※このページに書いてある内容は取材日(2018年09月25日)時点のものです
ニホンミツバチと暮らし,その恵みから製品を作り販売する
私は岐阜県郡上市で,ニホンミツバチの養蜂をしています。ハチミツを採るためにミツバチを飼育するのが養蜂の仕事です。今の養蜂では,大量にハチミツが採れるセイヨウミツバチを飼育するのが一般的ですが,昔から日本では,山などにいる野生のニホンミツバチを庭先の巣箱に移して,共存しながらハチミツを採る養蜂が行われてきました。ニホンミツバチの養蜂は,人の手をなるべく加えずに,巣箱をニホンミツバチの住みかとして貸し,その代わりにハチミツを少しだけいただく,という感覚で行います。それは,昔から自然と寄り添って暮らしてきた,日本の文化のひとつです。私は,このなくなりつつある大切な文化を多くの人に発信していきたいと思いながら,ニホンミツバチの養蜂を行い,ニホンミツバチのハチミツを使った製品を作って販売しています。養蜂に関しては,ハチを集めるところからハチミツを採るところまで,すべて一人で行っています。
現在は,郡上市白鳥町にある店の庭や,近くの畑に巣箱を置いて養蜂をしながら,店ではニホンミツバチのハチミツを使ったプリンや焼き菓子のほか,ハチミツやミツロウにオーガニックハーブを加えた100%天然成分のスキンクリームなどを作り,「シシ七十二候」というブランドで販売しています。
ミツバチが自然な環境で暮らせるように
私たちが住んでいる郡上市では,4月下旬から5月上旬に新しい女王バチが生まれます。1つの巣に女王バチは1匹と決まっているため,新しく女王バチとなるミツバチを生んだ女王バチは,巣の約半数の働きバチを連れてそれまでの巣から離れ,新たな場所に巣を作ります。これを「分蜂」といいます。その時期に,養蜂家はミツバチが好みそうな場所に巣箱を仕掛けておき,ミツバチが自然にそこへ入るのを待ちます。ミツバチが巣箱を気に入り,巣ができた後は,ほとんど人が手をかけることはありません。ニホンミツバチはセイヨウミツバチに比べてとても神経質で,巣箱の向きや,日当たりなどを含めた細かい環境などが原因で,他のところへ巣を移してしまうことがあるため,できる限り自然な環境で暮らせるようにします。
ミツバチは秋までにどんどん数を増やし,1つの集団が1万5千匹くらいになります。ミツバチは冬を越す前に,花からたくさんの蜜を採ってきて蓄えます。ミツバチが採ってきたハチミツは,始めは水分が多いのですが,ミツバチたちは巣の中で昼夜羽根をばたつかせて,水分を適度に蒸発させます。いい具合になる9~10月くらいが,年に1度,採蜜を行う時期になります。また、1匹のニホンミツバチが一生のうちに集めてつくるハチミツの量は,ティースプーン1杯ほどだといわれています。
ハチミツを使った商品づくり
蜜を採るときには,防護服を着て,ハチミツが蓄えられている巣箱の最上段を,ナイフで切って外します。ボウルの上にのせたザルにさらしを敷き,巣を細かく刻んで,2日から1週間くらい置いておくと,ハチミツがボウルに溜まります。これは,“垂れ蜜”という昔ながらの製法です。採蜜するときは,まず巣箱を持ってみて,たくさんハチミツが溜まっていそうな巣箱のみ,行うようにしています。これは,花があまり咲かない冬場に,ニホンミツバチが食べる分のハチミツを残しておく必要があるからです。採蜜するときは,だいたい9kgくらいまでを目安にし,採り過ぎないように注意します。ニホンミツバチは巣を直しながら生活する習性があるので,巣箱をもとの場所に戻すと,そのまま冬を越すことができます。
ニホンミツバチのハチミツは,やさしくてフルーティーな味わいが特徴です。その味を伝えるために,最初に考えたのが「和蜜のプリン」という商品でした。ハチミツの繊細な味を生かすように,素材や配合にも工夫を凝らしています。そのほかにも,焼き菓子や,地元の味噌とハチミツを組み合わせたコンフィチュール(ジャム)などを,娘と2人で作っています。また,遠方の方にも生活にニホンミツバチのハチミツを取り入れてほしくて,ハチミツの成分を使ったスキンクリームを開発しました。高山市清見町の農家さんが栽培するオーガニックハーブを使い,材料やパッケージまで自然な素材にこだわったスキンクリームを製造し,販売しています。
ニホンミツバチから感じる,生きる力
養蜂の中で私が一番好きな作業は,分蜂群を捕まえることです。ミツバチが好む場所に巣箱を仕掛けて自然に入るのを待つ方法のほかに,今まさに分蜂しようとしているミツバチの集団を捕まえる方法があります。巣から飛んでいくとき,働きバチは女王バチの周りに集まり,パイナップルのような形のかたまりになります。大きなかたまりになっている集団を見つけたら,その下に箱を置いて,手でミツバチを箱の中に落とし,巣箱の中へ移していきます。女王バチが巣箱に入れば,他の働きバチも自然と巣箱に入ります。
分蜂をするために巣を飛び立ったミツバチは,巣を見つける旅をする直前に,お腹いっぱい蜜を食べます。そのため,分蜂をしているときは機嫌がよくておとなしく,めったに刺すことはありません。そして,分蜂するときのニホンミツバチは,ハチミツのようにフルーティーで甘い匂いがするんです。この匂いは,分蜂の時期にニホンミツバチとふれ合う養蜂家にしか感じられない,1年に1度の楽しみです。分蜂をするときのミツバチには,自然の中で身を寄せ合ってひたむきに生きる強さを感じます。そうしたミツバチの姿に,いつも元気をもらっています。
ニホンミツバチが減ってきている
ニホンミツバチは,その数も採れるハチミツの量も,年々少なくなっています。ニホンミツバチの養蜂は,自然環境に大きく左右されるため,最近の気候の変化で難しさも増しているように思います。
ミツバチは,女王バチを中心にした群れごとに「1群,2群」と数えます。私が養蜂を始めた11年前は,多いときで25群を養蜂していました。しかし今年は,昨年から冬を越すことができた1群に加えて,たった1群しか分蜂群を捕まえられませんでした。通常,分蜂群には必ず女王バチがいます。しかし,今年5月に私が発見した5群にはどれも女王バチがおらず,養蜂に向かない分蜂群でした。女王バチがいない分蜂群は,徐々にバラバラになって,やがて消滅してしまうからです。“女王バチのいない分蜂群”というのは,私がニホンミツバチの養蜂を始めてから初めて見る,珍しい現象でした。
その後,6月に大雨が降り,私が住む白鳥町でも,土砂崩れなど大きな被害がありました。そしてその翌日,私はちゃんと女王バチがいる分蜂群を見つけたんです。もしかしたら女王バチはこの大雨を予想して,雨が降り終わった後に分蜂をしたのかもしれません。
また,自然が豊かな地域では,ニホンミツバチが暮らしやすいと思われがちですが,田んぼや畑などが多い場所ではどうしても作物を育てるために農薬が使われ,ニホンミツバチが死んでしまうという面もあります。ニホンミツバチの養蜂をしていると,ミツバチと人が共存して暮らすことの難しさを感じます。
実際に自分でやってみることが大切
私は白鳥町の豊かな自然の中で暮らし,昔ながらの養蜂を実践しながら,商品の販売を通じて,自然に寄り添って生きる暮らし方を多くの人に伝えられればと思っています。自分がおもしろいと思ったことを人に伝えるためには,まずは自分が実際にやってみて,大変さや喜びを自分で実感しなければいけないと思います。私も最初はニホンミツバチの養蜂を養蜂家の先輩に教えてもらいましたが,養蜂は地域や環境によって適した方法が違い,すべてを手取り足取り教えてもらうのではなく,試行錯誤しながら自分のやり方を身に付けていくことが大切です。毎年,環境も状況も変化していくため,常に自然から学ぶ謙虚な気持ちが必要だと思っています。
実際に自分で挑戦してみると,私たちの身の回りにあるたくさんの問題に気づくことができます。20年ほど前から,世界中で野生のミツバチが急激に減り始め,農薬が原因の1つではないかとも言われています。そこで私は,農薬を使わない農業ができないかと考え,8年前に,自分の店の前に田んぼを作りました。しかし,農薬を使わない米作りはとても大変で,なかなかおいしい米を作ることができないということが分かりました。毎年,さまざまな農法を試した結果,現在は非常に弱い除草剤と,ニシキゴイの稚魚を田んぼに入れて虫などを食べてもらう鯉農法を組み合わせています。作った米は,自分の家で食べるほか,店で販売したり,米粉にして洋菓子の生地に使ったりもしています。このように,やってみないと分からないことはたくさんあります。私ができることは小さな活動ですが,何年か経ったときに環境に役立ち,人を笑顔にできればうれしいです。
ニホンミツバチと出会い,養蜂の道へ
私は20年前に,パティシエだった夫とともに,洋菓子屋をオープンしました。私は,もっと多くのお客さんに来店してもらうために,目玉となる新しい商品を作ろうと考えました。そして,そのころ,主人の両親がセイヨウミツバチの養蜂をしていたため,そこで採ったハチミツを使ったお菓子に挑戦しようと思ったんです。しかし,セイヨウミツバチの養蜂はとても手間がかかるため,店を経営しながら行うことは非常に困難でした。どうしたらいいか悩んでいたとき,11年前に岐阜県の関市でニホンミツバチの養蜂を行っている方と出会い,自然な環境でニホンミツバチと暮らしながらハチミツを採る手法に感動して,1年間,ニホンミツバチの養蜂を教えてもらいました。その後,夫が病気で亡くなり,現在は娘と2人で洋菓子屋を引き継いで,今の店をやっています。
岐阜県の奥美濃地方では,昔から養蜂が盛んに行われていました。現在,私に養蜂を教えてくれた方を中心として「ニホンミツバチ協会」が設立され,全国で約100名の会員がニホンミツバチの養蜂を行っています。ニホンミツバチから採れるハチミツの量は少ないため,必要な量が採れなかったときには,協会のメンバーと分け合っているんです。また,最初に養蜂を教えてくれた方や近所の養蜂家の人には今でもアドバイスをもらいながら,養蜂を続けています。
自然の中で遊ぶのが好きだった
私は子どものころから,人と交わるのが得意ではなく,一人で過ごす時間が好きでした。緑豊かな山々に囲まれた白鳥町で育ったため自然も大好きで,飼っていた犬と遊んだり,一人で山へ遊びに行って虫を採ったりしていました。
私の家の近所にある白鳥神社では,毎年9月に秋祭りが行われていました。祭りのときには,獅子舞が行われ,少し恐ろしさや不気味さもありながら,美しく舞う獅子の姿が強く心に残っていました。ニホンミツバチに出会ったときも,獅子舞を見たときと同じように,素晴らしさと恐ろしさを感じました。私がつくった「シシ七十二候」というブランドは,この子どものころに見た獅子から名前を付けているんです。
また小さいころから絵を描くのも得意で,ずっと趣味として絵を描いていたので,今も洋菓子のパッケージなどを自分でデザインしています。自分でデザインしたものがきっかけで,養蜂の仕事とは別に,イラストを依頼されたり,店舗などの空間をデザインする仕事を任せてもらったりもしています。
自分を信じて,やりたいことにチャレンジを
私は子どものころから自分に自信が持てず,興味があることにチャレンジしたい気持ちはあっても,自分を信じてやりたいことに向かうことができませんでした。今,40歳を過ぎて,ようやくあるがままの自分として生きようと思い,自然と共存する暮らしをするようになりましたが,自分らしく生きてもいいんだと思えるまでに,とても遠回りをしたように思います。だから若い世代の人には,自分の心の声を大切にして,興味のあることにはまっすぐに向かってほしいと思います。そして,決してひとつの世界だけにこだわらず,いろいろな世界に飛び出して,さまざまな人,さまざまな考え方があるということを知ってください。
私は,それぞれが置かれた環境でどうやって自分らしさを出すかを考えれば,必ず自分のやり方で自分らしく仕事や行動ができると考えています。考え方を切り替えると,苦しいこともおもしろく捉えられるものです。困難なことにぶつかっても,ゲームをクリアするくらいの気持ちで,楽しくチャレンジしてください。