※このページに書いてある内容は取材日(2017年06月23日)時点のものです
小説は,題材も長さも自由に書かせてもらっている
私は文章を書くことを仕事にしています。住まいは福井県です。主に小説を書いており,時にはエッセイを書くこともあります。
小説は,ありがたいことに,いくつかの出版社の編集者から「題材も長さも自由に書いてください」というざっくりとした注文をいただいていて,書けたものから順番に編集者に渡すような形で仕事を進めています。最初から本になる「書き下ろし」と,一度雑誌に連載される場合とがありますが,まずは雑誌に連載してから,ということが多いです。原稿を渡すと,「ゲラ」という,原稿を本や雑誌の誌面の形にしたものが送られてくるので,編集者や校正係(文字や内容の間違いを指摘してくれる役目の人)の意見を参考にしながら手直しをして,出版される最終形に近づいていく,という流れです。雑誌に連載したものをまとめて本にする時は,一部を書き直すこともあります。
また掌編小説(短編よりも短い小説)などは,発表するあてがない場合も,思いついた時に書いています。それが後で短編小説に育つことも多いです。エッセイは,雑誌の編集者からの注文に応じて書いています。
一日中,「読む」か「書く」かしている
中学生と高校生の子どもたちを学校に送り出した午前8時半ごろから,自宅で仕事を始めます。原稿はパソコンで書いているので,自分用の飲み物をいれてパソコンの前に座り,書くことを少しでも思いついたら書き進めていきます。夕方6時過ぎになると子どもたちが帰ってくるので,いったん仕事は休みにします。夕食後の午後9時ごろから,またパソコンの前に戻ります。
仕事が終わる時間は決まっていなくて,日によってバラバラです。やろうと思えば夜中の2時,3時までできてしまう仕事ですが,自分で管理しないと頑張り過ぎて体調を崩しがちなので,注意しています。「どうもはかどらないな」という時は,すっぱりやめるようにしています。
書くことが思いつかない時は本を読みます。本を読むこと自体が大好きなので,「読むことも仕事のうち」と言えることはラッキーだなと思います。読むものの7割くらいは国内の小説で,あとはノンフィクションや興味ある分野の新書などです。マンガも読みます。読むときは,「自分はどこを面白いと思うのか」を確認しながら読んでいます。面白い本に出会うと,それが小説を書くときの原動力になるように思います。面白かった感想や余韻が「上書き」されてしまうのがイヤなので,本は1日1冊までにしていますね。
書くことが大変だと思ったことはない
小説を書くこと自体を大変だと思ったことはないんです。もちろん,スラスラ書けなくてもどかしい思いをすることはあります。だけど後で「あ,こう書けばよかったんだ!」とわかる喜びがあるから,うまく書けないことも含めて楽しいんです。もし何でも簡単に書ける天才だったら,書くことに飽きてしまっていると思います。
よく小説家の方の話に出てくるような「書けないかもしれない」という恐怖もあまりなくて,いつも「絶対書ける」と思っています。私は小説家としてデビューしたのが遅かったので,「たくさんの人に評価されなくちゃダメ」とか「書けなくなったら世間から見放されるんじゃないか」なんていう欲を持たないからかもしれませんね。作家になる前の生活も経験しているので,「書けなくなったって,それで終わりになるわけないじゃない」と思っているところもありますし。
だけど,仕事にまつわるスケジュール管理やメールの返信などの事務的なことが本当に苦手で…この仕事で一番苦労しているのはそこですね。
まず書きたい場面が浮かぶところから始まる
「小説家は一生かけてやれる仕事だ」と思えることが幸せですね。人生のうちにはその時にしか書けないものがあると思っているので,いろいろな経験をして,今までと違う感情が生まれて,「そうなったらどんなものが書けるんだろう」というところに興味があります。だから年を取ることが全然怖くないというか,むしろ大歓迎ですね。
昔書いたものと最近のものとを自分で読み比べてみると,登場人物の気持ちの書き方など,文章を書く技術の部分では上手になってきているなと感じますが,「書きたいこと」は意外に変わっていないと感じます。
小説が生まれる時は,まず「これが書きたい」という場面が心の中に浮かんできます。その場面について思いを深めていく中で,今まで何となく日記に書いていたことや,普段のちょっとした時にメモしていたことがパーッと集まってきて,パズルのように組み合わさってつながっていくんです。それがうまくつながる時は,小説もうまくいきます。
日記は,中学生のころからつけています。その日に起こった出来事を書くというより,思ったことを中心に書いていきます。メモ帳も常に持ち歩いていて,何か思いついたらその時にすかさず書くようにしています。「書かないと忘れてしまう思いつきなんてたいしたことはない」という人もいますが,そんなことはないと私は思います。小説に限っていえば,書きとめないと忘れてしまうような「一瞬のひらめき」が表現にとっての命であることが多いと思っています。だからその瞬間をつかまえるのは,とても大事なことなんです。
生活の中で書く小説を大切にしたい
文章を書くうえで,「手を抜いた仕事をしないように」というのは常に思っています。楽をしようと手を抜いてしまうとこの仕事は全然面白くないんですよ。小説なら,手間を惜しまずに自分が満足いくまで何度でも書き直すこと。エッセイについては,自分でもまだ書き方がよくわからない部分が多いのですが,読む人に楽しんでもらえるようにと心がけています。
「地に足がついたものを書いていきたい」という思いもずっと持っています。買い物に行ったりごはんを作ったり,日常のあれこれをちゃんとしながら書いていくのが自分の小説で,生活の中で読んでもらう小説だと思っています。
福井で書き続けることも大事にしています。福井がとても暮らしやすい場所だという理由もありますが,都会ではなくて「福井にいても小説家はできるよ」ということを言いたいから。自分も若いころは,福井は田舎で,あまりいろいろな種類の仕事がないと思っていたので,「そんなことはないよ,福井で小説家もやっていけるんだよ」と今の若い人たちに言いたいんです。
どんな経験も無駄にならないのが小説家という職業
3人目の子どもがお腹にいた時に,なぜか急に小説が書きたくなりました。私は大学を卒業してしばらくは会社勤めをしていたのですが,そのころは無職でした。書いてみるとすごく楽しくて,これをずっと続けていきたいと思いました。その時書いた作品『静かな雨』で「文學界新人賞」という小説の賞に応募したところ佳作に入り,2004年,37歳のときに小説家としてデビューできました。小説家になってみて気づいたのですが,ずっと家にいられるし,大好きな本をいくら読んでも誰にも文句を言われないし,とても自分に向いている職業でした。
小説家になるには,文芸誌(文学作品や評論を主に載せる雑誌)の新人賞に応募するのが一般的な道だと思います。見どころがあると思われると,その作家の担当という形で編集者がついてくれます。私の場合は,新人賞の佳作がある雑誌に載って,それを見た別の雑誌の編集者から声がかかって……という感じで,少しずつ仕事が増えていきました。
小説家になりたい人は,今すぐ小説家になりたい,とあせる必要はありません。小説家には何歳からでもなることができるし,経験を積んではまた書く,ということを続けていけばいいと思います。いろいろな経験を積んだほうが後に生きてきます。一見まわり道に感じるようなどんな経験も決して無駄にはならないのが,小説家という職業のいいところです。
中学生までは,本が好きな優等生タイプだった
私は,中学生までは優等生タイプでした。例えば,新しいクラスになって最初の学級委員長に先生から指名され,それを素直に引き受けるような子どもでしたね。高校生くらいになって,ようやく「ちょっと自分は素直すぎるんじゃないか?」と気づきました。
本を読むことは子どものころから好きで,親も本なら私が欲しいものを買ってくれました。『ドリトル先生』や『メアリー・ポピンズ』のシリーズ,ケストナーの児童小説,『赤毛のアン』シリーズなどが大好きでした。『赤毛のアン』は,やはり本好きの母の本棚で見つけたものです。小学校高学年くらいからは母の蔵書も読むようになりましたが,物語の中の怖い描写などは苦手で,アガサ・クリスティの推理小説を読んだ後,怖くて眠れないこともありました。
小学生のころは,学校から帰ると外で遊ぶことも多かったです。あとはピアノを習っていました。中学では,油絵をやってみたかったので美術部に入りました。小さいころから絵と作文をほめられてきて,自分は絵がうまいと思っていたんです。でも,美術部の同級生が描く絵を見たら,自分なんかよりもっともっと上手で,自信をなくしてしまいました。ちょうどそのころ,音楽のロックに目覚めて,高校ではギター同好会と,ちょっと習ってみたかった茶道部に入部しました。バンドを組んで学校祭のステージで演奏もしました。かっこよくエレキギターが弾けるようになりたかったんですが,ピアノが弾けるからとキーボード担当になってしまって,今もギターはうまく弾けないんです。
「好きなこと」からしか世界は広がらない
みなさんは,自分の好きなことにどんどん挑んでください。そうして自分の好きなことをずっとできる人生が最高だと思いますが,好きなことを見つけるのが難しい場合もあります。真面目な子ほど,「これが本当に自分の好きなことなのか」と悩んでしまうような気がします。ですから,少しでも好きだと思えることに出会ったら,「好き」という気持ちをまずは自分で認めて,好きなことになるべく時間を使ってください。
例えばマンガが好きだったら,「将来はマンガ家になる」とまでは思わなくていいから,とりあえずマンガに関することに時間をかけてみる。そのうちに,マンガの内容に刺激を受けて興味が広がるかもしれません。好きなことからしか世界は広がらないし,人生は深まっていかないと思うんです。
何が好きかもわからないまま18歳くらいになって,いきなり「進学する学部を選びなさい,就職先を考えなさい」と言われても,それこそ何もわからないで将来の道を選ぶことになってしまう。それはすごくもったいないことだと思います。