安全・迅速・快適にお客さまを目的地へ
私は東京都荒川区にある「東京合同自動車」というタクシー会社で乗務員をしています。お客さまを目的地まで安全・迅速・快適にお送りするのが私の仕事です。
タクシーを利用する方は,仕事や用事で急いでいる方,病院に通う方,疲れている方,お酒に酔っている方などさまざまです。乗車されたお客さまの様子からお客さまの状況を察して運転をしています。中には出産間際で病院に向かう方や病気の方もいるので,そうした場合はとくに細心の注意を払って運転します。
私の場合,運転する範囲は東京都内が中心です。午前中は都心の官庁や会社,病院などに向かうお客さまが多いですね。午後になると買い物や病院から自宅へ帰る方が多くなり,夕方は営業先から会社に戻る方や新幹線に乗る方,夜間や深夜は飲食の後に帰宅する方が多くなります。また,その他には観光タクシーとして,貸し切りで利用されるお客さまもいらっしゃいます。
ふだんは東京都内が中心ですが,千葉,埼玉など,比較的遠くまで乗られるお客さまもいます。長野県までお客さまをお送りしたこともありますよ。一日の走行距離は平均で約350km,東京・名古屋間の距離とほぼ同じくらいです。
勤務の日は朝から深夜まで
いろいろな勤務体系がありますが,私は1日乗務したら,次の日は休みになる「隔日勤務」をしていて,月に11日ほどの勤務です。勤務がある日は休憩をはさみながら,朝7時から深夜2時ごろまで乗務します。
朝6時半ごろ出勤し,7時に点呼,朝礼とアルコールチェックをして車に乗りこみ,営業を開始します。運転する車は決まっており,2人が1台を交代で使います。時間帯により,お客さまの利用目的がある程度決まってきますので,タクシーを利用しそうな方がいそうな地域を流してお客さまを探します。ほかに,会社の無線で「お客さまが待っているからこれこれの場所まで行ってほしい」と連絡を受けることもありますし,駅前やホテルでお客さまを待つこともあります。
深夜までの長時間勤務ですから,休憩は3時間に1回は必ずとります。タクシー用の駐車スペースがあるところに停めて休憩や食事,時間調整をして,疲れがたまらないようにしています。
会社に戻るのは午前1時半前後です。一日の走行が記録されたICチップとその日の売上金を会社に提出し,車の清掃と車体のチェック,燃料のガスの補充(※タクシーはガソリンではなくLPガス燃料で走るものが一般的)をし,アルコールのチェックを受けて,午前2時ごろその日の仕事は終わります。その後,私は電車通勤なので,会社の仮眠室で仮眠をとり,始発電車が動くのを待って帰宅します。
注意と気づかいが必要
お客さまを乗せた車内は密室になるため,快適な空間を保つことに気をつかい,紳士的な対応を心がけています。また,お客さまとのトラブルは絶対に避けなければいけません。そのため,行き先までのルートをあらかじめお客さまに確認する「経路確認」は絶対に欠かさないようにしています。「料金を上げるためにわざと遠回りをした」とお客さまに思われて,トラブルになってしまわないようにするためです。特に,ふだんあまり走らない地域に行くときは,「近道をご存知でしたら教えてください」とお願いして,最短距離,最短時間で目的地に着くよう努力しています。
また,お酒に酔ったお客さまを乗せるときは,とくに注意するようにしています。私たちはお客さまの身体に触れるわけにはいきませんから,その方が車内でぐっすりと眠ってしまったら,揺り起こすこともできません。どうしようもないときは交番前に停めて警察官にお客さまを起こしてもらい,ご自宅までの道を聞かなければいけないこともあります。ですから,ひどく酔った方を乗せるときは,なるべく一緒にいる友人の方などに目的地まで乗ってもらうようにしていますね。
笑顔でわかる「ありがとう」の気持ち
やはり,お客さまに喜んでもらうとうれしいですね。関西から来ていた若い人たちのグループに「運転手さん,急いでや!」と言われて,空港まで安全に気をつけながらもなるべく早く着くように運転した結果,「おかげで飛行機に間に合ったわ。ありがとう!」と,みなさんから肩をぽんぽん叩いて大喜びされたこともあります。また,口に出して「ありがとう」と言われなくても,お客さまの笑顔を見られれば,喜んでいらっしゃるのがわかるので,うれしいです。
長時間にわたって長い距離を運転する仕事ですが,私にはまったく苦にはならず,むしろふだんの生活では自分からは行かないであろう場所に,お客さまに連れて行ってもらっている,と思えて,充実感を持って仕事ができています。私にとって,「仕事」は「楽しみ」でもあるんだと思います。
タクシーの「匠」が目標
いろいろなタイプのタクシー乗務員がいますが,私はお客さまとの会話は最小限にしています。この仕事ではお客さまの「黒子」になるべきで,むだな会話は必要ないと思っているからです。でも,たとえ会話がなくても,このお客さまは体調が悪そうだなとか,急いでいらっしゃるなとか,そういうふうにお客さまを察して,気づかうことができる「匠」になりたいと思っています。たとえば,荷物をお持ちのお客さまがいれば,言われなくても,その荷物は壊れやすいものかもしれないと配慮して,席に置いた荷物が落ちないように,優しく運転するようにしています。
お客さまへの気づかいについて考えさせられた,ある出来事がありました。一度,足の悪い年配の女性をお乗せしたのですが,その方が降りる際に,「足が悪いと,ブレーキがかかったとき,足を踏ん張れないから怖いのよ」と教えてくださったのです。はっとしました。それからは,とくにご高齢のお客さまをお乗せするときは,余裕を持ってブレーキを踏めるように前後の車との車間距離を大きくとり,ブレーキを普段以上にやわらかく踏んで,そっと止まるようにしています。こうしたことを心がけるようになってから,お客さまから「ありがとう」と言われることが多くなった気がします。
運転と介護という二つの仕事経験の両方を生かせる仕事
私が初めて就いたのは,宅配便の運転手の仕事です。4トントラックを運転し,荷物を配達していました。その会社に入るとき,「家を建てる」ことを目標にしていたのですが,37歳で目標を達成できたので退社し,今度は全く別の世界を見てみたいと思ってホームヘルパー2級の資格を取ったんです。将来的に両親の介護にも役に立つかもしれないと思い,高齢者介護の仕事に就いたのですが,やってみて,福祉の仕事を一生続けていく覚悟は自分にはないなと感じられて,退職しました。
その後,次の仕事を探す中で,タクシー乗務員なら運転と介護,二つの経験を役立てられるのではないかと思い,東京合同自動車の入社試験を受けました。運転する仕事の経験に加え,高齢化で,これからはからだの不自由なお客さまがタクシーを利用する機会も増えるだろうから,介護の仕事をしていた経験が役に立つと思ったのです。
タクシーの乗務員として働くためには,通常の運転免許だけではなくて,お客さまを乗せて走るための「普通自動車第二種免許」が必要です。私は入社が決まってから,入社前にこの免許を取りました。さらに,東京都内でタクシーの乗務員になるには,「東京タクシーセンター」という機関で地理と法令関係の筆記試験を受けなければいけません。この試験に合格した後に社内の研修を受けて,乗務員になりました。これが2014年のことですので,乗務員になって今年で4年になります。
剣道で身につけた「察する力」
子ども時代は外遊びが大好きで,活発な子どもでした。それだけではなく,小学校,中学校では成績もよく,ずっと学級委員でした。また,「文武両道」を重んじる父の教育方針もあり,幼稚園から剣道を始め,中3で初段を取るまで続けました。
剣道では相手の目を見て相手の気持ちを読み,一瞬のすきを見て相手の動きを封じなければ負けてしまいます。このように相手の動きや気持ちを「察する」力は,確実に今の仕事につながっていると思います。ほかにも立ち居振る舞いや姿勢,礼節など,剣道から得たものはいろいろあります。私の剣道の先生が警察官だった影響もあって,警察官になりたいと思った時期もありました。結局,他の仕事に興味を持ったため,警察官にはなりませんでしたが,剣道のおかげで身についたものは,今の仕事にも大いに役立っています。
失敗を恐れず,何にでも挑戦を
父親からもよく言われた言葉ですが,人生は「七転び八起き」,何回転んでもいいと思います。転んではじめて,転んだ人の気持ちがわかります。そして,転んでもいいから,何にでも挑戦しないと,何も生まれてきません。ぜひ失敗を恐れず,挑戦を続けるようにしてください。
また,今は多くのことがインターネットやSNSで済んでしまう時代ですが,みなさんにはそれだけではなくて,相手の目を見て会話をして,友だち,仲間など,相手の気持ちを察し,いたわる力を身につけてほしいと思います。インターネット世代の人ほど,友だちと一緒に喜怒哀楽を共にする経験をして,人と接する楽しみを知り,コミュニケーションの力を磨いてほしいですね。