※このページに書いてある内容は取材日(2018年06月06日)時点のものです
「つなげたい」という思い
私は,もともとは建築を勉強していました。今は紋と紋様の制作を中心に活動しています。自分の制作した紋様が,折り紙になったり,彫刻になったり,平面から立体まで幅広いジャンルを手がけています。
紋様を作り始めたきっかけは,2001年9月11日にアメリカで起こった大規模なテロ事件でした。そのときに大きな断絶を目の当たりにし,絶望感を感じたんです。紋様というのは,それぞれの紋と紋とがくっついていたり,ある距離を保ったり,いくつかの要素でできているのですが,基本的に「つなげる」もの。何かを「つなげる」ことが希望になれば,そのような願いから制作を始めました。
こういったことを言葉で説明するのはなかなか難しいので,自分は「かたち」で表現する方法を選んだのかもしれません。
美をつくり出すためのルール「律」
大切にしていることは,どのような判断基準において美をつくり出せるかということです。基本的には,幾何学的な摂理(=法則)に従うのが私の判断基準になっています。手を動かしていろいろな図形を描く中で,摂理というか決まりがわかってくることがあります。制作中に発見する動かしようのないものの存在から,自分が作図するために導き出したルールを私は「律」と呼んでいます。
例えば,青森に伝わる「こぎん刺し」という伝統的な刺繍があるのですが,これは縦の織り目に対して奇数の目を数えて刺していく,という決まりがあります。こういった「律」があることで,刺繍の方法を他の人に伝えやすくなり,共有できるわけなんですが,すばらしく数学的なことを彼らはしていると感じます。刺し子(伝統的な刺繍法)でいうと,例えば地域によっては目の数が偶数の場所もあり,そのことで地域ごとの違いというものが生まれる。それもまた,すばらしいことだと思っています。
ただ,数学的な摂理に従ってさえいれば,必ず美しいものができるとは限らないんです。そこが難しいところですね。
作品を通じて,さまざまな人と語り合える喜び
私の作品は幾何学的な紋様を基本としていますが,幾何学というのは一つの「共通言語」になると思います。自分の伝えたかったことが伝わるともちろんうれしいし,たとえば私が思いもつかないアプローチで,自分の作品が解析されたり,違うものの見方をしてくれたりする人もいます。ときにはそれが数学者の人であったり,子どもたちであったり。私が作品を作っていなかったら,そういった人たちと話す機会はなかったのではないかと思うと,それもまたうれしいですね。作品を通じて,今まで知らなかった人とつながることができるのは,自分にとっての喜びです。
工夫をすれば,つながることができる
東京2020大会エンブレムは,「わ(輪/和)」を表したい,と始めから思っていました。なにかバラバラなものが輪をなす,円をなすというのを形にしたかったんです。
私のデザインしたエンブレムは,長方形のパーツの角の部分,つまり「点」でつながっています。「点」というのはそもそも面積がゼロなので,「点でつながる」というのは矛盾しているように思うかもしれません。線と線や面と面でくっついていなくても,いつもは角を立てている人たちも,ある種の工夫をすればつながることができるのではないか。そういうことを表したいと思いました。
「わ(輪/和)をなす」ことには,さまざまな方法がある。角ばった長方形も,つながった輪になれるんだよ,と。違いはあってもスポーツを通じて人と人がつながることができる,それを表現したつもりです。
大切なのは「15個のパーツを抜いた」こと
東京2020大会エンブレムの基本となっているのは「12角形」です。実はこのデザインを考え出す前から「多角形をどうやって分割していくか」ということには興味があり,4角形,6角形,8角形など,さまざまな数で分割することを試していたんですね。偶数多角形はひし形で分割することができます。
このエンブレムは,45個のパーツでできています。一番大きな正方形が9個,残りの2種類の長方形が18個ずつ。この組み合わせを検証してくださった方がいるのですが,オリンピックエンブレムは50万通り以上,パラリンピックエンブレムは300万通り以上あるそうです。
基本の12角形の中をすべてパーツで埋めようとすると,パーツがあと15個,つまり全部で60個必要になります。もしも60個使った場合,円の中をパーツで埋める組み合わせは200億通り以上になるそうです。
この制作のプロセスでは,「15個のパーツを抜く」というのが重要なポイントになっています。そしてものすごい数のパーツの組み合わせがあるので,とてもすべてを自分で列挙して確認する,ということはできません。でもその中で,「美しい」と思えるデザインに出会えた。ひとりの人が地球上のすべての景色を見られないのと一緒で,ある意味こういう出会いは一期一会といいますか,カンや本能のようなものです。制作する中で,そういうものは大切にしています。
「見立てる」ことができるのが幾何学紋様の魅力
東京2020大会エンブレムのデザインは「何を描いたのか」という質問を,これまで数多く受けてきました。分かりやすい答えを求められているのを感じましたが,実際には,具体的な何かをイメージして制作しているわけではありません。花に見える人もいるかもしれないし,ガッツポーズをしている様子に見えるかもしれない。見る人によって自由に「見立てる」ことができるのが,幾何学紋様の魅力だと思っています。
また,「目の見える人と,見えない人の共通言語になれたら」という思いもありました。例えば,このエンブレムがでこぼこしたエンボス加工(紙や皮などにでこぼこした浮き出し模様を作る加工法)のようなものになったときに,「閉じている輪」と「開いていいる輪」は,触るだけで簡単にその違いを認識できますよね。実際にエンブレムを凹凸で表現したグッズも作られているので,自分の思いが伝わっているようでうれしかったです。
今あらためて感じる,数学の奥深さ
例えば,ひし形をテーマに作図を始めると,そこから何万,何億の可能性があるわけです。そこでエンドレスにやり続けることになる。やりながら脱線していくこともあるし,それが作品として形になるのは10年後かもしれない。もちろん,それで自分が混乱することもたくさんあります。
そもそも,一生かかっても自分がわからないことというのは世の中にたくさんあって,例えば黄金比(※)ひとつにしても,誰かがそれを編み出したんだよなあと思うと,その深さにゾッとすることがあります。
私自身が子どものころ,あまり勉強をしていなかったことも大きいかもしれません。だからこそ今,数学的なもののすばらしさや,深さというのをあらためて勉強している感じです。その豊かさを知るにつれ,中途半端なものを作ったら数学を汚すことになるのではないか,という気持ちにもなり,気が引き締まります。
(※)黄金比とは,西洋で古くから美しいとされてきた比率のこと。古代ギリシャで発見され,現在でもさまざまなデザインに使われている。
数学は「かっこいい学問」
私は算数が数学になったとたん,急に苦手になり,数学の時間を楽しめない生徒でした。今思うのは,そういったものを無理に好きになる必要はないけれど,もしかしたらそのすばらしさや深さに気づいていないだけなのかもしれない,ということです。
例えば音楽にしても,プロの音楽家になれる人は少なくても,音楽を楽しむことは誰にでもできる。絵を描いたり,スポーツも一緒ですよね。プロフェッショナルになれなくても,楽しむことはできるわけです。数学も,数学自体を続けて数学者になるという人は本当にひと握りですが,そうでなくても,数学を学ぶことで人間の英知を垣間見ることはできます。今,勉強をしている人に伝えたいのは,私たちはとんでもなく「豊か」なものを目の前にしているということです。私自身,そのときには気づくのが難しかったのですが。
数学がなかったら,今の世の中はありません。いろいろなことの背後に物理というものが隠れていたり,科学が世の中を支えているということを知ってほしいし,それらの中のひとつが数学なわけです。そんな豊かでかっこいい学問があるんだ,というのを,少しでも知ってもらうきっかけがあればいいな,と思っています。