※このページに書いてある内容は取材日(2017年06月09日)時点のものです
卸売業という仕事を知っていますか?
私は「大伸株式会社」という卸売会社で代表取締役社長をしています。卸売会社とは問屋ともいわれ,製造業者(メーカー)から商品を仕入れたり,生産者や市場から野菜や魚などの食材を買い付けたりして,スーパーやコンビニといった小売業者に商品を卸す仕事です。卸すとは“売る”と同じ意味ですが,商品を売る相手が“会社”や“店”の場合に使われる言葉です。卸売業とは作る人から売る人へ,売る人から買う人へ商品の“橋渡し”となる「流通」を担う仕事です。
私たちの会社では,主に冷凍食品や肉・魚などの生鮮食品を,みなさんが買い物をするスーパー,ホテル,レストラン,それとみなさんが毎日食べている学校給食を作る給食センターや,患者さんの食事を作る病院などへ届けています。従業員は約90名で,企画・総務部,営業部,商品管理・加工部の3つの部署があります。加工部はレストランやスーパーからの注文を受けて,調理をするときに使いやすいようにカットしたり,重さを量ってパックに詰めたりする部署です。営業部では商品を届けることはもちろんですが,新しく発売された商品を案内することも大切な仕事です。あります。加工部はレストランやスーパーからの注文を受けて,調理をするときに使いやすいようにカットしたり,重さを量ってパックに詰めたりする部署です。営業部では商品を届けることはもちろんですが,新しく発売された商品を案内することも大切な仕事です。
未来に対する希望と生まれた地域に感謝をこめて
「大伸株式会社」は,設立して50年がたち,今年で51年目となる会社です。創業当時から「沖縄県民の豊かな食生活に貢献する冷凍食品の供給を」をスローガンに,今日まで仕事をしてきました。会社が生まれた1966年の沖縄県は,第二次世界大戦での敗戦という結果によってアメリカに統治され,ちょうど20年という歳月が過ぎていました。当時,アメリカの文化や食べ物が人々の生活に流通し始めていて,鶏肉や牛肉などの冷凍食品が数多く輸入されていた時代でした。初代社長である私の祖父は沖縄の将来やそこで生活する人たちのために何かできないかと考え,いろいろな人たちと話し合いをしていました。その時に,「これからは冷凍食品の産業が大きく発展するのではないか」とひらめき,現在の会社の前身となる「合資会社大伸冷凍」を作ることになりました。社名の由来は,初代社長は今では那覇市に合併された旧小禄村大嶺という地域の出身で,生まれ育った場所や地域のみなさまへの感謝と未来に対する希望を込めて,大嶺地域の「大」と,大きく「伸びる」とで“大伸”という会社の名前になりました。
週に一度の家族会議
私は子どもの頃から,とにかく運動することが大好きな子どもでした。父親が商売人,母親が体育の先生ということもあり,小さいときからしつけについては厳しかったです。しつけと言っても,お箸の持ち方とかではなく,我が家には週に1回行われる家族会議という独特な決まり事があり,毎回ひとつ,家族に関わるテーマについて全員で話し合いをするんです。例えば,私が学校で悪いことをすれば家族全員から怒られ,良いことをすれば家族全員から褒められるといった時間,それが我が家の家族会議です。今,振り返れば父も母も仕事で忙しいこともあり家族全員がコミュニケーションのための時間で,人前でしっかりと意見を伝えるためのトレーニングの場だったと思います。いたずらが両親にバレたときの家族会議ほど,怖いものはありませんでしたね。
私が初めて“仕事”を経験したのが新聞配達のアルバイトでした。「アルバイトをしたい」と告げたとき,母親から「やるからには1年間は続けなさい。新聞は,雨が降ろうが風が吹こうが,待っている人たちがいる。中途半端な気持ちでやっては迷惑がかかる」と言われました。そのときは好奇心が強く「大丈夫!」と啖呵を切って始めたのですが,半年もたたないうちにやめたくなりました。家族会議の中で励まされたり叱られたりと,はっぱをかけられながら,一度引き受けたことは,簡単にやめてはいけないことを教わったものです。
将来の夢と故郷への思いとのはざ間で
私は小さいころから,日本全国や外国を旅しながらたくさんの人たちと出会い,いろいろな話ができたら,どんなに素敵だろうと考えていました。そんな私の夢は,世界中へ行けるツアーコンダクターでした。大学を卒業したら旅行会社に勤めようと思っていました。ですが,沖縄を離れ東京の大学で楽しく学生生活を過ごしてると,地元の良さにも気づきはじめたのです。沖縄の文化,自然,食べ物,そのどれもが世界中に自慢できるものばかりです。大学生活も終わりに近づき,私にはいろいろな選択肢があったのですが,将来は自分が生まれた沖縄に帰ろうか,いつかは親の仕事を手伝おうかと徐々に父親の仕事を意識するようになりました。とはいえ,私は父の会社のことも含め,「卸売業」という仕事のことを何も知りませんでした。ですので,「自分なりに卸売業についてしっかり勉強しよう。」と考え,経験を積んでから沖縄に帰ろうと決めて就職活動を始めました。そのときにもうひとつ決めたことがあります。それは関西で働くということ。実は私,関西弁が大好きで,関西のお笑い芸人も好きで,とにかく関西のノリがとても自分に合っている!と感じていたからなんです。その結果,業界でも大手の会社に就職が決まりました。
仲良しになることが仕事の極意
憧れの場所で,希望した仕事に就いた私はとにかく頑張りましたよ。入社して,農産売場を約2年,惣菜売場を約1年,それぞれの担当を任されたのですが,なんと惣菜売場では前年度の約2倍の売上を出しました。それから,お客さんに新しくお店の会員カードを作ってもらう件数も新人の中で全国1位となり表彰されました。
その極意は,お客さまと仲良くなることです。自分から積極的に会話をすることを心がけました。そうすると,お客さまがどんな商品を求めているのか,おしゃべりの中で教えてくれたんです。例えば,「いろいろな種類の惣菜が食べたい」というお客さまの声があり,惣菜コーナーで,自分が欲しい分だけ選べるようにバラ売りを始めました。他にも「おいしそうで食べてみたいけれど,一人暮らしなので量が多すぎる」という声があり,小分けにして売りました。一方で週末は量を多くしたファミリーパックを作るなど,お客さまの要望に合わせた売り方やお店のレイアウトを変えていくことで,売上があがっていきましたよ。そのとき,仕事には人と仲良くなるためのコミュニケーションが大切だと学びました。その中から相手の立場に立って考え,お客さまに選んでもらえるお店になるためのアイデアが生まれてくるのだと分かりましたね。仕事の楽しさと仕事の極意“コミュニケーション”の大切さを学んだ社会人1年目でした。
故郷のために今までの経験を役立てたい!
仕事を始めて4年目,25歳のときに,父から沖縄では人手不足で,どこの会社も困っているということを知りました。いつかは故郷に貢献するために帰りたいと思っていましたので,社会人として培った経験を沖縄のために,そして祖父と父が築いた会社のために生かしてみようと思い,沖縄に帰ることを決意したのです。そのとき,一緒に働いていた沢山の人たちから引き止められたのですが,とてもありがたく嬉しいことでした。
沖縄に戻り,父の会社に営業として入社しました。社長の息子ではありますが,新人には変わりありません。新人として,自分ができることから始めよう決め,早朝,誰よりも早く出社して掃除をし,挨拶は大きな声ですることを徹底しましたよ。また,関西でも沖縄でも営業の仕事では,やはりコミュニケーションが大切です。そのとき,私は老夫婦が営む魚屋さんを担当していました。そのお店ではよく方言でおしゃべりしていたんです。沖縄の若い人たちは方言を話せる人が少なく,お年寄りの話が分からないという人も多いのです。私は沖縄の方言も上手なんですよ。いつものように楽しく話していたとき,「次の注文からは全てあなたに任せますから,私たちの倉庫の在庫を見て,どんな商品を何個買うのかを決めてくださいね」と言われてびっくりしました。普通では決してありえないことです。嬉しいと思う以上に責任の重さも感じました。ですが,それくらい信頼していただいたということですね。
今の私をつくった両親からの教え
営業職を6年,そして主任,営業部長を経て専務取締役に就任しました。決して全てが順調だったわけではなく,これまでの人生の中でも一番苦しい時期でもありました。2000年代初頭に,食の安全を揺るがす大問題になったBSE(牛海綿状脳症:狂牛病)が発生し,その後日本では,飼料規制やBSE発生国からの輸入規制などが行われました。私たちの会社としても,これまで仕入れていた牛肉に問題がないのかを調べ,卸先に対して安全を証明することが必要となってきました。そのタイミングで社内の組織改革が起こり,当時主任だった私が部長へと上がって,10名ほどの部下が付くことになりました。部下を持つ,管理をするという初めての仕事に戸惑いも失敗もあり,自分の力のなさを痛感する毎日でした。安全な食材を求めるお客さまのために,寝る間もないほどの忙しさと自分の弱さを隠したくて,がむしゃらになり過ぎて身体を壊したこともあります。そんな姿を見てもっとも戸惑ったのは部下だったと思います。そんなつらい時期を越えて,私がここまで成長することができたのは小さいころに教えてもらった両親の言葉があったからだと思います。母親からは「仕事とは簡単にやめてはいけない」ということ。一番に尊敬している父親からは,「常に相手の立場に立って,言葉や行動を選びなさい。」と教えられました。今,父親と同じ立場に立ちまして,この言葉の重みを感じています。この二人の言葉が,今でも私の仕事に生きていいます。
私の仕事は,5年後,10年後に向けて私たちがどんな会社になりたいかを考え,一緒に働いてくれている社員みんなと一緒に「人間力」を育てていくことだと思います。そうすることで,社員が気持ちよく仕事をできるようになり,社員の幸せへとつながると考えています。社員の子どもたちが『お父さん,お母さんの会社に入りたい』と言ってくれたら,もう,最高ですね!
学校は「人間力」をつける場所
私たちの仕事は,商品を届けるだけの仕事と思う人もいるかもしれません。しかし,商品には作ってくださる人,販売する人,買ってくださるお客さまの思いが一緒に運ばれています。その“物”と“思い”を橋渡しするために,人と人とのコミュニケーションが重要な仕事だと思っています。商品は,安ければ買ってくれるわけではありません。人とのコミュニケーションを持って,相手に伝わるように情熱を持って接することが大切であり,今後求められる「人間力」だと思います。
私はこれまでの経験から,大きな声で挨拶することや,しっかりと身だしなみを整えること,気持ちよく過ごせるために掃除をすることなど,全て学校で学んだ基本的なことがとても大切であることを知っています。ですから,会社の中でも社員に徹底しています。もちろん私自身もです。
みなさん,今の時期がとても大切です。毎日の生活の中で,「基本の徹底」,「感謝」,「笑顔」をぜひ意識してみてください。良い大人になれるように精一杯がんばってくださいね。