仕事人

私(わたし)は漆器(しっき)に蒔絵(まきえ)をする，「蒔絵(まきえ)師(し)」という仕事をしています。「蒔絵(まきえ)」や「漆器(しっき)」って，みなさんにはあまり聞きなれない言葉かもしれませんね。木製(もくせい)のお椀(わん)やお皿に，漆(うるし)という木から出る樹液(じゅえき)を塗(ぬ)り，水に強く丈夫(じょうぶ)にするという，日本古来の技術(ぎじゅつ)で作るのが「漆器(しっき)」です。そこに金粉や銀粉を使って絵や文字を描(か)くことを「蒔絵(まきえ)」といいます。
漆器(しっき)は完成するまでに，木を彫(ほ)ってお椀(わん)などをつくる「木地師(きじし)」，それに漆(うるし)をムラなく塗(ぬ)る「塗(ぬ)り師(し)」など，たくさんの人たちが関わっていますが，私(わたし)たち「蒔絵(まきえ)師(し)」が担当(たんとう)するのは最後の仕上げの部分。蒔絵(まきえ)をすることで漆器(しっき)がより華(はな)やかになるんです。絵柄(えがら)として多いのは，桜(さくら)や紅葉(もみじ)などの植物や，蝶(ちょう)や鳥などの動物ですね。
最近では漆器(しっき)だけではなく，漆(うるし)を塗(ぬ)った髪飾(かみかざ)りやペンダントなどの雑貨(ざっか)にも蒔絵(まきえ)をすることが増(ふ)えました。他にもべっ甲(こう)で出来たメガネや腕(うで)時計のベルト，琥珀(こはく)で出来たブローチなど，変わった素材(そざい)に蒔絵(まきえ)をすることも多いです。私(わたし)は，大量生産するたくさんの製品(せいひん)に同じ絵を描(か)く注文ではなく，「この髪(かみ)留(ど)めにこんな絵を描(か)いてほしい」という「一点もの」を頼(たの)まれることがほとんどですね。

私(わたし)は自宅(じたく)の一室を作業場として使っています。同時にいくつもの注文を受け，並行(へいこう)して仕事を進めるのが普通(ふつう)です。1つの仕事を終えるのにかかるのは，だいたい2か月くらい。注文を受けたら，まず「美み濃の紙がみ」という薄うすい紙に下絵を描かいていきます。下絵が完成したら，蒔絵(まきえ)をするお椀(わん)やペンダントにその紙を置いて，漆(うるし)でなぞって転写します。そこからいよいよ蒔絵(まきえ)を始めます。漆(うるし)は接着剤(せっちゃくざい)みたいな役割(やくわり)もあって，塗(ぬ)ってから金粉を蒔(ま)くと，塗(ぬ)った部分に粉がくっつきます。ちょうど砂絵(すなえ)のような感じですね。
蒔絵(まきえ)には基本(きほん)的な技法(ぎほう)がいくつかあります。例えば，漆(うるし)を盛(も)り上げるように塗(ぬ)ってから金粉を蒔(ま)いて立体的に仕上げる技法(ぎほう)の「高蒔絵(たかまきえ)」などです。私(わたし)の場合は，どんな技法(ぎほう)を使うかや，塗(ぬ)る色，模様(もよう)の濃淡(のうたん)などは作業をしながら決めていくことが多いです。
蒔絵(まきえ)では一つの工程(こうてい)ごとに漆(うるし)を乾(かわ)かします。普通(ふつう)は「乾(かわ)かす」というと水分をなくして乾燥(かんそう)させることですが，漆(うるし)は逆(ぎゃく)に水分を吸(す)うと乾(かわ)いて固まる性質(せいしつ)があります。70から80％の湿度(しつど)と約25度の気温とを保(たも)つ必要があり，これより低いと乾(かわ)かないし，逆(ぎゃく)に高すぎてもツヤが出ません。他にも，使う漆(うるし)は接着剤(せっちゃくざい)用やツヤ出しのコーティング用など，用途(ようと)によって硬(かた)さを調整します。細かなところに技術(ぎじゅつ)と経験(けいけん)が必要になってくるんです。

最近の仕事で印象に残っているのは，腕(うで)時計の文字盤(もじばん)に蒔絵(まきえ)をしたものです。最初に「これを文字盤(もじばん)に描(か)いてほしい」と，江戸(えど)時代の有名な絵師(えし)である葛飾(かつしか)北斎(ほくさい)の絵を見せられました。「これはおもしろい」とやる気になったものの，文字盤(もじばん)の小さなスペースに絵をどのように美しくデザインするのか，とても悩(なや)みました。しばらくは生活の中で何をするときでも北斎(ほくさい)の絵のことを考えていたほどです。下絵を転写するときも小さな文字盤(もじばん)からずれないようにして気をつかい，また蒔絵(まきえ)も細かい作業が多く，失敗したらやり直しがきかないので，緊張(きんちょう)の連続でした。そうして苦労して出来上がった文字盤(もじばん)を納(おさ)め，そこに針(はり)やネジ，ベルトがついた完成品を見るととても美しい仕上がりで，「この時計を作る過程(かてい)に関われたんだ！」と感動しました。たくさん悩(なや)めば悩(なや)むほど，出来上がったときの達成感も大きいです。

やったことのない素材(そざい)に蒔絵(まきえ)をする場合，今までのやり方が通用しないことがあります。琥珀(こはく)という素材(そざい)に木と同じ技法(ぎほう)で漆(うるし)を塗(ぬ)ったら，光沢(こうたく)が出ずに失敗してしまい，せっかくの蒔絵(まきえ)をイチからやり直すはめになったことがあります。初めての素材(そざい)だと，どの技法(ぎほう)を使ったら美しく仕上がるのか分からないんです。やってみたらうまくいかなくて，技法(ぎほう)を変えてみて，またうまくいかなくて…の繰(く)り返し。だけどそんなふうに，今までに蒔絵(まきえ)をしたことがない素材(そざい)や，細かい作業が多く難(むずか)しそうな仕事の話が来ると，最近は「これでまた勉強させてもらえる」とポジティブに考えられるようになりました。昔は「うまくいかなかったらどうしよう」と不安になることが多かったのですが，今は「とにかくやってみよう，何とかなる」と楽しんでやっています。そういう難(むずか)しい仕事をすることによって，自分が少しずつ成長していけることがうれしいんです。

作業の中で一番大変なのは，漆器(しっき)に対してどんな蒔絵(まきえ)をするのか，その絵柄(えがら)をデザインする「図案化」です。自分が納得(なっとく)できる図柄(ずがら)にたどり着くまで，何枚(まい)も下絵を描(か)きます。私(わたし)はもともと絵が得意ではないので，下絵が完成するまでに他の人よりも時間がかかり，大きな作品や複ふく雑ざつな模も様ようだと１か月くらいかかることもあります。
下絵を，立体的で躍動感(やくどうかん)のあるものに仕上げるために大事なのは「下調べ」です。図案化に取りかかる前に，これから描(か)く植物や動物などの写真集をなるべくたくさん見て，本物の特徴(とくちょう)を捉(とら)えるようにしています。最近は仏像(ぶつぞう)を蒔絵(まきえ)する依頼(いらい)があったので，仏像(ぶつぞう)に関する本や写真集を読み漁っています。時間があれば本物を見るために京都や奈良(なら)へ行きたいんですが…。もともと仏像(ぶつぞう)にはあまり興味(きょうみ)はありませんでしたが，こうやって仕事を通して自分の興味(きょうみ)の幅(はば)が広がっていくのも楽しみのひとつです。
手書きで下絵を描(か)くのも私(わたし)のこだわりです。時にはパソコンでデザインされた下絵で蒔まき絵えをすることもあります。だけど、パソコンだとどうしても無機質(むきしつ)で直線的な絵になって温かみがない気がするし，何より手で描(か)いた方が躍動感(やくどうかん)のあるものに仕上がると思うんです。

私(わたし)の父も蒔絵(まきえ)師(し)だったので，その跡(あと)を継(つ)ぐことが当たり前だと思っていました。蒔絵(まきえ)師(し)になる人のほとんどは，本職(ほんしょく)の師匠(ししょう)に弟子入りして仕事を手伝いながら修業(しゅぎょう)します。私(わたし)の場合は石川県立輪島漆芸(しつげい)技術(ぎじゅつ)研修(けんしゅう)所に入りました。ここは漆器(しっき)や輪島塗(わじまぬり)に関する伝統(でんとう)技術(ぎじゅつ)を学べる学校のような所で，入学金や授業料(じゅぎょうりょう)はかかりませんが，基本(きほん)的な技術(ぎじゅつ)が身についているかテストする入学試験があります。通常(つうじょう)は5年間通う必要があります。最初の2年で基礎(きそ)を学び，そこで木地師(きじし)になるのか塗(ぬ)り師(し)になるのかといった進路を決めるんです。しかし，私(わたし)は最初から蒔絵(まきえ)師(し)になると決めていたし，高校生のころから父の手伝いをしていて基礎(きそ)もあったので，専門(せんもん)課程(かてい)の3年だけ学びました。
研修(けんしゅう)所では，華道(かどう)や茶道などの授業(じゅぎょう)もあるのですが，漆器(しっき)を実際(じっさい)に使ってみることで，器のどの部分にどんな絵柄(えがら)があると華(はな)やかに見えるかが分かりました。そんなふうに漆器(しっき)に関することを広く学べる学校でした。卒業した後は，石川県輪島市の蒔絵(まきえ)師(し)のもとで約8年修業(しゅぎょう)し，福井(ふくい)に戻(もど)ってきて，父が仕事をしていた実家の工房(こうぼう)で蒔絵(まきえ)を始めました。福井(ふくい)県内にも鯖江(さばえ)市河和田(かわだ)という漆器(しっき)の産地があるのですが，輪島で学んだ技法(ぎほう)をそのまま福井(ふくい)でやっている私わたしのようなケースは珍めずらしいようです。また、もっと上の世代の男だん性せい職しょく人にんが多い中で、私わたしぐらいの年代で蒔まき絵えを本業にしている女じょ性せいは少なく、その感覚を評ひょう価かしてくれて注文をしてくれることが多いです。

実は，小さいころから絵を描(か)くことは苦手でした。だけど手先は器用だったと思います。細かい作業をコツコツするのも好きでしたね。同じ作業を繰(く)り返し続けることも苦にはなりませんでした。現在(げんざい)は，細い筆を使って蒔絵(まきえ)をすることがあるのですが，そうした細かな作業も嫌(きら)いではありません。
高校生の時は部活動で弓道をしていて，筋(きん)トレや弓を引く動作など，同じことを繰(く)り返しやる反復(はんぷく)練習が多かったのですが，それも楽しく取り組んでいました。「一回こうやって失敗したけれど，次はこうしたらうまくいくかもしれない」なんて考えながら少しずつ動作を改善(かいぜん)すると，結果，うまくいくことが嬉(うれ)しいんです。そういう面では，基礎(きそ)的なことを繰(く)り返して学びながら，少しずつ成長していく今の仕事に繋(つな)がることがあるのかもしれません。

みなさんには「大変なことから逃(に)げずに，とりあえずやってみる」ことを大切にしてほしいと思います。仕事を始めてから思うのは，仕事や勉強に限(かぎ)らず，どんなことでも目標に向かってあきらめないのが大事だということ。今までの注文の中には，最初は「絶対(ぜったい)に無理！」と思うものがいくつもありましたが，いざ始めてみたら案外何とかなるんです。眠(ねむ)れないくらい悩(なや)んだこともありましたが…。
単にラクをしようと思ったらどんどんそっちに流れてしまい，その結果いいものは絶対(ぜったい)に生まれません。大変なことでもまずはチャレンジしてみるのが，成長する鍵(かぎ)だと思います。どんな仕事でも大変なことや辛(つら)いことはあると思うけれど，頑張(がんば)れば最後には満足感や達成感が得られます。時間だけが過(す)ぎていって何も得られないというのは，生きていてもったいないなあと思うので。