※このページに書いてある内容は取材日(2018年07月10日)時点のものです
アユ漁のための木造船をつくる
私は長良川ぞいに自分の船小屋(作業場)を持ち,そこで木造の船をつくる船大工をしています。つくっているのは,アユ漁に使う船です。網漁の船や,ウミウという鳥を操る鵜飼いの船,鵜飼いを見物する20人乗りの大きな屋形船など,さまざまな船をつくってきました。これまでに,少なくみても600艘はつくったと思います。
最近は,耐久性があり手入れも楽なFRP(繊維強化プラスチック)の船も増えています。FRP船に比べると木造船の寿命は10~15年くらいと短く,乾くと板にすき間ができるので,使う前に吸水させなければいけないなど,手間もかかります。しかし,軽くて操作しやすく,木が衝撃を吸収して安定性がよいことから,木造船を好む人もいます。また,型から大量生産するFRP船とは違い,川の環境などに合わせて寸法や形を自在につくれるのも木造船のよさです。
小さな船なら1か月かからずにつくる
注文は個人から受けることがほとんどです。アユ漁は5月末から10月ごろまで行われるので,昔は新造の注文は正月ごろに受け,その年の,アユがとれる期間内に納入するのが決まりでした。小さい船なら,1か月足らずでつくれましたね。また,漁期の前には修理の注文も多くなるので,4,5月はとくに忙しい思いをしました。
昔は「川があるかぎり船大工の仕事はなくならない」といわれましたが,アユがとれなくなって,漁をする人も船の注文も減りました。15年くらい前からは材料の丸太も手に入りにくくなったし,年も取ったし,納入の期限を限らないという注文だけを受けています。
岐阜県内では,自営の船大工は2人だけになりました。もう1人は私のところで7年間修行した,郡上八幡の50代後半の人です。自営以外では,岐阜市に市営の造船所があって,数人の船大工がいます。市の職員として,鵜飼いの船と鵜飼い見物の観光船をつくっています。
コウヤマキの天然木が原材料
今つくっているのは「よつのり」というアユの網漁の船です。船の寸法は底で測りますが,この船は底の長さが3間2尺(約6m),最大幅が2尺7寸(約81cm)です。船を操る人と網をあつかう人の2人乗りで,エンジンはつけずに櫂で漕ぎ,浅いところでは竹竿で操ることもあります。
船の材料はすべて,コウヤマキという針葉樹です。軽く,水に強く,柔らかくてあつかいやすい。粘りがあるので曲げても折れにくい木です。日陰で育ったもののほうが,材が柔らかくて船材向きです。コウヤマキは植林されないので数が少なく,市場に出たらなるべく買いますし,山仕事の業者には,伐採したら連絡をくれるよう頼んでいます。
丸太は長さ4mが標準の規格です。節や割れのない,いい丸太なら,先端の直径20cmのもの4本,直径34cmのもの1本で,この船がつくれます。でも,木には節があるものなので,使えるのは半分くらいです。
丸太は製材所で板にひいてもらい,最低3年は天日にさらしたあと,屋根の下でさらに数年間しっかりと乾燥させます。生乾きだと狂いが出て,水漏れの原因になるんです。
材木を使う方向には決まりはありません。ただ,私は板の木表(年輪の外側)を船の内側にしています。「木殺し」の工程で,木の性質として木裏(年輪の内側)にささくれが出るからです。船は内側が人目にふれるので,内側を美しく仕上げるんです。
櫂も船大工がつくります。カシ,サクラ,ナラなど,硬い木が向いていますね。
板を反らせ湾曲させて船を形づくる
船づくりは,敷(船底)から始めます。よつのりだと,敷は7枚の板をはぎ合わせます。船は,底が平らだと水の抵抗を受けて進めないんです。そこで,敷は前後を反らせます。舳(船の前方)は先端から5尺7寸(約171cm)のところから反らせて,先端が7寸5分(約22.5cm)~8寸5分(約25.5cm)上がるようにします。鞆(船の後方)は,端から3尺(約90cm)で反らせ,1寸(約3cm)ちょっと上がるようにします。反らせる起点の位置を「つりふじ」といいますが,ここに重石を置いて,板が割れないように,少しずつジャッキで板の先端を上げて反らしていくんです。
腹(舷側,船の横の部分)は,2枚の腹板(下が「胴づけ板」,上が「二枚目」)でつくります。腹板は敷の形に合わせ,突っかい棒をあてがって湾曲させます。舳と鞆にはそれぞれ「たて板」をつけます。腹板の上には「かいづる」という細い板をつけますが,舳の部分には,くちばしのように突き出した「腕」をつけます。鞆は腹板の二枚目をたて板より長くして,上に平板を渡してあります。木材の厚みは,たて板だけは1寸2分(約3.6cm)とやや厚く,その他はすべて1寸(約3cm)です。
防水のための工夫や技術
釘で板をはぎ合わせる木造船づくりでもっとも肝心なのは,水が漏れないことです。板をぴったり密着させるために,「すり合わせ鋸」と「木殺し」という独特の技術があるんです。
「すり合わせ鋸」は,まず厚さ1寸(約3cm)の板の接着面にかんなをかけてなめらかにし,2枚の板をくっつけて仮止めします。そして,2枚の板の接着部分に端から端までのこぎりを通すんです。こうすると,2枚の接着面の細かな凹凸が合致して,ぴったりと合うようになります。
次に仮止めをはずし,それぞれの板の接着面をげんのう(大きめの金づち)で叩いて軽く凹ませます。これが「木殺し」です。川に入れると,この凹みが水を吸って膨張し,2枚の板のすき間を完全にふさぐんです。手間のかかる作業ですが,手抜きはできません。木殺しを終えたら,最近は耐水性の接着剤があるのでそれを塗り,2枚の板を合わせて,最後に船釘で留めます。
また,敷と胴づけ板のすき間には,コウヤマキの皮の繊維からつくる「はだ縄」を打ちこんで防水します。はだ縄は,買った丸太からよさそうな皮を選んで,自分でつくっています。
いちばん難しいのは釘打ち
技術的にいちばん難しいのは,釘の打ち方ですね。敷の7枚の板,腹板の2枚の板は,厚さ1寸(約3cm)の板の中に,太さ6~8mm,長さ13~15cmの釘を水平に打ちこんで板をはぎ合わせますが,釘の入り具合は目には見えないので手探りなんです。角度が悪いと板にひびが入り,水漏れの原因になります。1艘の船に500本以上の釘を打ちますが,1本1本,慎重に作業をしています。
釘を打つときは,まず手がかりの穴をあけ,錐の一種の「もじ」で釘を打つ穴を掘ります。「もじ」には「もじぶり」という木の柄をつけ,才槌で「もじ」の頭を叩きながらもむ(回転させる)ことで,穴の角度を調整します。ここが要で,叩く手応えや音も頼りに,「もじ」をもみこんでいくんです。
「もじ」につけた目盛りと手の感触で,ちょうどいい長さの穴が掘れたと判断したら,「もじ」を抜いて釘を打ちます。途中から釘の頭は板の中にもぐってしまうので,「釘しめ」(釘に似た細長い鉄の棒)を釘の頭に当て,奥までしっかりと打ちこみます。
釘を打ちながら板をさわってみて,板にわずかな盛り上がりを感じるようだと,釘の穴が曲がっている証拠です。また「もじ」が板の中で折れてしまうこともあります。こういうときは,隣に別の穴をあけ直します。まあ,めったにはないことですが。
釘を「やじろべえ」のように指に乗せると,重心の位置がわかりますよね。この重心が板の合わせ目のところにくるように打つのが腕です。こうすると,釘のききがいいんです。
川や使う人に合わせて船をつくる
船の形は,使う川の場所の環境,乗る人の体つきに合わせて,使い勝手がいいように工夫します。お客さんの話もよく聞いて,どう使いたいのか理解した上でつくっています。船の注文を受けたら,使う川の様子や流れの速さに合わせて,舳先の反りや敷の幅などを工夫します。
同じ川でも,上流と中流,下流では流れの速さが違うので,どこで漁をするのかで船の形は違いますし,流れのゆるやかな中・下流では船の寸法は大きくなります。私は父の手伝いで中学生のころから他の川の船もつくってきましたが,長良川と木曽川でも船の形はだいぶ違います。
川の様子とお客さんの使い方をよく考え,常に安定がよくて漁をしやすい船をつくることを心がけてきました。もちろん水が漏れず,丈夫で長持ちする技術の確かさが前提です。「最低5年はびくともせずに使えると保証します」と自分でも言ってきましたし,それが私の船の信用でもあります。
一艘一艘,すべて違うところが面白い
この仕事のやりがいといえば,やはり船主さんに「軽くて安定がよくて,いい船だね」と満足してもらえることです。また,新しいお客さんからの注文もうれしいですね。自分の船の評判がいいということですから。この年齢で仕事を続けているのも,注文があるからです。
じつは14年前に台風で長良川が氾濫して,船小屋も道具も板も流されて,船大工をやめようと思ったんです。ところがお客さんたちが「やめてもらっては困る」と手弁当で片づけに来てくれました。それに励まされて,船小屋を少し高い場所に建て直して仕事を続けることにしました。必要とされているということは,本当にありがたいことです。
船というものは,実際に川に入れて漁をしてみるまで,評価がわからないものなんです。また,同じようにつくっても一艘ずつすべて違う。次はこうしよう,こんな工夫はどうかという研究は一生のもので,そこがまた面白さというか魅力でもあるんだと思います。
父を師匠に10年で一人前に
私の師匠は,父です。父は14歳で関市の船大工に弟子入りし,修行とお礼奉公を終え,28歳で独立しました。私は5人きょうだいのいちばん上です。中学生のころから父の仕事を手伝い,高校卒業と同時に父に弟子入りする形でこの道に入りました。
父の教え方は厳しくはなかったですね。技術の基本と要をていねいに教えてくれました。初めて自分ひとりで船を仕上げたのは,30歳のころです。10年でやっと一人前ですが,何ごともひととおり身につけるには,最低でも10年はかかるものではないでしょうか。
私は10歳の夏から,父と一緒に本格的にアユ漁も始めました。私が船頭,父が網をあつかう役です。うちは船大工だけではくらしが立たず,アユ漁は大事な副業だったんです。
アユの網漁は「夜川」といって,日が暮れてから川に出ます。漁をするのは淵で,まず川を横切るように網を張ります。網を張ったら上流に漕ぎ上がり,かがり火でアユをおどして網に追いこむんです。子ども時代からアユ漁をしたおかげで,漁のときの船の使い方やバランスが体にしみこみ,船大工の仕事にとても役立ちました。むしろその経験がなければ,お客さんの注文の意図をくむことも,注文以上の工夫もできなかったと思います。
私は長良川の川辺で川とともに生きてきましたが,3年前に近所の若者が父親と一緒にアユ漁をするというので,漁の権利と漁具一式をゆずりました。今,その親子の船をつくっています。昔と違って遊びではあっても,アユ漁の伝統が伝えられるのはうれしいことですね。