仕事人

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神奈川県に関連のある仕事人
1964年 生まれ 出身地 東京都
遠藤えんどう 昌孝まさたか
子供の頃の夢: 外航船の船長
クラブ活動(中学校): 剣道部,音楽部
仕事内容
きょだい原油タンカーを,船長や水先人と協力してブイにけいりゅうし,原油を船から陸のタンクにうつやくちゅうは,せいじょ代表として船内でかんとくをする。
自己紹介
4800トンのれいとう貨物船から30万トンのきょだいタンカーまで,いろいろな外航船の航海士,船長をしてきました。北米西海岸のシアトルきんこうで3年間,陸上きんをしたこともあります。休日には,アマチュアオーケストラやビッグバンドで,トロンボーンをいています。

※このページに書いてある内容は取材日(2019年08月20日)時点のものです

原油のげのそうせきにんしゃ

原油の荷揚げの総責任者

わたしは,がわけんかわさきけいひん工業地帯にあるとうせきかぶしきがいしゃの「けいひんかわさきシーバース」で,タンカーから原油をげする作業のそうせきにんしゃであるバースマスターとして仕事をしています。
シーバースとは,タンカーから原油をげするために,海上にもうけられたせつです。原油は産油国から大型タンカーで運ばれてきますが,大型タンカーはその大きさのために,水深の浅い港のがんぺきには着岸できません。そこでがんぺきからはなれた海上にげのせんようせつもうけているのです。
げのさいにはタンカーをシーバースにけいりゅうして,タンカーにホースをつなぎ,海底パイプラインを通して陸上のタンクに原油をげします。とうせきでは,これを工場でせいせいして,ガソリンや灯油,軽油などにしてしゅっしています。

海にかぶブイ型のせつ

海に浮かぶブイ型の荷揚げ施設

シーバースには,さんばし型とブイ型の2つのタイプがあります。さんばし型のシーバースは,海底にちゅうを打ちこんでけんぞうされた固定のせつです。一方,ブイ型は,海底のいかりにチェーンでつながれ,海の上にぷかぷかかんでいます。
わたしが働いているけいひんかわさきシーバースはブイ型で,正式にはSBM(Single Buoy for Mooring=一点けいりゅうブイ)といいます。SBMはわんよっいちないかいなどにもありますが,1969年にどうしたかわさきのものが日本初です。けいひんかわさきシーバースのブイはおきあい3km,水深30mの海底に8本のチェーンといかりで固定されており,大きさは直径10mほどで,さんばし型にくらべるとはるかにコンパクトです。
ブイには太いロープが2本取りつけられていて,このロープをタンカーの船首につないでけいりゅうします。やくちゅうのタンカーはいかりを打たず,2本のロープだけでブイにつながれます。陸上の原油タンクからブイまでは,直径1m,長さ3.9kmのスチールパイプが海底にかれています。パイプのはしには太いゴムホースが取りつけられてブイにつながっており,さらにブイからは280mのフローティングホースがびています。
やくさいには,フローティングホースのせんたんを,タンカーのこうはんにあるきょだいじゃぐちのような原油取り出し口にせつぞくします。そして,船内のポンプの力で,タンカー内の原油を陸上のタンクに向けて送り出すんです。

タンカーをみちびき,原油を送り出す

タンカーを導き,原油を送り出す

バースマスターのおもな仕事は,2つあります。1つは,原油タンカーに乗りこみ,船長や水先人と協力して船をブイにけいりゅうしたり,ブイから放したりする仕事です。風とちょうりゅうこうりょし,直径わずか10mのブイに全長300m以上の大型船をぴたりとせるには,大型船の船長クラスのじゅつけいけんが必要です。
もう1つの仕事は,げの作業(やく)のかんとくです。これもタンカーの船内で行います。タンカーにはつうじょう,数種類の原油が積みこまれていて,陸上のちょぞうタンクも原油の種類ごとに分かれています。わたしは,タンカーのやくたんとうの一等航海士とともに,げする原油の種類と量,送り先のちょぞうタンクをかくにんし,船内のポンプの出力を調整しながらタンカーから原油を送り出します。
げんざいとうせきのバースマスターはわたし1人で,タンカーの受け入れは月に4,5回ていです。

やくじゅんからをとる

荷役の準備から指揮をとる

原油タンカーがとうきょうわんの入り口にとうちゃくするにっていは,おそくとも3日前までにかくていします。わたしは気象じょうほうをもとに,とうちゃく前日の16時までにやくを行えるかはんだんを下します。風速15m以上,波高1.5m以上であれば,中止のはんだんをすることもあります。決行とはんだんしたら,前日のうちに作業船やタグボートなどの手配をすませ,やくの計画書も作っておきます。
やく当日は朝の9時ごろ,タンカーがとうきょうわん入り口のうら水道航路に入るタイミングで,作業船に乗ってブイに向かいます。ブイに着いたら作業員とブイにうつり,まずはせつてんけんします。続いて,だんは海底にしずめてあるフローティングホースに空気を送ってじょうさせます。けいりゅうロープも同じようにしずめてあるので,これも引き上げます。
作業船は4せきのチームで,ホースやロープをじょうさせる船,それをタンカーにわたす船,やくの器材をタンカーにとどける船,原油れのそなかくさんふせぐオイルフェンスをとうさいしている作業船もあります。わたしはそれぞれの作業船に無線でを出し,けいりゅうやくじゅんを進めていきます。
じゅんができたら,作業船のうちの1せきおきに向かいます。タンカーと合流するのはうら水道航路の出口近く,ブイから5kmほどのところです。アシスタントバースマスターや6人ほどの作業員とともに,タンカーに乗船します。

海上の小さなブイに大型船をけいりゅうする

海上の小さなブイに大型船を係留する

タンカーに乗船したらわたしはブリッジに向かい,船長や水先人と,けいりゅうおよびやくじゅんの打ち合わせをします。日本人の船長や航海士はまれで,会話は英語の場合がほとんどです。
海上の小さなブイに大型タンカーをせることは,水先人にとってもとくしゅな作業です。貨物船は港のがんぺきに着岸させるのがいっぱんてきですから。そこで,ブイのこうぞうや付近のかいきょうくわしく,ブイへのけいりゅうけいけんを積んでいるバースマスターの助言が必要なのです。
ブイにけいりゅうするさいは,風としおじょうきょうを見て,さいてきな進入角度をはんだんします。ブイのこうぞうじょう,タンカーをけいりゅうさせられるのは,ブイの南東~南西の70度ぐらいのせまはんです。タンカーのかじとりや速度の調整など,細かく水先人と船長に助言します。ちゅうからはタグボート2せきに無線でして,タンカーをしたりったりしてもらい,少しずつブイにせていきます。
けいりゅうの作業とへいこうしてやくじゅんも進めなくてはなりません。わたしいっしょにタンカーに乗りこんだ作業員が,こうはんで原油の取り出し口とホースをせつぞくするじゅんを始めますので,やくの器材を積んだ作業船にしてタンカーに横づけさせ,タンカーの船長や一等航海士に器材をクレーンでげるを出してもらいます。
タンカーに乗りこんでからブイにけいりゅうするまで1時間から1時間半ほどで,かんりょうするのはお昼ごろになります。けいりゅうかんりょうしたら,作業船にブイからのホースのはしをタンカーに運ぶようし,こうはんの作業員が原油取り出し口とホースをせつぞくする作業に入ります。

やくの仕事は長丁場

荷役の仕事は長丁場

無事にけいりゅうを終え,ホースのせつぞく作業が始まったのをとどけたら,わたしはブリッジからやくせいぎょ室にうつります。やく開始の時間を決め,その前にミーティングを開きます。やく計画のかくにんのほか,安全たいおうの説明,やくの書類手続きも行う大事なミーティングです。船長,一等航海士,ポンプたんとうの機関長に加え,にゅうの代理店,船会社の安全かんとくいんも同席します。積荷がけんぶつなので,安全面のかくにんはとくに細かく行っています。
やくせいぎょ室はかべ一面の電光パネルに船の各タンクやポンプ,配管やバルブのじょうほうひょうされ,そうボタンがずらりとならんでいます。やくの作業は,船の各タンクの原油をポンプで送り出すそうを一等航海士に進めてもらいます。原油タンカー内のタンクは17区画に区切られ,数種類の原油が積みこまれています。また陸上のタンクも種類ごとに分かれています。げの計画に沿って,どのタンクから原油を何トン,どの陸上タンクに送るかをかくにんするほか,ポンプの出力調整のも必要です。たとえば,タンクのえ時にはポンプの出力を弱くしてもらいます。また原油は種類によってじゅうちがうので,じゅうの重い原油を送り出すときにはポンプの出力を上げてもらいます。
げするトン数しだいですが,1ばんかけて3~5万トンをげすることが多く,2ばんで10万トンをげすることもあります。食事きゅうけいみんは,アシスタントバースマスターに代わってもらってとります。食事は,きんちょうする仕事の合間のささやかないききですね。
やくしゅうりょうし,ホースの取りはずし作業を始めるのは朝7時ごろからです。ロープをはずしてタンカーがブイをはなれたのをかくにんしてから,わたしは作業船にうつります。その後,ホースとロープをふたたび海底にしずめる作業をし,周囲に油れなどがないかもかくにんしてから作業船で陸にもどり,ようやく一連のぎょうかんりょうとなります。

にちじょうらしをささえる仕事にほこ

日常の暮らしを支える仕事に誇り

原油タンカーのけいりゅうやくも,が起きたらだいさんになりかねず,気をけないきびしい仕事です。風や波,ちょうりゅうなど自然のえいきょうを受け,タンカーをブイにけいりゅうできても,作業船が風で動けずホースをせつぞくできないこともあるんです。これまでに作業ちゅうでの中止は2回けいけんしています。風とうねりが急に強くなったためでした。作業をちゅうで中止すると,タグボートなどのけいがタンカーの運航会社のたんになってしまいます。やくができるかできないかのはんだんは,しんちょうに行っています。
けいりゅうやくじゅんを同時へいこうで進めることも,この仕事特有のむずかしさです。日本に来たことがない船長さんが「あれもこれも,一度にされてもできないよ」と,こんらんすることもあるんです。乗組員間のコミュニケーションがスムーズでない船も,こんらんしやすいですね。そんなときは作業に時間をかけ,かくじつにひとつひとつのを実行してもらえるようにしています。
苦労が多い分,気象じょうけんきびしい日でもけいりゅうやくじゅんがうまくいったときは,何ともいえない達成感がありますね。今年,風の強い日に,作業予定の2時間前ならまだ風が弱いとはんだんし,タンカーの船長にれんらくして予定を2時間早めてもらったことがあります。ブイにけいりゅうしホースさえつないでしまえば,その後,多少風が強くなっても問題ないんです。わたしのこの読みはうまく当たって無事に作業をかんりょうでき,大きな満足感がありました。
原油から作られるガソリンや灯油などは,日々の生活にけつなものです。海上を運ばれてきた原油をげするこの仕事には,日本に住む人たちの生活の根本をささえているというほこりとやりがいを感じています。

外航船の船長からバースマスターに

外航船の船長からバースマスターに

わたしの家には,かつて船乗りになりたかった父が集めた,はんせんの写真集や航海の本がたくさんありました。そのため,おさないころから船の世界は身近で,船乗りにはあこがれがありました。やがて船員の働き方についても本を読んで知り,つうきんの苦労がないのはいいなと思いました。世界を航海する外航船は,長期きゅうがとれるのもりょくでした。それで,商船大学に進学し,乗船実習をかい士のかくをとりました。
わたしには,きょだいな船を動かしたいという願望があったんです。ところが商船大学を卒業した年は,大型船を所有する海運大手3社でさえほとんど求人がなかったんです。そこで,外航タンカーも運航している水産会社の子会社にしゅうしょくして,4800トンのれいとう貨物船に乗りました。やがて5年後に転機がおとずれ,大手のかわさきせんちゅうさいようされて,念願だった30万トンの大型タンカーに二等航海士として乗ることになりました。うれしかったですね。タンカーはとにかく大きくて,そうせんやくもそれまで乗っていた船とはスケールがまったくちがう世界でした。
そのまま定年までいくつもりが,人生は思いがけないものです。かわさきせんきゃくで,とうせきのグループ会社であるしょうシェルせきげんいでみつこうさん)から人材のようせいがあり,タンカーの運航えんの仕事を4年ほどしていたとき,グループのせいじょのバースマスターが相次いでめられることになり,船長けいけんしゃであるわたしに白羽の矢が立ったんです。バースマスターは,なろうと思ってなれるしょくぎょうではありません。たまたまめぐってきた幸運だと思い,わたしはこの話を受けることにしました。
バースマスターには,最低でも大型タンカーでやくたんとうする一等航海士のけいけんが必要で,できればけつだんりょくが求められる船長のけいけんもあったほうがいいんです。かわさきせんは,最後の航海でわたしを4万8千トンのコンテナ船の船長ににんめいしてくれました。当時まだ39さいれいわかさでのばってきで,いきなはからいだったとかんしゃしています。

言葉にすることがゆめをかなえる第一歩

言葉にすることが夢をかなえる第一歩

もしもみなさんに,しょうらいやりたい仕事があったら,なるべく言葉にしてまわりの人にせんげんしましょう。言葉にすることは,願いをかなえるための第一歩です。わたしは,小中学生のころから「しょうらい,外航船の船乗りになる」とせんげんしていました。
でも,大学受験の前に一度,道をちがえそうになったことがあります。航海士を養成する商船大学より,無線やえいせい通信などで陸上や他船と交信する通信士のかくがとれる電気通信大学のほうがへんが高く,こちらの受験にちょうせんしようかとまよったのです。するとたんにんの先生が,「君は船長になりたいのだろう。航海士からは船長になれるけれど,通信士からはなれないよ」と,教えてくれました。考えてみると,ふだんからわたしが「船長になる」といっていたので,先生はこんな助言をしてくれたのです。その後,船のせんにんの通信士のせいはなくなり,航海士や船長がけんにんするようになりました。もし電気通信大学に入学していたら,船乗りになることはできても,船長になるというゆめはかなわなかったことでしょうね。

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医師であり作家でもある著者が,船医として水産庁の漁業調査船に乗りこんだ5か月間のことをつづった旅行記です。中学時代に読みました。外国の風景や珍しい文化の話が面白く,仕事でいろいろな国に行ける外航船の船乗りになろうと決めました。

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取材・原稿作成:大浦 佳代・東京書籍株式会社/協力:公益財団法人 日本財団,NPO法人 共存の森ネットワーク