※このページに書いてある内容は取材日(2019年10月17日)時点のものです
水産加工業の社長として
私は大分県佐伯市の鶴見で,水産加工業の合同会社「漁村女性グループ めばる」の代表をしています。私たちは,地元でとれた魚から「ごまだし」という調味料を作り,びん詰めにして販売しています。私の夫と息子は巻き網漁を営む漁師で,ごまだしの原料の魚の7割は息子たちがとってきたアジです。
社名からわかるように,この会社は,鶴見の漁村に住む女性たちを誘って作った会社です。現在,社員は私を入れて4人です。加工所と事務所は,わが家の巻き網漁の作業場の一角に建てました。加工の作業は週に4日,9時から15時半ごろまで行っています。
私はごまだしを作る作業だけでなく,会社の代表として,経費と利益の帳簿を管理して,社員の給料を決めたり,加工の機械などへの設備投資の計画を立てたり,税務署に申告したりといった,経営全般の仕事もしています。また,商品を小売店に売り込む営業もしています。首都圏での商談会や見本市に積極的に参加し,全国の逸品を集めて売る東京のお店や,高級食料品チェーンのディーン・アンド・デルーカ,無印良品といったショップで扱ってもらうなど,少しずつ販路を広げてきました。
おかげさまで,ごまだしの生産は,昨年(2018年)は3万本でしたが,今年(2019年)は5万本に届きそうです。売り先は,東京の小売店がおよそ半分,大分県内が2割,インターネットの販売会社を通した通販が3割です。
豊後水道の恵みが生んだ家庭の味
ごまだしは,大分県南部の家庭で作られてきた郷土の味です。白身の魚を焼いて身をすりつぶし,しょうゆやみりんを入れ,すりごまをたっぷり加えます。地元では,丼にゆでたうどんを入れてお湯を注ぎ,ごまだしを乗せて溶かしながら食べる「ごまだしうどん」が一般的です。そのほかにも,ごまだしは,いろいろな料理に合うので,私たちは“万能調味料”として売っています。
ごまだしの味は,原料の魚の新鮮さが決め手です。私たちが使うのは,目の前の海でとれたばかりの新鮮な魚です。現在,アジ,タイ,エソの3種類のごまだしを作っていますが,主力はアジで,全体の約7割を占めます。
アジは,私の家の巻き網漁でとったものです。巻き網漁は,アジやイワシ,サバなど群れをつくる魚を,群れごと網で囲んでとる漁法です。役割が違う5隻の漁船が船団になり,夜中に漁灯で魚を集めて漁をしますが,大漁だと一晩で40トンもとれることがあります。大分県と愛媛県の間の豊後水道はアジやイワシなどの好漁場で,豊後水道に面した鶴見は,昔から巻き網漁がさかんなんです。ですから,ふんだんにとれるアジのごまだしが,各家庭で作られてきたんですね。
手間ひまかけた,ていねいな手仕事
魚は,加工所から車で10分の距離にある鶴見漁港の魚市場で仕入れ,まず頭と尾を落として内臓を取り除きます。黙々とひたすら包丁をふるう作業です。次に魚を焼きます。自動で一度にたくさん焼ける業務用の機械を使っています。魚がふんわりと焼けたら,一匹ずつ手作業で皮と骨を取り除きます。これは,すごく手間のかかる作業です。ピンセットのような道具で根気よく骨を抜いていきます。
身だけになった魚は,家庭だとすり鉢ですりますが,私たちは大量に作りますし,骨の取り残しがあるといけないので,ミキサーにかけています。これをびん詰め150本分が作れる大鍋に入れ,しょうゆとみりん,きび砂糖を加えて火にかけます。焦げないよう木べらでかき回しながら20分ほど煮て,最後に,フードカッターで細かくした白ごまをどっさり投入します。よくかき混ぜて全体が均一になったら,ごまの風味がとばないうちに火を止めます。かき混ぜる作業は重労働なので,近々,かくはん機を入れる予定です。
できあがったら熱々のものをびん詰めします。びんにふたをして,100℃で10分蒸して殺菌。びんにラベルを貼り,紙のカバーをふたにかぶせ,麻ひもでしばれば完成です。
漁や市場が休みの日もあり,また作業効率の都合もあるため,この一連の作業を一日で行うことはありません。原料を仕入れた日は魚をさばいて焼く作業,今日は煮てびんに詰める作業,といったように,冷凍庫を活用しつつ,作業工程を分割しています。私は,注文に合わせて出荷計画を立て,魚の仕入れ量と日々の作業内容を決めています。
首都圏をターゲットに
物づくりは,コツコツやれば誰にでもできます。むずかしいのは「いかに売るか」なんです。家庭料理のごまだしは,私たちが売り出すまで商品化されていませんでした。でも,ごまだしは香ばしくておいしく,栄養もたっぷりです。販路さえ見つかれば売れるのではないかと思いました。最初は大分県内で販売していましたが,鶴見の漁業を発信するためにも,市場の規模の点からも,地元だけではなく首都圏で売りたいと考えました。
ごまだしは他の地方にはない魚の加工食品です。オンリーワンの強みはあるものの,食べ方がわからないという欠点もあります。そこで,ごまだしを「万能調味料」として売ることを思いつきました。調味料なら食べ方がイメージしやすいからです。これは,料理教室の先生をしている長女のアドバイスでした。
さらに,都会の人はどんな商品に魅力を感じるだろう,と考えました。新鮮な魚を使った「漁村のお母さんの手づくりの味」に都会の人はひかれるのではと思い,それを強くアピールする包装のデザインにも知恵を絞りました。漁村の素朴さと手仕事をイメージさせるシンプルなラベルと麻ひもは,大成功だったと思います。
商品を首都圏の百貨店や食料品店などのお店に置いてもらうには,仕入れ担当のバイヤーの目にとまらなくてはなりません。多くのバイヤーに見てもらえるチャンスが商談会です。私は,機会を見つけて積極的に商談会に出展してきました。その成果が出て,だんだん取引先が増えてきています。
営業も人と人のつながりが大切
いったん取引ができたら,その関係は大切にしています。東京の取引先には,上京したら必ず立ち寄ってあいさつをして,ついでにちょっとした買い物もしますね。また,注文が少なくなった取引先には,ときどき電話して様子を聞いてみます。お店の陳列棚には,お客さんの目につきやすい場所とそうでない場所があります。どこに商品を並べるかは,バイヤーや店長の気持ちしだいです。こまめに顔を出したり電話したりすると「がんばっている」と評価されて,棚の場所も配慮してもらえるように思うんです。
何ごともそうだと思いますが,営業も人と人のつながりが何より大切です。先日もバイヤーさんがテレビ番組に私たちのことを紹介してくれて,おかげで注文が増えてありがたかったです。ごまだしを作り始めてから,人の縁に感謝することばかりです。
当初は価格設定に失敗
加工の仕事でむずかしいのは,いつも同じ品質の商品を作ることです。原料の魚は,季節やサイズによって脂肪や水分の量が違うんです。生き物ですから,当然のことですね。脂が多すぎないほうがごまだしには向いているので,仕入れであるていど魚を選びますが,最終的に身質の違いは,ごまの量で調整しています。大鍋で煮るときに,脂の多い魚はドロっとするのでごまを少なくし,水分の多い魚は反対にサラサラするのでごまを増やして固さを調整します。この判断は,ほぼ経験に頼っていますね。
これまでで最大の失敗は,当初の価格の設定です。本来,商品の価格は,原材料費や人件費などの原価に利益を足して設定しますが,主婦のしろうと感覚で「この値段なら買ってくれるかな」と,原価を考えずに安い値段にしてしまったんです。のちに東京で売るようになってから価格を上げましたが,それまでは利益が薄くて後悔しました。
今,困っているのは,私を含めた社員の高齢化と人手不足です。地方ではどこでも人口減少と高齢化が進んでいます。鶴見も例外ではなく,「めばる」の社員は以前より減っています。人手が減った分は,機械を入れることでカバーしてきましたが,テレビ番組などで紹介されて注文が殺到しても,人手を増やして対応することができないのがもどかしいです。また最近は,この仕事を継いでくれる後継者を探すことが常に頭にあります。次の世代に手渡して初めて,この事業は成功したといえると思います。
鶴見の漁業と町を元気づける正直な物づくり
私にとって,この仕事のやりがいはお金だけではありません。むしろ,鶴見の漁業や郷土の味を全国に発信しているという達成感が,お金以上に大きいように思います。もともと「めばる」の活動は,鶴見の漁業と町を元気づけることが目的のひとつでした。この思いは,商品のラベルに記した「豊後水道鶴見港」の大きな文字でも表しています。ごまだしを食べながら「鶴見の漁村ってどんなところだろう,豊後水道の魚はおいしいんだな」と思っていただけたら,うれしいですね。
実際に原料のエソは,「めばるが買うようになってから,市場での値段が上がった」といわれています。ささやかですが,漁師の収入が増えることになるのでありがたいです。
一方で,鶴見を代表する製造業という看板を背負った責任の重さも痛切に感じています。この看板に恥じないよう,嘘も裏もない正直な物づくりをすること,これが私たちの決意です。漁村でなければ手に入らない新鮮な魚を使い,根気よくコツコツと,手間を惜しまずていねいに作業するということは,いくら忙しくても決してゆるがせにできないことです。
さらに,子どもが安心して食べられる食品であることも,私たちが大切にしていることです。食品添加物も使いたくないので,コストは少し割高になりますが,原料には大分県産の無添加の本醸造しょうゆと,ミネラルが豊富なきび砂糖を使っています。
このような信念を,一級品を見極める目利きのバイヤーの人たち,そして消費者の人たちに認めていただいていることは,大きな励みになっています。
浜のかあさんから会社の代表に
私は20歳で結婚しました。夫は巻き網漁を兄弟で営み,水揚げされた魚の選別などは女性たちの仕事でした。夫たちの船が魚をたくさんとって港に戻ってくると,ウキウキして幸せな気分になるんです。私は,カッパズボンをはいて,漁港で働くのが大好きでした。
15年ほど前,農家の女性たちの農産物加工に目がとまりました。利益は小さいのにすごく楽しそうで「お金儲けではない何か」,おそらく物を作って売る喜びや刺激があるんだなと思いました。そこで,まずは「魚を売って漁業を盛り上げよう!」と,仲間を誘って活魚を売り始めたのですが,これは売れなくて失敗。それならと加工に切り替え,2007年にごまだしを試作して大分県が主催したコンテストに出したら,みごと優勝したんです。これで自信がついて,大分市のデパートなど県内のお店で売り始めました。自分が作ったものが世に出ることには,想像以上に大きな感動がありましたね。
大きな動きがあったのは2012年です。日本野菜ソムリエ協会の調味料選手権に出品したら,日本一に輝いたんです。自分でもびっくりしました。これで東京での営業がしやすくなりました。また,地元商工会に連なって商談会にも積極的に参加しはじめ,3年前からは漁村女性の全国ネットワークの縁で,日本最大の水産物の見本市にも出展しています。
マスコミの反響も大きいですね。先日,全国放送のテレビ番組での紹介が2つ重なり,おかげで注文が殺到して,このところてんてこ舞いです。漁村の女性たちの小さな会社ですが,全国に私たちの商品のファンがいるなんて,本当にうれしいです。
ハイジになりたかった子どものころ
私は好奇心が強く,興味を持ったことは何でもやってみる子どもでした。「豆乳で髪を洗うとつやつやになる」と姉に聞き,さっそくやってみたら頭が大豆のかすだらけになって家族に大笑いされたとか,そんな笑い話がたくさんあります。
勉強はあまり得意ではなく,自然の中で遊ぶのが大好きでした。アルプスの少女ハイジには,あこがれましたね。ペーターを連れて,スイスのあんな大自然の中をかけまわりたいと思ったものです。アルプスのような風景ではないですが,鶴見は山も海も自然がたっぷりです。兄たちと一緒によく山に薪拾いに行きましたし,夏は毎日海で遊んでアサリや巻貝をとりました。今でも干潮のときに家や加工所の前の海に降りて,アサリを掘ったりカキをとったりしています。三つ子の魂百まで,ですね。