社会にはいろいろな仕事があるよ。気になる仕事や仕事人をたくさん見つけよう!
※このページに書いてある内容は取材日(2008年04月15日)時点のものです
僕(ぼく))は東京フィルハーモニー交響(こうきょう))楽団(がくだん))というオーケストラのソロ・コンサートマスターをしています。オーケストラの前で,指揮棒(しきぼう))を振(ふ))っている指揮者(しきしゃ))は音楽の演出家(えんしゅつか))。同じ曲でも,指揮者(しきしゃ))がその曲をどう表現(ひょうげん))したいかによって曲のイメージやテンポなんかが変わるんだ。僕(ぼく))達の東京フィルハーモニー交響(こうきょう))楽団(がくだん))にも,いろいろな指揮者(しきしゃ))が来るんだけど,オーケストラのメンバーがそれぞれの感覚で指揮者(しきしゃ))の表現(ひょうげん))を理解(りかい))しようとすると,演奏(えんそう))がバラバラになってしまう。そこで僕(ぼく))の出番。指揮者(しきしゃ))の一番の協力者として,メンバ-全員の息がぴったり合うようにと考えながら,身体の動きを使ってまとめていくんだ。一言で言うと,コンサートマスターとは,オーケストラをまとめる「リーダー」ってことになるかな。
具体的な仕事の内容(ないよう))としては,最初は楽譜(がくふ))読み。ヴァイオリンを例に取ってみると,例えば演奏(えんそう))する時の弓の上げ下げ(ボーイング)なんかも決めておく。楽譜(がくふ))には弓をどう動かすかまで書いてないことがほとんどなんだ。ヴァイオリンの弓を上げて弾(ひ))くか下げて弾(ひ))くかによって音の出方って変わるし,オーケストラで弓の動きがみんなバラバラだったら格好(かっこう))悪いでしょ?あとは,同じ旋律(せんりつ))でも,哀愁(あいしゅう))を込(こ))めて弾(ひ))くのか,激(はげ))しく弾(ひ))くのか…とか,そういうこともみんなの意見を合わせておく。指揮者(しきしゃ))が何を僕(ぼく))達に求めているのかを察知する能力(のうりょく))も大切だね。今風に言うと「KY(空気が読めない)」じゃいけないってことかな。指揮者(しきしゃ))の人は練習中にずっと一緒(いっしょ))ってわけじゃない。それに,ハッキリとした動きで指揮棒(しきぼう))を振(ふ))るんじゃなくて,イメージで指揮棒(しきぼう))を振(ふ))る指揮者(しきしゃ))の人もいるんだ。だから,コンサートマスターである僕(ぼく))が「この指揮者(しきしゃ))の人はこの曲をどういう風に表現(ひょうげん))したいのかな」ってことを敏感(びんかん))に汲(く))み取(と))って,みんなに指示(しじ))する必要があるんだ。
僕(ぼく))達はプロだから,コンサートで失敗は許(ゆる))されない。いつも緊張感(きんちょうかん))があるし,指揮者(しきしゃ))の人によっては僕(ぼく))達のイメージと全然違(ちが))う表現(ひょうげん))を求められることもあったり,他にも,もらった楽譜(がくふ))が間違(まちが))いだらけなんてこともある。だから,時にはオーケストラのメンバーの士気がなんとなく上がらないこともある。でもそんなとき,僕(ぼく))も一緒(いっしょ))になってどんよりしてたらダメだよね。で,どうするかっていうと…「とにかくいつも笑う!」。ハハハ。でもほんとなんだ。僕(ぼく))が「大丈夫(だいじょうぶ)),なんとかなるさ」って楽観的にドーンと構(かま))えることで,みんなの緊張(きんちょう))も少しずつほぐれていくんだよ。
みんなをまとめるだけではなくて,ヴァイオリンの第一奏者(そうしゃ))として演奏(えんそう))することも僕(ぼく))の仕事。指揮者(しきしゃ))の人がその曲をどう表現(ひょうげん))したいのかを”理解(りかい))しながら”,弾(ひ))くんだ。それは,指揮者(しきしゃ))の人と同じ気持ちになって,”自分達の音楽として弾(ひ))く”という感覚。それくらいにまで集中して演奏(えんそう))すると,自分の演奏(えんそう))も,メンバーの演奏(えんそう))もすべてのことに自然と意識(いしき))がいきわたる。だから,オーケストラをまとめることと,自分が演奏(えんそう))することは,別々(べつべつ))のことではなくてひとつのことなんだ。
僕(ぼく))達は定期演奏会(えんそうかい))やオペラ公演(こうえん))でのオーケストラ演奏(えんそう))などに出るので,普通(ふつう))のサラリーマンの人のように,月~金で働いて土日が休みという決まったスケジュールじゃない。もちろん,練習もあるわけだけど,みんなと練習する前には,前もって自分の練習しておく必要もあるよね。だから,休みの日があっても,なんだかんだ言ってヴァイオリンを弾(ひ))いている。つまり,毎日弾(ひ))いているわけなので,そういう意味では仕事と休みの区別があまりないかもしれない。それくらいに,音楽のことが好きってことでもあるね。
僕(ぼく))達オーケストラの演奏(えんそう))は,生のもの。一度だって同じものはできない。そのホールの雰囲気(ふんいき)),お客さんの熱気,期待,拍手(はくしゅ))…いろんな要素(ようそ))が組み合わさって,オーケストラのみんなが「今」という時間を共有しながら,ひとつの演奏(えんそう))を創(つく))り上(あ))げる。スポーツと違(ちが))って勝ち負けはないけど,ある一定の枠(わく))の中で,ひとつの頂上(ちょうじょう))に向かって皆(みな))で力を合わせて達成したときの充実感(じゅうじつかん))や達成感,高揚(こうよう))した気持ちというのは,ほんとうに得がたい感情(かんじょう))なんだ。一度味わったら忘(わす))れられない,すばらしい感情(かんじょう))。その演奏(えんそう))をするまでの道のりが苦しければ苦しいほど,その感情(かんじょう))は熱いものになる。その感情(かんじょう))を次も味わいたくて,僕(ぼく))は演奏(えんそう))をし続けているのかもしれない。
僕(ぼく))は音楽一家に生まれたわけでもなかったけど,4,5歳(さい))の頃(ころ)),兄が弾(ひ)かなくなったオルガンが家にあって,とても興味(きょうみ)を持った。そして,家にあった蓄音機(ちくおんき)に片(かた)っ端(ぱし)からレコードをかけては聴(き)いていたらしい。夜中に突然(とつぜん)起きだして,こたつにくるまりながら聴(き)き始めることもあったぐらいに音楽が好きな子どもだったんだ。だから,小学生のときには,何を弾(ひ)く,どんな音楽家かまでは決めてなかったけど,とにかく「音楽家になる」って決めてたんだ。
僕(ぼく)が小学校4年で音楽クラブに入って,出会ったのがヴァイオリン。それ以来,ヴァイオリンの魅力(みりょく)にはまってしまって,好きで好きでしょうがなくなった。そして,小学校6年生ぐらいからちゃんと練習し始めた。僕(ぼく)は,ソロのヴァイオリニストとしても活動しているんだけど,小学校6年生からというのは一般(いっぱん)的な考え方からすると遅(おそ)いスタートなのかもしれない。でも,物心がつく前から弾(ひ)くことを始めても,大きくなるうちにそれが苦痛(くつう)になってしまったら意味がない。プロのギタリストとか,管楽器の奏者(そうしゃ)には,高校生ぐらいで初めて楽器を持ったって人も大勢(たいせい)いる。これって,好きなら上手になれるということじゃないかな。だから,好きになったときが始めどき。好きなものに一生懸命(いっしょうけんめい)打(う)ち込(こ)めば,きっと道ができると思うんだ。