※このページに書いてある内容は取材日(2024年05月07日)時点のものです
長良川産の鮎を育て、鮎料理を提供する
私は父と一緒に、鮎料理専門の飲食店「十六兆」を経営しています。私が住む岐阜県大垣市には、昔から地下水が自噴する井戸が数多くあり、「水の都」と呼ばれてきました。その豊富な地下水を利用して、1969年に私の祖父が長良川産鮎の養殖を始めました。その後、調理師免許を持っていた私の父が跡を継ぎ、養殖場の敷地内に、鮎料理を提供する十六兆を開きました。私は今、鮎の養殖や飲食店の運営をしながら、鮎を使ったオリジナル商品も開発し、販売や宣伝をしています。
毎年、鮎の養殖は稚魚を仕入れる4月から始まります。稚魚は、岐阜県が管理している“魚苗センター”(天然の鮎を捕獲し、採卵と採精を行って稚魚を育成、出荷する施設)から仕入れ、1年で5万匹ほどの鮎を育てます。
鮎が大きく成長する7月中旬になると、鮎料理専門店をオープンし、10月中旬までの時期だけ営業します。10月中旬から12月になると、鮎は産卵時期になり、おなかに卵や白子を持ち始めます。その時期に、すべての鮎を締めて冷凍し、その鮎を使って商品に加工したり、新商品の開発をしたりします。翌年の養殖が始まるまでの間は、商品を知ってもらうために展示会に出て商品を紹介したり、イベントでお店を出して販売を行ったりしています。
新鮮な鮎を味わえる料理を作る
飲食店を営業している7月中旬から10月中旬は、朝6時半ごろから料理の準備と鮎の観察を始めます。11時半から14時までお昼の営業をした後は、すぐに夜の営業の準備を行い、17時から21時まで料理を提供します。鮎はとても目が良く繊細な魚で、昼間に捕まえようとすると、驚いていけすを飛び越えてしまったり、ストレスで病気にかかったりします。そのため、お店の営業が終わった後、鮎が寝ている暗い時間にいけすに入り、網で必要な分を捕まえます。
お店では、塩焼きやフライ、焼いた鮎に味噌を塗った魚田、岐阜県の郷土料理である鮎雑炊など、鮎のおいしさをさまざまな形で味わえる料理を振る舞っています。中でも鮎に竹串を刺し、炭火で香ばしく焼き上げた塩焼きは、鮎のおいしさをそのまま楽しめると人気の料理です。自然の環境で育った鮎には、川や湖に生息する寄生虫がいる危険があるので、お刺身では食べられませんが、稚魚のころから地下水で養殖した鮎は寄生虫に感染しないので、十六兆では新鮮な養殖鮎でしかできないお刺身も提供しています。
自然の中で育つ天然鮎に近い環境で養殖する
養殖が始まると、一日も休むことなく、鮎の様子を観察します。鮎は、冷水病という病気をはじめ、さまざまな病気にかかることがあり、うちのいけすでも多くの鮎が死んでしまったこともあります。多くの養殖場では、病気の予防や治療のために薬を使いますが、十六兆では薬を一切使用せず、自然な状態で育てることを大切にしています。そのため、毎日じっくりと鮎を観察し、様子がおかしい鮎はすぐに他の鮎と引き離して、エサの量を調節したり水を替えたりと、ケアをします。今は、父しか鮎の体調を見極めることができませんが、私も早く異常に気づけるようになるため、毎日、鮎と向き合っています。
このほかにも、養殖場ではできるだけ自然に近い環境で育てる工夫をしています。鮎は1年以内に一生を終える魚なので、日光を浴びて季節の移り変わりが感じられるよう、いけすに屋根を設けなかったり、しっかりと泳いで筋肉をつけるために、八角形や円形のいけすをつくり、川と同じく水が常によどまず流れる状態をつくったりしています。また、自然の中で生きる鮎は川や池の苔を食べるため、エサの量を抑えて、いけすに生える苔を食べるように促しています。
自宅でも鮎を味わえる商品を作り、販売する
近年、私は鮎を使った加工食品の商品化に力を入れています。お店でお客さまに提供している料理は、父が考えて作っていますが、私はその中で「これは商品化したら売れるのではないか」と思ったものを父に提案し、ビン詰めや真空パックなどの方法で販売できる形にできないか考えます。
たとえば、鮎の甘露煮は一般的に4~5時間煮込んで作られますが、十六兆では3日間かけて煮込んで柔らかくするため、頭が取れやすくなります。そこで、頭が取れて売り物にならない鮎をほぐしてビンに詰め、しぐれとして売り出したのが、最初の商品です。また、鮎の塩焼きをほぐして生ふりかけを作ったときは、購入したお客さまから「魚が好きなのに、病気でなかなか食べられなくなってしまったけれど、これをおかゆに入れたら鮎雑炊のように食べられてうれしかった」と感想が寄せられ、鮎のおいしさを手軽に楽しんでもらえることに喜びを感じました。
新商品の開発は、売れなかったらどうしようというプレッシャーもありますが、自分で考えて形にすることに、大きなやりがいを感じています。現在は、商品も7種類になり、複数の商品を組み合わせたギフトセットも販売しています。高校生時代にデザインを学んだ知識を生かして、パッケージのデザインも自分で手がけています。
今の時代に合った鮎の食べ方を伝える
新しい商品を開発するときは、あっさりとして香りがいい鮎の特性を生かすことと、今の時代に合った商品を考えることを大切にしています。鮎の料理というと、昔から食べられてきた塩焼きや甘露煮を思い浮かべる人が多いと思います。しかし、最近は昔に比べて味の好みや食生活が変化しているので、今の時代の人に好まれる商品や、日常の中で食べやすい商品を作るよう心がけています。
今までにも、ピザ屋を営む方から「鮎を使って岐阜らしいピザを作りたい」と相談を受け、ニンニクや調味料を加えたオリーブオイルに天日干しした鮎を漬け込んだアヒージョを考案したことがあります。さらに、日本酒を造る酒蔵から「お酒に合うおつまみを作ってほしい」という要望をもらい、燻製にした鮎をアヒージョに使った新商品も開発しました。
伝統を守ることも大切ですが、多くの人に楽しんでもらうためには、伝統にとらわれ過ぎずチャレンジすることも必要です。「鮎ってこんな食べ方もあるんだ」と感じてもらえる商品を作って、鮎のおいしさを多くの人に伝えていきたいと思っています。
父の料理を多くの人に味わってほしい
私は、高校でデザインを学んだ後、服を作る仕事をしたいと思い、自分でデザインした服を作ってお店に置いてもらったり、アパレルの会社に勤めたりしました。その後、家具や雑貨、アクセサリーなどにも興味を持ち、21歳のときに家具や雑貨のブランドを立ち上げました。30歳までは、友人と一緒に自分たちが作ったオリジナルの家具や雑貨を販売するお店を経営していましたが、友人が他の道を歩むことになり、ブランドを解散しました。そのときに、以前のように父と一緒に実家の鮎料理専門店を経営したいなと思いました。
父に「養殖や飲食店を一緒にやりたい」と話したときは、「必要ない」と断られてしまいました。そこで私は、「自分はこんなことをして十六兆の役に立ちたい」という思いを企画書にし、父に提案しました。そのときに提案したのが、今、力を入れている、鮎を使った商品の開発です。私は、「父が作る料理が日本一おいしいと思っているので、それを商品化して世の中に広めたい」と話し、一緒に働くことを認めてもらいました。
子どものころから店を手伝い、経営を体感
私が小学5年生のときに、父が鮎料理専門店をオープンし、私は子どものころから毎日のようにお店を手伝っていました。手伝いをするとお小遣いがもらえたため、このころからお金を稼ぐ仕組みや喜びを肌で感じていました。また同時に、お金を稼ぐことの大変さやお金の価値も学ぶことができました。
こうした経験もあり、私は自然と「自分は将来、この店を継ぐのだろう」と思っていました。しかし、中学生のときにオシャレをすることが好きな友人に出会ったり、高校生のときにバンドを始めたりと、ファッションや音楽などに興味を持つようになりました。
将来の進路に悩んだとき、祖父が続けてきた鮎の養殖をただ継ぐのではなく、自分の作る料理を楽しんでもらえる店をやろうと、飲食店を始めた父の姿を見て、「人生は自分でつくっていけばいいんだ」と思ったことを思い出しました。その思いに背中を押され、「自分も父のように、高校を卒業したらやりたいことをやってみよう」と、好きだったファッションの道に進むことができ、今もやりたいことに挑戦し続けています。
自分の選択に責任を持ち、一度始めたことをやり抜こう
やりたいと思ったことにチャレンジしたとき、始めてみて「少し違うな」と思ったとしても、すぐにやめてしまわないでほしいなと思います。私も、父の言うことが理解できず言い合いになったとき、後になって「あのときに父が言っていたことは、こういうことか」と気づくことがたくさんあります。嫌なことがあっても感情的にならずに続けてみると、いろいろなことが見えてくると思います。
では、どのくらい続けてみたらいいかというと、私は何事も、1年間はやってみたほうがいいと思います。仕事でも学校でも、それぞれの季節ごとに大変なことがあると思います。それを一回り経験すると、1年の流れをつかめます。そこでもう一度考えてみて、「やっぱり違う」とか「自分は納得いくまでできた」と思えたら、やめてしまってもいいと思います。
ただし、どんな選択をしても大切にしてほしいのは、人のせいにしないことです。うまくいったときも、ダメだったときも、自分で選んで決めたことの責任はすべて自分にあります。反対に、「成功も失敗もすべて自分のものになる」と思うと、すべてのことに対して取り組む姿勢が変わるので、ぜひ意識してほしいと思います。