油脂の製造から,スープ製造へ
東京・荒川区で,牛骨を煮こんで,焼肉店などで提供されるコムタンスープを製造する仕事をしています。私が社長をしている「箕輪油脂工業所」は,もともとは食用ラードや動物性油脂を製造する会社として,私の祖父が昭和16年(1941年)に創業した会社です。うちの家系は代々,「油」を扱う仕事をしていて,明治時代は菜種油などを取り扱っていたようです。祖父の後は,祖母,叔父と続き,私が4代目となります。
数十年前からは近隣に住宅地が増えてきたこともあり,臭いなどの問題から,動物性油脂を扱う工場を経営するのが難しくなっていきました。そこで18年前から,メインの事業をコムタンスープ製造に切り替えました。牛脂をとるために牛骨と水を加熱する作業をしていたので,もともと,スープは副産物だったんです。
牛骨はとても固く,スープにするにはそれを砕いて,長時間,煮こまなくてはいけません。飲食店でコムタンスープを作ろうと思うとかなり大変です。そのため,うちの会社のコムタンスープは,大手の高級焼肉店チェーンなどで使ってもらっているんです。
また,スープ以外には,製造の過程で出る牛脂を健康食品などの会社に販売しています。これはサプリメントや石けんなどに使用されています。また,小規模ではあるのですが,自社オリジナルの石けんの製造も行っています。
1週間の流れは決まっている
今,会社はスープ作りの担当社員が2人,パートさんが2人,そして私の合計5人で運営しています。私はスープ作りの作業を手伝うのはもちろん,営業や経理などの仕事も担当しています。
曜日により,その日に行う作業が決まっています。月曜日は素材の準備をし,火曜日と木曜日にはスープを炊き,水曜日と金曜日は1日かけて工場と機器の掃除をします。
始業は朝7時30分ですが,スープを炊く日は職人さんが朝6時くらいから来ていますので,たいてい7時には仕事が始まります。スープを炊く日は,完成したスープの袋詰めまで一気に行うので,17時くらいまで作業をしています。大きな圧力釜の中で,砕いた牛骨と水を煮ていくのですが,牛骨の状態やそのときの温度や湿度が違うので,条件は毎回違います。仕上がりの量と味が一定になるよう,職人が加熱時間を調整しながらスープを作り,最後はベテランの職人が必ず味をチェックします。
スープを作る日の作業が大変な分,掃除をする日は,14時には終業していることが多いです。ただ,曜日で作業を決めていますので,土日は必ずお休みですが,祝日は休むことができません。スープの売れ行きがよく,スープを炊く回数が以前より増えたこともあり,今後は人を増やして,交代で休みを取ることができるよう考えています。
絶対に気を抜けない“掃除”
お客さまからの声が日々の原動力
日々の作業は大変ですが,やはりお客さまから「おいしい」という言葉をいただくのがやりがいです。今,メインで卸している高級焼肉店さんも大手のチェーンですが,そちらの会長さんがメニューの中でもコムタンスープにはまっている,とおっしゃっていたり。そういうことを聞くととてもうれしくなりますね。
また,うれしいことに,新たに「スープを購入したい」とお問い合わせをいただくことも増えてきました。メインでお取り引きしている焼肉店さんでの消費量が増えたこともあり,スープの生産量を増やしてはいるのですが,工場の設備や人員の問題もあり,どうしても限界があります。そのため新規のお客さまはお断りせざるをえないことが多いのですが,申し訳ないと思いつつも,ありがたいことだと思っています。
社員みんなが,生き生きと働ける会社に
会社で「ものづくり」が大切なのはもちろんですが,「人づくり」もそれ以上に大事だと思っています。これは創業者だった祖父の影響が大きいでしょうか。祖父はよく「財産なんて残しててもろくなことはないよ,お金なんか残さないで,“徳”を残しなさい」と言っていました。社員が定年を迎えて会社を退職した後も,会社に気軽に遊びに来られるような,そんな,人間関係を大切にする会社を目指しています。日々を社員みんなと楽しく,生き生きと過ごしていきたいというのが一番の願いです。
実は牛骨というのは,急に手に入れたいと思ってもなかなか手に入らないものなんです。うちの会社が今,コンスタントに素材の牛骨を仕入れることができているのも,祖父の代から取り引きをしてきた業者さんがあってこそです。自分は今,祖父の“徳”で仕事ができているのかもしれません。今度は自分が徳を残せるよう,頑張りたいと思っています。
お笑い芸人からあれこれを経て,家業を継ぐことに
私は,実は20代のころは,お笑い芸人をやっていました。爆笑問題さんが所属している事務所で,すごく良い事務所だったのですが,自分たちのコンビが解散したのをきっかけに辞めました。ちょうど結婚して子どもができたこともあり,芸人の道を諦めて,当時,叔父が経営していたこの「箕輪油脂」に入ろうと思ったんです。
ところが当時はスープ工場ができたばかりで,私を雇う経営的な余裕がなかったんですね。それで祖父の知り合いが経営していた,油脂の卸売をする会社に就職しました。そこの社長にはマンツーマンで鍛えられ,人間として基本的なところですごく成長させていただきました。
5年前にその方が亡くなって経営陣が変わり,独立するか,どうしよう……と思っていたところ,叔父から「もう工場を辞めたい」という話が出てきまして。当時は経営も厳しかったので悩みましたが,やはり自分の祖父の残した会社を残したい,その思いから,5年前に会社を継ぐことを決意して,今に至っています。
子どもと話すより,大人と話すことが好きだった
子どものころは,大人の話が好きでした。大人向けのドラマを見るのも好きだし,両親のケンカなんかもよく観察していましたね。大人の顔色を見て,「この人にはこういうことを言うとウケるな」とか,そういうのがわかる子どもでした。
小学校の登校班でも,子どもたちと話さず,そこに集まっているお母さんたちと話していましたね。「あの先生どう?」「クラスの様子はどう?」と聞かれて答えたり。今思うと,そういった「色んな人と話すのが得意」という性格は,今の仕事でも役立っていると思います。誰と話すときも,“怖さ”がないと言いますか。だって万人に好かれるわけではないし,万人に嫌われるわけではないですよね。だから変に着飾ったり,臆したりするのも損だなと思っています。
「面倒くさいこと」があるからこそ,楽しみや喜びもある
よく「今の子はわがまま」とか「昔の子どものほうが礼儀正しくて……」と言いますけど,今の子どもたちのほうが“いい子”だと思います。私自身,少年野球チームで今の子どもたちと関わっていて,実感しますね。だから,もっと自分に自信を持って,のびのびと生きてほしいなと思います。もしかしたら,家庭や学校でつらい思いをしている人もいるかもしれません。でも,大人になったら楽しいことがたくさん待っているので,どうかいろんな力をつけて,大人になってください。大人の世界で待っていますから。
あとは「面倒くさいことにある“楽しさ”」を,今のうちに覚えてほしい,ということでしょうか。仕事や勉強,こういった“やらなくてはいけないこと”はたいてい,楽しくないし,面倒くさいんです。でも,そういった「面倒くさいこと」があるからこそ,それ以外の休みの日や,遊びが楽しくなる。スープ作りもそうで,掃除という面倒くさい作業があるからこそ,仕事のやりがいがあるんです。
面倒くさい作業というのは,要は“努力”なんだと思います。努力はきついけど,いつかそれは必ず喜びに変わる。みなさんにも,若いうちにこのことを知ってもらえたらと思います。