※このページに書いてある内容は取材日(2019年02月01日)時点のものです
高級魚を一本釣りで
おもに4種類の魚をさまざまな仕掛けで釣る
釣りをする場所や時間帯,釣り方などは,魚の生活スタイルによってそれぞれ異なります。キハダは広い海を泳ぎ回る回遊魚で,カツオなどと一緒に暖流の黒潮とその周辺の海域を泳ぎ回っています。よく釣れる時期は,水温が上がってくる4月末から7月ごろと,9月末から晩秋ごろまでです。秋のほうが大きくて脂ものってきます。キハダ釣りはテグス糸をじかに手で握り,えさには生きた魚を使って釣る豪快な漁です。
クロムツとメダイは,水深200~500メートルほどの,やや深い岩の海底にすみついています。船に電動リールつきの釣り竿を固定し,糸に針を10本つけて釣ります。えさはサバなど安く手に入る魚の切り身で,自分で作ります。クロムツとメダイは夜中にやや浅いところに上がってくるので,夜中に釣りに行きます。とくにメダイは1月から3月にかけて産卵のために水深100メートルより上に上がってくるので,冬にはおもにメダイを釣っています。
イサキは水深60メートルくらいの浅いところにいて,夜明けから昼にかけて釣ります。釣りの仕掛けは「サビキ」といって,アミエビなどのえさでイサキを集め,疑似餌をつけた数本の針で釣り上げます。イサキは年間を通して釣れますが,脂がのっておいしい旬は夏です。
キハダ釣りの要は生餌
私がキハダを釣るのは,県などが設置した人工の「浮き漁礁(ブイ)」です。ブイは直径6,7メートルの円筒形で,ロープで海底に固定されています。小魚は隠れ場所を求めてブイに集まります。すると小魚を食べるマグロやカツオなどの回遊魚も寄ってきます。それを釣るんです。日帰りで行ける範囲にブイはいくつかありますが,私は高知県の足摺岬沖の3つのブイでおもに釣っています。いずれも,愛南町の漁港から波が穏やかだと片道およそ1時間半,波が高いと2時間半ほどかかる場所です。
キハダ釣りは,生餌のメヂカ(マルソウダ)釣りから始めるんです。夜明けにメヂカの漁場に行き,まずアミエビなどのえさをまきます。メヂカが集まってきたら船尾から竿を3本出し,メヂカの周りを船でぐるぐる回りながらたくさん釣ります。針には小魚に見せかけた鳥の羽をつけ,それが水面近くを魚のように動くよう潜航板という道具も使います。
キハダを釣るには,生餌のメヂカが元気なことが何より大事なんです。メヂカは弱ると泳ぐ力が弱くなり,皮も固く黒くなって,キハダは食いつきません。だからメヂカはていねいに扱います。1日のキハダ釣りには,元気なメヂカが最低60匹は必要です。弱る分も入れて80匹ほど釣れたら切り上げ,いよいよブイへと向かいます。
テグス糸で魚の命を感じるキハダ釣り
初夏のキハダは1匹20キロ前後で,秋には50キロを超える大物も釣れるんですよ。使うのは太めのテグス糸で,手袋をつけた手でじかに握ります。メヂカに針を刺して海に放ち,100メートルぐらい,元気よく,シャーッと泳がせます。そのまま待っていると突然,「シャーッ」が重くて速い「ジャーッ!」になります。これがキハダの食いついた合図で,ここからがキハダとの勝負です。
手に握るテグスに,キハダの動きがビンビン伝わってきて,私の心臓もドキドキします。キハダと駆け引きしつつテグスを出したり手繰ったりして,徐々に引き寄せます。キハダの姿が見えたら,テグス伝いに鉄の輪をすべらせてキハダの口にはめてしまいます。こうすると海水が口から入らなくなり,キハダは呼吸ができなくなって弱るんです。おとなしくなったら一気に引き寄せ,タモ網かカギのついた棒で船に引き上げます。延髄にとどめを刺し,内臓とエラを取り除いてから魚倉に納めて完了です。
たまに途中で糸が切れて逃がしてしまうこともありますが,そうならないようキハダとの駆け引きに集中し,リスクを減らすため,テグス糸は毎日新しいものを用意します。
漁のルールと仲間との助け合い
漁師は釣るのが仕事なので「数を多く釣ってなんぼ」で,手際のよさが求められます。じつはブイの周辺には漁船がたくさん集まるんです。船から長い竿を出してカツオやマグロを釣る「ひき縄釣り(トローリング)」や,5,6人が乗り組む「カツオ一本釣り」など,漁法もさまざまです。みんなが好き勝手に釣ると,漁具がからんだり船が衝突したりして危険です。だからルールが決められていて,漁法ごとに列を作って順番に釣るんです。限られたチャンスにたくさん釣るには,メヂカが元気なこと,キハダとの駆け引きでは焦らず,かつモタモタしないこと,船の上や道具類を整頓しておくことも大事です。
効率という点では,仲間の漁師との助け合いも欠かせません。同じように1人で漁をする気の合う漁師4,5人で「情報船」というグループを作っていて,陸では携帯電話,海上では無線の周波数を合わせて情報交換をしています。キハダはいつも必ずブイに寄ってきているわけではありません。ブイとブイの間も離れているし,毎日様子を見に行くと燃料代がかさんで大赤字です。そこで,情報船の仲間が協力して情報収集をするんです。生餌のメヂカ釣りでも,その日釣れる場所を教え合ったり,釣れない漁師に分けたりして助け合います。
たった1人で広い海に乗り出す漁師は,自由であり孤独なようにも見えますが,釣り場には細かいルールがあるし,仲間との助け合いもある。その中で,自分なりに工夫と努力を重ねて人よりも多く釣ってやろうと競争するのが,漁師の本能かもしれません。
情報通信機器が漁業を支える
漁のいちばんの相棒で,最大の漁具でもある私の漁船「第五十八海栄丸」は,新造から間もなく5年です。漁船の規模を表す総トン数は4.9トン。沖のブイまで安定して走れるよう,エンジンは680馬力で頼もしいです。建造費には4500万円かかりましたが,最新のさまざまな装備を搭載しました。
操舵室に並ぶモニターは,魚群探知機,ソナー,レーダー,プロッターなどです。魚群探知機は船の真下の地形や魚群を探り,ソナーは水平方向から海底までの広い範囲で魚を探します。レーダーには他の船が映し出され,とくに暗い時間帯の航行中は目を離せません。いちばんよく使うのはプロッターです。GPS測位システムで現在地が確認できるほか,クロムツやメダイ,大きなイサキが釣れたポイントを入力しておくことができます。このデータの蓄積のおかげで,漁で生計が立つといってもいいと思います。さらにプロッターは自動操縦機能とも連動し,たとえば朝6時のセリに合わせて魚市場に着くようセットすると,潮流の向きと速さ,波の高さなどを計測し,速度と舵を自動で調整してくれるんです。自動操縦は舵切りのブレが小さいので手動より燃費もいいです。
釣った魚を入れて冷やしておく魚倉には,冷水機も備えつけました。キハダをびっしり詰めても,魚倉の水を2℃以下の低温に保てます。氷水だと氷が溶けたら水温が上がり塩分濃度も薄くなるので,鮮度維持では冷水機のほうが優れています。冷水機のおかげで,魚市場での私の魚の評価は高くなりました。
海に生かされていることに感謝
小さいころから釣りが大好きで,今でもその気持ちは変わりません。夜中の漁が続くと寝不足で体はきつくなりますが,別につらいとは思いませんね。ただ,不漁がしばらく続いたり,調子が出なかったりするときは,漁港近くの海の神様にお酒をお供えしてお参りします。神頼みですね。
海は毎日同じように見えて,まったく違うから面白いんです。季節,天候や風,潮の干満,潮流の向きや速さなどによって,同じ場所が毎日違う表情を見せます。その日の条件に合わせて漁具を調整して釣るポイントを考え,思い通りに釣れたら満足だし,予測が外れても「なんで釣れないんだろう」と考えるのがまた面白い。
こうして海に生かされていることに,いつも感謝しています。釣り終えて漁場を離れるときや,漁港に帰り着いたときには,必ず「ありがとう」と声に出して海にお礼をいっています。海には絶対に物を捨てないし,ごみが浮いていたら拾うようにもしています。
今いちばん気になっているのは,若い漁師がいないことです。愛南町では,一本釣りの漁師では私がいちばんの若手です。ここの海でなら一本釣りで十分生活できます。若い仲間がほしいので,やりたい人がいたら私の技術は全部教えてもいいと思っています。
大好きな釣りをとことん究めたい
私は漁師一家の生まれです。父はイサキの一本釣りと,釣り客を船に乗せる「遊漁」を営み,今も現役です。母の実家は,釣り客を泊める釣り宿を経営しています。私は3歳で釣り竿を握ったそうで,小学校に上がるころには漁師になると決めていました。生まれた環境のせいだけでなく,釣りが好きで好きでたまらなかったんです。
小学校高学年になると,夏休みには父の漁船に乗って一緒に漁に出ました。中学を出たら漁師になるつもりでしたが,父に「もう少し広い世界を見たほうがいい」といわれて高校の普通科に進学し,卒業してすぐ漁師になりました。
最初は父の船で一緒に仕事をしていましたが,22歳のときに自分の船を新造し,イサキの一本釣りと遊漁の兼業漁師として独立しました。常連客がついて仕事は順調でしたが,やがて「一生,兼業でいいのか?」と思うようになりました。海という大きな自然の中で自分の腕を存分に試したい,釣りを究めたいという気持ちがむくむく湧いてきたんです。そして30歳を過ぎたころ,「38歳で遊漁をやめて専業漁師になろう」と決意しました。
いちばんやりたかったのは,豪快なキハダの一本釣りです。価格もよくて,当たれば1日に何十万円も稼げます。でもキハダは一年中釣れる魚ではないので,他の釣りもできなくては家族を養えません。そこで高級魚のクロムツとメダイを釣ろうと,研究と練習を始めたんです。当然ですが,どの魚も最初は全然釣れませんでした。とくにクロムツとメダイは愛南町には釣る漁師がいないんです。高知の漁師に教えてもらったり,インターネットや本で調べたりして,釣り具の研究や漁場のポイント探しなどを地道に重ねました。そのうちに何とか釣れるようになったので,目標の38歳で遊漁をすっぱりとやめて,専業漁師になりました。
水泳の授業は海だった
自然から命の大切さを学んでほしい
愛南町でも,子どもたちが海で泳ぐ姿はあまり見かけなくなりました。せっかく海も山もあって自然がたっぷりなのだから,子どもたちには自然に親しんでほしいと思います。自然や海は「命の大切さ」を教えてくれます。ゲームだとスイッチひとつで死んだり生きたりするけれど,釣った魚は自分の手の中で死ぬ。そして生き返ることはありません。
防波堤に釣った魚が捨ててあるのを見ると,悲しくなります。食べないのなら海に戻せばいいのに。遊漁のお客さんにも,手が汚れるからと釣った魚を道具でつかむ人や,釣っても食べない人がいて,魚の命が粗末にされているようで残念に思いました。子どものころから自然に親しんで,命の尊さがわかる人になってほしいなと思います。