※このページに書いてある内容は取材日(2019年08月29日)時点のものです
手指の消毒の大切さを伝える「衛生インストラクター」
私は,東アフリカのウガンダという国で,アルコール消毒剤などを製造,販売している「サラヤ・マニュファクチャリング・ウガンダ(SMU)」という,日本企業のサラヤ株式会社の現地法人で仕事をしています。サラヤは石けんや洗剤を作っている会社で,みなさんの家庭や学校にも,サラヤの商品があるかもしれません。
私はそこで,「衛生インストラクター」という日本ではあまり聞かれない仕事をしています。病院で働く医師や看護師などに,診察や治療のときに手指を消毒する大切さを伝えて,病院で手指消毒の管理がきちんと行われているかをチェックするのが私の仕事です。
ウガンダでは,トイレの後や食事の前,外出先から家に帰ったときに「石けんで手を洗う」という習慣があまりありません。また病院でも,診察や治療をするときに医師や看護師が手指を消毒しなければ,感染症が広がってしまう可能性が高くなることもあまり知られていません。そのため,手洗いや消毒が習慣になっていれば,防げる感染症にかかって命を落とす人が少なくないのです。
衛生インストラクターは,そのような救える命を守るために,手指の衛生の大切さを伝える,とても重要な仕事なのです。
東アフリカにある自然豊かな国・ウガンダ
ウガンダはアフリカの東に位置していて,日本の本州と同じくらいの広さです。日本からは飛行機で18時間かかります。ライオンやゾウ,キリン,シマウマなど多くの野生動物が生息していて,緑豊かな自然に恵まれていますが,首都のカンパラでは高層ビルやホテルが立ち並び,車も多く,みなさんが想像する以上に発展した大都会で驚くでしょう。気候も過ごしやすく,ウガンダの人々はとてもフレンドリーです。
ウガンダの子どもたちは学校が終わると,家のお手伝いをします。掃除や料理,洗濯,幼いきょうだいの世話などをします。日本の子どもたちは,放課後も習い事や塾に忙しいと聞きますが,それとはずいぶん違いますね。しかし,最近はウガンダでも教育熱心になっているようです。
将来の夢は,父と同じ「お医者さん」
私はカンパラで生まれて,小学校高学年のときに,トロロというウガンダの東にある町に引っ越しました。小さい頃の私はとても優等生で,両親の言うことをよく聞いて,活発な子どもでした。誰とでもすぐに友だちになれる性格で,スポーツも大好き。特に走るのが得意でしたね。
私の父は医者で,現在は州立病院を監督する立場です。なので,幼いころから病院は私にとって身近な存在でした。幼い私は,キャビンアテンダントになって空を飛ぶ仕事に憧れていましたが,大きくなるにつれて,父と同じ医者になりたいと思うようになりました。父は非常に研究熱心な医者で,その仕事ぶりに大きく影響を受けたのです。
また,父の働く病院に行くと,多くの女性が妊娠・出産の十分な手当を受けられず,命を落とすなど悲しい場面を見てきました。なので,そのような女性たちの役に立ちたいという思いもありました。日本では想像できないかもしれませんが,ウガンダでは出産はまさに命がけで,妊産婦の死亡率がとても高いのです。産婦人科医になって,一人でも多くのお母さんと子どもを救いたい,そんな風に考えていました。
感染症を防ぎ,人々の健康を守る「公衆衛生」
日本でも同じだと思いますが,ウガンダでは医者や弁護士,エンジニアは人々から尊敬される地位の高い仕事です。父からも「理系の勉強をしっかりしておくと,将来,いい仕事につけるのでがんばりなさい」とよく言われました。
しかし,医学部に進むのはとても難しく,高校卒業時点では,同じ医療系の薬学部を目指すようになりますが,その薬学部も競争率が高く,大学では第2志望だった「公衆衛生」を学ぶことにしました。医師や薬剤師は治療をするのが仕事ですが,公衆衛生は病気を予防する仕事です。私は予防の力で人々の健康を守ることをしようと決めたのです。
公衆衛生を学ぶことで,その大切さがよくわかり,自分が目指す道へのやりがいや喜びを感じるようになりました。「予防をする」ことは,健康な人が病気になることを防ぐということです。病気になって病院を訪れる人々よりも,はるかにたくさんの人々を病気から救うことができる仕事です。お金の面でも,病院にかかる前に予防をしっかりしておけば,治療にかかるお金よりも少ない金額で済むのです。
大学を卒業しても就職が難しいウガンダで,日本企業のサラヤに就職
大学を卒業してからは,地元であるトロロ市の公衆衛生部門でボランティアをしていました。ボランティアをしながら,衛生や保健分野で地域にさまざまなサービスを提供する団体などに履歴書を送っていましたが,なかなか採用してもらえませんでした。そんなとき,友人からサラヤが働く人を探しているという情報をもらって,面接を受けたのです。
私が入社したのは2012年ですが,当時,ウガンダでサラヤという会社を知っている人はほとんどいませんでした。なぜなら,サラヤはこれからウガンダで事業を展開しようとしていて,その準備のために働く人を探していたからです。
どんな会社かもわからないまま面接を受けて,採用してもらったのですが,これまで経験したことのないような,手指の消毒という具体的な分野で自分のキャリアがスタートできることにワクワクする気持ちが抑えられませんでした。
病院ですら,石けんで手を洗えばOKという感覚
当時のウガンダでは,手や指をアルコール消毒するという考え方が,まったく知られていませんでした。公衆衛生を勉強していた私ですら,アルコール消毒剤というものがあることすら知らなかったのです。それまでは手の消毒というと,石けんで手を洗えば十分と思っていましたし,病院で働いている人たちも同じ感覚だったと思います。
しかし,医師や看護師,患者が消毒していない手で触れ合うことで,さまざまな病気が感染していきます。インフルエンザや結膜炎,ノロウイルスのほか,エボラウイルス病など,死亡率の高い恐ろしい感染症もあります。そういうさまざまな病気が,手指のアルコール消毒をしっかりすることで予防できると知ったときは,とても感動しました。
病院で働く人たちに知識を伝え,習慣にしてもらう
私の仕事は,まずは国内で一番の国立病院にアルコール消毒剤を置いてもらうため,その必要性を病院で働くスタッフに知ってもらうことからスタートしました。
アルコール消毒剤が感染を防ぐことにとても有効であることを科学的に説明して,どんなときにどのように使うかを細かく指導します。ただし,それまでのやり方を変えるのは簡単なことではありません。何度も繰り返し説明をして,習慣にしてもらいました。
患者を守るだけでなく,医療現場で働く自分自身が感染しないためにもアルコール消毒が必要だと伝えることで,積極的に取り組んでくれるようになったと思います。
消毒剤を病院に設置したら,次はそれが正しく使われているかもチェックします。ふだんの病院の様子を観察して,消毒しなければいけないタイミングできちんと手指を消毒しているかを数えて,正しく使われているかどうかを現場のスタッフに報告。改善が必要な点があれば,どのタイミングで消毒しなくてはいけないということを繰り返し話します。
消毒しなくてはいけないタイミングは,例えば,患者を診察する前後,医療器具を使う前後などですね。定期的にチェックすることで,きちんと習慣として定着していきます。
消毒剤の有効性について病院のスタッフに伝えてきたことで,今ではアルコール消毒剤そのもののことが『サラヤ』と呼ばれるようになり,消毒剤がなくなると「サラヤを持ってきて」と注文が入るほどです。
地方の病院にもアルコール消毒剤を広めていきたい
首都カンパラの病院では,アルコール消毒剤が当たり前になりつつありますが,郊外や地方ではまだまだ知られていないのが現状です。これからはもっとへき地の病院にも出かけて,さらに衛生インストラクターとしてアルコール消毒の必要性を伝えていきたいと思っています。
この仕事をしていて一番うれしいのは,人々に健康でいるための知識を伝えられるということです。死亡率の高い恐ろしい感染症,エボラウイルス病なども,予防する知識を持っているだけで感染を防げ,多くの人の命を救えます。
今,世界ではSDGsという目標に向けて各国が協力して取り組んでいます。私たちの活動も,ゴール3「すべての人に健康と福祉を」というものを達成するのに役立っています。アルコール消毒による感染症予防はシンプルですが,その効果はとても大きいものです。その活動に自分が参加していることを誇りに思っています。
この記事を読んでくれているみなさんにも,自分と違う環境に暮らす人たちに対して,関心を持ち,心を開いて積極的に交流してほしいと思います。あなたの行動が,世界の誰かの人生を変えるかもしれません。例えば,日本を離れてアフリカで貢献するという方法も,人生を豊かにしてくれる1つのプランになるかもしれません。