※このページに書いてある内容は取材日(2019年08月20日)時点のものです
原油の荷揚げの総責任者
私は,神奈川県川崎市の京浜工業地帯にある東亜石油株式会社の「京浜川崎シーバース」で,タンカーから原油を荷揚げする作業の総責任者であるバースマスターとして仕事をしています。
シーバースとは,タンカーから原油を荷揚げするために,海上に設けられた施設です。原油は産油国から大型タンカーで運ばれてきますが,大型タンカーはその大きさのために,水深の浅い港の岸壁には着岸できません。そこで岸壁から離れた海上に荷揚げの専用施設を設けているのです。
荷揚げの際にはタンカーをシーバースに係留して,タンカーにホースをつなぎ,海底パイプラインを通して陸上のタンクに原油を荷揚げします。東亜石油では,これを工場で精製して,ガソリンや灯油,軽油などにして出荷しています。
海に浮かぶブイ型の荷揚げ施設
シーバースには,桟橋型とブイ型の2つのタイプがあります。桟橋型のシーバースは,海底に支柱を打ちこんで建造された固定の施設です。一方,ブイ型は,海底の錨にチェーンでつながれ,海の上にぷかぷか浮かんでいます。
私が働いている京浜川崎シーバースはブイ型で,正式にはSBM(Single Buoy for Mooring=一点係留ブイ)といいます。SBMは伊勢湾の四日市,瀬戸内海の宇部などにもありますが,1969年に稼働した川崎のものが日本初です。京浜川崎シーバースのブイは沖合3km,水深30mの海底に8本のチェーンと錨で固定されており,大きさは直径10mほどで,桟橋型に比べるとはるかにコンパクトです。
ブイには太いロープが2本取りつけられていて,このロープをタンカーの船首につないで係留します。荷役中のタンカーは錨を打たず,2本のロープだけでブイにつながれます。陸上の原油タンクからブイまでは,直径1m,長さ3.9kmのスチールパイプが海底に敷かれています。パイプの端には太いゴムホースが取りつけられてブイに繋がっており,さらにブイからは280mのフローティングホースが伸びています。
荷役の際には,フローティングホースの先端を,タンカーの甲板にある巨大な蛇口のような原油取り出し口に接続します。そして,船内のポンプの力で,タンカー内の原油を陸上のタンクに向けて送り出すんです。
タンカーを導き,原油を送り出す
バースマスターのおもな仕事は,2つあります。1つは,原油タンカーに乗りこみ,船長や水先人と協力して船をブイに係留したり,ブイから放したりする仕事です。風と潮流を考慮し,直径わずか10mのブイに全長300m以上の大型船をぴたりと寄せるには,大型船の船長クラスの技術と経験が必要です。
もう1つの仕事は,荷揚げの作業(荷役)の指揮と監督です。これもタンカーの船内で行います。タンカーには通常,数種類の原油が積みこまれていて,陸上の貯蔵タンクも原油の種類ごとに分かれています。私は,タンカーの荷役担当の一等航海士とともに,荷揚げする原油の種類と量,送り先の貯蔵タンクを確認し,船内のポンプの出力を調整しながらタンカーから原油を送り出します。
現在,東亜石油のバースマスターは私1人で,タンカーの受け入れは月に4,5回程度です。
荷役の準備から指揮をとる
原油タンカーが東京湾の入り口に到着する日程は,遅くとも3日前までに確定します。私は気象情報をもとに,到着前日の16時までに荷役を行えるか判断を下します。風速15m以上,波高1.5m以上であれば,中止の判断をすることもあります。決行と判断したら,前日のうちに作業船やタグボートなどの手配をすませ,荷役の計画書も作っておきます。
荷役当日は朝の9時ごろ,タンカーが東京湾入り口の浦賀水道航路に入るタイミングで,作業船に乗ってブイに向かいます。ブイに着いたら作業員とブイに乗り移り,まずは設備を点検します。続いて,普段は海底に沈めてあるフローティングホースに空気を送って浮上させます。係留ロープも同じように沈めてあるので,これも引き上げます。
作業船は4隻のチームで,ホースやロープを浮上させる船,それをタンカーに受け渡す船,荷役の器材をタンカーに届ける船,原油漏れの事故に備え拡散を防ぐオイルフェンスを搭載している作業船もあります。私はそれぞれの作業船に無線で指示を出し,係留と荷役の準備を進めていきます。
準備ができたら,作業船のうちの1隻で沖に向かいます。タンカーと合流するのは浦賀水道航路の出口近く,ブイから5kmほどのところです。アシスタントバースマスターや6人ほどの作業員とともに,タンカーに乗船します。
海上の小さなブイに大型船を係留する
タンカーに乗船したら私はブリッジに向かい,船長や水先人と,係留および荷役準備の打ち合わせをします。日本人の船長や航海士はまれで,会話は英語の場合がほとんどです。
海上の小さなブイに大型タンカーを寄せることは,水先人にとっても特殊な作業です。貨物船は港の岸壁に着岸させるのが一般的ですから。そこで,ブイの構造や付近の海況に詳しく,ブイへの係留の経験を積んでいるバースマスターの助言が必要なのです。
ブイに係留する際は,風と潮の状況を見て,最適な進入角度を判断します。ブイの構造上,タンカーを係留させられるのは,ブイの南東~南西の70度ぐらいの狭い範囲です。タンカーの舵とりや速度の調整など,細かく水先人と船長に助言します。途中からはタグボート2隻に無線で指示して,タンカーを押したり引っ張ったりしてもらい,少しずつブイに寄せていきます。
係留の作業と並行して荷役の準備も進めなくてはなりません。私と一緒にタンカーに乗りこんだ作業員が,甲板で原油の取り出し口とホースを接続する準備を始めますので,荷役の器材を積んだ作業船に指示してタンカーに横づけさせ,タンカーの船長や一等航海士に器材をクレーンで吊り上げる指示を出してもらいます。
タンカーに乗りこんでからブイに係留するまで1時間から1時間半ほどで,完了するのはお昼ごろになります。係留が完了したら,作業船にブイからのホースの端をタンカーに運ぶよう指示し,甲板の作業員が原油取り出し口とホースを接続する作業に入ります。
荷役の仕事は長丁場
無事に係留を終え,ホースの接続作業が始まったのを見届けたら,私はブリッジから荷役制御室に移ります。荷役開始の時間を決め,その前にミーティングを開きます。荷役計画の確認のほか,安全対応の説明,荷役の書類手続きも行う大事なミーティングです。船長,一等航海士,ポンプ担当の機関長に加え,輸入の代理店,船会社の安全監督員も同席します。積荷が危険物なので,安全面の確認はとくに細かく行っています。
荷役制御室は壁一面の電光パネルに船の各タンクやポンプ,配管やバルブの情報が表示され,操作ボタンがずらりと並んでいます。荷役の作業は,船の各タンクの原油をポンプで送り出す操作を一等航海士に進めてもらいます。原油タンカー内のタンクは17区画に区切られ,数種類の原油が積みこまれています。また陸上のタンクも種類ごとに分かれています。荷揚げの計画に沿って,どのタンクから原油を何トン,どの陸上タンクに送るかを確認するほか,ポンプの出力調整の指示も必要です。たとえば,タンクの切り替え時にはポンプの出力を弱くしてもらいます。また原油は種類によって比重が違うので,比重の重い原油を送り出すときにはポンプの出力を上げてもらいます。
荷揚げするトン数しだいですが,1晩かけて3~5万トンを荷揚げすることが多く,2晩で10万トンを荷揚げすることもあります。食事休憩や仮眠は,アシスタントバースマスターに代わってもらってとります。食事は,緊張する仕事の合間のささやかな息抜きですね。
荷役が終了し,ホースの取りはずし作業を始めるのは朝7時ごろからです。ロープをはずしてタンカーがブイを離れたのを確認してから,私は作業船に移ります。その後,ホースとロープを再び海底に沈める作業を指揮し,周囲に油漏れなどがないかも確認してから作業船で陸に戻り,ようやく一連の業務完了となります。
日常の暮らしを支える仕事に誇り
原油タンカーの係留も荷役も,事故が起きたら大惨事になりかねず,気を抜けない厳しい仕事です。風や波,潮流など自然の影響を受け,タンカーをブイに係留できても,作業船が風で動けずホースを接続できないこともあるんです。これまでに作業途中での中止は2回経験しています。風とうねりが急に強くなったためでした。作業を途中で中止すると,タグボートなどの経費がタンカーの運航会社の負担になってしまいます。荷役ができるかできないかの判断は,慎重に行っています。
係留と荷役の準備を同時並行で進めることも,この仕事特有のむずかしさです。日本に来たことがない船長さんが「あれもこれも,一度に指示されてもできないよ」と,混乱することもあるんです。乗組員間のコミュニケーションがスムーズでない船も,混乱しやすいですね。そんなときは作業に時間をかけ,確実にひとつひとつの指示を実行してもらえるようにしています。
苦労が多い分,気象条件の厳しい日でも係留と荷役の準備がうまくいったときは,何ともいえない達成感がありますね。今年,風の強い日に,作業予定の2時間前ならまだ風が弱いと判断し,タンカーの船長に連絡して予定を2時間早めてもらったことがあります。ブイに係留しホースさえつないでしまえば,その後,多少風が強くなっても問題ないんです。私のこの読みはうまく当たって無事に作業を完了でき,大きな満足感がありました。
原油から作られるガソリンや灯油などは,日々の生活に不可欠なものです。海上を運ばれてきた原油を荷揚げするこの仕事には,日本に住む人たちの生活の根本を支えているという誇りとやりがいを感じています。
外航船の船長からバースマスターに
私の家には,かつて船乗りになりたかった父が集めた,帆船の写真集や航海の本がたくさんありました。そのため,幼いころから船の世界は身近で,船乗りにはあこがれがありました。やがて船員の働き方についても本を読んで知り,通勤の苦労がないのはいいなと思いました。世界を航海する外航船は,長期休暇がとれるのも魅力でした。それで,商船大学に進学し,乗船実習を経て海技士の資格をとりました。
私には,巨大な船を動かしたいという願望があったんです。ところが商船大学を卒業した年は,大型船を所有する海運大手3社でさえほとんど求人がなかったんです。そこで,外航タンカーも運航している水産会社の子会社に就職して,4800トンの冷凍貨物船に乗りました。やがて5年後に転機が訪れ,大手の川崎汽船に中途採用されて,念願だった30万トンの大型タンカーに二等航海士として乗ることになりました。うれしかったですね。タンカーはとにかく大きくて,操船も荷役もそれまで乗っていた船とはスケールがまったく違う世界でした。
そのまま定年までいくつもりが,人生は思いがけないものです。川崎汽船の顧客で,東亜石油のグループ会社である昭和シェル石油(現:出光興産)から人材の要請があり,タンカーの運航支援の仕事を4年ほどしていたとき,グループの製油所のバースマスターが相次いで辞められることになり,船長経験者である私に白羽の矢が立ったんです。バースマスターは,なろうと思ってなれる職業ではありません。たまたま巡ってきた幸運だと思い,私はこの話を受けることにしました。
バースマスターには,最低でも大型タンカーで荷役を担当する一等航海士の経験が必要で,できれば決断力が求められる船長の経験もあったほうがいいんです。川崎汽船は,最後の航海で私を4万8千トンのコンテナ船の船長に任命してくれました。当時まだ39歳。異例の若さでの抜てきで,粋なはからいだったと感謝しています。
言葉にすることが夢をかなえる第一歩
もしもみなさんに,将来やりたい仕事があったら,なるべく言葉にしてまわりの人に宣言しましょう。言葉にすることは,願いをかなえるための第一歩です。私は,小中学生のころから「将来,外航船の船乗りになる」と宣言していました。
でも,大学受験の前に一度,道を間違えそうになったことがあります。航海士を養成する商船大学より,無線や衛星通信などで陸上や他船と交信する通信士の資格がとれる電気通信大学のほうが偏差値が高く,こちらの受験に挑戦しようかと迷ったのです。すると担任の先生が,「君は船長になりたいのだろう。航海士からは船長になれるけれど,通信士からはなれないよ」と,教えてくれました。考えてみると,ふだんから私が「船長になる」といっていたので,先生はこんな助言をしてくれたのです。その後,船の専任の通信士の制度はなくなり,航海士や船長が兼任するようになりました。もし電気通信大学に入学していたら,船乗りになることはできても,船長になるという夢はかなわなかったことでしょうね。