- 草木染めの伝統を受け継ぐ
- −修業時代を乗り越えて−
工業高校と短大で染織を学んだ後,実家の工房で修業を始め,現在に至る。草木や花等,自然の染料を生かした創作活動を行う。
仕事内容を教えてください。
山形県の置賜地方に残る伝統的工芸品「置賜紬」の1つである「米沢紬」を作っています。山形県花でもある紅花染めも手がけますが,藍や桜,栗のいが,紫根,茜,変わったものではサフランなど,自然の草木だけを染料にして糸を先に染め,その糸で手織りをします。自然の素材を使うので,出てくる色が毎回同じとは限りません。それが草木染めの魅力の1つですが,作ろうとしていた計画と全く異なってしまう場合もあり,どう調整するかがいちばん難しいところです。修業時代に数多くの失敗をしてきた経験から,今では染めている間にできあがりを想定し,頭の中でイメージしたものを作れるようになってきました。
染織家になったきっかけは何ですか。
代々,実家が米沢紬を作ってきた工房で,私で6代目となります。物心がついた頃から,意味は分からないながらも祖父に「お前は6代目になるんだぞ」と言われ続けてきました。小学校に入った頃に父親の仕事が新聞やテレビで紹介されているのを見て,家の仕事に興味を持ち始めました。機場や染め場に入って職人さんの仕事を見たり声を掛けてもらったりしているうちに,自分も職人さんのような仕事がしたいという憧れと,家族のような存在になっていた職人さんたちを守らなければならないという思いとで,自然とこの道に進みました。
挫折しそうなときはありましたか。
この業界では実家が工房でも外で修業を積むのが普通ですが,私の場合はいろいろな経緯があって父親が師匠になり,実家で修業することになりました。修業時代は,もがき苦しんだ時期です。
20代前半で仕事での自我が固まり始めると,考え方の違いで父親とぶつかりました。他の職人さんからも孤立してしまい,一人追い詰められ,とにかくここから逃げ出したいと家を飛び出しました。ただ,染織をやめたかったのではなく,父親より上のものを作りたい,染織では負けたくないという意識でした。そこで,尊敬する染織家の大先輩に弟子入りを直談判しました。弟子入りはかないませんでしたが,大先輩にお会いして叱っていただけたことは,修業時代の自分にとって大きな出来事となり,家の仕事と向き合うきっかけになりました。同じ時期に,父親が職人生命の危機となるような大怪我を左手に負ったと人づてに聞いたことも,家に戻るタイミングとなり,帰ってからは父親の話を素直に聞けるようになりました。
この仕事の楽しさや喜びは何ですか。
岩手県一関市の堤防を改修する河川工事の影響で,地元で桜の名所として親しまれてきた並木を伐採しなければならなくなりました。その桜の枝を使って反物を染め上げたところ,反物を見て涙を流した女性がいました。その桜並木が初めてデートをした場所で,毎年咲くのを楽しみにしていたそうで,思い出の桜色が反物に再現されたことに感動してくださったのです。人の心に届く物を作れたことが,この仕事をしていて味わった最高の経験です。
高校生へアドバイスをください。
高校生の息子やその友達と話をしていて感じるのは,情報が先行していて何でも最短距離を選ぼうとしていることです。経験上,情報は経験してこそ生きると思います。自分のしたいことや夢があるのであれば,失敗を恐れずに,最短ではなく,あえて遠回りや後ずさりをしてみると,見えるものや気づかされるものがあります。
- 衣生活に関わる職種
- 染織家/和裁士/デザイナー(衣料品,テキスタイル,靴など)/テーラー/パタンナー/スタイリスト/カラーコーディネーター/かけつぎ師/クリーニング師/ファッションモデル/バイヤー/手芸教室(パッチワーク,キルト,編物,刺繍など)講師/衣料品販売員(デパート,衣料品店,古着店など)/ファッション系編集者/繊維会社で働く/アパレル会社で働くなど
仕事内容や必要な資格などは、自分で調べてみよう!