世界中の人たちにおいしくて栄養のある食品を
私は味の素株式会社という食品会社で,栄養が足りていない世界中の子どもたちのための製品について,研究を行っています。また,味の素社は,世界中の国々で食品を商品として提供しているので,それらの国の人々がおいしく,健康になるための食事メニューを提案したり,商品をつくったりする研究もしています。
私は小学校1年から約6年間をアメリカで過ごして,中学校1年のときに日本に帰国。ちょうどその頃,文筆家の畑正憲さん(ムツゴロウさん)の本が大好きで,将来は獣医師になりたいと思うようになりました。獣医師にもいろいろあって,私は動物病院で動物の治療をするのではなく,動物の研究に興味がありました。動物の細胞や遺伝子を研究して,人の役に立つことがしたいと考えていたのです。
獣医学部のある大学に進学し,6年間は勉強づけの日々。「獣医生理学研究室」という研究室に所属して,種によって違う,動物の排卵数について研究していました。
食を中心にさまざまな研究ができる味の素社へ
大学時代はとにかく毎日,研究で,それが楽しくてしかたがありませんでした。研究というのは,自分で「こうじゃないか」という仮説を立てて,実験を繰り返し,仮説を証明する作業です。思い通りの結果にならないことのほうが多いのですが,それでも,自分の仮説通りの結果が出ると,すごく達成感があるし,うれしく,その喜びに向けて,コツコツと地道な研究を続けることに充実感を感じていました。
大学卒業後も,研究者として働きたいと決めていましたが,どんな場所で働くかということを考えなくてはなりません。大学で研究を続ける,国や自治体の研究機関で働く,企業に研究職として就職する,という選択肢がありました。
その中で,味の素社に就職した理由は,第一に食品の研究はわりと早く結果が形になりやすいということです。同じメーカーでも,製薬メーカーでは,薬の開発に何十年という時間をかけます。それに比べると,食品ならば研究成果を早く商品にすることで,より多くの人たちのためになるのではないか,と考えました 。
もうひとつ,私のやりたいような研究ができる環境が整っていたこともあります。将来,結婚して子どもを育てながら,仕事が続けやすいこともポイントでした。
さらに,味の素社の商品は,食品だけでなく健康,動物,医薬品原料など,さまざまな分野に広がっています。その分,いろいろなことにチャレンジできるのも魅力でした。
アフリカで栄養が足りない子どもたちのために
入社して最初の2年は,サプリメント商品の有用性を評価する仕事を担当。そのひとつが,アミノ酸を使った栄養補助食品「アミノバイタル(R)」のシリーズの「アミノバイタル(R)パーフェクトエネルギー」です。これはスポーツをするときに後半まで途切れない全力のパフォーマンスの発揮を支えるために開発された商品です。どうしたらそのような働きが実現できるのか,素材や配合の組み合わせなどを研究していました。
その後,味の素社の100周年事業「ガーナ栄養改善プロジェクト」にプロジェクトメンバーとして参加することに。アメリカのボストンにある大学に1年間留学しながら,アフリカの栄養不良の子どもたちのための栄養補助食品「KOKO Plus(ココプラス)」の研究を行いました。
このプロジェクトへの参加は,私にとって「より多くの人においしくて栄養があるものを届けたい」という,味の素社に入社したときの夢を実現する大きなチャンスでもありました。
アメリカの大学での猛勉強と,ガーナでの試験準備
アメリカでは,最先端の国際栄養学を学びながら,大学内にある国際NPOと協力してガーナでの研究プロジェクトの準備を進めていきました。大学の授業は英語で専門用語が多く,帰国子女の私にとってもとても難しかったですね。
ハードな勉強の合間に,ガーナのプロジェクトも進めなくてはなりません。長期休みを利用して,ガーナを何度か訪問。生後6カ月から18カ月の子どもを対象に,「KOKO Plus」の栄養効果試験をする準備を進めていきました。
「KOKO Plus」というのは,たんぱく質とアミノ酸のリシン,ビタミン・ミネラルなどの微量成分を含む栄養補助食品です。ガーナではkoko(ココ)と呼ばれるトウモロコシを用いたおかゆが,伝統的な離乳食として子どもたちに与えられています。トウモロコシは,たんぱく質,リシンというアミノ酸,ビタミン・ミネラルが極端に少ない食べ物です。そのため,トウモロコシ主体のkokoだけでは,アミノ酸のバランスが崩れてたんぱく質が不足することに。その結果,子どもたちは慢性的な栄養不足で,身長が伸びない低身長となってしまうのです。
村を歩き回って,協力してくれる赤ちゃん探し
栄養が豊富な「KOKO Plus」を離乳食に混ぜれば,子どもの成長に必要な栄養バランスが十分整うことになります。その「KOKO Plus」の効果を確かめるというのが,ガーナで行ったプロジェクトです。実際に1年間「KOKO Plus」を食べてもらったグループ,ビタミン・ミネラルを食べてもらったグループ,何も食べてもらわなかったグループ(すべてのグループの母親には栄養教育を行いました)に分けて,その成長を比較する試験を行いました。
試験のために最初にやったのは,協力してくれる赤ちゃん探しです。1つのグループで300人,全部で900人の赤ちゃんを集めなくてはいけません。路地を歩き回って探したり,お母さんたちが集まるような場所に出向いたり。村の村長さんに試験の協力をお願いしに行ったりもしました。
また,実際に試験をする現地の人にやり方を教育する,という仕事もありました。試験は長期間に渡るので,現地の人に定期的に,身長・体重を正確に測ってもらうトレーニングを行いました。
アフリカで実感した,本当の「多様性」
アフリカの人たちは,おおらかで楽天的。「こんなの簡単。できる,できる」と言ってくれるのですが,なかなか言った通りにやってもらえないことも多くて(苦笑)。でも,これは試験なので,マニュアル通りにきちんとやってもらわないと意味がありません。そこを伝えるのに,苦労しましたね。
「どうしてちゃんとやってくれないんだろう」と悩んだり,イライラしたりもしましたが,今となっては,とてもいい経験だったと思います。「文化が違うということは,こういうこと」「本当の多様性って,こういうものなんだ」と実感できました。
私は1年間の参加でしたが,試験自体はその後も続き,最終的に3年かかりました。結果として,「KOKO Plus」を多く食べた子のほうが,身長が高いだけでなく,風邪や腹痛などの急性炎症になりにくい,貧血が改善されるということがわかっています。
(※現在,ガーナの栄養改善プロジェクトは公益財団法人味の素ファンデーションへ活動を移管しています。)
誇りと責任を感じる「食」を届ける仕事
アメリカから帰国後,結婚,出産を経て,二人の子どもを育てながら研究所で働いています。今,主にやっているのは,海外の国でおいしくて健康になるメニューのための栄養設計をまとめる仕事です。アフリカの経験よりも,さらに「多くの人に,おいしくて健康になれるものを」という夢に近づいている気がします。
食品メーカーとして,単純に「モノ」を提供するだけでなく,責任を持って多くの人に栄養を届けることが私たちの使命だと感じています。これはSDGsのゴール2「飢餓をゼロに」,ゴール3「すべての人に健康と福祉を」,さらにゴール12「つくる責任つかう責任」にも関係します。
そのためにも,私の研究をたくさんの人たちに理解してもらうことが必要。それが,世界中にサスティナブル(持続可能)な健康を届けることになると思います。食や栄養の仕事に関わる人間として,大きな責任を感じていますが,その分,やりがいもあります。
自分の「好き」を大事にして感性を伸ばす
アフリカでは,食べることの大切さという,本質的なことに気づかされました。日本で生まれ育った私たちは,「食べたいのに食べられない」という経験がほとんどありません。アフリカの人たちにとって,食べることは美しいことです。そして,「食べられることは,本当に幸せなこと」なのです。それに気づいた今,食の研究に携われることに,一層の誇りと幸せを感じています。
将来,なりたい職種に就くためにも,みなさんには,楽しいと思えることに全力投球する子ども時代を過ごしてほしいですね。勉強でも,遊びでもいいんです。楽しいこと,好きなことを一生懸命突き詰めていたら,必ずチャンスが巡ってきます。
今はまだ,好きなことがわからない,という人は,自分の感性を大事にすることから始めてみてください。無理に好きなことをつくる必要はありません。いつか,ふと,自分が興味を持てることが見つかるはずです。そのときに,自分の「好き」な気持ちを見逃さないためにも,今のうちから,「自分が何を好きなのか」「どんなことが楽しいのか」を敏感に感じ取るようにしてもらいたいですね。