原料から育てて和紙を作る
私は高知県梼原町で手すき和紙を作っています。出身はオランダのハーグ市です。みなさんは和紙を見たことがありますか。ノートや本に使われている紙は,木材パルプ,古紙などを原料に作られた「洋紙」です。「和紙」は日本で千年以上前から作られてきた,個性的でとても美しい紙です。現在,一般的に使われている洋紙は百年もすればボロボロになってしまいますが,和紙はカビや虫食いから守ってやれば,千年もつこともあります。
和紙の原料はコウゾやミツマタという植物です。その皮をはいで,煮たり叩いたりして植物の繊維をほぐしていきます。水の中にほぐした繊維を入れて,粘り気のあるトロロアオイという植物の樹液を加え,大きなすだれのような「簀桁」という道具ですくって乾かせば和紙になるのです。こう言うと簡単に聞こえるかもしれませんが,和紙を作るには,経験と繊細な技術が必要です。さらに,私は原料の植物も,すべて自分で栽培しているんです。
和紙づくりを見たくて日本に
私は若いころ,オランダのアムステルダムで美術を勉強していました。その後,製本の仕事をしていたのですが,25歳の時,見たこともない種類の紙に出会いました。触ると不思議な素材感があり,光に透かしてみると,半透明の紙の中に繊維などいろいろなものが見えました。まるで紙の中にひとつの自然がつまっているみたいで,それを見た瞬間,ビビッと震えが来る感じがしました。それが和紙との出会いでした。
私はこの和紙が作られているところを見てみたくなりました。それで,はるばるシベリア鉄道で大陸を横断して,日本を訪れることにしたのです。日本に着いたら,まず東京にある「紙の博物館」に行き,和紙の産地を調べました。そして,埼玉県から始めて,京都や福井,鳥取,兵庫,高知,沖縄と和紙の工房を訪ねて,見て回りました。
工房を回る中で,強く印象に残ったのは“水”でした。紙すきの作業場では,いたるところにきれいに澄んだ水が流れています。あちらからもこちらからも,水の流れる音が聞こえてきます。私はこうした,水の風景に魅せられたのかもしれません。
そのとき,日本語は全くわかりませんでしたが,職人さんたちはていねいに和紙の説明をしてくれました。全国の工房を見て回る中で,日本の田舎の風景が大好きになりました。食べ物もみんなおいしくて,会う人たちの人柄もみんな好きでした。それで,日本に来て最初の2週間で,私は日本に移住することを決めたんです。
高知県で和紙の修行を始める
全国の和紙産地を訪ねる中で,高知県にやってきました。そして,県の「紙産業技術センター」に行ったら,とても親切にいろいろな紙すきの技術を教えてくれたのです。和紙を見に来た外国人が初めてということもあったのでしょうが,高知の人のおおらかでオープンな人間性がいっぺんで好きになりました。それから高知は,原料であるミツマタやコウゾの一大産地ということがわかりました。高知県の気候が,和紙原料の植物の栽培にぴったりなんです。旅の途中で会ったある紙すき屋さんが「紙すきをやるならまず原料を植えなさい」と私に教えてくれました。なるほどと納得して高知県の伊野町(現在は「いの町」)に住みつき,ミツマタやコウゾを育てながら,和紙の修行を始めたのです。1981年のことでした。
江戸時代の方法で紙をすくため,梼原町に
土佐和紙の産地である伊野町には12年いましたが,自分がめざしている紙づくりにもっと適した場所を求めて,92年に梼原に移りました。私の和紙作りは,防腐剤などの薬品を使わない,江戸時代の末期と同じ方法なので,寒いところほどいいのです。和紙原料の木の皮は生ものですから,春や夏の暖かい時期にはすぐに発酵して使えなくなってしまいます。梼原は高知県でも一番寒い地域の一つで,冬には雪が積もります。私は梼原ならばきっといい和紙ができると考えました。紙すきに使う水は,冷たいほどよくて,10度までが限界です。それより上がると紙によくありません。私が工房に選んだのは,梼原でも山奥の標高650m,四万十川の源流に近い場所で,水のきれいなことは申し分ありません。以来、この場所で紙づくりを続けています。
和紙のインテリアや照明も
ミツマタやコウゾは工房のまわりに植えてあり,毎日その成長を見守りながら暮らしています。和紙は気温の低い11月から4月ごろにかけて作ります。それ以外の時期には,ヨーロッパの伝統的な紙で,綿から作るコットンペーパーなどを作っています。また,2006年には敷地内に民宿「かみこや」をオープンして,お客さんに宿泊しながら紙すき体験をしてもらえるようにもしています。
日本に来たとき,家の中には障子やふすまなど,和紙が実にたくさん使われていることに驚きました。和紙を通して入ってくる光は,とてもあたたかいものに感じます。私は和紙を壁に貼ってインテリアにしたり,照明を和紙で囲って暖かい光を作り出したりする仕事もしています。建築家の隈研吾さんは私の和紙をインテリアやオブジェに使った建築を発表しています。隈さんとは,共同で企画展も開いています。
また,地元の小学校で子どもたちに和紙作りを教えることもしています。学校の校庭にミツマタやコウゾを植えて,子どもたちに育ててもらっています。子どもたちにも,私と同じように自分で育てた原料で紙すきをしてもらいたいからです。
紙すきは毎日が違う仕事
紙すきの仕事は毎日が違う仕事です。畑仕事,草刈り,紙の注文が入ればその準備,もちろん和紙の制作もします。季節によって,また天候によって,その日その日の仕事があります。私のところでは原料のミツマタやコウゾを無農薬・無肥料で栽培しています。手間はかかるし収穫できる量は少ないのですが,このような原料から作った紙は,すごくいいものになるんです。
生活の中で和紙が使われることが減っていますから,和紙をとりまく状況はそれほど明るくはありません。でも,私の紙すきワークショップに参加してから,自宅の台所と風呂場で和紙を作り始めた人がいます。昔の和紙の産地を復活するためにうちに勉強に来ている人もいます。うちで買った紙をそのまま壁に貼って,毎日眺めているという人がいます。また,書道家の方に,「筆を持ってあなたがすいた紙の前に立つと,ぜんぜん緊張しない」と言われたこともあります。こういうことがあると,とてもうれしいです。紙すきはつらいこともあるけれど,後悔したことはありません。
一生かけて紙と向き合う
昔の日本の農民は,畑仕事だけでなく,井戸掘りや小屋づくり,水路の補修など,たくさんの技術を持っていないと暮らしていくことができませんでした。このため,「百の仕事をする人」という意味で農民のことを「百姓」と呼んだ,という説があります。この「百姓」というあり方に,私は強く惹かれます。和紙作りも,生産性だけ考えるならば,皮をむく人,紙をすく人,干す人が分業して工場のように作った方が,紙もたくさん作れるし能率はいいでしょう。でも,本当にいい紙,千年もつような紙を作るには,もしかしたら「百姓」のように一人が全部の仕事をやることが必要かもしれない。
紙を作るのは仕事ですが,仕事のもっと奥の方に一体何があるのか,私は紙を作りながら考えています。コウゾやミツマタの種をまいてから紙になるまでが私の仕事です。伝統的な技法で作る和紙は,作り手がしっかりつきあわなければできません。機械や薬品を使えば紙とのつきあいを省くことができますが,私が好きな紙は今,私がやっている技法で作らなければできません。いい紙を作るには一生かかる。自然を相手にする紙作りに,終わりはありません。
自分がいいと思ったことをやってみよう
みなさん,自分のカンを信じてください,これは私の経験から言えることです。「何かをやってみたい」と自分で考えたら,周りが何を言おうと,多少自信がなくてもかまわないからとにかくやってみましょう。新しいことに挑戦してみてほしいのです。それには,あまり頭で考えてばかりではいけません。いいと感じていることを,とにかくまず自分の手で実行してみて,うまくいったらどんどん掘り下げてみればいいのです。
学校とか友だちとか家族のこととか,しんどいこともあると思います。でも,みんな,ひとつのことにムキになりすぎです。もっとリラックスすればいいのです。私がヨーロッパの紙すきを勉強しにドイツに行った時のことなのですが,有名な紙すきの名人の前で,私は必死になって紙をすきました。そうしたら彼は「ロギール,そんなに緊張しないでいいよ。これはただの紙なんだから」と言いました。「ただの紙」と聞いて私の肩の力がすーっと抜けました。ガチガチに緊張していたらいい結果は出ません。リラックスすることが大事です。みなさんも何かをやろうと思った時,緊張してやるよりはリラックスした方がいい結果になりますよ。いろいろなことを楽しく体験して,たくさんのことを学んでください。