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滋賀県に関連のある仕事人
1934年 生まれ 出身地 滋賀県
西居にしい 正吉しょうきち
子供の頃の夢:
クラブ活動(中学校):
仕事内容
日本最大のたんすいであるで,小型の漁船に乗ってビワマス,アユ,ホンモロコ,ニゴロブナなどの漁(あみりょう)をする。
自己紹介
子どものころから昔話を聞くのが大好き。大人になってからきょうの勉強をして『おきしまものがたり』という本を書きました。うみはちまんしゅさいこうこうおきしまのガイドなどの活動を通し,島の歴史や風土を多くの人たちに伝えています。

※このページに書いてある内容は取材日(2019年08月01日)時点のものです

湖の有人島に生きるりょう

湖の有人島に生きる漁師

わたしは,おきあいかぶおきしまという島に生まれ育ち,りょうをしてきました。おきしまは,湖にある島としては日本でゆいいつ,人が住む島です。わずかな平地に家々がみっしゅうし道もせまいので,島内には車やバイクが1台もありません。どうしゅだんは,がっしりした荷台つきの三輪車です。
おきしまは古くから湖の漁業と水運で栄え,時代から1960年代までは石材の切り出しもさかんでした。げんざいのおもな産業は漁業で,島の人口はおよそ120戸,240人です。
ぞんじのようには日本最大の湖で,魚,エビや貝などの水産物が,それはゆたかなところです。アユ,ビワマス,ホンモロコ,ニゴロブナ,イサザ,ハス,ワカサギ,テナガエビやスジエビ,セタシジミ,イシガイ(タテボシガイ)などさまざまなめぐみがあり,だけにすむ固有種も多いのです。
沿えんがんの開発が進んだことで,近ごろは魚もエビや貝もめっきりってしまいました。りょうこうれいしています。でもおきしまには,毎日のように漁に出るりょうが今でも60人近くいます。全体のぎょかくりょうのおよそ半分を,おきしまりょうになっているんです。わたしもその1人で,70年もの間,でさまざまな漁をしてきました。

季節ごとの湖のめぐみに生かされて

季節ごとの湖の恵みに生かされて

ぎょかいにはしゅんがあり,漁にてきした漁期があります。わたしは小型の漁船に乗り,わかいころは父親と2人で,けっこんしてからはつまいっしょに,つまくなってからは1人で,四季折々の漁をしてきました。
まず春3月になると,ホンモロコという小魚のあみりょうが始まります。ホンモロコはこの時期,さんらんのため,湖の深場から浅い岸辺にれになってのぼってくるんです。
5,6月と12月には,「たつべ」というえんとうけいのかごを使ったテナガエビ漁をします。このかごは,スジエビ漁でも使われるでんとうてきな漁法です。
6月になるといよいよ,の魚でもっともぎょかくりょうの多いアユのあみりょうが始まります。アユの寿じゅみょうは1年です。ばんしゅうにふ化し,6月ごろに食べられる大きさになるんです。アユ漁の漁期は,さんらんむかえる前の8月20日までです。
ビワマスのあみりょうも夏で,7月ごろから9月30日までが漁期です。ビワマスは,もともとにしかいない固有種で,サケ・マスの仲間です。50cm以上の大きさになり,サケよりはるかにおいしいんですよ。アユ漁とビワマス漁は漁法が同じで,両方を同時にはできません。わたしは,夏の間はビワマス漁ひとすじでやってきました。
マス漁が終わると,11月末までまたホンモロコです。「モロコ」といって,さんらんを終え,浅い岸辺のヨシ原から出て湖の深いところに向かうところをねらうんです。
年が明けて2月ごろになると,ニゴロブナのシーズンです。ニゴロブナはでんとうてきはっこうしょく「ふなずし」の原料です。おなかたまごがびっちりつまったものにがあるので,さんらんの2月~4月ごろが漁期です。このようにわたしは,ゆたかなめぐみに生かされてきました。

3日やったらやめられないビワマス漁

3日やったらやめられないビワマス漁

わたしがいちばん好きなのは,ビワマス漁です。何しろ魚が大きいから,あみを上げるとき,魚の動きが手にビンビン伝わるのが何ともいえない。それに大きくてするどいあの目。まるでタカの目のようです。りょうは,「マス漁は3日やったらわすれられない」といいます。たんすいぎょの王様のような,ビワマスという魚がもつりょくのせいですね。
ビワマスは,水中にあみをカーテンのようにる「あみりょう」でとります。固定式のあみを,漁期の最初に水中にせっします。1まいあみはば30m,高さ8mで,20まいがワンセット。きのついたロープで水面からるし,2まいごとにいかりで湖の底に固定してあります。わたしは,つまと漁をしていたときは4セット,1人になってからは3セットけていました。これがひとばんあみを上げきれるげんかいなんです。
あみを上げに行くのは,真夜中です。船につけたローラーであみを引き上げ,あみにかかったマスをはずし,あみはまた水中にもどしていきます。6時ごろにはこの作業をすべて終え,とれたマスは注文があればおきしまにもみずげしますが,ほんてきには 仲買業者が集まる湖岸のほりきり港で,けいやくしている仲買業者にはんばいします。
あみを使う漁では,あみのメンテナンスも重要な仕事です。あみには水中のよごれがつくんです。あみよごれると重くなってやぶれるし,魚もかかりにくくなります。ビワマス漁のあみは,少なくとも20日から1か月ごとにこうかんし,よごれたあみは陸に上げてあらい,やぶれたところをしゅうします。あみの仕立ても自分でやりますし,漁業にはこうした地道な仕事が多いんですよ。

ふくざつに変化する湖のかんきょうを読む

複雑に変化する湖の環境を読む

ビワマスはいつも同じ場所にいるわけではなく,食べ物の小魚を求めて回遊しています。だから漁がむずかしいんです。湖のどのあたりの水深何メートルにあみけるかが,りょううでです。ビワマスは,12,3℃の冷たい水温帯が好きで,水が冷たい春先には浅いところにいますが,水面が温まるにつれだんだん深場にどうし,おぼんすぎには水深50~80mの深場を回遊しています。ただ,の水温はいちりつに同じではなく,同じ水深でもゆきけ水がながむ北部のほうが水温が低いんです。どの場所なら水深何メートルがてきおんか,そくしてあみらないと,ビワマスはとれません。
また,しおの流れを読むことも欠かせません。には海と同じようにちょうりゅうがあります。たいていは湖の真ん中方向に向かって,南北からしおが流れます。りょうは,北岸から中央に向かって流れるしおを「のぼしお」,そのぎゃくを「くだしお」とんでいます。真ん中あたりはしおの流れがゆるいことが多いですね。しおが速いとあみの目が広がらず,魚はかからない。しおされてあみを上げることさえこんなんです。
なお,水温もしおも一定ではなく,季節,風向きや天候,川から湖にながむ雨の量などによって,たえずふくざつに変化するんですよ。ちょうりゅうの方向がぎゃくになることもあります。りょうは,ふくざつじょうけんから水温やしおそくしなくてはならないんです。
あみける場所は,けいけんかんで決めていますね。わたしの父は毎日こまめに漁のにっをつけていましたが,わたしは頭の中におくきざみつけちくせきしてきました。けいけんぼうだいじょうほうをもとに,ビワマスがどこにいるかをそうぞうして,あみの場所を決めるんです。
でも相手は自然です。何日もとれないこともザラです。だからこそ,思ったとおりに魚がとれると,何よりもうれしい。自分のけいけんのうりょくみとめられ,むくわれるわけですから。それに「今日はどうだろう,魚はかかっているかな」というむねのときめきも漁のだいごみです。この喜びとワクワクがあるからこそ,苦労があっても毎日続けられるんです。

ほうけいけんが自信を育てる

豊富な経験が自信を育てる

あるていどけいけんを積んだ30代のころ,わたしりょう仲間から「毎日屋」というあだ名をつけられました。天気がれて他のりょうおきに出るのをためらうような日でも,わずかな風雨のみ間をついて,毎日のように漁に出たからです。
漁業は,他人の行動に左右されず,自分のはんだんせきにんで行うものだとわたしは思っています。当時は天気ほうも今ほどせいかくではなく,自分のけいけんと観察力だけがたよりです。雲や空の様子をよく観察しておきに出ていました。あぶないと思ったらすぐにもどりますが,こわいのは天気の急変ととっぷうです。とくに,急速に発達する日本海の冬のていあつこわい。西岸のみさきの間ににじがかかるのがあらしの前ぶれで,にじが見えるとすぐに引き返すのですが,あっという間にとっぷういて湖面にみずけむりが立ち,ヒヤリとしたこともあります。
こうして毎日のようにおきに出ることで,わたしは人よりも多く漁のけいけんを積んだと思います。けいけんは自信につながります。ビワマス漁のあみは大きいのでどうの作業はたいへんなんですが,ここと見定めた場所がどうにも不漁だと,別の場所にあみうつします。他のりょうが大漁した場所にちょこちょこあみうつす人もいますが,ビワマスは回遊しているから,必ずとれるというわけでもありません。わたしは不漁でも自分を信じ,10日はじっとしんぼうして,同じ場所でマスを待ちます。ウロウロ動くよりも自分のけいけんかんを信じること,結局はそれが漁の成果につながるんです。

父からいだ研究熱

父から受け継いだ研究熱

わたしは小学生のころから,父を手伝って漁をしていました。7さいのときに母がくなって,家に人手がなかったせいもあります。戦争が終わって,世の中が「自由」になったのをはきちがえて,「学校に行くかどうかは自分の自由」と,中学校にはろくに行かず漁ばかり。勉強はきらいではなかったのですが,漁もよほどおもしろかったんですね。
中学校を卒業すると,当たり前のようにりょうになりました。父の船に乗って2人で四季折々に漁をしましたが,当時は魚も貝も多く,シジミなんか船がしずむほどとれたものです。それに何でもだんがよかったし,やればやるほど漁業はおもしろくなった。
父は漁のにっをつけるし,漁法の研究も熱心でした。わたしも父を見習い,アユのあみりょうでは,あみの改良をするなどいろいろふうをしました。おかげで,父とわたしはまわりから「よくとるチームだ」といわれたものです。
やがて父はあみのつくろいなど陸の仕事に回り,わたしつまひでいっしょに漁をしてきました。漁は1人でもできますが,2人だと手早くあみ上げの作業ができ,その分,あみの数をやせるんです。つまくなってからは1人で漁を続けましたが,2018年に70年間のりょう生活にきっぱり区切りをつけ,船も漁具も人にゆずりました。何ごともぎわかんじん。無事なうちにめるのがいいと決断しました。

湖に育てられた子どものころ

湖に育てられた子どものころ

わたしが子どものころ,島にはまだ水道がなくて,飲み水も生活の水もの水でした。当時はそれほど水がきれいだったんです。
遊びは,もちろん湖です。夏は毎日,湖で遊んで,宿題なんかいつも白紙のまま。昔はせんたくに木のたらいを使っていましたが,このたらいを湖にかべて船みたいに乗って,よく遊びましたね。オールのかわりに両手に板切れをもって,こぐ競争をするんです。わたしは泳ぎが得意だったから,こっそりもぐって友だちのたらいに近づいて,てんぷくさせちゃう。たらい船はいったんてんぷくすると,また乗るのがたいへんなんですよ。おもしろかったですね。

本を読むしゅうかんと考える力が成長のもと

本を読む習慣と考える力が成長のもと

勉強はしなかったけれど,わたしは本を読むのは好きでした。中学校の校長先生が,「本を読む者と読まない者とでは,人間に大きな差が出る」と話されたのをよく覚えています。今,人前できょうなどのお話ができるのも,本を読むしゅうかんがあったおかげだと思います。
みなさんにもぜひ,本を読むしゅうかんをつけてほしいですね。本は人生のきょうです。どんな本でも,人間を成長させる栄養になってくれます。
それから,自分の頭で考えてはんだんし,行動することの大切さもお伝えしたいです。漁業では,いくらけいけんを積んでも魚がとれないことはしょっちゅうです。でも,自分で考えてはんだんした結果なので,だれのせいでもない。なぜとれないのかを考え,うでを上げていくしかないんです。他人に左右されれば,失敗は他人のせいになり,成長できません。失敗をおそれず,自分の頭で考え,たくましく育ってほしいと思います。

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取材・原稿作成:大浦 佳代・東京書籍株式会社/協力:公益財団法人 日本財団,NPO法人 共存の森ネットワーク