産科医
川鰭 市郎 さん
- お母さんと赤ちゃんを救いたい
- −産科医として,やるべきことをやる−
大学の医学部を卒業後,大学病院勤務を経て,産科医として岐阜県岐阜市の長良医療センターに勤務。
仕事内容を教えてください。
誰もが無事に出産できるとは限りません。妊婦さんにも胎児にも,いろいろなリスクがあります。持病や高齢,妊娠中の病気など,どんなリスクを抱えた妊婦さんも,無事に産めるように支えていくこと。放っておいたら危険な異常がないかをよく診て,おなかの赤ちゃんが助かるようにしていくこと。それが産科医の仕事です。あまり前例のない治療方法も,必要ならやります。それは,何か新しいことをするためや業績を上げるためではありません。産科医として,やるべきことをやるためです。昔から取り組んでいる「胎児治療」(胎児の病気を胎内で直接治療)もその1つです。結果として,この病院ではリスクの高い妊婦さんを多く受け入れるようになりました。
限られた医師で多くの妊婦さんをしっかり診ていくため,全員が主治医として症状や経過を把握するようにしています。そうすれば,誰か1人に負担が集中することもなくなります。
なぜ産科医になったのですか。
実家が産婦人科の開業医をしていたので,子どもの頃から医者になることを期待され,なりたいというより,ならざるを得ませんでした。中高生の頃には反発もしましたが,大学の医学部へ進学。親とは違う科に進むことも考えたものの,やはり興味のある内容も多く,魅力を感じて産婦人科に進みました。人が産まれてくるところに携わりたいという思いもありました。
3,4年大学病院に勤めるうちに,産婦人科の当時の主流が婦人科で,妊婦さんの抱えるリスクを包括して産婦人科で診察したり,胎児の異常を早期に発見し対処したりする体制ではなかったことに違和感を覚え,産科に力を入れていくようになりました。
この仕事の誇りは何ですか。
何とか助けようとスタッフ一同で力を尽くしても,残念ながら助からない命もあります。それでも,ある方に「この病院でよかった。またここで産みたい」と言ってもらえました。ずっと妊婦さんや家族に寄り添い,じっくり話をし,支え続けたからこそ結果を受け入れてもらえたのだと思うと,仕事に誇りを感じます。
これからの抱負は何ですか。
この地域に25年以上いて,よい点も問題点も分かっているので,今後は地域や県全体で産科医療の底上げにも取り組んでいきたいです。現在,ある市の少子化対策にも関わっています。
全国的に産科医は足りなくなっています。岐阜県も例外ではなく,産科医が1人もいない市もありますが,単純に産科医を招いて人数を増やすだけでは解決しません。地域に産科が根付くには,共に働く助産師を育てたり,産後ケアの充実で母親たちの信頼を得たりと,大きな枠組みで長期的に取り組んでいくことが大事です。たくさんの人の協力も必要になりますが,一方的にお願いするだけではうまくいきません。協力相手にもよい影響が及ぶよう工夫して,参画してもらいながら進めていきたいです。
高校生へアドバイスをください。
将来の方向が決まった人は迷わず進めばいいし,もう少し考えて探したい人は進学も1つの手です。ただ,高校生でいる間は高校生であることを思い切り楽しんでほしいです。私の場合,高校時代から芝居や音楽など周りの楽しいことにたくさん首を突っ込み,いろいろな人に出会って見聞きしたことが,今思えば生き方に大きく影響しています。人と話す中で,ふと問題解決のヒントが浮かぶことも多いです。なので,人との出会いを大事にして,今を精一杯楽しんでください。
- 保育に関わる職種
- 産科医/小児科医/助産師/保育士/幼稚園教諭/保健師/ベビーシッター/児童自立支援専門員/家族相談員/児童館や学童保育の職員/キャンプやスポーツのインストラクター/絵本作家/子ども用品(子ども服,紙おむつ,玩具,離乳食・幼児食など)メーカーで働く/子ども用品販売店で働く/子育て支援NPOで働くなど
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