※このページに書いてある内容は取材日(2019年06月04日)時点のものです
激しいプレーがラグビーの魅力
私は「YOKOHAMA TKM」という女子ラグビーチームの選手です。ポジションはウイングで,チームではキャプテンを務めています。
ラグビーには15人制と7人制があります。プレー人数は異なっても,基本的にルールは同じです。だ円形のボールをパスやキックで味方につなぎ,ゴールラインを超えたインゴールというエリアへ持ちこんで得点します。これをラグビー用語で「トライ」といいます。この他にもボールをキックして,インゴールにあるゴールポストの間をねらう得点手段もあります。私が任されているウイングはトライをねらう機会の多いポジションです。味方からパスをもらったら,相手選手をかわし,ゴールへと向かいます。スピードや運動量が求められるポジションです。
両チームの選手が組み合うスクラムや,ボールを持った選手に飛びかかるタックルなど,激しい体の接触も多い競技ですが,それもラグビーの魅力の一つです。女子であろうと,男子と変わらない迫力のあるプレーが繰り広げられています。男女ともに,オリンピックでは7人制が,4年に1度のワールドカップでは7人制と15人制の両方が採用されています。オリンピックやワールドカップに出場する代表メンバーに選ばれるよう,多くの選手が日々の練習に取り組んでいます。もちろん私もその一人です。
午前中は事務の仕事,午後から練習
残念ながら,いま国内に女子ラグビーのプロリーグはありません。現在,トップチームに位置するのは12チームあり,大学チームもありますが,多くの選手は企業などに勤めて別の仕事もしながらプレーしています。
私が所属するYOKOHAMA TKMは,「戸田中央医科グループ」という医療・介護施設などを運営するグループが母体となっています。選手はグループの病院や介護施設,看護専門学校などで,受付業務や介護補助などの業務を行っています。私もグループの本部で秘書として働いており,理事長のスケジュール管理の手伝いをしています。
平日の午前中はそれぞれの職場で仕事をして,お昼ご飯を食べたらチームのバスでグラウンドへ移動し,午後からはラグビー選手として練習をします。基礎トレーニングや練習試合で汗を流して,練習が終わるのは夕方です。ほとんどの選手はチームの寮で生活をしているため,晩ご飯もみんなで一緒に食べています。普段から生活を共にしてコミュニケーションを重ねることで,チームの結束も固まり,グラウンド内でもよい効果が現れているように思います。
試合はおもに土日に,全国各地で開催されます。試合のあった翌日の月曜はお休みになります。試合のない週末は土曜日の午前中だけ練習して,土曜日の午後と日曜日はお休みしています。
最初はつらかったキャプテン
私は大学を卒業後,今のチームに加入したのですが,入って2年目に,投票でキャプテンに選ばれました。正直,自分には荷が重いと感じていました。「試合に勝たなければ」,「みんなの手本にならなければ」,「自分の調子が悪くてもチームを引っぱっていかなければ」,そうしたプレッシャーに耐えながらも,キャプテンとしての責任を果たせない毎日がつらく,当時は一人でよく泣いていました。試合に負けた日は,応援に来てくれた人たちに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。結局,任期の1年間は後ろ向きな気持ちでキャプテンを続けたのですが,いま振り返ると,キャプテンとしてチームをまとめきれていなかったように思います。
チームに加入して2017年にアイルランドで開催されたワールドカップへの出場と,その後に経験したオーストラリアへのラグビー留学を経て,いま再び,私はこのチームでキャプテンを任されています。しばらくチームを離れたことがきっかけで,一人で全部を背負わなくてもいいんだ,私は私らしくやればいいんだ,と考えられるようになったため,いまの私は,仲間の意見をよく聞いて,チームをまとめることに集中できています。練習や試合中に選手をまとめるグラウンドキャプテンを別に置いて,役割を分散させたことも肩の荷を軽くしました。
いまキャプテンとしてつらいことは何もありません。みんながラグビーを楽しんでいることが,キャプテンである私の喜びです。
メンタルトレーニングで自信を持てるようになった
YOKOHAMA TKMの仲間とはずっと一緒にプレーしているので,試合の中で自分に求められていることや,お互いのやるべきことがよくわかっています。一方で日本代表チームに選出されたときは,アピールする場だと意識して,自信を持って自分の強みを出そうと心がけています。
私の強みはスピードと,ゴールを目指す強さです。ウイングというポジションに求められているのは,トライへの執念。ボールを持ったら横に逃げるのではなく,前に向かうことが私の仕事だと思っています。また,ボールを持った相手にタックルをするのも好きです。ウイングの選手では珍しいかもしれませんが,そんな激しいプレーも私の強みの一つだと思っています。
そんな私ですが,なかなか自分に自信を持つことができず,精神面の弱さが課題でした。そこで,2度目のキャプテンを任されたころから,専門家にメンタルトレーニングをお願いするようにしたのです。いま私は,定期的に専門家との面談を行っています。また毎晩,その日を振り返って自分がちゃんとできたことを3つ挙げ,セルフハグ(自分自身を抱きしめること)をしています。このように,アドバイスを受けて自分自身を認めてあげる習慣をつけることで,自信が持てるようになってきました。こうしたメンタルトレーニングのおかげでプレーも安定し,代表の合宿でも自信を持ってふるまえるようになりました。
オーストラリア留学で得たもの
私が日本代表メンバーとして初めて出場した女子ラグビーワールドカップは2017年に開催されたアイルランド大会です。対戦した世界の強豪チームになかなか勝つことができず,結果は1勝4敗に終わりました。私が出場できたのは3試合だけ。悔しさの残る大会となりました。
「代表チームに入れたことで満足している選手がいる」という,当時の監督の言葉が忘れられません。私が名指しされたわけではありませんが,その言葉が自分を見つめ直すきっかけになりました。海外でプレーして自分の弱さを克服しよう,もう一度,自分を鍛え直そうと考えたのです。
ラグビー留学の地として選んだのは,ラグビー強国の一つであるオーストラリアでした。つてを頼りに一人で現地のクラブチームに飛びこみ,体の大きな選手に混じって試合を重ねていきました。6か月の間,のびのびとプレーしたおかげで,所属チームでのキャプテンを務めたつらさや,日本代表としてのワールドカップでの悔しさで忘れていたラグビーの楽しさを思い出すことができました。
留学中,チームメイトとのコミュニケーションには苦労しましたが,語学学校に通いながら英語を身につけ,少しずつ理解できるようにしていきました。そのとき身につけた英語は,いま,YOKOHAMA TKMに所属する5人の外国人選手とのコミュニケーションで役立てています。
ノーサイドの精神
ラグビーを通して,私は仲間作りができるようになりました。もともと人見知りの性格でしたが,ずっとラグビーをプレーしてきたことで,年齢や国籍,敵味方に関係なくいろいろな選手と出会い,よい人間関係をつくることができたのです。ラグビーには「ノーサイド」という言葉があります。「試合終了」を指す用語なのですが,試合が終わればみんなが仲間だという意味がこめられています。戦いのあとはお互いの健闘をたたえ合う,そんなノーサイドの精神を宿したラグビーというスポーツが私は大好きです。
YOKOHAMA TKMの目標は日本一になること,そして私個人の目標は,2021年にニュージーランドで開催される15人制ラグビーのワールドカップに出場することです。選手としていつまでプレーできるかはわかりません。いま,チームの最年長選手は36歳ですが,世界を見渡せば,もっと年齢が上の選手もたくさんいます。だからいまの私は,いつラグビーをやめるのかなどは,まったく考えていません。これからもずっと,大好きなラグビーをプレーしたいと考えています。
震災のあった春,父に背中を押されて上京
私がラグビーを始めたのは小学一年生のとき。高校までラグビーをプレーしていた父の影響でした。誰よりも早く走ってトライを決めるのがとても楽しかったことを覚えています。姉と兄も一緒に,地域の同じラグビースクールに入っていました。私の出身地は岩手県大槌町です。近隣の釜石市がもともとラグビーの盛んなところなので,このあたりの地域では多くの子どもたちが,幼いころからラグビーを楽しんでいます。
通っていた中学校にはラグビー部がなく,高校にも女子ラグビー部はありませんでした。そのため「東北ユース女子ラグビー」というチームに所属し,東北各県の仲間と一緒にプレーしていました。その後,大学でもプレーを続けたいと考え,女子ラグビーの強豪校である日本体育大学への進学を決めました。
卒業式を終え,上京をひかえていた2011年3月11日,津波が故郷の大槌町を襲いました。東日本大震災です。家族はみんな無事でしたが,自宅が全壊してしまい,進学どころではないと思いました。それでも父は「大学でラグビーをしなさい」と私の背中を押してくれました。入学式に間に合うよう,わざわざ東京まで車を運転して送ってくれたのです。
父は,私とラグビーを出会わせてくれた人です。いつも私のことを応援してくれていました。もちろんいまも変わらず見守ってくれています。
夢や目標を周りに伝えてみよう
もしもみなさんにかなえたい夢や目標があれば,恥ずかしがらずに周りの友だちや家族に打ち明けてみましょう。たとえば「オリンピックに出場したい」という夢があるなら,それを正直に,みんなに伝えるのです。そうすることで,自分の言ったことに責任が持てるようになります。また周りも,あなたのことを「オリンピック出場を目指してがんばっている人」という目で見るようになるのです。
私の場合は,目標を家族に話していました。また言葉にするだけでなく,目標を紙に書いて,いつも目に見える場所に貼っていました。小・中学生のころは陸上にも熱心に取り組んでいたので,ライバルの名前と目標タイムを書いた紙を部屋に貼って,気持ちを高めていたものです。それは誰に教わったわけでもなく,自然とするようになった習慣でした。
私は,いまもその習慣を続けています。ベッドであおむけになったとき目に入るよう,天井には「日本代表になる」という言葉と,あこがれの選手の名前が書かれた紙を貼っているのです。眠りにつくとき,そして目覚めたときは,いつも自分の目標をあらためて確認しています。みなさんもやってみてはいかがでしょう。