この土地でしかつくれない加工品
私は愛媛県の愛南町で,イワシの丸干しやアジ,サバの干物など,塩を使って魚を加工する仕事をしています。塩を使う加工屋は,地元では「塩き屋」と呼ばれます。私は「武久海産」という会社の社長であり,自ら魚の仕入れから加工までを行う職人でもあります。
会社の看板商品は,ウルメイワシの丸干しです。イワシにもいろいろな種類がありますが,私が加工しているイワシの仲間は,目玉の大きなウルメイワシ,下あごが突き出たカタクチイワシ,黒い点々の模様が並ぶマイワシ,背中の青い線が美しいキビナゴなどです。愛南の海はとくにウルメイワシの産卵の条件にぴったりで,品質のいいウルメイワシがとれます。暖かな黒潮の分流のおかげで海水の温度がちょうどよい上,川から海に栄養分が流れ込み,イワシの食べ物のプランクトンが豊富です。脂ののりもいいんです。ですからいい原料を使ったおいしい丸干しは,この地域でしかつくれない加工品です。恵まれた自然を利用できることに,心から感謝しています。
塩き屋の仕事では,塩のかげんが腕のふるいどころです。また,原料の魚をとことん選び抜くことも,同じくらい大事です。丸干しや干物などには塩辛いというイメージがありますが,私が目指すのは「しょっぱくない丸干し」です。昔は保存のために塩を使いましたが,今は冷凍・冷蔵技術が発達し,私は塩はあくまでも魚の味を引きたてる脇役と考えています。
漁師さんにいい魚をとってもらう
加工の仕事の流れを,順を追ってご説明しましょう。
まずは原料の仕入れです。原料がよくなければ,いい加工品はつくれません。原料の魚をとる漁法は,巻き網漁という夜中の漁です。強いライトで海を照らしてイワシ,アジ,サバなどの魚を集め,群れごと網で巻きとります。巻き網漁は大規模な漁業で,小型の巻き網漁船でも,ひと晩に15トン以上の魚をとることがあります。
「いい魚」とは,傷がなく氷でよく冷やされて鮮度がよく,脂がのっていて,イワシ類では内臓がからっぽで苦くないもの,ですね。こうした「いい魚」を選び抜く目も必要ですが,何より漁師さんにいい魚をとってもらわなくては始まりません。そのために漁師さんと仲よくして,漁のしかたや氷の使い方などについて,直接お願いをしているんです。
イワシは漢字で“弱い魚”「鰯」と書くように,いたみやすい魚です。魚のとり方,漁船で市場に運ぶまでの扱い方が鮮度を左右します。長いおつきあいで仲よくなった漁師さんは,私がどんな魚をほしいのか理解して努力してくれます。漁の直後の夜中の3時や4時に「今日の魚はすごくいいよ」とか「今日のはダメだ」などと,船の上から電話をくれる漁師さんもいます。ありがたいことです。そのかわり,いい魚はなるべく高い値段で仕入れるよう,がんばっています。
魚を仕入れた瞬間から加工が始まる
愛南漁業協同組合(漁協)の魚市場のセリは,毎朝6時からです。その時間に合わせて漁船が市場に着いたら,すぐ船倉の中の魚を見せてもらいます。これまでの経験から,見ただけで魚の鮮度がだいたいわかります。何匹か手にとって確かめ,体に張りがなくウロコがはがれ,黒目がぼんやり濁っていたら買うのをやめます。仕入れをあきらめる日もけっこうあるんですよ。また,いい魚の情報が入ったら,片道1時間半の高知県の市場まで仕入れに行くこともあります。
鮮度がよければ,次に内臓を見ます。丸干しは内臓も丸ごと食べる食品なので,胃や腸が空っぽでないと味が落ちるんです。胃や腸に食べ物が入っていると,苦くなってしまいます。さらに脂ののりも調べます。お腹をぐっと押すと,お尻から透明な脂がにじみ出るのがベストです。いい魚に出会えると,うれしくてワクワクしますね。
「よし,今日の魚はいい」と判断して魚を仕入れたら,この瞬間から加工の始まりです。魚は保冷タンクに入れてトラックで加工場に運びますが,タンクには真水と氷を入れておき,魚と一緒に塩を入れます。塩の濃度は一定ではなく,魚の量,種類,サイズ,鮮度,さらには加工場での仕事の段取りや移動にかかる時間まで考えて,計算するんです。
ちょうどいい塩かげんは魚が教えてくれる
加工の作業は,パートで来てくれる10人ぐらいの女性たちと私の妻も一緒に,加工場で行います。うちの加工には,マニュアルがないんです。その日その日で魚の状態が違うからです。たとえば大きさにしても,ウルメイワシは,産卵期の冬には20cmもの大きさですが,稚魚は春には8cm前後,夏には12cmぐらいです。「素材を生かしきること」を第一に,魚をよく見ながら作業をしていると,ちょうどいい塩かげんは魚が教えてくれるんです。
魚に塩が回ったなと思ったタイミングで,保冷タンクから魚を出し,加工場に運び入れます。加工場ではまず,専用の道具で魚を4段階のサイズ別にざっくりと分けます。パートの女性たちがその中から傷のないウルメイワシを選び出し,さらに5mm刻みぐらいに細かく分けます。そして,下あごを長い棒に通してのれんのように連ねていきます。
メザシは,イワシの目のところを棒に刺して干すから「目刺し」なんですが,うちのは下あごを棒で刺すので「あご刺し」なんですよ。こうするとイワシの口が開き,干すときに口から内臓に風が通って早く乾くんです。鮮度のヒミツのひとつです。
棒に連ねたイワシは,干す前に目と舌で塩かげんを確かめます。その日の平均より小さいサイズのものは,薄めの塩水につけて余分な塩分を抜き,大きいものは逆に濃い目の塩水につけて塩気を足すことがあります。この作業は微妙で難しいため,私が担当します。最後に真水で表面の塩分を洗い流し,プラスチックのザルに並べて乾燥室に移したら,作業は一段落です。
ひと晩干したら完成,全国へ発送
量にもよりますが,朝に仕入れた魚は,夕方までには乾燥の工程に入ります。乾燥室では,除湿しながら18℃の冷風をあてます。ウルメイワシは脂が多いので,お尻から脂がしたたり落ちないよう,最初は寝かせた状態で半乾きにします。そして,夜中に頭を上にして吊るし直します。この作業は私一人で行っています。
「一夜干し」ですから,乾燥は翌朝には終えます。朝,再びパートの女性たちに来てもらって,長い棒から透明のストローにサイズごとに決まった匹数で通し直し,商品の形にしていきます。この段階でも,傷物を厳しくチェックします。最後に段ボールの箱につめて商品が完成,マイナス28℃の冷凍庫に保存して,注文に合わせて出荷します。
販売は数社の卸売業者さんを通して,東京の築地や大阪,名古屋ほか全国の市場へと送られ,そこで小売店に買われて店先に並びます。大阪の高級デパートでも売られていますし,インターネット販売もされています。最近は愛南漁協の営業のおかげで売り先の幅が広がり,ありがたいです。直接の注文も受けていて,こちらはリピーターのお客さんが多いですね。
お客さんの「また食べたい」が励み
日本人の食生活は,私がこの仕事を始めた40年前からずいぶん変わりました。今は食べ物があふれ,健康志向も高まっています。ですから本当においしいもの,品質がすぐれていてばらつきのないものをつくらないと,選んでもらえません。その評価がわかるのが,お客さんの声です。一回食べておいしかったから,「また食べたい,もっと食べたい」というリピーターのお客さんの声が,私たちには最大の喜びであり,何よりのはげみです。
愛南町水産課と愛南漁協が進めている「ぎょしょく教育」という教育活動のおかげで,東京の学校給食にも丸干しを届けています。東京の先生たちが加工場を訪ねてくれたこともありますし,私たちが東京の小学校に招かれたこともあります。校長先生から「武久海産さんの丸干しはおいしいので,子どもたちは残さず食べますよ」と聞かされ,本当にうれしかったです。「魚離れ」が進んでいますが,若い人たちに,イワシの丸干しのような昔からの食文化を伝えることは,私たちの使命でもあるように思います。
好きでやっているうちに社長に
私は愛南で生まれ育ちました。8人きょうだいの末っ子です。父は私が生まれたころに,かまぼこ屋を始めました。昔は巻き網漁が盛んで,かまぼこ屋も塩き屋,イリコ屋もたくさんありました。道路脇にどこまでもイリコが干してあるのが日常の風景で,それをつまむのが子どものおやつでした。
私は中学卒業後,船乗りを養成する海員学校に進学しました。卒業後は5年ほど国際航路の商船に乗り,ほぼ一年中,世界中の海ですごしましたが,ふるさとで暮らしたくなって愛南に戻りました。そして,4月からお盆まではカツオ一本釣り漁船に乗り,その他の時期はこの武久海産で働いていましたが,2年後に武久海産の正社員になりました。
1980年前後のそのころがイワシ加工の最盛期で,武久海産も男性社員が8人,女性の常勤パートが40人近く働いていました。多いときには一日に15トンも魚を仕入れ,今の10倍の量の丸干しをつくっていたんですよ。私は体を動かすのが大好きで,一生懸命働くうちに,40代半ばで仕入れと味付けを任されるようになり,そのころから仕事が本当に面白くなりました。肩書きが「社長」になった今でも,自分で仕入れから加工までを行い,いつも考えるのは魚のことばかりです。
子どものころから生き物が大好き
小さいころから,海が大好きでよく遊んでいましたね。生き物も好きで,鳴き声がきれいなメジロをつかまえて飼っていたこともあります(今は法律上,許可がないと飼えませんが)。商船に乗っていたときは,嵐から逃れて船に避難してきたペリカンやハヤブサを飼ったこともありました。今の仕事で,イワシの体をよく観察したり海の中での様子を想像したりすることは,生き物好きの延長に近いところがあるかもしれません。
それにしても,海の環境が子どものころに比べるとあまりにも変わってしまいました。ガタッとイワシがとれなくなりましたし,磯一面の海藻も消えてしまいました。海が変わってしまった原因は複雑なのでしょうが,やがて巻き網漁もイワシの加工業も消えてしまうのではないかと心配です。
人に喜ばれることを見つけよう
何でもいいので,自分にできることをとことんやり切ることは大事ですね。私は自分でも「魚ばか」だと思うことがありますが,魚の加工の仕事にとことん打ちこむことで自分に自信がつきました。その自信に背中を押され,漁師さんやいろいろな人と話すことができるようになったように思います。人と話すことができるようになると,何かと助けてもらえるようになり,そのおかげで今こうして仕事ができているんです。
どんな職業もそうですが,世の中の役に立つために働くことが仕事だと,私は思っています。世の中の役に立つことは,人に喜んでもらえること。みなさんにも,人に喜ばれることを何かひとつ見つけてもらえたらと思います。それが将来,やりがいのある仕事につながっていくこともあるかもしれません。