南房総で昔からさかんな海女
私は千葉県南房総市白浜の名倉地区で海女漁と農業をしています。半農半漁ですね。海女漁は時期が決まっていて,5月1日から9月10日までは潜ってアワビなど貝類をとり,12月1日から2月中は磯でハバノリや青ノリなどの海藻を摘みます。農業は海女漁の合間にしていて,畑が2反(20アール)あります。つくっているのは,房総で栽培がさかんなキンセンカなどの花,ソラマメや落花生で,農協に出荷しています。ほかに自家用の野菜も少し育てていますね。トラクターで耕して畝を立てる作業は人に頼みますが,あとは何とか1人でやっています。
海女歴はかれこれ70年近くになります。南房総の磯は,岩が多い地形です。岩場には海藻がよくしげって,海藻を食べるアワビやトコブシ,サザエなどの貝類も多いんです。だから,昔から素潜りで貝や海藻をとる漁がさかんでした。私が若いころには,地元の名倉集落では女性の8割が海女をしていましたね。房総半島では男の人も素潜り漁をしていて,男のあまは「海士」と呼ぶこともあります。
海女にもいろいろある
海女には,海に潜ってアワビなど貝類をとる「けぇ(貝)海女」と,潜らずに浅い岩場でテングサをとる「テングサ海女」とがあり,稼ぎがいい「けぇ海女」のほうがやや多かったですね。テングサは,寒天やところてんの原料になる海藻です。海に潜るのが苦手な人がテングサ漁をしましたが,輸入品が増えたため,今は専門にとる海女はいません。
「けぇ海女」の中でも,船で沖に出る海女を「船海女」といいます。4,5人で船頭さんを雇って船を出してもらうんです。船を使えば早く漁場に着くし,やや深くてアワビの多い漁場で潜れます。体はきついですが,浜から歩いて行くよりも稼ぎはいいんです。とくに腕のいい海女は「大海女」と呼ばれて,尊敬されたものです。
昔は私が住む名倉の集落だけで60人も海女がいましたが,今では隣の地区と合わせても10人ほどです。寂しくなりました。10人のうち4人が海士で6人が海女です。いちばん年下の海女で60歳代。3人が80歳以上で,82歳の私より1歳上の人が最高齢です。
海女の“制服”と道具類
着替えや休憩のための“海女小屋”が海女の基地です。名倉漁港の横に漁協が建ててくれた海女小屋を,今は5人が共同で使っています。座敷には囲炉裏があって,漁のあとには夏でも薪を焚いて温まるんです。
昔は上下とも白い木綿の磯着でしたが,今は漁協が決めた“制服”があります。まず水着の上に,上下が分かれたゴムのウェットスーツを着ます。この上に漁協で販売している,オレンジ色の長袖長ズボンのジャージを着ます。ゴムの帽子もオレンジか黄色。このジャージと帽子が海女の制服で,これをつけないと違反になります。密漁を見分けるためでしょうね。靴下をはき,潜りやすいよう錘をつけたベルトを巻きます。これに手袋で完成です。
今は海女小屋の前の磯で潜るので,背負いかごに道具を入れて浜に歩いて行きます。海女の道具で大事なのは,まず「曲げ樽」。杉でできた樽で,漁のときに浮輪みたいにつかまって休みます。貝などをとる道具は「磯カネ」といって,木の柄がついた大きなドライバーみたいなものです。磯カネは鍛冶屋さんに打ってもらいます。先がマイナスドライバーみたいな形をしたものと,フック状のものとがあり,この磯カネを使って,アワビを岩からはがしてとります。とっていい大きさが決められていて,小さいものは逃がします。
水中眼鏡は,釣り具屋さんで売っているのを使っています。ガラスの曇り止めには,ヨモギの生葉をこすりつけるのがきくんです。足ヒレを使うようになったのは20,30年前ですね。足ヒレのおかげですごく潜りやすくなりました。
アワビを見つける目を養う
貝の漁期は5月1日から9月10日ですが,海が穏やかで漁ができるのは,よくて50日ぐらい。今年は台風が多くて海が荒れたから,30日ほどでしたね。その日,漁に出られるかどうかは,集落の海女組合の役員である海女頭が決めて漁港に目印の旗を揚げます。漁が許される時間は9時半から14時半の間。船海女はその時間内に1時間ずつ2回海に行くけれど,私は仲間と浜から泳いでいくから,早くて10時半ごろ海に行って1時間半くらいで戻ります。
私たちが潜る磯は,浜から100メートルほどのところです。潜る深さは3,4メートルくらい。船海女だったころは,8メートル以上も深く潜ったんですけどね。
海の中はカジメという海藻がしげっていて薄暗いんですよ。カジメをかき分けて,岩と岩のすき間にいるアワビを探しますが,暗いうえにアワビは岩にそっくり。まあまあ見えてくるまでたっぷり2,3年はかかります。目が慣れると形から何となく「アワビだな」とわかります。殻の穴の列の側に磯カネを入れて,すばやく岩からはがします。一度はがすのに失敗すると,しっかり岩にはりついて,もう簡単にはとれません。すばやく,でも傷つけないように注意してはがします。
今はアワビが10枚とれたら大漁ですね。房総のアワビは,黒(クロアワビ),赤(メガイアワビ),マダカ(マダカアワビ)の3種類あります。マダカは沖の深いところにいて,数が少なく,めったにとれません。値がいいのは黒です。海からあがったら,着替えて,漁協の集荷所に納品に行きます。貝の種類や傷のあるなしで分けて重さを量って伝票をもらったら,海女小屋に戻ります。
海女小屋では火にあたって温まりながら,持ってきたお弁当を食べて,仲間とおしゃべりして,夕方までのんびり体を休めます。こうやって真夏でも火で温まって体を休めるから,次の日にも出られるんです。ちゃんと休まないと体がもたないですよ。
海が好きだから続けられる
アワビがとれなかった日はつらいですね。生活のために海女をしてきましたからね。私は子どもを5人産みましたけれど,妊娠中も8か月くらいまでは潜っていました。つわりもなかったですし,むしろ体を動かしていたほうが体調はよかったみたいです。
潜っていて危ない目にあったことはありませんが,ヒヤッとすることはたまにあります。浮かび上がろうとするときに磯カネのひもがカジメにからんでしまったり,水中眼鏡がひっかかってはずれそうになったりね。海の生き物では,ナマダ(ウツボ)が怖いですよ。歯が鋭いから。でもこっちから手出しをしなければ,かまれることはないです。
息づかいは大事ですね。習い始めのときから,先輩の海女さんたちに「無理をしてはだめ」とよくいわれました。息を使いすぎないように,浮かび上がるための息を残しておくようにと。「海女の磯笛」も先輩に教わりました。水面に浮かび上がったとき,口笛みたいに口をすぼめてヒューッと一気に息をはくと,そのあとに息を吸い込みやすくなります。いったん肺がからっぽになるせいですかね。
海女のやりがいは,もちろん稼ぎ。それに雇われではないから,自分しだいで自由に働けて気楽です。家に近くて漁の時間帯が決まっているから,家事や畑仕事のやりくりがしやすいのも助かります。でもこの歳まで続けているのは,やっぱり海が好きだからでしょうね。慣れてしまって,わくわくするということはないけれど,毎日でも海には行きたい。健康で海に潜れることには本当に感謝しています。
海に感謝し,守る気持ちを大切に
神様にも感謝しています。海女小屋の前に海の神様の小さなお社があって,海に出るときには必ず手を合わせて拝みます。海女の神様は集落の中のお稲荷様で,5月1日の開口(漁の解禁)の前には「どうぞ無事にすごさせてください」とお願いをして,その後も通りがかりや気の向いたときにお参りをしています。
アワビなどをとりつくさないための決まりはたくさんあるんです。海女や海士になれるのは,集落に住民票があって2年以上住んでいて,漁協の組合員であること。地元に住んでいて目の前の海を大切に守ろうという気持ちが大事なんです。
アワビを増やす努力もしています。漁協では県が育てたアワビの稚貝を買って放流していますし,自然の繁殖を保護するための禁漁区もあります。禁漁区は3区画に仕切られていて,1区画ずつ3年ごとに1日か2日だけ日を決めて漁をします。この水揚げの中から,稚貝を買うお金をいくらか漁協に納めています。こうやって海を守っているのに密漁されては台無しです。「夜番」といって,夜の密漁の見回りもするんですよ。海女が2人1組で,潮が引く大潮の夜に1時間ぐらい浜を見回るんです。海岸の清掃も海女のみんなでやっています。海水浴シーズンとか台風の後とかに。海から恵みをもらうだけではなく,守ることや,感謝してきれいにすることも心がけているんです。
海遊びと畑仕事でじょうぶな体に
父は建築関係の職人で,母が農業とテングサ海女をしていました。畑仕事も海も好きでしたから,私は中学卒業後に家で母を手伝うことにしました。母がテングサ海女だったので,私も15歳のときから母に習ってテングサ海女になりました。そのあと2,3年してから同級生に誘われて,潜ってアワビをとる「けぇ海女」になりました。
結婚は20歳のときです。夫の家にも畑があったので,私は結婚してからも農業や海女をしていました。夫の祖父がたまたま船海女の船頭で,27,28歳ごろだったかな,祖父に「船に乗っていくか?」といわれて船海女になったんです。
私は小さいころから“おてんば”でした。駆けっこが得意で小学校の運動会では紅白戦の選手に選ばれたし,中学生のときには走り高跳びで県大会に出たんですよ。体がじょうぶなのは,海で泳いだり,畑仕事を手伝ったりしたからです。当時の畑仕事は機械ではなく鍬で耕して,稲や麦の脱穀だって足踏み式でした。肥料もカジメを海で拾ってきて畑に入れてね。里芋なんかによく効きましたね。とにかくよく体を使いました。
子どものころの遊び場といえば,とにかく海。波に乗ったり,潮だまりで磯玉(小さな巻貝)をとったり,1年中友だちと海で遊んでいました。磯玉にはいろんな種類があって,どれも食べられます。ピリッと辛いカラエンボウ,甘いアマエンボウ,サザエみたいなふたのデクノボウ,先がとがったシリタカ,貝殻を両手ではさんで転がすと音が鳴るペーチョコチョコ(アマオブネガイ)。貝にまじっているヤドカリも食べましたよ。
小学生のころ,大潮の干潮の磯でトコブシなどをとっていい日がありました。漁協が5月に2日くらい日を決めていて,とった貝は買ってくれました。おこづかいを稼げたし,海でものをとる海女の練習にもなっていたのかもしれません。楽しい思い出です。
生きているからには働くべき
子どものときに家の仕事を手伝うことは,とってもいいことだと思います。体は動かすことでじょうぶになりますから。私は子どものころ,遊びに行きたくて畑の手伝いがいやだと思うこともあったけれど,畑仕事のおかげで体がじょうぶになりました。母には感謝しています。どんな人でも何歳でも,人間は生きているからには働くべきだと思いますね。
それから私は海女小屋で休むときなどに,人のうわさ話をしないよう気をつけています。うわさ話や悪口は聞きづらいですね。海女は仲間の姿が見えるところで潜って,互いに安全を見守り合っています。仲間どうしの横のつながりはとっても大切なんです。みなさんも友だちとは仲よくしてほしいと思います。