※このページに書いてある内容は取材日(2023年06月26日)時点のものです
リニア中央新幹線「神奈川県駅」のさまざまな設備に、電気を安定的に届ける
私はJR東海で、電気技術者として働いています。私が所属する「中央新幹線建設部 電気工事部」では、現在建設が進んでいるリニア中央新幹線の列車や駅に電気を供給するための設備やシステム、列車の安全な運行を支える設備などについて、計画、設計および施工監理など、幅広い業務を行っています。
その中で私が担当しているのは、リニア中央新幹線の中間駅の一つ「神奈川県駅」(仮称。以下同じ)のさまざまな設備に電気を届ける仕事です。駅には、照明をはじめ、改札機、列車の発車時刻や行先を表示する電光掲示板など、電気が必要な設備がたくさんあります。また、列車運行に必要な設備にも電気が欠かせません。こうした設備一つ一つに電気を届けるために、電力会社や行政、社内の関係各所と協議を行いながら駅の計画を進めています。
鉄道の場合、電力会社から届いた電気を「配電所」という施設でそれぞれの設備に適した電圧に変換し、ケーブルを使って電気を送っています。現在は駅の設計を進めている段階なので、「各設備にどれくらいの電気が必要なのか」を確認しながら、電圧を変換するための変圧器を何台設置するかを決めたり、ケーブルの配線ルートを考えたりしています。
電気を無駄なく供給するにはどうすればいいかを考える
一口に「設備に電気を届ける」といっても、考えなくてはならないことがたくさんあります。たとえば、電気の供給元となる「配電所」を駅のどこに配置するか決めなくてはなりません。電気を送るケーブルが長くなればなるほど、電気の供給先に届くまでに電圧が下がってしまいます。つまり、電気を届けたい設備の近くに配電所を設置してケーブルを短くする方が、電気を無駄なく供給することができるのです。
ケーブルを太くすれば電圧は下がりにくくなりますが、そうすると今度はコストが上がってしまいます。このように、どうすればもっとも合理的に電気を供給することができるのかを常に考えながら、電気設備の配置や配線の設計をしています。
とりわけリニア中央新幹線の駅は、これまでの鉄道にはない、リニアならではの設備への電気の供給についても考えなくてはならないため、難しさを感じています。代表的なものが「誘導集電設備」です。リニア中央新幹線の車両は走行時、地面から浮いており、地上設備と接触している部分がないため、車内の照明や空調などで使う電気をどこから供給するかという課題がありました。新幹線や在来線のパンタグラフのように地上設備と接する機器を通して電気を供給することができないのです。そこで採用されたのが、「誘導集電」という仕組みです。これは、置くだけでスマートフォンの充電ができる充電器と同じような原理で、地上に設置されたコイルに電気を流すと、電磁誘導作用によりリニア車両の底に設置された集電コイルに電気が流れ、地上から車両側に電気を供給することができます。この「誘導集電」のための設備は、駅だけでなく全線に設置される予定です。
また、車両に乗り降りするための「乗降装置」は、車両が到着したときにホームと車両ドアとの間を人が通行できるようにするための設備で、これもリニア中央新幹線ならではのものです。飛行機に乗りこむときの通路のようなイメージですね。こうした前例のない設備に対しても、適した電圧で安定的かつ効率的に電気を供給するにはどうすればいいのか考えながら設計しなくてはならないため、責任重大で緊張感がある仕事ではありますが、地域のみなさんに愛される駅にしたいという思いを胸に、開業に向けて業務に励んでいます。
関わる全ての関係者が納得できるよう、議論を重ねて計画を立てる
業務内容は日によって変わりますが、ケーブルの配線ルートや配電所の場所を考えて図面を作成したり、社外の電力会社や行政と協議したりと、幅広い業務を行っています。また、神奈川県駅の建設現場に足を運ぶこともあります。地下駅である神奈川県駅は現在(2023年6月時点)、駅空間を地下に確保するため地面を広く深く掘り進める土木工事の段階です。駅の建物の下に埋設しなければならない電気設備もあるため、土木の担当者と調整しながら計画を進めています。
この仕事は社内の土木、機械、建築の担当者、また社外では電力会社や行政など、社内外の多くの人と協議を重ねる必要があり、その調整に難しさを感じることも多いです。たとえば「この部屋のこの位置にケーブルを通す穴を開けたい」という希望を土木、建築の担当者に伝えても、「建物の構造上、それはできない」と言われることもあります。そうすると、また位置を変えて設計し直さなければなりません。つまり、配線ルートを一つ決めるだけでも、他分野の担当者たちと議論を重ねながら計画を立てる必要があるのです。そのため、関わる全ての担当者が納得できるような電気設備の計画、設計をすることを心がけています。
失敗から得た知識や情報を共有し、より良い駅づくりを
仕事をする上で大切にしていることは、目的やビジョンを持ち、それを達成するために具体的な目標を立てることです。もちろん、目標を達成できなかったり、失敗したりすることもたくさんあります。ですが、そこで落ちこむのではなく、しっかりと反省した上で失敗をポジティブに捉えるようにしています。
現在、担当している神奈川県駅の仕事でも、自信を持って提案した計画に問題が発覚し、計画を練り直さなくてはならなくなったことがあります。そうした場合でも、自分が失敗から得た知識や情報を、他の駅をつくっている担当者に伝えることで、同じ失敗を繰り返すことが防げます。つまり、自分の失敗がほかの人の「財産」になり、失敗を予防できるのです。自分の失敗を単なる失敗で終わらせないためにも、リニア中央新幹線の全駅の電気関係者と定期的に集まり、情報交換するようにしています。逆に、「こうしたらうまくいった」という成功例も積極的に発信しています。そうすることで、より良い駅づくりにつなげていくことができるはずです。将来、「失敗があったからこそ前に進めた」と思えるように意識しながら、日々の仕事に挑んでいます。
生活に欠かせない「電気」を通じて、社会に貢献できるのが魅力
世の中には、電気が必要な設備がたくさんあります。たとえば、普段みなさんが見ているテレビも、そこに電気を送る人たちがいなければ動きませんよね。電気がなければ、当然、電車も動きませんし、駅も真っ暗です。みなさんも停電を経験したことがあると思いますが、そのとき「電気がなくて困ったな」と感じたのではないでしょうか。普段の生活の中で当たり前になっている電気を届ける仕事は、社会や人々の暮らしを支える重要な役割を担っているのだと実感しています。電気を通して人の役に立てるということは、この仕事の魅力だと思います。
過去に、静岡県湖西市にある「新所原駅」の建替え工事を担当したことがありました。この駅は構造上、南側から入ることができない駅でしたが、「南北どちらからでも入れるように自由通路を作りたい」という自治体からの要望を実現するため工事が始まりました。
私は、新駅舎の照明やケーブルの選定、そのルートの設計、受配電設備の仕様検討を行い、工事に際しては、現場に立ち会って照明の位置を確認したり、現場作業の安全管理を担ったりしました。
工事を始めてから2年半ほどかけて新駅舎が完成しました。完成時は異動で担当を外れていたのですが、初めて担当した駅ということで思い入れも強く、オープンした際には始発電車に乗って現場に向かいました。早朝だったのですが、かつては行き来できなかった南北がつながり、便利になった駅を利用しているお客さまがたくさんいらっしゃいました。「便利になったね」とお客さまが話をしているのを見たときは胸が熱くなり、自分の携わった仕事が地域の方々の生活に貢献しているのだと、強く実感することができました。
神奈川県駅の業務についても、将来、駅を訪れるみなさんに「便利になった」と感じてもらえるよう、全力で取り組んでいきたいと思います。
電気の知識を生かし、未来をつくる事業に貢献したいという思いでJR東海に
私が電気技術者の道に進もうと決めたのは、15歳のころです。私の父はDIYや工作が得意で、そんな父の姿を小さいころから見ていて、自分も「ものづくりに関わりたい」と思い、岐阜工業高等専門学校(高専)に進学しました。そこで電気の分野を専攻した理由は、人々の生活になくてはならない電気の仕事であれば、将来活躍できるフィールドが必ずあるのではないかと考えたからです。3年次で大学に編入し、そこでも電気やエネルギーを専門的に学びました。
就職活動では、高専、大学で学んだ電気・エネルギーの知識で社会に貢献したいという思いで、就職先を探していました。当初は、その知識を存分に生かすことができる電力会社に行こうとも考えていたのですが、さまざまな業界を調べていく中で、鉄道会社においても私がやりたい電気の仕事をしていることがわかったのです。
数ある鉄道会社のなかでもJR東海を選んだ理由は、リニア中央新幹線という、未来をつくる事業にひかれたからです。私が就職活動をしていた2011年は、東日本大震災が発生し、世の中が不安に包まれている時期でした。だからこそ、自分の知識を生かして未来をつくる事業に携わりたいと思い、入社を決意しました。
「鉄道会社に入社した」と周りの人に伝えると「電車を運転するの?」と聞かれることもありますが、JR東海では、私のように電気の知識を持った人もたくさん活躍しています。みなさんにはぜひ、電気の仕事にも興味を持ってもらえたらうれしいですね。
思い切ってチャレンジすることの大切さ
私は岐阜県の田舎で育ちました。小・中学生のころは、魚釣りをしたり、山の中でサバイバルゲームをしたりと、自然の中でたくさん遊びました。また、家から学校までの4キロの道を雨の日も雪の日も毎日歩いて通ったことで、子どものころからしっかり体力をつけることができたと思います。中学時代には、生徒会役員選挙に立候補して生徒会長を務めたこともあります。やったことのないことにも一歩踏みこんでみようとする、チャレンジ精神が旺盛な子ども時代でしたね。
15歳で高専に入学を決めたことも、一つのチャレンジでした。高専は家から2時間以上離れているので、親元から離れて寮生活をしなければいけませんでした。それまで小・中学生時代をともに過ごした同級生55人(ずっと変わらないメンバーでした)はみんな幼なじみのような関係でしたので、思い切って環境を変えて、知り合いのいない場所で頑張ってみようと考えたんです。
寮は、4人で1部屋の生活でした。最初は共同生活に慣れず苦労も多かったのですが、先輩から挨拶やマナーを厳しく指導され、人間的にも大きく成長することができたと思います。苦楽をともにした仲間たちとは、今でも連絡を取り合う仲です。高専時代には、そうした生涯の友を得るとともに、多くの経験を得ることができました。高専への進学は、環境を変えて思い切ってチャレンジすることの大切さを学ぶことのできた、私にとって大切な思い出です。
いろいろな方向にアンテナを張って、自分の将来の選択肢を広げよう
みなさんには無限大の可能性がありますので、ぜひいろいろなことに興味を持ち、多くのことを経験してほしいです。
たとえば「電柱」に興味を持ってみるとします。みなさんにとって電柱は、ただの風景の一部かもしれません。でも、「なぜ電柱があるんだろう」と不思議に思い調べてみると、家に電気が送られている仕組みを知ることができるはずです。もしかしたら、そこからまた新しい疑問が生まれ、「もっと詳しく調べてみよう!」という、次のアクションにつながるかもしれません。つまり、全く興味のなかったことでも、少し触れてみたら興味深かったり、そこから将来、進みたいと思える道が見つかったりする可能性があるんです。だからこそ、いろいろな方面にアンテナを張っておくことが大切だと感じています。
私たちは、リニア中央新幹線の開業に向けてこれからも挑戦を続けていきます。「人々の暮らしを豊かにする」というスケールの大きい挑戦にはなりますが、それだけにやりがいも大きいです。そして将来、自分の関わった駅を中心に街が発展し、日本の経済や社会を支える一翼を担うことができたらいいなと思っています。