックに向けての抱負はありますか。
パラリンピックは北京とロンドンに帯同しましたが,印象的だったのはロンドンです。子どもからお年寄りまで,たくさんの人がチケットを買い,競技を楽しみに来ていました。イギリスはもともと障がい者スポーツ発祥の国だということもあるかもしれませんが,障がい者スポーツを健常者スポーツと同じように楽しむ文化が根付いているのだと感じました。
2020年の東京でも,サッカーや野球などと同じように,たくさんの人に障がい者スポーツを楽しんでもらえるよう,環境づくりができたらいいなと思っています。
高校生へアドバイスをください。
私の場合は遠回りしましたが,「この仕事だ」と思えるものにたどり着きました。やりたいことを常に持っていれば,いつか夢はかなうものです。自分の思う方向に進んでいく気持ちを大切にしてほしいと思います。