社会にはいろいろな仕事があるよ。気になる仕事や仕事人をたくさん見つけよう!
※このページに書いてある内容は取材日(2009年11月30日)時点のものです
僕(ぼく)の仕事は映画(えいが)を創(つく)ることです。映画(えいが)監督(かんとく)は,ロケ(野外での撮影(さつえい))で撮影(さつえい)するだけではなく,脚本(きゃくほん)を作るために脚本家(きゃくほんか)と一緒(いっしょ)に企画(きかく)を進めていき,プロデューサー(映画(えいが)製作(せいさく)の責任者(せきにんしゃ))と話し合って,キャスト(映画(えいが)に出演(しゅつえん)する人たち)やスタッフ(映画(えいが)を製作(せいさく)する人たち)を誰(だれ)にするかも決めていきます。つまり,創(つく)りたい映画(えいが)を「どんな内容(ないよう)にして,それを誰(だれ)と実現(じつげん)していくか」ということを考える所から僕(ぼく)の仕事は始まるのです。そして最終的に撮影(さつえい)したものを上映(じょうえい)できるように仕上げるまで,監督(かんとく)として映画(えいが)創(つく)りに関わっていきます。作品によって様々(さまざま)ですが,平均(へいきん)すると1日に脚本(きゃくほん)4ページ分の撮影(さつえい)ができます。だいたい脚本(きゃくほん)1ページ分が映画(えいが)の約1分になる計算ですので,映画(えいが)1本分・約2時間120ページの脚本(きゃくほん)を撮影(さつえい)するには30日が必要となります。しかし,天候が悪く撮影(さつえい)が進まないことや,思うような映像(えいぞう)が撮(と)れないこともあるので,1日に1つの場面だけしか撮影(さつえい)できないこともあります。
脚本(きゃくほん)は映画(えいが)の設計図(せっけいず)になりますからとても重要です。その為(ため),図書館へ行って調べ,色々(いろいろ)な人に会って話を聞く取材を行ないます。「脚本(きゃくほん)」とは脚(あし)の本と書きますから,脚(あし)を使ってよく調べることが大切ですね。次にプロデューサーと共に,脚本(きゃくほん)に合った予算を決定し,スタッフやキャストを選んでいきます。集められるスタッフは約100名。いよいよ撮影(さつえい)準備(じゅんび)に入ります。準備(じゅんび)では,照明や美術(びじゅつ)など様々(さまざま)なチームに別れて,撮影(さつえい)場所や日時など細かいことを決めていきます。そして,クランク・イン(撮影(さつえい)の開始)。撮影(さつえい)は,映画(えいが)を創(つく)るために必要な要素(ようそ)としては2割(わり)くらいに当たります。テレビ番組はビデオテープで撮影(さつえい)しますが,映画(えいが)は基本(きほん)的にスクリーンで大きく映(うつ)すことが目的なので,フィルムで撮影(さつえい)します。撮影(さつえい)中は朝起きてすぐロケを始めるような感じです。太陽が昇(のぼ)って,太陽が沈(しず)むまでが勝負です。基本(きほん)的な撮影(さつえい)スケジュールや段取(だんど)りを組んでいくのは助監督(じょかんとく)の仕事で,私(わたし)も以前は担当(たんとう)していましたよ。
皆(みな)に感動してもらえる映画(えいが)を創(つく)りたい,という思いは常(つね)にあります。しかし,映画(えいが)創(つく)りにはこうすれば良いという様な正解(せいかい)がありません。それは楽しくもありますが,とても大変なことです。より多くの人に受け入れられる作品を作りたいと思う反面(はんめん),そのために中身が薄(うす)くなってしまわないように気を付けなければなりません。また,映画(えいが)の仕事は「離合集散(りごうしゅうさん)」といって,作品が決まったらスタッフが集合し,完成したら解散(かいさん)しています。作品ごとに「出会いと別れ」があるのです。そんな中,スタッフやキャストをまとめていくことは大変ですが,彼(かれ)らに「この作品を良いものにする為(ため)に,自分も良い仕事をしたい!」と思ってもらえるような「場づくりの演出(えんしゅつ)」,それも監督(かんとく)の仕事だと思っています。それから,自分の決定が映画(えいが)の完成に大きく影響(えいきょう)するので,決定には責任感(せきにんかん)を持って臨(のぞ)みます。すごくドキドキしますね。
映画(えいが)の終わりには必ず「エンドロール」が流れます。役者の名前から始まり,映画(えいが)に関わった全ての人の名前が流れる場面を,皆(みな)さんも見たことがあるかと思います。何十年経(た)っても名前が刻(きざ)まれているということはすごいことだと思います。それは誇(ほこ)りにもなりますが,ヘタな仕事ができないというプレッシャーでもあります。映画(えいが)創(つく)りは夢(ゆめ)を売る仕事ですので,皆(みな)さんに私(わたし)達が創(つく)った映画(えいが)を見て「勇気をもらった」「素晴(すば)らしかった」と喜んでもらえた時,それがやっていて良かったと思う瞬間(しゅんかん)です。
2003年に「らくだ銀座(ぎんざ)」という作品を創(つく)った時に,全国巡回(じゅんかい)型ロードショーで各地を回り,愛媛(えひめ)県内では内子座(うちこざ)や道後温泉(どうごおんせん)という場所で上映(じょうえい)をしていました。その翌年(よくとし),愛媛(えひめ)県に来た時にちょうど愛媛(えひめ)県西条(さいじょう)市の合併(がっぺい)記念事業の募集(ぼしゅう)があり,それならば「合併(がっぺい)記念として市民参加型で映画(えいが)を創(つく)りませんか?」という企画書(きかくしょ)を出したところ選ばれました。西条(さいじょう)市の6000名を超(こ)える人達のチカラを結集させて映画(えいが)「恋(こい)まち物語」を創(つく)った経験(けいけん)は,僕(ぼく)にとっても忘(わす)れられない物になりました。僕(ぼく)にとって,関わった映画(えいが)・それぞれの作品がとても大切です。スタッフが多く喧嘩(けんか)になることもありますが,それは皆(みな)が作品創(つく)りに真剣(しんけん)だという証拠(しょうこ)です。お互(たが)いの本気の気持ちを確(たし)かめ合えるように,日々(ひび)きちんと話し合うようにしています。映画(えいが)が1本創(つく)られていく中で,たくさんのかけがえのない思い出ができるんですよ。
幼(おさな)い頃(ころ)から高校生までは,ずっと医者になりたいと思っていました。しかし,進路を決める高校2年の時に,悩(なや)みながらも「映画(えいが)の道」へ進むことを決意。中学の時に,ある1本のイタリアの映画(えいが)を見たことがきっかけで,人生は大きく変わったのです。「いつか自分もこんな映画(えいが)を創(つく)って,そこに自分の名前を刻(きざ)めたら幸せだな」と・・・。大学4年からは見習いスタッフとして,黒澤(くろさわ)清監督(かんとく)の下で働くチャンスを得ました。最初は仕事らしい仕事ができないので,エキストラ(通行人などを演(えん)じる臨時(りんじ)の出演者(しゅつえんしゃ))に友人を連れていったり,スタッフの食事を作る手伝いなどをしたりしていました。100人ものエキストラを集めたこともあります。物事に興味(きょうみ)を持つこと,人の話を良く聞くこと,本を読むこと,人に物を丁寧(ていねい)に伝えることをいつも忘(わす)れないように仕事をしています。
父が厳(きび)しい人だったので,子どもの頃(ころ)はよく怒(おこ)られていましたが,真面目な子どもだったと思いますよ。学校では,委員を任(まか)されても人に任(まか)せてしまい怒(おこ)られたこともあります。負けず嫌(ぎら)いで,トランプ・かるた・球技(きゅうぎ)など,どうすれば勝てるかコツをいつも探(さが)していました。祖母(そぼ)から「人が寝(ね)ている間に頑張(がんば)ることが努力というものだ」と言われて,毎朝5時に起きて走ったり,そろばんの練習をしたり,習字を書いたり,庭の掃除(そうじ)をしたりしてから学校に行っていました。継続(けいぞく)は力なりという言葉がありますが,毎日続けていたので体力もつき,字も上手になりました。今思うと,小さな頃(ころ)からそうやって頑張(がんば)ってきたことが,現在(げんざい)役に立っている気がします。
先入観(せんにゅうかん)や偏見(へんけん)で「できないだろう」と思ったことは,なかなか実現(じつげん)することはできません。やっても意味がないだろうと決めつけないで,「まずやってみよう」と思うところから全ては始まります。そして思ったらすぐに行動に移(うつ)すことが大切ですね。僕(ぼく)は普段(ふだん)から自分の周りの人達に「これがやりたい」ということをどんどん伝えていきます。アピールしておくことにより,協力してもらえることがあります。一人ではできなくても,みんなに協力してもらってできることが世の中にはたくさんあるのです。どうかどんなことでも諦(あきら)めずに,やりたいこと,自分の大切なことを見つけて下さい。そしてそれが見つかったら一生懸命(いっしょうけんめい)それに向かって努力して下さいね。