仕事人

社会にはいろいろな仕事があるよ。気になる仕事や仕事人をたくさん見つけよう!

東京都に関連のある仕事人
1969年 生まれ 出身地 東京都
藤田ふじた 博子ひろこ
子供の頃の夢: 商社の社長
クラブ活動(中学校): バトントワリング部
仕事内容
すべてのじゅうぎょういんにとって働きやすいしょくをつくり、お客さまに“おいしさのよろこびをチリバメル”ことがわたしの仕事です。
自己紹介
どんなにこんなんなことが立ちはだかっても、持ち前の明るさとほがらかさでえています。しゅは、どう、オペラかんしょうおんせん旅行で、感動したりやされたりする時間を大切にしています。
出身高校
出身大学・専門学校

※このページに書いてある内容は取材日(2024年08月09日)時点のものです

じょうしつでおいしい肉を日本中にとどける、せいにくてん「肉のたかさご」をけいえい

上質でおいしい肉を日本中に届ける、精肉店「肉のたかさご」を経営

わたしは、東京都中央区つくだで「肉のたかさご」というせいにくてんうんえいする、肉のたかさごかぶしき会社の代表とりしまりやく社長をつとめています。肉のたかさごでは、牛肉、ぶたにくとりにくといったせいにくはもちろん、自社工場で作った加工肉、手作りのそうざいべんとうはんばいしています。平日の昼食どきはべんとうを買い求めるお客さま、夕方はそうざいせいにくを買い求めるお客さまでにぎわっています。週末には、遠方から買いに来てくれるお客さまもいらっしゃいます。
店の名物である「東京やきぶた」と「黒毛和牛ローストビーフ」は、一年中はんばいしていますが、年末年始にがる方が多く、毎年12月じゅんになると店の前には1~2時間待ちの大行列ができるほどです。そのため、年末はおおいそがしで、息つくひまもなく働き続けています。
商品をたくさんの方におとどけしようと、当店では店でのはんばいのほかに、百貨店の食料品売り場でのはんばいと、インターネットでの通信はんばいもしています。そのため、日本のさまざまないきのお客さまが商品を買ってくれています。
そんな商品のはんばいささえるのは、店のはんばいスタッフのほか、肉のトリミング(ぶんぼうなどをのぞき、整える作業)やカットをたんとうする肉しょくにん、「東京やきぶた」、「黒毛和牛ローストビーフ」を作るしょくにんべんとうそうざいを作る調理スタッフ、通信はんばいぎょうたんとうするスタッフたちです。合計21人の社員の力をさいだいげんに引き出すためのしょくかんきょうを整えたり、会社の売り上げをばすためのせんりゃくを考えたりするのがわたしの仕事です。

売り上げを上げるために話し合いをかえす日々

売り上げを上げるために話し合いを繰り返す日々

わたしは毎朝8時半にしゅっきんして、まず前日の売り上げをかくにんします。売り上げの上がり下がりを見て、そのげんいんがどこにあるかをぶんせきします。そして、どの時期にどのくらいせいぞうりょうやすとよいかや、どの時期にどんな新商品を出すとよいかなどを考えます。その後、来ているメールに返信したり、社員からせられる相談に乗ったりします。
日中は来客が多く、原材料の仕入れ先の業者とかくこうしょうをしたり、こうこくだいてんこうてきこうこくの出し方を相談したりしています。しょくでお昼ご飯を食べるときはサッとませますが、店のうんえいに協力してくれる取引先や、いろいろな意見をくれるアドバイザーと会食をすることもあります。夕方からは、社内で新商品を作るための話し合いをすることが多く、アイデアを出し合ったり、調理スタッフの作った新商品の試作品をみんなで試食したりします。自席にもどってまたメールの返信をしたり社員と打ち合わせをしたりして、たくするのは夜8時ごろです。
毎日あっという間に一日がぎていきますが、とてもじゅうじつした日々を送っています。

思いがけない大量注文に大苦戦した苦い思い出

思いがけない大量注文に大苦戦した苦い思い出

肉のたかさごは、テレビやざっ、ラジオなどのメディアに取り上げられることが多く、たくさんの人に店のことを知っていただく機会になっています。それはとてもありがたいことなのですが、一度、大失敗をしてしまったことがありました。
あるとき、有名なテレビ番組で当店の「東京やきぶた」がしょうかいされると、生産がまったく追い付かない数の注文が入ってしまったのです。当時はウェブページから大量の注文が入るということがなかったため、予約受付数のせいげんをかけていませんでした。そのため、放送から2時間で入った3000けんもの予約のすべてに、「希望日に商品をおとどけします」という自動返信メールが送られてしまったのです。
さらに、ウェブページにアクセスが集中しすぎてシステムはダウンしてしまうし、注文の電話は深夜まで鳴り続くし、店の前には大行列ができるしと、大変な日々が始まりました。そこから2か月間は、わたしも社員たちも、朝からばんまで毎日働き通し。それでも当店のせいひんは1本1本、しょくにんの手作りのため、商品の発送はおくれてしまいます。そのためおびのれんらくをし続けました。そして社員もへいしている中、大量の商品を無理に急いで作った結果、いつもの味をお客さまにおとどけすることができなかったのです。
それからというもの、「二度と同じあやまちをかえしてはならない」と反省し、その後は受注量をコントロールするために、自社のウェブサイトにこうせいのうなシステムをどうにゅうしたり、インターネット通信はんばいに特化した会社のサービスを利用したりするようになりました。おいしいものを作り続けるため、じゅうぎょういんが働きやすいかんきょう、おいしい商品を作れるかんきょうを整え、さらにおいしさを進化させていくことにせんねんし、お客さまのしんらいもどしていったのです。
当店のモットーは「おいしさのよろこびをチリバメル」です。商品を通してお客さまを幸せな気持ちにすることが、肉のたかさごの社会でのやくわりと考えます。お客さまが「おいしかったよ、ありがとう」と言ってくれることは何よりのよろこびです。げんざいも社員全員が一丸となっておいしい商品を作り、お客さまにとどけられるよう、毎日、がんっています。

肉のたかさごがおいしい商品を作れる理由

肉のたかさごがおいしい商品を作れる理由

おいしい商品を作るために、わたしたちはいろいろなふうをしています。まず、すべての商品の要となる肉の仕入れは、肉ひとすじ30年以上の当店のきの肉しょくにんまかせています。肉のたかさごのお客さまが求めているものはひんしつが高くおいしいお肉なので、当店の肉しょくにんの目にかなわないものは仕入れないことに決めています。
また、肉のたかさご名物の「東京やきぶた」と「黒毛和牛ローストビーフ」はどくせいほうで1本1本、ていねいに手作りしています。「東京やきぶた」には70年しているでんのタレを使っており、またローストビーフに使用するスパイスは、わたしと、会長である父の一子相伝のでんのスパイスで味付けします。
しかし、味を守るということは、ただ同じことをかえすことではありません。もっと商品がおいしくなるように、新しい調味料での試作をするなど、よりおいしい商品作り、味の進化に日々、努めています。その進化があるからこそ、味を、おいしさを、守れると考えています。
わすれてはいけないことは、商品作りを気持ちの上で流れ作業にしてはいけないということです。当店では日々、商品を何百、何千と作っていきます。しかしお客さまが買うのはそのうちのたった一つの商品です。「お客さまは、一つの商品を買うために長い行列にならんでくださっている。そして、手に取った一つの商品で、次にもう一度買うかどうかがはんだんされる。お客さまの気持ちにこたえるためにも、じょうれんさんになっていただくためにも、一つ一つの商品に思いをめて作らなくてはいけない」。わたしは、そう社員に伝え続けています。

父のあといで店を守ることを決意した会社員時代

父の跡を継いで店を守ることを決意した会社員時代

わたしが肉のたかさごに入社したのは23さいのときです。短大を卒業してからいっぱんぎょうしゅうしょくしたわたしは、楽しく順調な日々を送っていました。しかし、ある日、当時社長だった父が病気できんきゅう入院し、からしゅじゅつが必要だとげられたのです。すぐに治る病気ではなかったので、しばらく仕事はできません。体調をくずしながらも店のことを心配する父の姿すがたを見て、「わたしがお父さんの代わりに店を守る」と決意しました。そう決めたよくじつつとめていた会社に退たいしょく願いを出し、2週間後には店の仕事をするようになったのです。
そのとき、どうして思い切ったけつだんができたかというと、子どものころから両親が働く姿すがたを見続けていたからだと思います。両親はずっといそがしい生活を送っていたので、いっしょに夕飯を食べることや、休みの日に旅行に行くことはほとんどありませんでした。いそがしすぎて、わたしたんじょうわすれられてしまうこともありました。でも、わたしたち家族を養うために働き続けてくれる両親に日々、心からかんしゃしていたので、親がこまっているのであればわたしが立ち上がろうと、自然に思えたのです。父が退たいいんしてふっするまでは、社員のみなさんに手助けしてもらいながらお店をうんえいしていました。
それからは、店のうんえいのこと、肉のこと、けいえいのことを勉強して、43さいのときに父のあとぐかたちで社長にしゅうにんしました。

明るくおてんばで毎日を楽しんでいた子どものころ

明るくおてんばで毎日を楽しんでいた子どものころ

子どものころのわたしは、明るくて活発で目立ちたがり屋でした。何でも楽しみたいと考えていたので、学芸会でろうするげきでは主役にりっこうしたり、音楽会ではどくしょうをしたりすることもありました。
小学校では生徒会の会長をつとめていたため、学校行事で児童やしゃの前であいさつをすることが多かったです。しょうらいゆめは商社の社長でした。商社が何をするところかよくわからなかったのですが、「かっこいい」といういんしょうをもっていたのです。
中学生になるころには、「すてきな人に出会っておよめさんになれたらいいな」と考えるようになりました。退たいくつに感じるじゅぎょうでは、先生に歌をろうして時間かせぎするようなこともしていたので、やんちゃな一面もあったと思います。
今、かえると、子どものころは毎日楽しく、のびのびと生活していたように思います。

やりたいことが見つからなくても、あせらず目の前のことにもう

やりたいことが見つからなくても、焦らず目の前のことに打ち込もう

子どものころにやりたいことを見つけ、大人になってその仕事にけたらとてもよいと思います。
しかし、やりたいことが特になく、たまたま内定をもらった会社で仕事をしている人は、案外多いものです。
子どものころにやりたいことが見つからなくても心配することはありません。いっしょうけんめい、目の前の勉強や仕事に取り組む姿すがたは必ずだれかが見ています。そして、今まで知り合わなかったような人との出会いがあったり、もっとよいけいけんを積ませてあげようと手助けしてくれる人があらわれたりするものです。
初めは好きなこと、やりたいことではなくても、一つのことをまじめに続けていけば、見聞が広がり、自分がきょうを引かれることや、新たにちょうせんしてみたいと思えることに出合えます。
ですから、やりたいことが見つからなくてもあせったり、んだりせず、今、できることにいっしょうけんめい取り組んでみてください。人は、日々、小さなはんだんかえしています。そのはんだんじゅんが前向きならば、必ずや自分に合った場所へと少しずつ進んでいるのです。
わたしも、肉のたかさごの商品をより多くの方におとどけして、食べた人が「おいしい!」と笑顔えがおになってくれるよう、引き続き、いっしょうけんめい仕事に取り組みたいと思います。

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取材・原稿作成:大野 晴香(Playce)・東京書籍株式会社/協力:城北信用金庫