仕事人

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岐阜県に関連のある仕事人
1983年 生まれ 出身地 岐阜県
小堀こぼり 陽平ようへい
子供の頃の夢: シェフ・調理師
クラブ活動(中学校): バスケットボール部
仕事内容
自らようしょくしたあゆを調理・加工し、飲食店をけいえいする。
自己紹介
一度やりたいと思ったことは、ぜったいにやらないと気がまないせいかくです。周りがおどろくようなだいたんな行動をする一方で、物事のしをはんだんしながら進むしんちょうでもあります。読書が好きで、仕事の合間によくライトノベルなどを読んでいます。

※このページに書いてある内容は取材日(2024年05月07日)時点のものです

なががわさんあゆを育て、あゆ料理をていきょうする

長良川産の鮎を育て、鮎料理を提供する

わたしは父といっしょに、あゆ料理せんもんの飲食店「じゅうろくちょう」をけいえいしています。わたしが住む岐阜県おおがきには、昔から地下水がふんする井戸が数多くあり、「水の都」とばれてきました。そのほうな地下水を利用して、1969年にわたしなががわさんあゆようしょくを始めました。その後、調ちょうめんきょを持っていたわたしの父があとぎ、ようしょくじょうしきないに、あゆ料理をていきょうする十六兆を開きました。わたしは今、あゆようしょくや飲食店のうんえいをしながら、あゆを使ったオリジナル商品も開発し、はんばいせんでんをしています。
毎年、あゆようしょくぎょを仕入れる4月から始まります。ぎょは、岐阜県が管理している“ぎょびょうセンター”(天然のあゆかくし、さいらんさいせいを行ってぎょを育成、しゅっするせつ)から仕入れ、1年で5万びきほどのあゆを育てます。
あゆが大きく成長する7月ちゅうじゅんになると、あゆ料理せんもんてんをオープンし、10月ちゅうじゅんまでの時期だけえいぎょうします。10月ちゅうじゅんから12月になると、あゆさんらん時期になり、おなかにたまごしらを持ち始めます。その時期に、すべてのあゆめてれいとうし、そのあゆを使って商品に加工したり、新商品の開発をしたりします。よくねんようしょくが始まるまでの間は、商品を知ってもらうためにてんかいに出て商品をしょうかいしたり、イベントでお店を出してはんばいを行ったりしています。

しんせんあゆを味わえる料理を作る

新鮮な鮎を味わえる料理を作る

飲食店をえいぎょうしている7月ちゅうじゅんから10月ちゅうじゅんは、朝6時半ごろから料理のじゅんあゆの観察を始めます。11時半から14時までお昼のえいぎょうをした後は、すぐに夜のえいぎょうじゅんを行い、17時から21時まで料理をていきょうします。あゆはとても目が良くせんさいな魚で、昼間につかまえようとすると、おどろいていけすをえてしまったり、ストレスで病気にかかったりします。そのため、お店のえいぎょうが終わった後、あゆている暗い時間にいけすに入り、あみで必要な分をつかまえます。
お店では、塩焼きやフライ、焼いたあゆったぎょでん、岐阜県のきょう料理であるあゆぞうすいなど、あゆのおいしさをさまざまな形で味わえる料理をっています。中でもあゆたけぐしし、炭火でこうばしく焼き上げた塩焼きは、あゆのおいしさをそのまま楽しめると人気の料理です。自然のかんきょうで育ったあゆには、川や湖に生息するせいちゅうがいるけんがあるので、おさしでは食べられませんが、ぎょのころから地下水でようしょくしたあゆせいちゅうかんせんしないので、十六兆ではしんせんようしょくあゆでしかできないおさしていきょうしています。

自然の中で育つ天然あゆに近いかんきょうようしょくする

自然の中で育つ天然鮎に近い環境で養殖する

ようしょくが始まると、一日も休むことなく、あゆの様子を観察します。あゆは、冷水病という病気をはじめ、さまざまな病気にかかることがあり、うちのいけすでも多くのあゆが死んでしまったこともあります。多くのようしょくじょうでは、病気のぼうりょうのために薬を使いますが、十六兆では薬をいっさい使用せず、自然なじょうたいで育てることを大切にしています。そのため、毎日じっくりとあゆを観察し、様子がおかしいあゆはすぐに他のあゆはなして、エサの量を調節したり水をえたりと、ケアをします。今は、父しかあゆの体調をきわめることができませんが、わたしも早くじょうに気づけるようになるため、毎日、あゆと向き合っています。
このほかにも、ようしょくじょうではできるだけ自然に近いかんきょうで育てるふうをしています。あゆは1年以内に一生を終える魚なので、日光を浴びて季節のうつわりが感じられるよう、いけすに屋根をもうけなかったり、しっかりと泳いできんにくをつけるために、八角形や円形のいけすをつくり、川と同じく水がつねによどまず流れるじょうたいをつくったりしています。また、自然の中で生きるあゆは川や池のこけを食べるため、エサの量をおさえて、いけすに生えるこけを食べるようにうながしています。

たくでもあゆを味わえる商品を作り、はんばいする

自宅でも鮎を味わえる商品を作り、販売する

近年、わたしあゆを使った加工食品の商品化に力を入れています。お店でお客さまにていきょうしている料理は、父が考えて作っていますが、わたしはその中で「これは商品化したら売れるのではないか」と思ったものを父にていあんし、ビンめや真空パックなどの方法ではんばいできる形にできないか考えます。
たとえば、あゆかんいっぱんてきに4~5時間んで作られますが、十六兆では3日間かけてんでやわらかくするため、頭が取れやすくなります。そこで、頭が取れて売り物にならないあゆをほぐしてビンにめ、しぐれとして売り出したのが、最初の商品です。また、あゆの塩焼きをほぐして生ふりかけを作ったときは、こうにゅうしたお客さまから「魚が好きなのに、病気でなかなか食べられなくなってしまったけれど、これをおかゆに入れたらあゆぞうすいのように食べられてうれしかった」と感想がせられ、あゆのおいしさを手軽に楽しんでもらえることによろこびを感じました。
新商品の開発は、売れなかったらどうしようというプレッシャーもありますが、自分で考えて形にすることに、大きなやりがいを感じています。げんざいは、商品も7種類になり、ふくすうの商品を組み合わせたギフトセットもはんばいしています。高校生時代にデザインを学んだしきを生かして、パッケージのデザインも自分で手がけています。

今の時代に合ったあゆの食べ方を伝える

今の時代に合った鮎の食べ方を伝える

新しい商品を開発するときは、あっさりとして香りがいいあゆとくせいを生かすことと、今の時代に合った商品を考えることを大切にしています。あゆの料理というと、昔から食べられてきた塩焼きやかんおもかべる人が多いと思います。しかし、最近は昔にくらべて味の好みや食生活が変化しているので、今の時代の人に好まれる商品や、にちじょうの中で食べやすい商品を作るよう心がけています。
今までにも、ピザ屋をいとなむ方から「あゆを使って岐阜らしいピザを作りたい」と相談を受け、ニンニクや調味料を加えたオリーブオイルにてんししたあゆんだアヒージョを考案したことがあります。さらに、日本酒をつくさかぐらから「お酒に合うおつまみを作ってほしい」という要望をもらい、くんせいにしたあゆをアヒージョに使った新商品も開発しました。
でんとうを守ることも大切ですが、多くの人に楽しんでもらうためには、でんとうにとらわれぎずチャレンジすることも必要です。「あゆってこんな食べ方もあるんだ」と感じてもらえる商品を作って、あゆのおいしさを多くの人に伝えていきたいと思っています。

父の料理を多くの人に味わってほしい

父の料理を多くの人に味わってほしい

わたしは、高校でデザインを学んだ後、服を作る仕事をしたいと思い、自分でデザインした服を作ってお店に置いてもらったり、アパレルの会社につとめたりしました。その後、家具やざっ、アクセサリーなどにもきょうを持ち、21さいのときに家具やざっのブランドを立ち上げました。30さいまでは、友人といっしょに自分たちが作ったオリジナルの家具やざっはんばいするお店をけいえいしていましたが、友人が他の道を歩むことになり、ブランドをかいさんしました。そのときに、以前のように父といっしょに実家のあゆ料理せんもんてんけいえいしたいなと思いました。
父に「ようしょくや飲食店をいっしょにやりたい」と話したときは、「必要ない」とことわられてしまいました。そこでわたしは、「自分はこんなことをして十六兆の役に立ちたい」という思いをかくしょにし、父にていあんしました。そのときにていあんしたのが、今、力を入れている、あゆを使った商品の開発です。わたしは、「父が作る料理が日本一おいしいと思っているので、それを商品化して世の中に広めたい」と話し、いっしょに働くことをみとめてもらいました。

子どものころから店を手伝い、けいえいを体感

子どものころから店を手伝い、経営を体感

わたしが小学5年生のときに、父があゆ料理せんもんてんをオープンし、わたしは子どものころから毎日のようにお店を手伝っていました。手伝いをするとおづかいがもらえたため、このころからお金をかせぐ仕組みやよろこびをはだで感じていました。また同時に、お金をかせぐことの大変さやお金のも学ぶことができました。
こうしたけいけんもあり、わたしは自然と「自分はしょうらい、この店をぐのだろう」と思っていました。しかし、中学生のときにオシャレをすることが好きな友人に出会ったり、高校生のときにバンドを始めたりと、ファッションや音楽などにきょうを持つようになりました。
しょうらいの進路になやんだとき、が続けてきたあゆようしょくをただぐのではなく、自分の作る料理を楽しんでもらえる店をやろうと、飲食店を始めた父の姿すがたを見て、「人生は自分でつくっていけばいいんだ」と思ったことを思い出しました。その思いになかされ、「自分も父のように、高校を卒業したらやりたいことをやってみよう」と、好きだったファッションの道に進むことができ、今もやりたいことにちょうせんし続けています。

自分のせんたくせきにんを持ち、一度始めたことをやりこう

自分の選択に責任を持ち、一度始めたことをやり抜こう

やりたいと思ったことにチャレンジしたとき、始めてみて「少しちがうな」と思ったとしても、すぐにやめてしまわないでほしいなと思います。わたしも、父の言うことがかいできず言い合いになったとき、後になって「あのときに父が言っていたことは、こういうことか」と気づくことがたくさんあります。いやなことがあってもかんじょうてきにならずに続けてみると、いろいろなことが見えてくると思います。
では、どのくらい続けてみたらいいかというと、わたしは何事も、1年間はやってみたほうがいいと思います。仕事でも学校でも、それぞれの季節ごとに大変なことがあると思います。それを一回りけいけんすると、1年の流れをつかめます。そこでもう一度考えてみて、「やっぱりちがう」とか「自分はなっとくいくまでできた」と思えたら、やめてしまってもいいと思います。
ただし、どんなせんたくをしても大切にしてほしいのは、人のせいにしないことです。うまくいったときも、ダメだったときも、自分で選んで決めたことのせきにんはすべて自分にあります。反対に、「成功も失敗もすべて自分のものになる」と思うと、すべてのことに対して取り組む姿せいが変わるので、ぜひしきしてほしいと思います。

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取材・原稿作成:船戸 梨恵(クロスワード)・岐阜新聞社 /協力:株式会社 電算システム