※このページに書いてある内容は取材日(2017年12月01日)時点のものです
街の人に「いつもの食事」を出す
昭和33(1958)年に,私の父がJR赤羽駅西口に開いたのが「三忠食堂」の始まりです。戦後の高度経済成長期に開業しました。ずっと同じ場所で営業してきましたが,店舗が古くなったので2017年に半年ほどお休みして改装しました。従業員は私,妻,息子の3人で,夜だけパートの人にも配膳を手伝ってもらっています。
うちは街の,ご近所の人のための定食屋で,着飾ってくるような,わざわざ電車を乗り継いで来るようなレストランではありません。お客さんは,学生もいれば会社員もいて,主婦も定年退職した人も,子ども連れで来てくれる人もいます。スーツで来る人もジャージで来る人もいて,職種も年齢もバラバラです。夜の10時までやっていて,多くの人に来ていただいています。
知っている人がよく通ってくれて,お客さんの7~8割が常連です。お客さんどうしも,ここでだけの知り合いがたくさんいます。店内は広くないので,「ああ,こんにちは」と言い合ってお客さんどうしが自然と相席してくれる,そんなお店です。
加工品を使わず,素材から作る
私は調理を担当しているので,通常は朝8時にお店に来ます。週に1回は,朝5時に市場に出向いて仕入れをしてから来ます。店に着くと8時から1時間はダシをとり,それから仕込みに入って,11時に開店します。
メニューは,和洋中,なんでもあります。テーブルの「お品書き」にあるものを中心に,50から60品はいつもあります。たとえば,刺し身,天ぷら,エビフライ,とんかつ,オムレツ,カレーライス,野菜炒め,さばの味噌煮などです。季節のものや仕入れの関係で,そのときにできるものは壁紙やボードに書いています。これらを合わせると,70から80品くらいになります。ほぼ家族だけで営業している食堂にしては多いですよね。減らしたほうが楽にはなりますが,毎日来てくださる人もいるので,毎日食べても飽きないように,多くのメニューをそろえています。
材料は魚,野菜,肉,その他,ほとんどのものを素材から仕入れています。たとえばエビフライなら,下ごしらえのできている冷凍食品を仕入れることもできますが,そうすると仕入れの値段が上がってしまいますし,同じものを出している他の店で食べるのと同じ味になってしまいます。そのため生のエビを仕入れてワタを取り,パン粉をはたいて,自分で一から作ります。
生ものを扱うため仕入れが安定しないことも
飲食業は食材,生ものが相手ですので,仕入れたものの質や量が一定でないことがあります。「今日は魚が不漁で高かった」ということはよくありますが,だからといって「今日はこのメニューは200円値上げさせてもらおう」ということはできません。また,量を少なくしたり,素材に合わせて味を変えてしまえば,お客さんの期待を裏切ることになってしまうので,それもできません。そこで,その日はそのメニューをやめる,あるいは店としては損になるとわかっていてもいつも通り出すなど,いろいろな工夫,決断が必要になります。これがなかなか大変です。
また,飲食業界では当たり前ですが,仕事の時間は長いですね。お店の営業時間は,昼は午前11時から午後3時まで,夜は午後5時から10時までですが,私は毎日,午前8時から午後11時くらいまで,途中に休憩を入れながら働いています。休みは週一回で月曜日のみです。店が休みの月曜日だけしか自分のことができずに大変ですが,最初から調理師をしているのでそういうものだと思っているし,もう慣れてしまっているのであまり苦労とは感じていません。
お客さんの「おいしい」がうれしい
うちに来てくれるお客さんは,私が仕入れてきたものに,私がおいしいと思う味付けをしたものを,おいしいと思ってくれているから来店してくれていると思います。そうとわかっていても,「おいしかった」と言ってくれるお客さんの言葉はとてもうれしいです。また,厨房からたまに見えるのですが,言葉はなくても,お客さんの食べているときの顔に「おいしい」と書いてあるのがわかると,こちらも笑顔になります。
さらに,たまに作るメニューを残さず食べてもらったときは,ほっとします。たとえばハンバーグは,いつもあるメニューではないのですが,ときどき出しています。先日,初めて試す味付けで作ってみたのですが,心配で,厨房をいっしょに担当している息子に「お客さんが食べたあとのお皿に何か残ってる?」と聞いてみました。そうすると「なんにも残ってないよ」といわれてほっとしましたし,うれしかったです。
調理は試行錯誤を繰り返して自分で覚えた
私は大学を卒業後,ゴルフ関係の会社に就職しようと思っていました。両親は定食屋をやっていましたが,私はそれまであまり手伝いをしたこともなく,店を継ごうとは思っていなかったのです。父親に店を継げといわれたことも,1回もありませんでした。しかし両親を見てきて,飲食業は技術を身につければ食べていける職業だと感じていたからでしょう。結局はゴルフ関係の会社に入るのはやめて,レストランを経営している会社に調理師として就職しました。その後,いくつかのレストランを経験し,27歳くらいで実家の店の調理師になりました。母に,「実家で働くほうがお金も貯まるから店を手伝ってみないか?」と言われたからです。
実は私は,調理師の専門学校には通ったことがありません。すべて実地で学びました。お客さんに気に入ってもらえる味と技術を身につけるためには,何度も失敗をして,何度も悔しい思いをして試行錯誤を繰り返す,これを長年続けなければなりません。言葉で伝えることがとても難しく,上手な人のまねをして試行錯誤を繰り返すことによってしか身につかないものなんです。調理師はとても大変な職業だと思います。しかし,多くの人においしいと思ってもらえる技術があれば,生活に困らないくらいは稼げる職業でもあります。
続けることの大切さを父に教わった
私は,一度始めたことは長くやるタイプですが,子どものころはそうでもありませんでした。小学校1年生から剣道をやっていたのですが,3,4年生くらいのときに飽きてしまったのです。そこで,父に「剣道をやめたい」と言いました。すると父が「初段を取ったらやめていい」と言うので,そこでやめる約束をしました。ところが,初段の昇段審査は中学1年生以上でないと受けられないことを後から知ったのです。しかし約束は約束なので,しまった,と思いましたが剣道を続け,約束通り,中学1年で初段を取ったあとでやめました。父にしてやられたとはいえ,やはり,一度始めたらキリのいいところまで続けたほうが,気持ちがスッキリしますね。大学時代には,体育会系できつく,途中でやめる人も多いゴルフ部を4年間続けることができました。何でも「キリのいいところまで続ける」ことは大事だと思います。
やると決めたら,なるべく長く続けてみよう!
社会人になって信用される人は,一つのことを長くやり続けた人です。そこで,遊びでも勉強でも何でもいいので,できればなるべく長く続けてみてください。ある程度の期間続けてみないと,それが自分に向いているかいないか,いいところと悪いところがほんとうには理解できないのです。「しんどいから」といった理由だけで,すぐにやめてしまうのはもったいないと思います。
調理師は,技術の習得に長くかかる職業です。私のような定食屋だったら,ひと通り身につくまでに10年はかかります。作り方や切り方は2,3年で習得できます。しかし,自分で店を開いて,長く商売としてやっていけるようになるためには,1年を通して食材と格闘し,そのパターンを10回繰り返して,自分の体で覚える必要があるのです。そうすると四季にも対応できるし,食材,素材の変化もわかるようになります。調理法や材料に対する自分なりの答えが出せるようになります。
そうやって会得した自分の味を,お金を出しておいしいといってくれる人がいると,自信とうれしさを感じることができます。調理師は大変ですし,決してカッコいい職業ではないかもしれませんが,やりがいのある仕事です。興味があれば,ぜひ目指してみてください。