仕事人

社会にはいろいろな仕事があるよ。気になる仕事や仕事人をたくさん見つけよう!

福井県に関連のある仕事人
1967年 生まれ 出身地 福井県
宮下みやした 奈都なつ
子供の頃の夢: 特になし
クラブ活動(中学校): 美術部
仕事内容
小説やエッセイなどの文章を書く仕事です。
自己紹介
本を読むのが好きです。人が多いところが苦手で,主に家にいて読んだり文章を書いたりしています。夫と3人の子ども,犬1ぴき,メダカ約30ぴきいっしょらしています。小説家の仕事は身体がほんなので,体力をするためにも,毎週家族でバドミントンをやっています。
出身大学・専門学校

※このページに書いてある内容は取材日(2017年06月23日)時点のものです

小説は,題材も長さも自由に書かせてもらっている

小説は,題材も長さも自由に書かせてもらっている

わたしは文章を書くことを仕事にしています。住まいはふくけんです。主に小説を書いており,時にはエッセイを書くこともあります。
小説は,ありがたいことに,いくつかのしゅっぱんしゃへんしゅうしゃから「題材も長さも自由に書いてください」というざっくりとした注文をいただいていて,書けたものから順番にへんしゅうしゃわたすような形で仕事を進めています。最初から本になる「書き下ろし」と,一度ざっれんさいされる場合とがありますが,まずはざっれんさいしてから,ということが多いです。げん稿こうわたすと,「ゲラ」という,げん稿こうを本やざっめんの形にしたものが送られてくるので,へんしゅうしゃや校正係(文字やないようちがいをてきしてくれる役目の人)の意見を参考にしながら手直しをして,しゅっぱんされる最終形に近づいていく,という流れです。ざっれんさいしたものをまとめて本にする時は,一部を書き直すこともあります。
またしょうへん小説(たんぺんよりも短い小説)などは,発表するあてがない場合も,思いついた時に書いています。それが後でたんぺん小説に育つことも多いです。エッセイは,ざっへんしゅうしゃからの注文におうじて書いています。

一日中,「読む」か「書く」かしている

一日中,「読む」か「書く」かしている

中学生と高校生の子どもたちを学校に送り出した午前8時半ごろから,たくで仕事を始めます。げん稿こうはパソコンで書いているので,自分用の飲み物をいれてパソコンの前にすわり,書くことを少しでも思いついたら書き進めていきます。夕方6時ぎになると子どもたちが帰ってくるので,いったん仕事は休みにします。夕食後の午後9時ごろから,またパソコンの前にもどります。
仕事が終わる時間は決まっていなくて,日によってバラバラです。やろうと思えば夜中の2時,3時までできてしまう仕事ですが,自分で管理しないとがんぎて体調をくずしがちなので,注意しています。「どうもはかどらないな」という時は,すっぱりやめるようにしています。
書くことが思いつかない時は本を読みます。本を読むこと自体が大好きなので,「読むことも仕事のうち」と言えることはラッキーだなと思います。読むものの7わりくらいは国内の小説で,あとはノンフィクションやきょうある分野の新書などです。マンガも読みます。読むときは,「自分はどこをおもしろいと思うのか」をかくにんしながら読んでいます。おもしろい本に出会うと,それが小説を書くときの原動力になるように思います。おもしろかった感想やいんが「上書き」されてしまうのがイヤなので,本は1日1さつまでにしていますね。

書くことが大変だと思ったことはない

書くことが大変だと思ったことはない

小説を書くこと自体を大変だと思ったことはないんです。もちろん,スラスラ書けなくてもどかしい思いをすることはあります。だけど後で「あ,こう書けばよかったんだ!」とわかる喜びがあるから,うまく書けないこともふくめて楽しいんです。もし何でもかんたんに書ける天才だったら,書くことにきてしまっていると思います。
よく小説家の方の話に出てくるような「書けないかもしれない」というきょうもあまりなくて,いつも「ぜったい書ける」と思っています。わたしは小説家としてデビューしたのがおそかったので,「たくさんの人にひょうされなくちゃダメ」とか「書けなくなったら世間から見放されるんじゃないか」なんていうよくを持たないからかもしれませんね。作家になる前の生活もけいけんしているので,「書けなくなったって,それで終わりになるわけないじゃない」と思っているところもありますし。
だけど,仕事にまつわるスケジュール管理やメールの返信などのてきなことが本当に苦手で…この仕事で一番苦労しているのはそこですね。

まず書きたい場面がかぶところから始まる

まず書きたい場面が浮かぶところから始まる

「小説家は一生かけてやれる仕事だ」と思えることが幸せですね。人生のうちにはその時にしか書けないものがあると思っているので,いろいろなけいけんをして,今までとちがかんじょうが生まれて,「そうなったらどんなものが書けるんだろう」というところにきょうがあります。だから年を取ることが全然こわくないというか,むしろだいかんげいですね。
昔書いたものと最近のものとを自分でくらべてみると,登場人物の気持ちの書き方など,文章を書くじゅつの部分では上手になってきているなと感じますが,「書きたいこと」は意外に変わっていないと感じます。
小説が生まれる時は,まず「これが書きたい」という場面が心の中にかんできます。その場面について思いを深めていく中で,今まで何となく日記に書いていたことや,だんのちょっとした時にメモしていたことがパーッと集まってきて,パズルのように組み合わさってつながっていくんです。それがうまくつながる時は,小説もうまくいきます。
日記は,中学生のころからつけています。その日に起こった出来事を書くというより,思ったことを中心に書いていきます。メモ帳もつねに持ち歩いていて,何か思いついたらその時にすかさず書くようにしています。「書かないとわすれてしまう思いつきなんてたいしたことはない」という人もいますが,そんなことはないとわたしは思います。小説にかぎっていえば,書きとめないとわすれてしまうような「いっしゅんのひらめき」がひょうげんにとっての命であることが多いと思っています。だからそのしゅんかんをつかまえるのは,とても大事なことなんです。

生活の中で書く小説を大切にしたい

生活の中で書く小説を大切にしたい

文章を書くうえで,「手をいた仕事をしないように」というのはつねに思っています。楽をしようと手をいてしまうとこの仕事は全然おもしろくないんですよ。小説なら,手間をしまずに自分が満足いくまで何度でも書き直すこと。エッセイについては,自分でもまだ書き方がよくわからない部分が多いのですが,読む人に楽しんでもらえるようにと心がけています。
「地に足がついたものを書いていきたい」という思いもずっと持っています。買い物に行ったりごはんを作ったり,にちじょうのあれこれをちゃんとしながら書いていくのが自分の小説で,生活の中で読んでもらう小説だと思っています。
ふくで書き続けることも大事にしています。ふくがとてもらしやすい場所だという理由もありますが,都会ではなくて「ふくにいても小説家はできるよ」ということを言いたいから。自分もわかいころは,ふくは田いなかで,あまりいろいろな種類の仕事がないと思っていたので,「そんなことはないよ,ふくで小説家もやっていけるんだよ」と今のわかい人たちに言いたいんです。

どんなけいけんにならないのが小説家というしょくぎょう

どんな経験も無駄にならないのが小説家という職業

3人目の子どもがおなかにいた時に,なぜか急に小説が書きたくなりました。わたしは大学を卒業してしばらくは会社づとめをしていたのですが,そのころはしょくでした。書いてみるとすごく楽しくて,これをずっと続けていきたいと思いました。その時書いた作品『静かな雨』で「ぶんがくかい新人賞」という小説の賞におうしたところさくに入り,2004年,37さいのときに小説家としてデビューできました。小説家になってみて気づいたのですが,ずっと家にいられるし,大好きな本をいくら読んでもだれにももんを言われないし,とても自分に向いているしょくぎょうでした。
小説家になるには,ぶんげい(文学作品やひょうろんを主にせるざっ)の新人賞におうするのがいっぱんてきな道だと思います。見どころがあると思われると,その作家のたんとうという形でへんしゅうしゃがついてくれます。わたしの場合は,新人賞のさくがあるざっって,それを見た別のざっへんしゅうしゃから声がかかって……という感じで,少しずつ仕事がえていきました。
小説家になりたい人は,今すぐ小説家になりたい,とあせる必要はありません。小説家にはなんさいからでもなることができるし,けいけんを積んではまた書く,ということを続けていけばいいと思います。いろいろなけいけんを積んだほうが後に生きてきます。一見まわり道に感じるようなどんなけいけんも決してにはならないのが,小説家というしょくぎょうのいいところです。

中学生までは,本が好きなゆうとうせいタイプだった

中学生までは,本が好きな優等生タイプだった

わたしは,中学生まではゆうとうせいタイプでした。例えば,新しいクラスになって最初の学級委員長に先生から指名され,それをなおに引き受けるような子どもでしたね。高校生くらいになって,ようやく「ちょっと自分はなおすぎるんじゃないか?」と気づきました。
本を読むことは子どものころから好きで,親も本ならわたししいものを買ってくれました。『ドリトル先生』や『メアリー・ポピンズ』のシリーズ,ケストナーの児童小説,『赤毛のアン』シリーズなどが大好きでした。『赤毛のアン』は,やはり本好きの母のほんだなで見つけたものです。小学校高学年くらいからは母のぞうしょも読むようになりましたが,物語の中のこわびょうしゃなどは苦手で,アガサ・クリスティのすい小説を読んだ後,こわくてねむれないこともありました。
小学生のころは,学校から帰ると外で遊ぶことも多かったです。あとはピアノを習っていました。中学では,油絵をやってみたかったのでじゅつに入りました。小さいころから絵と作文をほめられてきて,自分は絵がうまいと思っていたんです。でも,じゅつの同級生がく絵を見たら,自分なんかよりもっともっと上手で,自信をなくしてしまいました。ちょうどそのころ,音楽のロックに目覚めて,高校ではギター同好会と,ちょっと習ってみたかったどうに入部しました。バンドを組んで学校祭のステージでえんそうもしました。かっこよくエレキギターがけるようになりたかったんですが,ピアノがけるからとキーボードたんとうになってしまって,今もギターはうまくけないんです。

「好きなこと」からしか世界は広がらない

「好きなこと」からしか世界は広がらない

みなさんは,自分の好きなことにどんどんいどんでください。そうして自分の好きなことをずっとできる人生が最高だと思いますが,好きなことを見つけるのがむずかしい場合もあります。真面目な子ほど,「これが本当に自分の好きなことなのか」となやんでしまうような気がします。ですから,少しでも好きだと思えることに出会ったら,「好き」という気持ちをまずは自分でみとめて,好きなことになるべく時間を使ってください。
例えばマンガが好きだったら,「しょうらいはマンガ家になる」とまでは思わなくていいから,とりあえずマンガに関することに時間をかけてみる。そのうちに,マンガのないようげきを受けてきょうが広がるかもしれません。好きなことからしか世界は広がらないし,人生は深まっていかないと思うんです。
何が好きかもわからないまま18さいくらいになって,いきなり「進学する学部を選びなさい,しゅうしょくさきを考えなさい」と言われても,それこそ何もわからないでしょうらいの道を選ぶことになってしまう。それはすごくもったいないことだと思います。

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私のおすすめ本

ミヒャエル・エンデ
モモという名前の女の子が,時間泥棒から時間を取り戻す冒険を描いた物語。私が読んだのは中学生になってからでしたが,小学生でもじゅうぶん楽しめると思います。でも,大人になって読むとまたしみじみ味わえるんです。
取材・原稿作成:株式会社 fuプロダクション /協力:三谷商事株式会社