訳:一生懸命がんばる。
※このページに書いてある内容は取材日(2017年05月29日)時点のものです
泡盛の美味しさを伝える伝道師
私は,泡盛というお酒を造っている神村酒造で働いています。お酒ってどうやって造られるかみなさんは知っていますか。泡盛の原料はお米で主にタイ国産のインディカ米を使用します。その米を蒸し,発酵させ,蒸留するなどお酒ができるまでにいろいろな工程があり,おいしい泡盛ができるように品質にこだわり丁寧に造っています。私が働いている神村酒造では,1年を通して泡盛を造り,造った泡盛を壷やタンク,木樽で貯蔵し,時間をかけて熟成させます。そして古酒蔵(くーすぐら)という泡盛を販売する店舗もあるため,そこで販売してお客様へおいしい泡盛を届けています。従業員は18名でその中で泡盛を造っている職人は3名います。私の主な仕事は,泡盛を造る職人の想いや,時間をかけて丁寧に造った泡盛の美味しさをいろんな人へ伝える仕事をしています。お酒を飲むと人は陽気な気持ちになり,心を開かせる効果があると思っています。私は泡盛をとおして,たくさんの人に幸せな気持ちになってほしいですし,泡盛のことを知らない人たちへ泡盛の魅力を伝えていきたいと思って働いています。神村酒造では気軽に立ち寄ってもらう場所にしたいと考えて,いつでも見学ができるようにしています。今では年間約8,000人のお客様が来ており,多くの方は県外の方でリピーターです。最近は外国の方も来てくれるようになりました。
泡盛の歴史って知ってる?
みなさんはまだお酒が飲めないからお酒のことは詳しくないだろうけど,お酒の歴史って面白いんですよ。泡盛は約600年の歴史があり,アジアとの交易の中で伝えられてきたと言われているんです。沖縄が琉球王国と言われていた頃は,王府が管理して,沖縄の首里三箇(崎山・赤田・鳥堀)という限定された地域で造っていました。そのため,泡盛を飲めるのは限られた一部の人だけだったんです。泡盛を造った後は王府があった首里城の「銭蔵(ぜにぐら)」というところで貯蔵されていました。琉球王国にとってとても大切なものだったので「酒蔵(さかぐら)」ではなく,「銭蔵(ぜにぐら)」と呼ばれていたそうですよ。また,泡盛の大きな魅力の一つとなるのが,年月をかけて熟成させることにより,まろやかで甘い香りのある美味しい古酒(くーす)に育っていくことです。約600年の歴史を持つ泡盛は,戦争前までは100年や200年といった古酒が多く存在していたそうです。100年単位ですよ。とても長い年月熟成させた古酒があったなんてすごいですよね。泡盛がこんなに歴史のあるお酒であることを知らない人も多いんです。だからこそ,泡盛の長い歴史をつくってきた沖縄の良さや泡盛の凄さを多くの人たちへ伝えていきたいと思っているんですよ。
中途半端なまま過ごしていた
よく三人兄妹の真ん中の子は要領がいいって言われますけど,私にも兄と妹がいて,要領がよくてずる賢かったと思いますね。私は怒られるのが嫌だったから,両親の前ではいい子で過ごして,怒られるようなことはバレないように行動していましたね。
勉強は中学までは優秀なほうでしたよ。でも高校に入ると私よりも優秀な人はたくさんいて,落ちこぼれていき,なかなか勉強を頑張ろうという気持ちにはなれませんでした。
当時,将来のこともしっかり考えていませんでした。両親は公務員だったので,両親や親せきから「公務員になったらいいよ」とか「安定している仕事だよ」ってよく言われていました。その頃は,公務員の仕事のことなんて分かっていなかったので,「公務員の何が楽しいの?」とか「公務員にはなりたくない!」って思っていました。たぶん,中途半端な私が公務員の難しい試験を乗り越えられるような根性がなくて,言い訳していた部分もあったかもしれませんね。
外を知ってこそ地元の良さに気づく
やりたい仕事をやろう!
沖縄が好きだと気づけた私は,大学卒業後は沖縄へ戻ろうと思い,沖縄の銀行へ就職しました。入行2年目から私の仕事は,融資というお金を必要としている人にお金を貸し出す仕事をしていたので,いろんなお客様と接する機会が多くありました。ある時,仕事で関わったお客様と食事をしているときに,泡盛の歴史や美味しい飲み方の説明をしながらお客様へお酒を勧めていました。その勧めていたお酒が神村酒造の泡盛です。いろんな人に神村酒造の泡盛を飲んでほしいという思いから自然とやっていたことなんです。そしたらそのお客様から「昼間,仕事をしているときより楽しそうだな」と言われ,その時に初めて,泡盛に関わっているときが自分が一番いきいきしていることに気づいたんです。一度気づいてしまうと,泡盛に関わる仕事がしたくなってしまいましたが,妻や子どもがいたので,生活のことや将来のことを考えるとすぐに銀行を辞めるという結論が出せずに悩んでいました。そんな時に二人目の子どもの長女が生まれ,大人として見本となるような生き方をしていきたいと思い,自分が本当にしたい仕事は何かを真剣に考えました。考えに考えた結果,やっぱり泡盛が好きでそれに関わる仕事がしたいという思いが強くなり「やりたい仕事をやろう!」と決断したんです。
知識がない自分が悔しい!!
銀行を辞めて,神村酒造へ入社し,「自分のやりたい仕事をできる!」と,はじめはとっても喜んでいたんです。でも,泡盛のことをいろんな人へ伝えていきたいと思っていたけど,周りには自分よりも泡盛を愛している人たちでいっぱいでした。お酒が好きで,泡盛の歴史や魅力を伝えていきたいと思っていたのに,泡盛に対する知識の無さに悔しい気持ちでいっぱいになりました。それでもやりたい仕事だったので,一生懸命に泡盛のことを勉強したんです。そんな時,泡盛の基礎知識や歴史などを学び,泡盛の知識を正しく伝えられる人材を育てることを目的としている「泡盛マイスター」の講座があることを知りました。泡盛に興味のある大学生や一般の方も参加できるとあったので,私にピッタリの講座だと思い,勉強し資格を取ることにしました。働きながら1年間,泡盛の勉強をしていくうちに,もっと泡盛のことが好きになり,泡盛の魅力にどんどんはまっていきましたね。だからこそ,今,多くの人に泡盛の魅力を伝えていきたいと思っています。
泡盛が人と人をつなげる
私は,泡盛は人の心を開かせ,人と人をつなげる魅力を持っていると思っています。なぜなら,私が泡盛マイスターの講座を受けていたときに,一緒に講座に参加していた人たちの中には,さまざまな方がおり,普通の主婦の方や県外から参加している人もいました。その方たちへ「どうして資格を取ろうとしているの?」と聞いてみたところ,主婦の方は「純粋に泡盛が好きだから」,県外の方は「泡盛の独特の香りをもっと知りたくて」と言っていました。泡盛を好きな方が多く,泡盛をとおして,とても素敵な人たちに出会うことができたと思っていますよ。
神村酒造には,お客様の泡盛をお預かりし貯蔵する地下蔵があります。その泡盛のラベルには未来へのメッセージが書かれており,さらにその時撮った写真を一緒につけて保管しています。今では約2,000本の泡盛をお預かりしています。泡盛に掲げている写真ですが,はじめはお一人で来ていたお客様の姿が,何度か訪れることにより数年後には結婚して夫婦で来た写真が増え,その数年後には子どもが生まれて家族で来た写真が増えていくんです。ここでも泡盛がいろんな人たちの人生や歴史に関わるきっかけとなっているんですよ。人と人をつないできたからこそ,泡盛は長い歴史を刻んできたのです。そんな泡盛を受け継いで次の時代へとつないでいくことはとても大切なことだと私は思っていますよ。
大人になるって楽しい!
今の私には夢があります。どんな夢かというと「泡盛のある生活をとおして,世の中を平和にしたいと思っています。」私のまわりに家族や友人,そしてお客様が大勢いて,みんな笑っている暖かい光景をいつも想い浮かべています。私は自分自身の人生,また大人であることを楽しみたいと思っています。もちろん,大人になるって楽しいことだけではないかもしれません。いろんなことに悩んだり,迷ったりすることもあります。でも,どんなに難しい壁にぶつかっても,何度でも挑んでいる大人がいることや諦めないで頑張っている,そういった大人がいっぱいいることに,みなさんには気づいてほしいし,お手本にしてほしいと思っています。また,周りにいる人の大切さや感謝の気持ちを忘れないでほしいです。今の私がやりたいこと,好きなことを仕事にすることができたのは,いろんな人との出会いがあり,周りにいた人たちのおかげです。みなさんは大好きでやりたいことはありますか。そのためにも自分が今,何をすべきなのかを考え,自分で決め,それに向けて一生懸命に頑張ってもらいたいです。そうすれば,キラキラと輝いた素敵な大人になれて,素敵な人生をおくる事ができると思いますよ。