三陸の豊かな海で
私は岩手県南部の釜石市で漁師をしています。小さな漁船に乗ってアワビやウニ,ナマコなどをとる磯漁,ホタテガイとワカメの養殖業,それから小型の定置網漁もしています。
釜石の沿岸は入り組んだリアス海岸で,岩場が続いています。岩場には海藻が茂るので,海藻を食べるアワビやウニのよい漁場になっています。アワビやウニにも種類があり,釜石でとれるのは,北方系のエゾアワビ,キタムラサキウニとエゾバフンウニです。
岩手から宮城にかけての三陸沿岸では,養殖業もさかんです。穏やかで水深のあるリアス海岸の湾は,養殖向きなんです。とくにワカメは肉厚で風味がよく,「三陸ワカメ」の名で知られています。
ホタテガイとワカメの養殖では,魚やエビなどの養殖と違い,えさを与えません。ホタテガイは,海中のプランクトンを食べるんです。また,ワカメは日光を浴びて光合成をし,海水に含まれる栄養分を吸収して成長します。釜石の海は,栄養たっぷりの豊かな海なんです。
定置網は,6月から10月ごろまでの季節的な漁です。魚が中に入ったら出られない構造の網を海の中に固定して,魚が入るのを待ち受けます。1,2日おきに網を上げて中の魚を漁獲します。アジ,タナゴ,チダイ,ブリの幼魚,イカなどいろいろな種類の魚がとれて,楽しいですよ。20年ぐらい前までは,秋になるとサケがよく入ってまとまった収入になりましたが,最近はあまりとれなくなりました。
釜石の漁師はほとんどが家族経営で,私は妻と息子の3人で仕事をしています。養殖の仕事の節目やウニの加工など,人手が必要なときには,親戚や知人にアルバイトを頼むこともあります。
生き物相手の養殖は心を込めて
収入の多くを占めているのは,養殖業です。ワカメは,秋に芽がついた種糸を5cmほどに切って太いロープにはさみ,浮きをつけて海面に浮かべます。ワカメは3,4か月で2m以上に伸びるので,成長にしたがって間引きをしたり,重くなるので沈まないよう浮きを増やして,光合成のために日光が当たるようにしたり,こまめに世話をしてあげます。収穫は,3月上旬から5月上旬ごろです。
ホタテガイの養殖については,北海道の小樽から稚貝を取り寄せています。ネットのカゴに稚貝を入れて海中に吊るし,殻の幅が7cmぐらいになるまで育てます。これをいったん海から上げて,1枚ずつ貝殻に穴をあけてピンを通し,ロープに直接固定して,また海に沈めます。この作業は「耳吊り」といって,人手を頼んで集中的に行います。こうやって稚貝から育てると出荷までに3年かかるので,並行して7cmまで育った半成貝も北海道から仕入れ,1年だけ育てて出荷することもしています。半成貝は高いので利益は薄いですが,早くお金にできますし,稚貝の病気などのリスクを分散するメリットもあります。
ホタテガイには,えさは与えませんが,ときどき漁具や殻の掃除をしてあげます。浮きなどの漁具やホタテガイの殻には他の貝やホヤなどの生き物がつきます。ホタテガイの食べ物を横取りされないように,掃除をするんです。またワカメと同じように,成長に合わせて浮きの調整も必要です。
養殖は生き物が相手ですから,思いやる気持ちが大切なんですよ。毎日見回って状態をよく観察して,何をしてあげたらいいのか考え,こまめに手をかけてあげます。この気持ちをなおざりにすると,いいものは育たないんです。
厳しいルールで持続可能な漁を
さまざまな漁の中で,磯漁についてはとくに厳しくルールが決められています。アワビやウニは素早く逃げられず,育つのに何年もかかります。潜水器などで潜って効率的にとると,あっという間にとりつくしてしまいます。そこで,県や地域の漁業協同組合がそれぞれ漁法や漁期などのルールを決めて,資源を守っているんです。
釜石では潜水ではなく,漁船の上から漁をします。漁法と漁具は,昔からあまり変わっていません。まず,木箱の底にガラスをはめた「箱めがね」,釜石では「かがみ」と呼びますが,これを海に浮かべます。かがみを通すと海の中がはっきり見えるんです。船のへりに膝を押しつけて中腰になり,かがみから海中をのぞき,竿の先につけた漁具でアワビやウニをとります。
竿は1本が3mで,水深に合わせて最長で4本半つなぎます。昔は竹の竿でしたが,今は丈夫で軽いカーボン製です。竿の先には「すね」という50cmぐらいの板をつけ,その先にアワビ漁ではフック状の鉄のカギ,ウニ漁では小さなタモ網をくくりつけます。「すね」は,粘り強くしなうのが特徴で,獲物をひっかける微妙な動きができるんです。昔は竹を削って作りましたが,今はこれもプラスチック製です。アワビ漁では,カギの先をアワビの殻の端に引っかけて岩からはがします。ウニはタモ網の枠で岩からはがし,タモ網の中にすくい入れていきます。
漁の日数と時間も決められています。アワビ漁は11~12月の間にわずか7回です。1回の漁は3時間ほどなので,時間との勝負ですね。ウニの漁期は4月末から8月下旬で,全部で30回ぐらいですかね。ウニ漁は時間だけでなく,とる量もカゴ1杯と決められているんです。さらにアワビもウニも,とっていいサイズの規則があります。違反には罰則があり,そこまで厳しくして資源を守っているんですね。
アワビは漁獲したらそのまま漁協の集荷所に持っていきますが,ウニは身をむいて出荷します。ウニは生で食べる食品なので,滅菌海水を使うなど衛生管理の決まりも多く,気をつかいます。
磯漁は目と勘と経験
アワビとりは一瞬の勝負です。いったん殻にさわると,アワビは危険を感じて岩に吸いつき,はがせなくなります。また,アワビの身を傷つけないよう,岩からはがすときにカギをかける殻の位置が決まっています。潮の力に耐えて竿を操り,殻の一点に正確にカギを打ち込む技術は,負けず嫌いの漁師根性で鍛えてきたように思います。
アワビを多くとるには,技術だけでなく,まず目がよくなければいけません。視力だけでなく,アワビを見つける目が大事です。アワビの殻には海藻などがついていて,岩そっくりです。しかも海面から何mもの深さです。目や勘がいいと,殻のわずかな特徴にピンときて,アワビの姿が見えてきます。見えにくい岩の側面にいるアワビや,他の漁師が見逃したアワビも確実にとるのが名人です。名人になるには,素質だけでなく経験と努力も必要ですね。
場所選びも大事なポイントです。これは経験が大きくものをいいます。アワビには縄張りがあるらしく,年を重ねた大きなアワビがいる場所,若くて小さいのが多い場所,さらにアワビがまったくいない場所もあるんですよ。経験を積んで「あそこの岩のあの部分に毎年大きなアワビがいるな」という記憶を蓄積すると,だんだん漁獲量があがっていきます。私の頭の中には,そういう場所が何十か所も入っています。
ウニ漁は私1人で行きますが,アワビ漁は妻の愛子と一緒です。私が水中をのぞきながら指示すると,愛子が小刻みに船を動かしてくれます。今は電動の小さなプロペラを使って1人でも漁ができますが,とったアワビのサイズがとっていいサイズかどうか確認してくれる人がいると,私は漁に集中できます。愛子はお嫁に来てから櫂をこぐ練習をして,もう50年近くがんばってくれています。照れくさいから口では言いませんが,本当に感謝しています。
自然にさからわず,うまくつきあう
漁業は自然が相手なので,なかなか人間の思いどおりにはなりません。ホタテガイの養殖でも,病気などが発生して貝がたくさん死んでしまうこともあります。海の環境の変化も,漁師には解決できない問題です。海の温暖化やさまざまな原因から,海藻が消える「磯焼け」という現象が全国で起きています。海藻がないとアワビやウニが育ちません。釜石でも磯焼けは起きていて,私が若いころは1回のアワビ漁で100kg近くとれたんですが,今はせいぜいその3分の1くらいです。人工的に育てたアワビの稚貝や稚ウニを漁協が買って放流していますが,海藻が茂らないと根本的な解決にはならないですね。
私が経験した自然の災害でとくに大きかったのは,やはり2011年の東日本大震災です。私が住む桑ノ浜にも10m以上の津波が押し寄せて,漁船や漁具倉庫などがすべて流され,大切に育てていた海の中のホタテガイもワカメも全滅でした。
家屋も,集落47軒のうち45軒が被害を受け,道路が寸断されて1週間ぐらい孤立しました。私の家は集落の一番奥にあって無事だったんです。だから集落の避難所として使ってもらい,被災した集落の人たちが7月末まで寝泊まりしていました。
漁業は,養殖の被害もあったのでマイナスからのやり直し。漁師をやめて内陸に引っ越した人もいます。うちは息子も漁師だし,私にとって漁業は生きがいでもあるので,少し無理もしましたが再開させました。桑ノ浜でホタテガイを養殖する家は25軒から7軒に減りましたが,励まし合って頑張っています。
今,桑ノ浜の集落は25軒ぐらい。漁港には高さ14.5mの防潮堤ができ,集落内を整地した高台に家々が再建されました。自然にはさからえません。さからわず上手につきあって,海から大きな恵みをいただく,これが繰り返し津波にあってきた三陸の漁師の生きる道なのだと改めて思いました。
努力の分だけ報われる
漁業のやりがいというのは,努力した分だけ見返りがあることでしょうね。磯漁も養殖も,楽をしていたらそれなりの結果しか出ません。人がこれくらい努力するなら,自分は寝る間を惜しんでそれ以上に努力をする,そんな意気込みで働いてきました。
ホタテガイの養殖では,同じ稚貝を仕入れても,人よりちょっとでも大きくて品質のいいものを出荷したいという思いがあります。手をかけていいものができたときは,何ともいえない満足感がありますね。もちろん,品質がよければ価格で報われますし。
私は,海や漁業がとにかく好きなんです。毎日夜明け前に起きて,海を見に行きます。船を出して見回ることもあります。朝の海は気持ちいいですよ。海は私の人生の一部です。
10歳でアワビ漁の稼ぎ手に
私の父も漁師でしたが,目が悪くて磯漁ができませんでした。そこで,長男の私が10歳でアワビ漁を始めました。母のアイデアで事前に練習をしたんですよ。家の軒下の水槽にアワビの殻を入れて,2階の窓からカギで引っかけるんです。漁の当日には,両親と3人で小さな木造の船に乗って,両親が船を操りながら見守ってくれました。アワビは大きな収入になるので,家族みんなが必死でした。
中学を卒業すると,漁師になりました。本当は高校に行きたかったんですが,父が病気がちだったので,私が稼ぐほかなかったんです。せめてもの思いで通信制の高校で勉強して,高校の卒業証書は手に入れました。
漁師になり,知り合いのイカ釣り漁船に乗ったんですが,沖合の海はうねりが強く,思いがけずひどく船酔いして苦しみました。仕方ないので18歳で車の免許,20歳で大型車の免許をとって,ミキサー車の運転手になりました。ただ,アワビ漁のある日には海に出て,20歳ごろからは勤めながらワカメの養殖もやっていましたね。運転手の月給は平均よりよかったんですが,父が入院したこともあって足りない。漁師なら自分の努力しだいでサラリーマンより稼げると思って,海の仕事に戻ることにしました。
ちょうどホタテガイ養殖が始まっていたのが幸いでした。沖合と違って,沿岸の漁業なら船酔いしませんでしたから。ただ,ホタテガイ養殖も最初のうちは自己流で,私も周りの漁師も失敗続きだったんです。そこで「本場で養殖の方法を教えてもらおう」と,仲間を誘って車で北海道に行ってみました。訪ねる先の当てはなかったんですが,たまたま親切な漁師に出会えたんですね。その人が海の中に吊るす方法や漁具,育てる水深などを詳しく教えてくれたんです。そのおかげで,失敗することがなくなりました。考えてみると,私の漁師生活は,チャレンジ精神だけでここまできたようなものですね。
「お互いさま」の助け合いを大切に
みなさんには,何ごとも自分の頭で考え,失敗をおそれず挑戦してほしいと思いますね。自分で考えて挑戦したことなら,失敗だっていい経験になります。失敗から学んだことを,次の挑戦にいかせばいいんですから。挑戦するには,自分を信じることも大切です。自分の頭で考えたことに自信を持って,人生を切り開いてほしいと思います。
もうひとつ,助け合うことの大切さも,みなさんにお伝えしたいです。東日本大震災での津波の災害は本当にきつかったですが,集落の人や漁師の仲間たちと助け合って,何とか生活も漁業も立て直すことができました。私は自宅を避難所にしたことで感謝状もいただきましたが,「お互いさま」なんです。うちでは以前,家族の病気が重なって,親戚にも集落の人たちにもすっかりお世話になりました。お互いさまという心で,人に尽くすこと,相手を思いやることを大切にして,生きていってほしいと思います。