※このページに書いてある内容は取材日(2019年05月27日)時点のものです
日本人にとって刀は神聖なお守り
私は,埼玉県美里町の自宅にある工房で,日本刀を作る刀鍛冶の仕事をしています。現在,日本刀は伝統工芸品および美術品として扱われています。日本刀を作る技術や道具類は千年もの昔から受け継がれてきたもので,材料の鉄も日本古来の製法で作られたものを使います。また,日本刀を作って売るには,文化庁の「作刀承認」という許可が必要です。現在,作刀承認をもつ人は全国に200人余りいます。ただ,私のように刀を作ることだけで生計を立てている専業の刀鍛冶は,30人程度だと思います。
私は基本的にお客さまから注文をいただき,日本刀を作ります。お客さまの中には美術愛好家や収集家もいますが,多くは一般の方です。ご本人やご家族,さらには子孫までをも災いから守る「お守り刀」として,注文していただいています。
日本刀は,平安時代後半に完成し,武士の時代になった鎌倉時代から多く作られるようになり,実際に武器として使われました。しかし古事記の神話のころから,日本人は単なる武器以上の力を刀に感じてきました。それは,魔物や災いを追いはらう神聖な力です。
戦国時代になると,工芸品として優れた刀は,戦の手柄として領土のかわりに与えられました。名刀は家宝として大切にされたため今の時代にまで伝わり,国宝に指定されている刀もたくさんあります。みなさんもぜひ博物館に足を運んで,日本刀の美しさにふれ,日本人が刀にこめた思いを感じてみてください。
「刀は鉄の生まれから」
日本刀の特性は,「折れず,曲がらず,よく切れる」ことだといわれます。しかし,硬くてよく切れる鋼は折れやすく,柔らかい鉄は曲がりやすいんです。この矛盾する性質をあわせもつ刃物が日本刀で,世界でも他に類がないそうです。
日本の刀鍛冶は,この特性をかなえる技術を3つ発明しました。1つは,材料の鉄に炭素を化合させる技術です。2つ目は,硬さが違う鉄を組み合わせる技術。そして3つ目は,「焼入れ」という工程で化学変化を起こす技術です。
まず1つ目の,材料の鉄に炭素を化合させる技術ですが,「刀は鉄の生まれから」という言葉があります。材料がいいと優れた刀ができるという意味です。日本刀の材料は純粋な鉄ではなく,1%前後の炭素を含む鋼です。炭素を含むことで鉄は硬くなるんです。日本刀に使われるのは,日本古来の「たたら製鉄」という製鉄法による和鋼です。たたら製鉄は,熱した土の炉に砂鉄と木炭を入れ,砂鉄を溶かして木炭の炭素を化合させる製鉄法です。19世紀末に近代製鉄が始まり,たたら製鉄は一度姿を消しましたが,文化庁が島根県にたたら製鉄の施設を復元し,刀鍛冶のために年間4,5トンの和鋼を生産しています。
けれど砂鉄の集め方が昔とは違うせいか,私は現代の和鋼では満足できず,なるべく古い時代の和鋼を集めてブレンドしています。刀鍛冶はみな和鋼を集めていますので,工房をたたむ人がいると聞くと飛んで行って譲ってもらうなど,情報には耳をすませています。
日本刀作りでは,集めた和鋼のブレンドが最初の課題です。たたら製鉄で作られるのは1トンもある鋼の塊です。しかし成分は均一ではありません。小さく砕かれて流通しますが,不純物が多い部分もあれば,炭素の含有量もまちまちです。
鋼は,炭素の含有量によって硬さが違ってきます。私は,鋼の色や輝き,触感などから炭素量を予測し,刀に適した炭素量になるようブレンドします。経験や勘にも頼りますが,ブレンドした鋼から小さな刀を試しに作ってみてできを見ながら,ブレンドの具合を調整しています。
硬さの違う鋼を組み合わせる
ブレンドが決まったら,「折り返し鍛錬」を始めます。鍛冶場の中心は,火床です。燃料は火力が強い松の炭で,ふいごの風で酸素を送って燃焼を助けます。ふいごは木の箱で,タヌキの冬毛の皮を張ったピストンで風を送ります。
折り返し鍛錬では,まず鋼を火床で1400度に熱し,金床の上に置いて槌で叩いて伸ばします。これを2つ折りにして,また火床で熱し,叩いて伸ばして2つ折りにして,という作業を何日も繰り返します。今は電動ハンマーがあるので昔より楽ですが,火床の前は熱く,火花が散るのでやけどは当たり前ですし,着ている作務衣は穴だらけになります。
やがて鋼は,数多くの薄い層が積み重なった状態になります。この鍛錬によって,鋼に含まれている不純物や空気は取り除かれ,さらに全体の炭素量が均一になるんです。最初は7,8kgあった鋼は,最終的に刀が完成したときには1kg足らずになります。
この次に,「折れず,曲がらず,よく切れる」日本刀を作るための,2つ目の技術が登場します。硬さが違う2つの鋼を組み合わせることです。鋼のブレンドの段階で,炭素量がやや多くて硬い鋼と,やや少なくて柔らかい鋼の2種類を用意するんです。別々に折り返し鍛錬をしたら,炭素量が多めのほうの「皮鉄」で,少なめの「心鉄」を包みます。
これを小槌で叩きながら刀の形に伸ばしていくのですが,刀の根元から先端まで,皮鉄の中に心鉄が通るよう,皮鉄と心鉄を組み合わせます。そうすることで,心鉄はスプリングの役割をして衝撃を吸収し,刀を折れにくくします。また皮鉄は硬いので,腰のある曲がりにくい刀ができるわけです。
化学変化が生みだす機能と美しさ
「折れず,曲がらず,よく切れる」日本刀を作るための技術の3つ目,最後の大きな工程が「焼入れ」です。焼入れは,熱した鋼を水に浸けて急速に冷やすことで化学変化を起こす,刀作りでもっとも重要な工程です。
まず,粘土・砥石・木炭を細かい粉にして混ぜ,水を加えて「焼き刃土」を作ります。これを刀の形に仕上げた鋼に塗りますが,刃に沿った側には薄く,残り半分ほどの棟(峰ともいう)の側には厚く塗るのが大事なポイントです。
火床の中で,焼き刃土を塗った刀を熱します。焼入れの際の鋼の温度は750~850℃だそうですが,刀鍛冶の世界では「熟した柿の実が夕日に照らされた色」が適温だと言われています。刀鍛冶の技術の多くは,データではなく,こうした言葉で伝えられてきたんです。この色を見極めるため,焼入れの作業は必ず夜に行います。
十分な温度になったなと思ったら,鋼を火床から出して水に浸します。水蒸気がもうもうと上がり,ジュワッという大きな音がします。このとき,鋼に化学変化が起こっているんです。鋼が冷えたらすぐに表面を研いでみます。どんな仕上がりになったかと,胸がどきどきする瞬間です。
焼入れで起こる化学変化は,鉄や炭素の粒子の並び方の変化です。土を薄く塗った刃の側は白色で硬く,土が厚い棟側は黒っぽくてしなやかに変化します。この化学変化によって,刃はさらに硬く切れ味がよくなります。しなやかになった棟は,衝撃をやわらげ刀を折れにくくします。
また,焼入れは刀の姿も変えます。土が薄く,焼きが入った刃の側は新しい組織ができるため棟側より大きく膨張して,棟の側に反る現象が起きます。日本刀の美しいカーブもまた,焼入れで生まれるんです。私は,焼入れ前に刀の形を作るとき,反りも計算に入れてデザインを決めています。
予測しきれない奥深さ
焼き刃土の薄いところと厚いところの境目には,「刃文」と呼ばれる白い筋が現れます。これは目に見えるか見えないかの鋼の粒子の集まりで,粒子は「錵」「匂い」などと呼ばれます。刃文や錵は,美術品としての日本刀の見どころのひとつです。焼き刃土の塗り方や鋼の温度の加減で,ある程度コントロールできますが,完全に予測することはできません。
刀鍛冶は,師匠の教えと自分の経験に頼るところが多い仕事です。素材の成分や温度など,無数の組み合わせがあり,数値化しきれないからです。ここが刀鍛冶の仕事のむずかしさであり,奥深い魅力でもあると思います。
私は年間に10本以上の刀を作っていますが,経験を積み,最近では完全な失敗作というのはなくなりました。けれども5本に1本ぐらいは刃文のできに満足できず,つぶしてしまいます。しかしその反対に,思いもよらなかった美しい刃文ができて息をのむこともあります。自然が生みだす美で,これが仕事の励みになっているように思います。
刀鍛冶が作るのは刀身だけです。研ぎは研師にお願いし,鞘や柄など「刀装」と呼ばれる附属品は,それぞれ専門の技術を持つ人が作ります。日本刀は伝統工芸の総合芸術なんです。刀鍛冶を含めた刀職者たちは,それぞれの仕事で伝統文化を支えていることにも誇りを感じています。
力のある刀を作るため,心も体も鍛える
私は工房の入り口に「晶平鍛刀道場」と書いた板を掲げています。刀を作ることを「刀を鍛える」といいますが,よい刀を鍛えるために精神と肉体も鍛えるという決意をこめました。気持ちを真っすぐに保つよう心がけ,筋力トレーニングも欠かしません。刀鍛冶は,健康が第一です。災いをはらう刀は,健康でないと作れません。そして千年先まで伝えられるような“力”のある刀を作ること,これが私の最大の目標です。
手をきれいにしておくことも,信条のひとつです。私の手や腕は火花が飛んだやけどのあとがたくさんありますが,こまめに爪を切り清潔にしています。生活がきちんとしていること,心に余裕があり穏やかであることなど,手には生き方が表れます。
人ときちんと話すことも,心がけてきたことのひとつです。私はもともと人前で話すのが苦手でした。けれど,自分の考えや刀のことをきちんと話せなければ,刀鍛冶としても人間としても半人前です。そこで,落語を聞きに行ったり,本を音読したりして,話す練習をしたんです。
今では人前で講演することもあり,日本刀の文化を広く知ってもらう活動にも力を入れています。近年,日本刀は海外からも注目されています。私もスペインで開催された「ヱヴァンゲリヲンと日本刀展」のために刀を作ったり,現地で講演や実演をしたりしました。また,駐日ポーランド大使とご縁をいただき,2016年にはお守り刀を作ってお納めしました。いつか海外で個展を開くことが,私の夢です。
刀鍛冶になる道は弟子入りのみ
母の実家に先祖伝来の刀や甲冑があり,幼いころから刀には興味がありました。大学時代に刀を使う居合道を始めましたが,ある日,東京国立博物館で700年前に正宗という名人が作った国宝の刀に出会い,底知れない“力”に心を揺さぶられました。大学を卒業後にいったんは化学工業の会社に就職したのですが,正宗の感動が忘れられず「刀鍛冶になる」と決めました。
刀鍛冶になるには,師匠に弟子入りするしか道がありません。入門先を探すうち,正宗の作風を受け継ぐ宮入小左衛門行平という刀鍛冶を知って,その作品にほれこみ,半年ぐらいお願いして弟子にしてもらいました。師匠の工房は長野県坂城町にあります。刀鍛冶の修行は住みこみで,最低5年が決まり。衣食住の面倒はみてくれますが給料はなく,休日もほとんどありません。師匠の家の雑用もします。修行は「炭切り3年」といわれ,最初は炭を切りながら師匠の仕事を横で見ています。初めて鉄にかかわる作業をしたのは,入門して半年たってから。鍛錬の修行が始まったのは,入門の2年後でした。
入門5年目に,文化庁が開催する7泊8日の「美術刀剣刀匠技術保存研修会」
に参加しました。これは実地の技術検定のようなものです。私は無事に合格し,翌年,文化庁の「作刀承認」を受けました。これでとうとう,一人前の刀鍛冶になったわけです。さらにこの年は,初めて出品したコンクールで優秀賞と新人賞を受賞し,とてもうれしい年となりました。
しかし,完全に独立するには,工房を作る資金が必要です。私はそれから4年,師匠の工房で弟弟子の指導をしながら刀を作って資金をため,縁あって今の場所に自宅と工房を構えたのは入門から10年目の2003年のことです。
昆虫,カメラ,星空に夢中だった
私は,幼いころから昆虫少年でした。とくにかっこいいカブトムシには夢中で,繁殖させて何世代も飼うのが得意でした。小学校の高学年からは,カメラにのめりこみました。通学路にカメラ屋さんがあり,中古カメラを買って店の暗室で現像までさせてもらっていました。
やがて星が好きなカメラ友だちの影響で,こづかいをためて天体望遠鏡を買い,星空の写真を撮るようになりました。カメラや天文が好きな仲間と一緒に,校舎の屋上で撮影したり,山に星空の撮影キャンプに行ったり,楽しい思い出がたくさんあります。
あいにく数学が苦手で理系には進みませんでしたが,夜明けまでのぞいていた望遠鏡の中に広がる銀河が,刀の刃文や錵に表現できたらと,いつも思っています。
日本の文化について知ってほしい
みなさんには,いろいろな経験をすることをおすすめしたいです。私は,昆虫,カメラ,星,本,映画,居合道など,いろいろなことに夢中になってきましたが,それらはすべて刀鍛冶の今の仕事につながっていると,実感しています。
自然の中で遊ぶのもいいですね。自然が生みだしたデザインは完璧です。たとえば昆虫のかっこよさ,カメムシの仲間のツノゼミのデザインのすごさといったらありません。ツノゼミに感動する感性が,刀のデザインを考えるのに役立っていると思います。
もうひとつ,日本の文化についてよく知り,話せる人になってほしいと思います。自分が属する地域や社会の文化を知ることは,自分自身を知ることにもなります。もしかしたら外国語を話せることよりも,日本の文化について話せることのほうが大事かもしれません。日本の文化のひとつである日本刀のことも,知っていただければうれしいです。