仕事人

社会にはいろいろな仕事があるよ。気になる仕事や仕事人をたくさん見つけよう!

東京都に関連のある仕事人
1974年 生まれ 出身地 東京都
登坂とさか 将司しょうじ
子供の頃の夢: 歌手
クラブ活動(中学校): 水泳部
仕事内容
水道やガス工事後の道路やちゅうしゃじょうなどのそう工事を行い、地面から社会をゆたかにする。
自己紹介
人の言うことをうのみにせず、自分でたしかめる、きょうのあることは何でもやってみる、というせいかくです。休日は読書をしたり、海でシュノーケリングをしたり、知らない街を歩いたりしています。SNSでのごえんから『海底ハウス』というしょせきを書いたこともあります。空手のしょだんを持っています。
出身大学・専門学校
バンタン ミュージックカレッジ DTM科

※このページに書いてある内容は取材日(2024年11月11日)時点のものです

道路やちゅうしゃじょうなどをそうする

道路や駐車場などを舗装する

わたしけいえいする「常陸ひたちどう」は、水道やガス工事後の道路、ちゅうしゃじょうなどのそう工事を行う会社です。道路の下には、ガス管や上水道、下水道など、さまざまな管が通っています。そういった管をしゅうしたりえたりするときには、そうのぞき、地面をこして工事を行います。工事が終わった後、新たに道路をそうし直す必要がありますが、まずは水道管やガス管の工事を行う業者が、とりあえず人や車が通れるじょうたいに道路を仕上げます。これを「かりふっきゅう」といいます。その後の「ほんふっきゅう」という最後の仕上げを行うのが、わたしたちの主な仕事です。
もちろん、工事の後のふっきゅうだけでなく、新たに道路をつくることもありますし、新たにじゅうたくつくるときにしきないの道路をつくることもあります。また、ちゅうしゃじょうそうや、マンションやじゅうたく内のしきそうする仕事も行います。わたしたちが仕事をするエリアは、主に埼玉県と東京都です。らいぬしは自治体などのぎょうせいがいちばん多く、次に多いのはガス会社やたく開発などを行うぎょうです。ときどきじんからのらいもあります。
仕事のさいにはブルドーザーやパワーショベルといったがたしゃりょうけいけんせつ機械を使用するので、それらをあつかうためのかくが必要となります。公共工事などをう場合、げんかんとくせきにんしゃには「土木こう管理」のかくが必要になることもあります。また、仕事に使うじゅつを自分たちで開発したり、それについてとっきょしんせいしたりすることもあります。

かりふっきゅう」をがし、そうし直す

「仮復旧」を剥がし、舗装し直す

ほんふっきゅうの工事は、かりふっきゅうからしばらく時間を置いて行います。ときには、「かりふっきゅうから3か月後に行う」と決まっている場合もあります。なぜかというと、工事を行うさいほりったあなに新たに土を入れますが、新しい土がかためられるにつれ少しずつちんしていくため、すぐにそうしてしまうと道路がへこんでしまうことがあるからです。そのため、あるていの時間がたち、地面が落ち着いてからほんふっきゅうの工事を行います。
手順としてはまず、かりふっきゅうのアスファルトをのぞき、次にかりふっきゅうした場所からはば30cmほど、工事前からあったアスファルトを切り取ります。これは、工事でったところだけがへこむのをふせぎ、工事前からあったアスファルトとつなげてきんとうにするためです。続いて、さいせきなどをき、ローラー車で地面をならして下地を作ります。その後、アスファルトそうで使う「アスファルト合材」をきならし、熱いうちにてんあつ(ローラーなどの機械を使って、力を加えて地面をめ固める)していきます。最後に、もともと道路の上にあった白線などを引き直してしゅうりょうです。
一日に作業できるのは一車線分のはばの道路でだいたい7〜80メートルですが、大きな重機を入れればもっと作業できる場合もあります。アスファルト合材は「アスファルトプラント」とばれる工場から、工事のある日に運んできます。熱いうちに作業をしないと固まってしまい、時間とともに冷えてきてしまうので、タイミングを合わせて取りに行く必要があります。

夜間や休日に作業を行うことも

夜間や休日に作業を行うことも

作業を行うのは主に昼間ですが、ときには夜間や休日に行うこともあります。例えば、駅のホームの工事などは、終電が終わった後から始発までの間でないと作業ができません。じっしつ3時間くらいしか作業ができないので、なかなか大変です。同じような理由で、オフィスビルの周辺などは土日に作業を行うこともあります。
アスファルト合材が固まらないうちに作業を行わなければいけないことも、大変なことの一つです。夏は気温が高く、固まるまでに多少、時間のゆうがあるのですが、冬は気温が低いので、いてから固まるまでが早く、その間に仕上げなければいけません。また、雨がると工事ができないので、天気ほうには気を使います。
道路のそうでいちばん大切なのは、水がたまらないように仕上げることです。そのためには水が自然と流れていくように地面のこうばいをつけたうえで、でこぼこがないようになめらかに仕上げることが重要となります。アスファルト合材は最終的にてんあつをするため、仕上がりよりも1cmくらいっていていきます。いた時点ではきれいに見えていても、最終的に固めたときにへこみができていたり、こうばいができていなかったりということもありえます。アスファルト合材の種類によって、てんあつしたときにどのくらいしずんでいくかもちがうので、そのあたりは計算して作業していかなくてはいけません。一度仕上げたらやり直しがきかないものなので、しんけいを使うところです。

「ありがとう」やかんしゃの言葉が何よりもうれしい

「ありがとう」や感謝の言葉が何よりもうれしい

だんだらけでボロボロだった道路が、自分たちの工事でピカピカの道路に生まれ変わったのを見ると「この仕事をしていてよかったな」と思います。よく笑われるのですが、きれいに道路をそうし終わった後は、空がとてもきれいに見えるんですね。道路はいろいろな人が通る場所で、おとしりの方も、足が不自由な方もいて、きれいにそうがされていなくては、うまく歩くことができません。とても大事な仕事だと思いますし、「ありがとう」の言葉をいただくのはやはりうれしいです。
また、わたしたちの仕事は、さいがいにも大事なやくわりにないます。なぜなら、さいがいえんのためのきゅうえんぶっを運ぶためには、道路のふっきゅうが何よりも重要だからです。今でもわすれられないのが、2007年の新潟県ちゅうえつおきしんのときに、かしわざきふっきゅうのお手伝いに行ったときのけいけんです。かしわざきすなが多く、ばんくずれやすいため、道路のふっきゅう工事もなかなか大変でした。わたしたちの工事は大きな音も立てますし、だんは「うるさいなあ」という顔で見られたり、まどめられたりすることが多い仕事です。しかしそのときは、地元の方が本当にかんしゃしてくださって、近くでれたトマトなどを差し入れしてくれました。あのときは本当に「この仕事をやっていてよかったな」と思いました。また、げんから少しはなれた場所に宿しゅくはくしていたので、工事のために毎日、高速道路でげんに通っていたのですが、別のそう業者さんの手によって、その高速道路が日に日にふっきゅうされてきれいになっていく光景も感動的でした。

社員がほこりを持って働ける場所でありたい

社員が誇りを持って働ける場所でありたい

仕事をするうえで大切にしていることは、まずは「つねきんりんの方々の気持ちを考えて作業ができているか」ということです。工事中はどうしてもそうおんが発生したり、車や歩行者の通行をさまたげたりすることになり、ときにはおしかりを受けることもあります。だからこそ、そこで生活する方々の気持ちを考え、たいおうすることを心がけています。
もう一つは、「社員がほこりを持って働ける場所であるか」ということです。わたしたちの仕事には、休日や夜間の作業もあります。社員がみな安心して気持ちよく働くためには、社員の家族の方のかいも必要けつです。そのため、社員本人のたんじょうはもちろん、家族のたんじょうも手帳にメモしておいて、記念日などにはづかうようにしています。また、なるべくかっこよく見えるような作業着のデザインを選んだり、SNSやWEBサイトで会社のしょうかいや、仕事のないようを発信したりするようにしています。それは、社員の家族に「お父さんが働いているのはこんな会社なんだね」とかいしてもらうためでもあります。もちろん、退たいしょくきんしょうなどの福利こうせいや、かくを取ったらしょうれいきんを出すなど、内部のせいを整えることも心がけています。近年はベトナム人のじゅうぎょういんえたことから、特定のうせいで受け入れる外国人の書類作成やえん計画などを行える「登録えん機関」のかくしゅとくしました。

「3年だけ」のつもりがこうけいしゃ

「3年だけ」のつもりが後継者に

実はわたしが6さいのとき、父がけいえいする会社は一度とうさんしています。その後、わたしが10さいのときに父がさい立ち上げた会社が、常陸ひたちどうでした。
わたしは高校時代に音楽が好きになり、高校卒業後は音楽のせんもん学校に進学しました。ミュージシャンを目指し、ライブハウスにしゅつえんしたり、プロミュージシャンのバンドでコーラスの仕事をしたりしていたのですが、音楽業界はどうしても夜がおそいなど、そくな生活になってしまいます。わたしおさないころにたんのうを取ってしまっていることもあり、この生活は体力的にもきびしいな、と思い、父親の会社を手伝うことにしました。その後、別の水道業者で働いたりもしたのですが、母親から「会社のじょうたいがよくないから、3年間でいいからもどってきて手伝ってくれないか」と言われました。「3年間なら」と思い会社に入り、ほんかくてきに手伝うようになりました。その後、ぎょうせきが上向いてきたことやいっしょに働く仲間たちにもめぐまれたことなどから、そのまま続けることにして、今にいたります。

おさないころの大病が人生観を変えた

幼いころの大病が人生観を変えた

小学校1年生のときに生まれつきたんのうにしょうがいがあることがわかり、たんのうを取るという大きなしゅじゅつを行いました。かなり大変なしゅじゅつだったので大学病院に入院していたのですが、同じびょうとうにはしょうがんをわずらった子どもたちが入院していました。昨日まで元気だったように見えた子が、急変して次の日にはいなくなっていたりもしました。そんなことをけいけんしたせいか、子どものころのわたしは「死」というものをすごく身近に感じていましたし、退たいいんして学校にふっしても、入院する前にくらべて同級生たちがすごく「子ども」に見えたことを覚えています。「人はいつどうなるかわからない」という思いが強く、「早く社会に出たい」と思うようになりました。
また、小学校5年生くらいまでは体育のじゅぎょうにも参加できませんでした。小学生のときはどうしても運動ができる子どもがクラスの中心になりますから、当時は体が小さかったこともあり、自分はそうはなれない、という思いが強かったです。しかし負けん気が強かったこと、じょじょに体もかいふくしてきたことから、中学生のときから空手と水泳で体をきたえ始めます。高校卒業後はさまざまな年代の人たちと知り合い、友達もえました。けれども、やはり小学生のときの入院と、その後のけいけんが「ものごとはダラダラやるのだったらやめたほうがいい、今しかできないことをやろう」という自分の考え方に、大きくえいきょうしているような気がします。

「なりたい自分」は考えていてほしい

「なりたい自分」は考えていてほしい

これを読んでいるみなさんに伝えたいのは、「ゆめ」は無理に持つ必要はないけれども、「自分がどうなりたいか」はつねに頭のかたすみに置いておいてほしい、ということです。「PDCAサイクル」という言葉があります。これはPlan(プラン・計画)、Do(ドゥー・実行)、Check(チェック・ひょう)、Action(アクション・かいぜん)のかしらをとった言葉です。計画を立て、実行し、それをひょうして、かいぜんし、また計画を立てる、これをかえすのが「PDCAサイクル」です。これはビジネスの場面でよく使われる言葉ですが、人生のどんな場面においても同じだとわたしは思っています。学校というのはルールがありますし、もしかしたらきゅうくつに思うかもしれません。でもそんな場面でも、「なりたい自分」に向けて自分なりに計画を立てて実行し、この「PDCAサイクル」をかえしていけば、自分の理想に少しずつ近づいていけるでしょうし、しゅうも変わってくると思うのです。もちろん、わたしたち大人も学ぶことをいつまでもわすれず、努力していかないといけないなと思っています。ぜひ、いっしょがんりましょう。

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取材・原稿作成:川口 有紀(フリート)・東京書籍株式会社/協力:城北信用金庫