仕事人

私（わたし）は北海道大学（ほっかいどうだいがく）が所有（しょゆう）する練習船（れんしゅうせん）「おしょろ丸（まる）」で航海士（こうかいし）として働（はたら）いています。練習船（れんしゅうせん）とは，学生や研究者（けんきゅうしゃ）たちが乗船（じょうせん）し，研究者（けんきゅうしゃ）が研究（けんきゅう）し，学生が教育（きょういく）を受（う）けることのできる船（ふね）です。最近（さいきん）は特（とく）に，魚（さかな）をどう効率的（こうりつてき）に，持続的（じぞくてき）にとるかという「水産科学（すいさんかがく）」に関（かん）する研究（けんきゅう）や，環境（かんきょう）や地質（ちしつ）に関（かん）する研究（けんきゅう）が多（おお）く行（おこな）われています。また，海（うみ）に関（かん）するさまざまなデータが収集（しゅうしゅう）できるよう，最新（さいしん）の機材（きざい）や装置（そうち）も積（つ）んでいて，実験室（じっけんしつ）などもあります。北海道大学（ほっかいどうだいがく）の関係者（かんけいしゃ）だけではなく，練習船（れんしゅうせん）を持（も）たない大学の関係者（かんけいしゃ）も乗船（じょうせん）し，一緒（いっしょ）に研究教育活動（けんきゅうきょういくかつどう）を行（おこな）うこともあります。
航海（こうかい）の期間（きかん）は， 2日間で近海（きんかい）を航海（こうかい）する「体験航海（たいけんこうかい）」， 60日間かけて北極海（ほっきょくかい）の方（ほう）まで航海（こうかい）する「洋上実習（ようじょうじっしゅう）」までさまざまです。それぞれの航海（こうかい）では，乗船（じょうせん）する先生が海（うみ）でどのような研究（けんきゅう）をして，学生にどのような教育（きょういく）をするかといった内容（ないよう）を決（き）め，希望者（きぼうしゃ）を募（つの）り実習（じっしゅう）を行（おこな）います。内容（ないよう）によって乗船（じょうせん）する先生や学生は異（こと）なりますが，私（わたし）はどの航海（こうかい）にも必（かなら）ず参加（さんか）しますので，1年間（ねんかん）で合計（ごうけい）177日乗船（にちじょうせん）します。
その他（ほか）にも毎年必（まいとしかなら）ず1ヶ月間「ドック」と呼（よ）ばれる船（ふね）の健康診断（けんこうしんだん）に立ち会（あ）います。国の検査（けんさ）で安全（あんぜん）を確認（かくにん）し，傷（いた）んだ部分（ぶぶん）は工事（こうじ）をして，綺麗（きれい）にペンキを塗（ぬ）って航海（こうかい）に備（そな）えます。

勤務時間（きんむじかん）は8時間（じかん）ですが，4時間勤務（じかんきんむ）を2回（かい）することになっています。私（わたし）は特（とく）に「ゼロヨン」勤務（きんむ）といって，午前（ごぜん）0時（じ）から4時（じ），午後（ごご）12時（じ）から4時（じ）の勤務（きんむ）をしています。海（うみ）と船（ふね）の状態（じょうたい）は24時間絶（じかんた）えず変化（へんか）し，道（みち）が見えているわけでもありません。さまざまなデータを読（よ）みながら，船（ふね）の状態（じょうたい）や天気の様子（ようす）などを観察（かんさつ）（「ワッチする」と言（い）います）し，安全（あんぜん）に船（ふね）を進（すす）めます。また，「24時間調査（じかんちょうさ）」といって24時間（じかん）かけて行（おこ）なうデータ収集（しゅうしゅう）や実験（じっけん）もありますので，その対応（たいおう）のため勤務時間（きんむじかん）が伸（の）びることもあります。
船（ふね）には大きく三つの役割（やくわり）を持（も）った人が乗（の）っています。ブリッジ（船橋（せんきょう），船（ふね）の操縦室（そうじゅうしつ）です）で船（ふね）を動（うご）かす人，エンジンを整備（せいび）する人，食事（しょくじ）づくりや広報（こうほう）など事務的（じむてき）な仕事（しごと）をする人です。航海士（こうかいし）は，船（ふね）を安全（あんぜん）に運行（うんこう）させ，目的地（もくてきち）まで時間通（じかんどお）りに，効率的（こうりつてき）に到着（とうちゃく）させることが最大（さいだい）の使命（しめい）です。安全（あんぜん）の確保（かくほ）を大前提（だいぜんてい）に，天候（てんこう）などさまざまな状況（じょうきょう）を読（よ）み，港（みなと）に引（ひ）き返（かえ）すのか，その場（ば）に停泊（ていはく）して待（ま）つのか，などといったことを判断（はんだん）する場面（ばめん）にも多（おお）く遭遇（そうぐう）します。

陸上（りくじょう）であれば，苦手（にがて）な人がいれば会（あ）わない，ということもしやすいですよね。しかし，船（ふね）の中ではそれができず，人間関係（にんげんかんけい）で苦労（くろう）する船員（せんいん）もいます。しかし，人間関係（にんげんかんけい）さえうまく行（い）けば，部屋（へや）を出て階段（かいだん）を上がると職場（しょくば）で，通勤時間（つうきんじかん）は5秒（びょう）で済（す）む船（ふね）の仕事（しごと）は最高（さいこう）です。「ゼロヨン」勤務（きんむ）に体（からだ）を慣（な）らすのは大変（たいへん）ですが，航海（こうかい）が終（お）わるとまとまって休みをとることができますから，めりはりをつけて働（はたら）くこともできます。また，乗（の）り物酔（ものよ）いしやすい人にとっても大変（たいへん）な職場（しょくば）かもしれませんが，私（わたし）にはそれもないので，とても快適（かいてき）に過（す）ごしています。

今乗（いまの）っている「おしょろ丸（まる）」は5代目（だいめ）のもので，2014年から使（つか）われ始（はじ）めています。食事（しょくじ）もしっかりとれますし，お風呂（ふろ）もきちんと入れます。さらに航海士（こうかいし）は個室（こしつ）の部屋（へや）で一人になる時間（じかん）も確保（かくほ）できます。食事（しょくじ）については，法律（ほうりつ）で「船（ふね）の乗組員（のりくみいん）には三食（さんしょく）きちんと食事（しょくじ）を提供（ていきょう）しなければならない」と定（さだ）められていますので，海（うみ）の上でも温（あたた）かくておいしい食事（しょくじ）ができるのです。
さらに最近（さいきん）ではインターネットもできるようになりました。以前（いぜん）は無線（むせん）やファックスを使（つか）って陸（りく）の人たちとやりとりしていましたが，今（いま）ではEメールを送（おく）れます。友人（ゆうじん）の結婚式（けっこんしき）に出席（しゅっせき）できないことも多（おお）かったので，海（うみ）の上からお祝（いわ）いの電報（でんぽう）を送（おく）ったこともありました。このように，船（ふね）での暮（く）らしは陸（りく）の暮（く）らしに近（ちか）づいてきていて，とても快適（かいてき）になってきているのです。以前（いぜん）は男性（だんせい）ばかりでしたが，最近（さいきん）では女性（じょせい）の乗船（じょうせん）もとても増（ふ）えてきていて，船内（せんない）の様子（ようす）はだいぶ変（か）わってきていますね。

航海士（こうかいし）をしていて心苦（こころぐる）しいことがあります。それは，家族（かぞく）に万一何（まんいちなに）かあったとき，すぐに駆（か）けつけられないことです。航海士（こうかいし）になりたてのころ，父親（ちちおや）からもよくそう言（い）われました。そうした覚悟（かくご）を持（も）って，しっかり仕事（しごと）をするようにとも言（い）われました。そして，だからこそ船（ふね）を降（お）りているときは，可能（かのう）な限（かぎ）り多（おお）くの時間（じかん）を家族（かぞく）と過（す）ごすようにしています。
最近（さいきん）は外国人（がいこくじん）の研究者（けんきゅうしゃ）や乗組員（のりくみいん）が乗船（じょうせん）することも増（ふ）えました。船員（せんいん）が全員日本人（ぜんいんにほんじん）という船（ふね）のほうが，もしかしたら珍（めずら）しいのかもしれません。文化（ぶんか）や価値観（かちかん）が異（こと）なる人と船（ふね）で暮（く）らすことは，非常（ひじょう）に大変（たいへん）なことです。そういった違（ちが）いを無理（むり）に合（あ）わせようとするのではなく，お互（たが）い尊重（そんちょう）し，「住（す）み分（わ）ける」という気持（きも）ちでいることが大切（たいせつ）です。一方（いっぽう）で，「住（す）み分（わ）け」すぎてばらばらにならないよう注意（ちゅうい）も必要（ひつよう）です。船（ふね）の中では情報（じょうほう）や命令（めいれい）がきちんと伝（つた）わらないといけませんし，チームワークを発揮（はっき）しなくてはならないときも多（おお）いからです。

大学1年生のころ，たくさんの人と出会（であ）いました。私（わたし）は水産学部（すいさんがくぶ）でしたが，別（べつ）の学部（がくぶ）のある先輩（せんぱい）から，「水産学部（すいさんがくぶ）にいるなら航海士（こうかいし）になるべき」とアドバイスをもらいました。そして3年生のころ，航海士（こうかいし）を目指（めざ）し勉強（べんきょう）する先輩（せんぱい）たちに会（あ）ったのですが，その方々（かたがた）が本当（ほんとう）にかっこ良（よ）くて，自分（じぶん）も先輩（せんぱい）たちのようになりたいと強（つよ）く思（おも）うようになりました。同時（どうじ）に海（うみ）や船（ふね）の凄（すご）さ，厳（きび）しさ，魅力（みりょく）なども存分（ぞんぶん）に教（おし）えてもらいました。
大学卒業後（だいがくそつぎょうご），1年半（ねんはん）ほど無職（むしょく）となりました。その間（あいだ）いろいろな船（ふね）に乗（の）るアルバイトをしながら，海（うみ）のことを深（ふか）く知（し）るとともに，そこでたくさんの新（あたら）しい仲間（なかま）ができました。あるとき大学の先輩（せんぱい）から，漁業取締船（ぎょぎょうとりしまりせん）（違法（いほう）な漁（りょう）を取（と）り締（し）まる船（ふね））の船員募集（せんいんぼしゅう）を紹介（しょうかい）され，航海士（こうかいし）として採用（さいよう）されました。30代（だい）で船長（せんちょう）になり，仕事（しごと）も充実（じゅうじつ）していましたが，40代（だい），50代（だい）になると船（ふね）から降（お）りて，陸（りく）での仕事（しごと）が中心（ちゅうしん）になることがわかっていました。私（わたし）はずっと船（ふね）に乗（の）っていたいという気持（きも）ちが強（つよ）かったのと，漁業取締船（ぎょぎょうとりしまりせん）では母港（ぼこう）を転々（てんてん）としてなかなか函館（はこだて）に残（のこ）した家族（かぞく）と過（す）ごす時間（じかん）が作（つく）れていませんでした。そういった中，「おしょろ丸（まる）」で航海士（こうかいし）をしていた先輩（せんぱい）から「戻（もど）ってこないか」と声（こえ）をかけてもらい，航海士（こうかいし）として，学生の教育（きょういく）を行（おこな）う大学の助教（じょきょう）として採用（さいよう）され，現在（げんざい）に至（いた）っています。

私（わたし）は東京都西部（とうきょうとせいぶ）の小平市（こだいらし）というところで育（そだ）ちました。小学校，中学校では野球（やきゅう）をやっていました。野球仲間（やきゅうなかま）とよく，野球以外（やきゅういがい）の遊（あそ）びもしていました。振（ふ）り返（かえ）ってみると，海（うみ）に行（い）く機会（きかい）はあまりなく，昔（むかし）からずっと海（うみ）が大好（だいす）きだった，身近（みぢか）だったというわけではありませんでしたね。読書（どくしょ）が苦手（にがて）でしたが，『シートン動物記（どうぶつき）』や『ファーブル昆虫記（こんちゅうき）』は読（よ）み，特（とく）に虫が好（す）きでした。学校の勉強（べんきょう）では理科（りか）が好（す）きでした。
やがて進路（しんろ）を選（えら）ぶ時期（じき）になり，当時（とうじ）はやりたいことや就（つ）きたい仕事（しごと）などは具体的（ぐたいてき）に決（き）まっていませんでした。それでも「東京（とうきょう）から出たい」という気持（きも）ちは強（つよ）く持（も）っていました。そこで，東京（とうきょう）からなるべく離（はな）れられるよう，沖縄県（おきなわけん）の琉球大学（りゅうきゅうだいがく）や北海道大学（ほっかいどうだいがく）を見学に行（い）ってみました。すると，「どうしても北海道大学（ほっかいどうだいがく）に入りたい」「ここしかない」と思（おも）うようになりました。挑戦（ちょうせん）すること3回目（かいめ）でようやく合格（ごうかく）し，北海道（ほっかいどう）へ行（い）くことができました。

みなさんには，一生懸命考（いっしょうけんめいかんが）えること，そして考（かんが）えるための時間（じかん）を持（も）つことを大切（たいせつ）にしてほしいです。言（い）われたことをするだけではなく，「なぜそれをするのか？」「今（いま）よりもっと良（よ）くできないか？」と考（かんが）える。「なぜ勉強（べんきょう）するのか？」と考（かんが）えるなど，立ち止（ど）まってじっくり自分（じぶん）の頭（あたま）で考（かんが）え，いろいろなことに対応（たいおう）できる力，応用力（おうようりょく）をつけてほしいです。
また，海（うみ）のことをもっと知（し）ってほしいです。日本は海（うみ）に囲（かこ）まれ，海（うみ）の資源（しげん）を利用（りよう）したり，船（ふね）でたくさんの身（み）の回（まわ）りのものが運（はこ）ばれてきたり，海（うみ）とかかわらない人はいないのです。時（とき）には大きな災害（さいがい）を引（ひ）き起（お）こす海（うみ）ですが，恩恵（おんけい）も受（う）けています。ぜひ海（うみ）の凄（すご）さを共感（きょうかん）してもらい，それを伝（つた）えられる人になってほしいとも思（おも）います。実際（じっさい）に今（いま），海（うみ）の研究（けんきゅう）にはたくさんの分野（ぶんや）の専門家（せんもんか）が参加（さんか）しています。理系（りけい）の分野（ぶんや）に限（かぎ）らず，文化（ぶんか）や社会制度（しゃかいせいど），法律（ほうりつ）などの専門家（せんもんか）も研究（けんきゅう）に参加（さんか）しています。たくさんの人の知恵（ちえ）で，海（うみ）のことをもっと深（ぶか）く知（し）り，伝（つた）えていく仲間（なかま）に，みなさんも加（くわ）わりませんか。