「山づくり」も大切な仕事
私は長野県駒ヶ根市で,息子と一緒に,自分の山を使ってしいたけの「原木栽培」をしています。原木栽培というのは,天然の木を用いてキノコを栽培する方法です。キノコの栽培方法には,他に,オガクズを使って袋やビンでキノコを発生させる「菌床栽培」というものもあるのですが,原木栽培でできたしいたけは,栄養剤などの化学物質を一切使用しておらず,より安全で,安心して食べることができます。うちのしいたけは香りが豊かで,とてもおいしいんですよ。
作業としては,まず,原木にしいたけの種となる菌を植えつける「植菌」という作業を行います。菌を植えつけた原木を「ほだ木」といいますが,ほだ木に温度や水などの刺激を与えることで,しいたけが発生します。菌が繁殖しやすいように,ビニールハウスや山の中など,ほだ木を置いておく「ほだ場」を,しいたけを発生させる時期に応じて使い分けて,温度と湿度を調節します。さらに,しいたけの発生を促すために,ほだ木を組み替えたりする作業によって刺激を与え,さらに,ほだ木を水に浸ける作業をすることで刺激を与えて,収穫時期を調整します。
原木にはクヌギを使っていて,自分の山から伐採します。伐採するだけでは山の木が減っていくばかりですから,新たな原木を作るために植林・育林もしています。こうした「山づくり」も,大切な仕事です。植林したクヌギは,育て始めてから20年ほどで,原木として使用できるまで成長します。
収穫は毎日
毎日,早朝から,しいたけの出荷作業を行います。それが終わったら,ほだ木を水に浸けて刺激を与える作業や,育ったしいたけの収穫,片付けなど,1年365日,休むことなく,毎日の日課をこなしています。最近では科学的なデータも使えますし,ビニールハウスも活用できるなど,技術が進歩して定期的にしいたけを栽培できるようになりました。このため,年間を通じてしいたけの注文があります。毎日の作業は大変ですが,お客さんの期待に応えるためと思って,仕事に励んでいます。
また,決まった時期にしかできない仕事もあります。原木にしいたけの種となる菌を植えつける「植菌」は,1月から3月の中旬にかけて,年間を通じて収穫する予定の原木,すべてに行います。今年は2万3千本の原木に植菌をしました。3月末から4月になると,品種によってはしいたけの「自然発生」が始まります。「自然発生」とは,ほだ木に刺激を与える「発生操作」を行わなくても,自然にキノコが発生することです。そうした自然発生でできたしいたけを採りながら,4月から6月にかけては,山に新たな原木が育つように,クヌギの植林も行います。夏場は夜にもしいたけが採れるようになるので,収穫や出荷の量も増え,忙しくなります。そして,秋も深まった10月中旬以降には,原木を切り出す伐採の作業を行います。
発生量のコントロールは「神わざ」
ほだ木はとてもデリケートなものです。ほんの少し動かしただけでも,それが刺激となって,木の中の水分の状況が変わってしまい,予定していた収穫時期がずれてしまうことがあります。また,気候の変動にも常に気を配らなければいけません。特に夏場は,気温が上がりすぎることに注意する必要があります。
しいたけの品種によって発生量も異なります。このため,しいたけが発生しやすい品種の場合は,あらかじめ植菌する量と,与える刺激を少なくして発生数を抑えます。発生しにくい品種であれば,多めに植菌をして,刺激を増やすために,ほだ木を叩いたりもします。単純に「多くのしいたけが発生すればそれでいい」というわけではなく,一つのほだ木からしいたけが大量に発生すると,一つひとつのしいたけが細くなってしまい,品質もそれなりのものになってしまいます。逆に,しいたけの発生量を抑えれば,一つひとつが品質のいいものになります。できるだけ質の高いものを採りつつ,収穫の量も保たなければなりません。
以前,どうすればもっとうまく発生量をコントロールできるのか,学術的な意見を聞きたくて,大学の先生に話をうかがったところ,「それは神の領域だよ」と言われたことがあります。つまり,しいたけの発生量のコントロールは「神わざ」と言っていいほどなんです。この仕事の最も難しいところであり,長年の経験による腕の見せどころでもあります。
「ダラリ」をなくす
小さな失敗は,数え切れないほど経験しました。息子は,ビニールハウスの温度が上がりすぎていることに気づかず,2000本分のしいたけをムダにする大失敗をしてしまったこともありました。
そうした失敗を苦労だと考える人もいるかもしれませんが,私や息子にとっては,技術や経験を得られる絶好のチャンスです。だから,チャレンジすることが面白くて仕方がありませんね。仮説を立てて,試して,その結果から分かったことを,次に生かしていく。失敗の経験をもとに,よりよい栽培方法のための理論を磨いていくんです。
重要なことは,どんな作業であっても「ダラリ」をなくすことです。「ダラリ」とは「ムダ」「ムラ」「ムリ」のこと。改善できる部分をいつも探して,常に新しい方法を試しています。より良い方法を使って,より良いしいたけを作れるようになることが本当に面白いんですよ。
自然への感謝を忘れない
ただ単に,数多く品質の良いしいたけを収穫すること,お金を稼ぐこと,自分たちの都合のいいようにコントロールすること,そういった目先のことだけに囚われていてはダメなんです。常に広く大きな視野を持っていなければ,この仕事は成り立ちません。
原木しいたけ栽培は,自然,つまり山の力を借りてはじめて成り立つ仕事です。私たちも山に入り,木を伐採して他の植物に光が当たるように工夫したり,伐採した場所を整地することによって,植物が育ちやすい環境にしたり,山全体が元気になるように手助けをしています。山が本来持っている力を100パーセント発揮できるような環境を作り出すことができれば,山の力を借りて,より良いしいたけを栽培することができるのです。
しいたけ栽培の時間に比べれば,山が力を蓄えていく時間ははるかに長いものです。そのため,山の自然環境全体を循環させるためには,しいたけのことだけを考えるのではなく,より長期的な計画を立てて,山を育てていかなければなりません。原木栽培を続けていくためには,自然への感謝,山への思いが伴っていなければいけないんです。
一番大切なのは「思い」をつなげること
先代である父や祖父が原木しいたけ栽培を行っていたので,ごく自然に,私も同じ仕事につこうと考えました。なにより私は,山が大好きなんです。今でも仕事の合間には,山にいる生き物の写真を撮ったりしています。うちの山には,ウラナミアカシジミという蝶や,オオタカ,ハイタカなどの鳥がいるんですよ。
先代のころから,ただしいたけを作るということだけでなく,「原木しいたけ栽培は山づくりから行うものだ」ということを考えてきました。お金を稼ぐためだけなら,仕事は他にいくらでもあります。お金のためだけではなく,自分たちのいる環境に感謝し,環境を維持し,育てるという「思い」を持って行うこの仕事が,面白くて仕方がないんです。自然というものは,過去から未来へとつながっていくものです。自然をつなげていかなければ,原木しいたけ栽培も続けることはできません。
幸いなことに,息子も私の跡を継いで,この仕事を続けてくれています。しいたけ栽培も,山も,人も,そのような「思い」を大切に持って,その「思い」を未来につなげていくことが大事だと思います。
図鑑を手に,キノコを調べていた少年時代
幼いころ,「好きなものを買ってあげるから」と言われて,稲のミゴ(穂を脱穀して残った部分)をホウキにする作業を手伝ったことがあります。その時,私は「本を買ってほしい」と頼んだんです。買ってもらったのは,『原色日本菌類図鑑』という,とても子どもが読むようなものではない専門的で難しい本でした。さまざまな種類の菌類が載っている図鑑で,父の作っている原木から雑菌が出ているのを見つけたら,その図鑑と見比べて「これは何ていう菌だろう」「このキノコはどういう種類のものだろう」「あ,カワラタケっていうのか」「これはヒイロタケか」など,誰に言われるでもなく,自然とキノコについて調べていました。好きになると夢中になる性格なのですが,この性格は私の息子にも受け継がれていて,息子もとても研究熱心です。
山や自然が大好きなのは,中学生になってからもまったく変わりませんでした。自然の中に,当たり前のように溶けこんでいたのだと思います。山へカブトムシを捕りに行ったり,川へ魚を突きに行ったりするのは大人になってからも続きましたし,今でも山へイノシシを捕りに行くことがあります。ウリボウ(子どものイノシシ)くらいなら素手で捕まえることができますよ。
あとからくる者のために
自分のできること,好きなこと,やりたいことをしっかりやる。与えられた場で,何事も自分のできる限り一生懸命やるということが,一番大事なんじゃないかな。
あとは,そういうふうに一生懸命やることができる場所があるということを,忘れないでほしいですね。私の仕事でいえば,自分たちがしいたけを作り続けることができるのは,山があってのこと。豊かな自然環境があってはじめて,自分たちの生活があり,しいたけを作ることができる。どんなことであっても,自分の置かれている環境に感謝することを忘れてはダメだと思います。そして,自分が一生懸命にやっている姿というのは,きっと誰かが見ていてくれます。
坂村真民さんという詩人の人が書いた『あとからくる者のために』という詩が私は大好きなのですが,自分が活躍できる場で,とにかく一生懸命にやっていれば,それがきっと,その姿を見ていた後進の人たち,つまり「あとからくる者」に影響を与えることになると思います。自然と「思い」がつながっていくのですね。息子が自分の仕事を継いでくれたのも,一生懸命仕事をまっとうして,山への「思い」,自然への「思い」をつなげることができたからだと思います。