※このページに書いてある内容は取材日(2024年07月19日)時点のものです
博物館で最も重要なものは標本
僕は国立科学博物館の動物研究部に所属している研究者です。博物館には標本があります。その標本を作ったり、寄贈された標本を管理したりする仕事の一方で、研究者として研究も行うのが僕の仕事です。標本では哺乳類が、研究者としてはモグラが僕の専門分野です。
標本というのはとても重要なもので、例えば「動物のことを知るためには図鑑を読めばいい」と思う人がいるかもしれませんが、やはり実物の標本にはかないません。体がどうなっているか、毛皮がどんな感じか、内部の骨格はどうなっているか……。現在では技術が発達して、写真から立体モデルを作ったり、3Dデータを残したりすることもできるようになりましたが、やはり実物の標本が持つ情報量にはかなわないのです。
また、標本には、目に見えない部分にも多くのデータが残されています。今、地球温暖化などにより、地球環境は急速に変化していますが、動物や植物の体にはその記録が残されています。例えば、現代の技術では、20年生きたカモシカの角を調べた場合、その個体がどんなものを食べ、どんな環境で生きてきたかを分析することも可能になりつつあります。つまり、その20年間で起きた地球環境の変化を調べることができます。この標本を残しておけば、もしかしたら、遠い未来にはさらに技術が進歩して、今以上のことがわかるようになっているかもしれませんし、地球の未来について何か役立つことがあるかもしれません。標本作りは、未来の人たちへ向けてサンプルを送り出す作業なのです。
標本作りが日常だが、動物園などに飛んでいくことも
死んだ動物や植物は、そのままだと朽ちて土にかえってしまいます。未来に役立ててもらうためには、きちんとした標本の形で残していくことが重要です。国立科学博物館には現在500万点以上の標本が収蔵されていて、僕が担当する哺乳類の標本は約8万6千点です(2024年7月時点)。その大半は茨城県つくば市にある「国立科学博物館 筑波研究施設」に保管されており、僕も普段はそこで勤務しています。
朝は7時30分に出勤して、研究室で着替え、最近は寄贈されたカモシカの頭を標本にする作業を週2~4回ほど、午前中に行っていますが、週によっては他の用事で作業できないこともあります。博物館の展示室でよく見るような、生きている姿に似せた形の標本もありますが、普段、僕が作成するのは、骨だけの標本や、皮をはいで中に綿を詰めた「仮剥製」という形の標本がメインです。昼食後は収蔵庫でいろいろな標本の整理やデータの登録を行います。標本は作るだけでなくきちんと登録をすることも重要で、1つ1つ分類をして標本番号を書き、ラベルを書いて、それらの情報をデータベースに登録します。退勤はだいたい17時30分か18時くらいです。
ときどき動物園などから「動物が死亡した」という連絡が来ることがあり、そうなると必要な道具を持ち、すぐ現場に向かいます。通常、動物の死体は、公用車に積みこんで、つくばの研究所に運びます。ただ、ゾウやサイ、キリンなど、公用車に乗らないサイズの大きな動物の場合は、急いでトラックを手配して、現場に向かいます。現場に着くと、まずは、検視を行う動物園の獣医さんの解剖を手伝います。大きな動物を解体するのはかなり大変ですが、僕たちのような、動物の身体構造の知識があり解体に慣れている人間が現場に行くと、非常に早く解体が進みますし、コストを抑えることにもつながります。検視が終わったら死体を運べるように解体し、手配したトラックに死体を積み、僕の立ち会いのもと、つくばの研究所に運びます。そこから道具の片付けなどを行い、帰宅は深夜になることもあります。この作業は、年に1回あるかどうかのとても忙しいイベントです。
標本にしなければいけない動物の死体が休みなくやってくる
実は今、標本にしなくてはいけないものをたくさん抱えているため、それが大変なことの1つです。なかでも多いのが、天然記念物であるアマミノクロウサギです。鹿児島県の奄美大島と徳之島にしか生息していないアマミノクロウサギは絶滅危惧種で、現地の交通事故などで死亡した個体を送ってもらい、こちらで標本にしています。僕がこの標本作りを始めたころは、アマミノクロウサギは人間が島に持ち込んだ猫や犬、マングースなど天敵の影響で数がかなり減ってしまい、全体で5千個体くらいではといわれていました。現在は保護活動でそれらの天敵を排除していったため(奄美大島のマングースについては、根絶したという宣言が2024年9月に環境省から出されました)、2万個体くらいまで数は回復しています。しかし、数が増えた分、人間が運転する車にひかれる個体が増えてしまい、今は1か月に20体以上のペースでこちらに送られてきます。なかには大きな傷がついているものや、見ていると心が痛むもの、傷んでしまっていて標本にする作業が大変なものもあります。それでも、この死体を無駄にするわけにはいきません。「諦めない、弱音を吐かない」というのはいつも意識しています。アマミノクロウサギの標本は、今、千点を超えています。
標本作りにも体力が必要ですが、そもそも動物学者というのは屋外で研究対象の動物を捕まえたり観察したりといったフィールドワークが多く、とても体力が必要な仕事です。また、動物が死亡して急に動物園から呼ばれ、はるばる長崎県まで行ったこともあります。だからこそ最近は、休日はしっかりと休んで、家族と過ごすことを大切にしています。
多くの標本を集めれば集めるほど達成感も増える
標本作りは体力的には大変ですが、それでも数がたくさん集まると達成感があります。僕はもともと昔から何かを集めるのが好きな性格で、「パズルのピースが1つ足りなくて完成しない」ということがものすごく悔しい性分です。だからとにかく標本をたくさん作ったり集めたりしているのも、自分の性格に合っているんだと思います。
また、仕事には、国立科学博物館での展示を企画・監修することも含まれます。2024年には、同じ動物研究部の田島木綿子さんと僕とで監修した『大哺乳類展3―わけてつなげて大行進』という展示が行われ、多くの方に足を運んでいただきました。そういう企画展示が好評なことはもちろんうれしいですが、それよりもさらに、「これらの標本がもっと役立ってほしい」という思いのほうが強いです。自分が生きている間には、今、博物館にある標本のことを全部知りつくすことはできません。だからこそ博物館で状態よく保管され、永久に利用され続けてほしい、と願っています。学生のころによく言われたのが「生きているうちに評価されようなんて思うな」という言葉です。研究が進められるのも、先人たちの残してくれた多くの標本のおかげです。僕が2005年に国立科学博物館に就職して標本管理を引き継いだとき、標本番号は3万3千番台でした。それが今や8万6千番台にまで増えました。先人たちから引き継いだものに加えて自分が標本を増やして、これだけの数を未来に贈ることができた、という達成感がうれしいですね。
クラウドファンディングで改めて実感した役割
2023年8月に、国立科学博物館はコレクションの収集や保全費用のためにクラウドファンディングを行いました。標本は作ったり集めたりするだけでなく、温度や湿度を適切に保った収蔵庫の中できちんと保管することが重要です。しかし、新型コロナウイルスの流行で入館料の収入が減ったこと、物価高で収蔵庫の建築費用がかさんだこと、世界情勢の影響による光熱費の高騰などが原因で、当時は運営が非常に厳しい状況になっていました。
目標額は当初「1億円」としていて、始める前、僕たちは「絶対に無理じゃない?」と話していましたが、開始してみると想定をはるかに超えたスピードでご協力していただき、3か月足らずで、最終的に、約5.7万人のみなさまから約9.2億円もの金額が集まりました。この結果には、僕たちがいちばん驚きました。
2024年の3月には、返礼品の1つだった「哺乳類の剥製作り体験」を、僕が講師をして実施し、出資してくださった方々に体験していただきました。クリハラリスを仮剥製にする、という体験をしていただくもので、果たして喜んでくださるのか、開催するまで不安ではありましたが、みなさんとても好奇心旺盛に楽しんでくださいました。多くの方の「知的好奇心を満たす」というのも僕たち博物館の大きな役割だなと、改めて実感しています。
子どものころの夢は昆虫学者
子どものころの夢は昆虫学者でした。とにかく虫が好きで、小学生のころは野山を駆け回って虫採りばかりしていました。特に珍しい虫が多いわけでもありませんでしたが、生まれ育った岡山県の瀬戸町は、自然豊かな場所です。父親はヨットマンで、「山に連れて行って」とお願いしても、めったに連れて行ってくれませんでした。その悔しい気持ちが、逆に虫採りに凝る原動力になったのかもしれません。
中学生になると虫採りはこっそり行うようになり、高校生のころにはチョウの幼虫などを捕まえて飼育したり、昆虫に関する専門書などを読んだりするようになっていました。大学進学も、どこか国立大学の理学部生物学科に入れば昆虫の研究ができると思っていました。勉強はあまりしていなかったものですから、大学入試のセンター試験(当時。現在の大学入学共通テスト)ではあまりいい点数が取れず、それでも運良く合格したのが弘前大学の理学部でした。
ヒミズとの出会いからモグラの研究者に
弘前大学では4年生になると研究室に配属になり、研究テーマが与えられます。しかし、僕に与えられた研究テーマは「ネズミかイノシシかコウモリ」で、昆虫の研究はできませんでした。結局ネズミを選びましたが、研究を進めるなかで「ヒミズ」というモグラの仲間に出会ったことをきっかけに、大学院進学のときにヒミズを研究テーマに決めました。以降はモグラの研究者として活動していくことになります。
しかし、大学院修士課程の忙しさは想像以上で疲れてしまったことと、当時はインターネットなども普及しておらず、どこでモグラの研究を続けられるかの情報もなかったことから、修士課程を卒業した後は地元の岡山に戻り、家業のクリーニング店を手伝いながら自分で勉強を続けていました。そんなとき、科学雑誌『Nature』に掲載されていた論文に衝撃を受けました。アフリカに分布する「キンモグラ」という、モグラの仲間と思われていた動物が、遺伝子分析をすると、モグラよりゾウやジュゴンなどに近い仲間だとわかったというのです。「生き物の世界はまだまだわからないことだらけで、面白い!」と思いました。他に北海道大学で行われた染色体学会に参加したこと、広島県庄原市での「モグラサミット」の開催を新聞記事で知って参加し、自分とは違う視点からのモグラの研究に数多く触れて刺激を受けたこと、という、この「3つの事件」がきっかけとなり、再びモグラ研究の世界で生きていくことを決めました。
そこから御縁がつながっていき、名古屋大学農学部の織田先生のもとでモグラの研究を続けることになりました。その後、ロシア科学アカデミーへ留学し、博物館は強力な標本収蔵施設であり、博物館に所蔵されている膨大な数の標本が、研究をサポートしてくれるということを学びました。帰国後は5年くらい標本作りに没頭した後、たまたま国立科学博物館で研究員の募集が出ることを知りました。その公募に応募し、2005年から国立科学博物館で働いています。
つらくても続けられるほど熱中するものを見つけてほしい
みなさんにお伝えしたいのは、何か熱中できるものを見つけるなど、そういう心を育んでほしいということです。僕にも子どもがいますが、最近エレキギターに夢中なようです。どんな人でも、熱中してしっかりそれに時間を割けば、研究者にだってなれるし、プロのギタリストにでもなれます。僕はそう思っています。
もし「研究者になりたい」という人がいるなら、僕は研究者になるための資質は体力と「貧乏に耐えられるか」だと思っています。研究というのは長い時間がかかり、結果が出ないことや、努力が花開かないこともあります。そういうことを想定したうえで、それでも負けずに続けられるということが、あなたの「本当にやりたいこと」なんだと思います。ぜひ、そういったものを見つけてください。