※このページに書いてある内容は取材日(2017年08月25日)時点のものです
責任と自信を持って,木製品を作る
私は,岐阜県恵那市にある自分の工房で,木地師をしています。木地師とは,昔ながらのロクロを使って木を削り,木製品を作る職人のことです。作っている製品は,茶碗・皿などの食器や,お盆や菓子鉢などが多いです。最近では,時代に合わせて,サラダボウルやキャンドルスタンド,ティーカップやソーサーなども作っています。また,余った木を利用して,朱肉入れやネックレス,数珠などの小物も作るほか,展示会に出すような,一点物の作品も作っています。作った製品は,お土産物屋さんなどに出荷するほか,工房での直接販売もしています。注文を頂いて,特別に製品を作ることもあります。
製品は,木を削って形を作り,漆などを塗って,完成させます。普通の木地師であれば,製品に漆などを塗る,仕上げの「塗り作業」は,自分では行いません。塗り専門の人に,お願いすることが多いからです。しかし,うちの工房では,塗り作業まで,すべて自分たちでやっています。そのため,責任と自信を持って,お客さんに製品を届けることができます。
うちの工房では,私と息子が,木地師として木を削っています。仕上げの塗り作業は,妻も加わって,みんなで行います。また,他の人が作った木製品を預かって,その製品の修理や,塗りの修繕なども行っています。
ゆっくり時間をかけて作業を進める
工房での作業は,地元の原木市場で仕入れたケヤキやトチといった木を,作る製品に合わせて,大体の形に型取るところから始まります。たとえば、菓子鉢を作るときは、完成する菓子鉢より少し大きい円盤を木材に乗せ、その円盤の大きさに合わせてくり抜きます。くり抜いた木は,ロクロにはめこみます。そして,ロクロで高速回転させた木に,刃物を当てて削っていきます。
削りの工程では,はじめに,「荒挽き」という作業を行います。木を大体の形に削っていく作業です。荒挽きした木のまわりには,ボンドを塗って,木が割れにくいようにします。そのあと,乾燥庫に入れて,2か月以上,乾燥させます。木は生き物なので,湿度などによって形が変形してしまいます。そのため,ゆっくり時間をかけて,作業を進めなければなりません。それが終わったら,木をさらに薄く削っていき,少しずつ完成の形に近づける「中挽き」という作業を行います。ここまでが下仕上げです。
使う刃物も,すべて自分で作る
下仕上げが終わった木を乾燥庫から出したら,10日くらい,常温になじませます。乾燥庫で温まってふくらんでいる木を,元の大きさに戻すためです。それが終わったら,仕上げの削り作業を行いますが,この作業は早ければ1時間くらいで終わります。
形が整ったら,漆などを塗る作業をします。漆の場合であれば,1つの製品につき,1日で1回しか塗ることはできません。製品に漆を塗って,余った漆を布で拭き取る。乾いたら,また漆を塗る。その一連の作業を,最低でも5回,多いときで20回ほど繰り返します。ですから,塗りの作業には,最低でも5日はかかりますね。ひとつの製品が完成するまでには,数か月かかることもあります。
また,木を削る刃物を自分で作るのも,木地師の仕事です。鉄の棒を買ってきて,鍛冶場で鉄を温め,叩いていきます。刃物を持つ柄の部分も,木を加工して,自分で作ります。道具を自分で作るのは,昔からの木地師の伝統なんです。
“木の居心地”が最優先
自分の思い描いた通りの製品を作るのは,簡単なことではありません。同じ種類の木でも,木によって一つひとつ,特徴が違います。柔らかい部分と硬い部分が混ざっていたりして,切れ味が違うんです。それは,実際に木を削ってみるまでは,わからないことが多いんです。そういう難しい材料を相手に,形を整えていくのは,とても根気のいる作業です。でも,そこが面白いところでもあります。
木はとても繊細で,割れやすいものです。だから,私は“木の居心地”を良くすることを一番に考えて,作業をしています。例えば,作業のスピードだけを優先しないで,木を乾燥庫を入れる時間を,しっかり取ります。また,気温と湿度は,木の状態が変わってしまう最大の要因です。“木の居心地”を優先して,作業をする私たちは,暑さや寒さをがまんして,仕事をします。
特に,漆を塗る作業は大変です。湿度や温度の高い夏場は,漆がきれいに染みこみやすい時期です。でも,作業をする人間は,漆の蒸気を,たくさん吸いこんでしまいます。漆の蒸気が体の中に入ると,漆には触っていなくても,皮膚がかぶれてしまうことがあります。暑い夏場は,体力的にも一番きつい時期でもありますが,より良い製品を作るために,がんばらなければいけません。
塗り作業まで自分で
塗り作業まで自分でできる木地師は,少ないんです。私は,京都の漆塗りの専門家から,漆塗りの技術を教えてもらいました。以前は私も,専門の業者に頼んで,塗り作業をやってもらっていたこともありますが,自分の性格として,どうしても,一つひとつの製品にこだわってしまうんですね。だから,塗りの技術も学びました。展示会に出す作品は,必ず自分ひとりの手で,製品作りの最初から最後まで,すべてを担当しています。自分が気に入って手に入れた木を,自分の手で加工して,作品に仕上げていく。それが,この仕事をしていて,なによりも楽しいことですね。
また,最近,地元・恵那市の「えなの森林づくり推進委員会」に入りました。それがきっかけで,ふだん使う,ケヤキやトチの木の他に,地元特産のヒノキを使った製品も作るようになりました。ヒノキにはヤニが多く含まれているし,トチなどに比べて柔らかいので,器には向いていないと思っていましたが,木の色味を生かした製品を作るのにヒノキを使ってみたところ,とてもきれいに仕上がりました。漆を塗っても光沢の美しい製品になることに驚きました。
そういったヒノキの特徴を知って,ヒノキの良さにも気づけましたね。ヒノキの製品を買ってもらえれば,地元にも貢献できるため,とてもやりがいがあります。
使ってくれる人の気持ちを考える
どうすれば,木目がきれいに見えるのか。どうやったら,生き生きとした,木の持ち味を生かした製品が作れるのか。そういったことにこだわって,製品を作るのは,もちろん大事なことです。特に,私は凝り性なので,時間をかけてでも,良いものを作っていきたいと考えています。でも,それだけでは不十分なんです。使ってくれる人の気持ちを,一番大切にしないといけない。手触りや持ち味といった使い心地を確かめながら作ることを,絶対に忘れてはダメですね。
また,いまの日本人の生活は,昔ながらの生活とは変わってきています。若い人で,木のお盆や茶筒を使う人は,減ってきていますよね。だから,キャンドルスタンドやサラダボウル,ティーカップやソーサーなども,時代の流れに合わせて,作るようにしているんです。木地師が作った製品を,もっと多くの人に使ってもらいたいですし,未来に繋げていきたいですからね。
美しい木目に,心を奪われて
私の父も,木地師でした。会社に勤めて給料をもらう木地師だったんです。作業は職場で行うので,幼いころに父が作業しているところを見ることは,ほとんどありませんでした。
自分が木地師になろうと思ったのは,会社勤めをしていた27歳のころでした。木材を扱う仕事をしていた,おじの仕事場に遊びに行ったら,作業で使っていたトチの木の木目を見て,心を奪われました。「自分も,こんなきれいな木目を生かして,何か作ってみたい」と思うようになったんです。オイルショックで景気が悪くなったとき,いいタイミングだと考え,思い切って会社を退職しました。そして,すでに木地師を引退していた父に頼み込んで,復帰してもらい,技術を教わったんです。
父は,職人仲間から「名人」と言われていたほど,とても腕のいい木地師でした。ある日,許可をもらわないで,父の刃物を黙って使ってしまったことがあったんです。そうしたら,すぐにバレて,しばらく口をきいてもらえませんでした。たった1回木を削っただけで,刃の切れ味が変わったことが,すぐにわかってしまうんです。びっくりしました。そんな名人の父から,木地師の技術を学べて,私はとても幸せだったと思います。そうした技術を,今度は,私が息子に伝えていきたいと思っています。
絵は一生の友達
子どものころはとにかく,学校が終わったら,すぐに家にカバンを置いて,夕食の時間まで,近所の友達と遊んで遊んで,という毎日でしたね。体を動かすことが好きでしたが,一番の趣味は,絵を描くこと。絵を描くようになったきっかけは,小学6年生のときの写生会でした。クラスの代表の絵を決めることになり,クラス全員で投票をしたんです。私よりも絵が上手な,油絵を習っていた同級生がいたのですが,なぜか,圧倒的な差をつけて,私の絵が選ばれたんです。そのとき,「一生懸命やれば,認められるんだな」と感じたんです。技術にこだわるよりも,自分が好きなことを信じることのほうが,大事なんだと思えました。
そして,中学1年生になったとき,運命の出会いがありました。ある休み時間に,初めて図書室に行ってみたんですが,何かに引き寄せられるように,ピカソの画集を手に取ったんです。ピカソの絵を見て「気持ち悪い」と思う人もいるかもしれません。でも,私は,「こういう絵の表現があるんだな。自分が描きたいのは,こういう絵だ!」と,大きな衝撃を受けたんです。いまでもピカソに影響を受けて,絵を描き続けています。絵は一生の友達です。絵を描いていると,作品づくりの感覚が鋭くなっていくので,仕事にもいい影響を与えてくれています。
友達と一緒に,外に出よう!
テレビゲームなどではなくて,友達と一緒に,外に出て遊んでほしいなと思います。私が幼いころは,下は小学校に上がったばかりの子から,上は中学3年生くらいの子まで,みんなで毎日,一緒に遊んでいました。そして,みんなで遊びながら,年長のお兄さんが,下の子たちの面倒を見ていた。その姿を見て,人との付き合い方を学ぶことができたと思います。そしてなにより,友達は,一生の財産になります。大人になってからも,困ったことや,相談したいことがあるときには,必ず自分の助けになってくれる。自分自身も,友達を助けることで,思ってもいなかったような,さまざまな経験ができるようになります。
そうやって,多くの友達と関わっていく中で,自分のやりたいことを見つけて,それに向かってがんばってほしいです。私が子どものころは,まだ日本は貧しかった。それで,将来の夢は,「とにかく稼げるようになって,おいしいものを食べたい」,それだけでした。今の子どもたちには,昔よりもたくさんの将来への道,いろいろな未来があると思います。だから,それを見つけて,自分の力でつかみ取る努力をしてほしいですね。