※このページに書いてある内容は取材日(2017年07月18日)時点のものです
広告の企画制作って,どんな仕事なの?
クリエイティブ・チームの役割分担
例えば,テレビCMを制作する時は,役割分担があります。
「コピーライター」は,“言葉のプロ”として,人の心を惹きつける宣伝文句を考えます。「CMプランナー」は,15秒や30秒の限られたCMの時間の中で,見る人の心に響く魅力的なアイデアを練り,企業に「絵コンテ」という形で提案します。「絵コンテ」とは,CM全体の大まかな映像の流れ,状況設定,セリフ,音楽の種類などを紙面にまとめた,CMの見取り図のようなものです。
そして私の仕事である「クリエイティブ・ディレクター」は,クリエイティブ・チームの責任者です。CMの方向性,キャッチコピー,見終わった後の読後感などをチームを代表して企業に提案します。表現の全ての責任を負い,最終的な判断をする立場にあります。実際の制作現場では,監督やカメラマンをはじめ,多くのスタッフが関わり,映像をつくり上げていきます。そして,撮影,編集などの各制作過程で,スタッフからも,企業からも,いろんな意見が出てきます。その時,企画の趣旨とズレないよう,クリエイティブ・ディレクターが取り入れる意見を決め,目指すゴールへと導いていくのです。
常に「新しいこと」をプラスするように
かつて,広告は「商業芸術」とも呼ばれていました。広告を制作する一番の目的は,広告主が希望する物やサービスを多くの人に知らせ,好きになってもらうことです。しかし,商品をただ説明するだけでは,人々はその広告を無視し,決して振り向いてくれません。広告には,芸術的な何か(心を揺さぶる言葉,目が離せない映像,耳に残る音など)がなければ,人の気を惹き,好きになってもらうことはできません。
私はクリエイティブ・ディレクターとして,どの仕事にも「新しいこと」を取り入れるように心がけています。過去の成功体験に頼りすぎず,「こんなことをしたら,もっと面白くなるかな」「この表現は今までにないかもしれないな」と,常に何かに挑戦する気持ちを大事にしています。
仕事における「慣れ」は,安定した質を生む大切なことではありますが,怖くもあります。意識して新しいものに手を伸ばさなければ,慣れが「怠慢」を生み,「停滞と腐敗」がはじまります。そんな仕事からは,驚きや発見を見た人に与えることはできなくなります。小さなことであっても,新しいものを積極的に取り入れ,緊張感を仕事に入れこむようにしています。
アイデアが生まれる「ひらめきの瞬間」は最高の気分
クリエイターとして目立つ,面白い広告を作るには,何よりも「アイデアのある企画」を出すことが重要です。企画中は,どうすればもっと企画が面白くなるのかをいつも考えています。自分にしかできないものを世の中に出せるようにと,年中,もがいています。
アイデアを考えて,考えて,考え抜いていると,ふとした瞬間に「これだ!」とひらめくことがあります。その瞬間は,自分の力を超えた何かにつながった感じがします。
悶々とした暗闇から抜けられた,その瞬間は本当に気持ちよく,それが夜中でも,電車の中でも叫びたくなります。そして,そのアイデアをお客さんに提案し,「いいですね!」と言ってもらえた時は,この仕事を選んで良かったなぁと心から思え,最高に幸せです。
また,多くの人の力を借りて企画をカタチにしていきますが,制作現場の人たちが楽しそうに働いているのを見ると,「あぁ,この企画は面白いんだな」と実感できます。「面白い仕事がしたい」という思いは,制作スタッフ全員が持っています。自分の企画に関わっている人たちが生き生きと仕事をしていると,心の底からうれしくなり,感動します。しかし,それだけに,企画する者の責任は重大です。
アンテナを広く張り,知識を蓄える
いいアイデアを生み出すには,ここぞという時にインスピレーションが吹きこまれるものを普段から取り入れておく必要があります。アイデアは,何もないところから魔法のように生まれるわけではありません。欧米の広告業界では,「いいものを食べないと,いいウンチが出ない」と言ったりもするのですが,良い刺激をたくさん取りこまないと,良いアイデアは生まれないのです。
映画,小説などの表現物はもちろん,街行く人,スーパーの商品棚,自然など,いろんなことから刺激を受ける自分でいられるように心がけています。例えば,女性の美容について学んだ知識が,全く別のジャンルの広告を作成する時に生かせることがあります。知識と経験は,どこでどう生きるかはわからないんです。若い時には気づけませんでしたが,意識して日々を生きていれば,無駄なことはひとつもないことを実感しています。
きっかけは中学時代の「反省文」
「CMを作る仕事をしたい」と思い始めたのは中学2年生の時です。きっかけは,当時,学校で毎日書かされていた「反省文」でした。学校全体のカリキュラムとして,1日を振り返って反省文を書くという時間があったのですが,毎日,反省しないといけないほど明確な目標に向かって生きていなかった当時の私は,「世相をもじったキャッチコピー」や「ふざけた内容の短文」を書いていました。担任の先生には何度か注意されましたが,私はそれらを書き続けていました。
そして,私の駄文を面白がってくれる数学の先生がいました。ある日,その先生の授業中に「1週間分の反省文をみんなの前で発表しろ」と言われました。その時に読み上げた文をクラスのみんなが笑ってくれました。そうなると,ますます反省文を書かなくなり,駄文の開発に力を入れるようになりました。
やがて,担任の先生が「松尾くん,あなた将来,“電通”という会社で働いたら?」と勧めてくれました。九州の田舎町で生まれ育った少年の人生では一度も出会ったことのない社名でした。当時,インターネットなどはなかったので,本でどんな会社なのかを調べ,すごく面白そうだな…と興味を持ったんです。先生の何気ない一言が,私の将来の明確な目標になりました。
「ここで働きたい」と電話をした
中学卒業後も「電通に入社して広告を作りたい」という気持ちを持ち続けていました。そして,大学受験で2浪した後,地元・九州と東京の2つの大学に合格できた私は進路に悩み,思い切って電通の九州支社に,「将来,電通で働きたいと思っています」と相談の電話をしたんです。その電話で話したのが,マーケティング部の部長さんでした。その方は「うちの若いもんと会って話すといい」と,社員の方々と話すきっかけを作ってくれました。そして,その時のアドバイスもあり,東京の大学に進学することに決めました。
月日が経ち,就職活動の時期になりました。東京本社での電通の入社試験の選考が進んで,3次面接での面接官が,4年前に電話で話した,あの部長さんだったんです。部長さんとは電話でしか話さなかったのに,私のことを覚えていてくれました。こんな不思議な縁があるのかと,本当に驚きました。そして,私は電通で働くことになったのですが,今思うと,あの1本の電話が,運を引き寄せてくれたのかもしれませんね。
自分を大切にすることが周りを幸せにする
学校では「周りと同じことができるようになること」を教えてくれます。でも,社会に出ると「人と違うことができること」に価値が出てきます。
「自分を大事にすること」は,一番大切なことです。自分が嫌だと思うことや,本当はこうしたくない,という自分の心の声に気づくことができれば,周りの人にも押しつけなくなります。それが自分だけでなく,周りの人たちを大切にすることにもつながります。
だから,みなさんには,自分の心の声を素直に聞き,自分の存在を大事にしてほしいと思います。私は子どものころ,「ここではないどこかへ行きたい」といつもモヤモヤと思っていました。もし,皆さんが今いる場所を居心地悪く感じても,いつか必ず自分に合う居場所を見つけられること,学校で教わることが必ずしもすべての選択肢ではないということを覚えていてほしいですね。
世界はとんでもなく広く,自分の中の恐れに負けずに歩んでいけば,これまでの自分が思いもしなかったような面白い生き方をしている人,すごい才能の人にたくさん出会えます。そして,そのことで,今はまだ目の前にない選択肢がたくさん見つかりますから!