シラスをとって加工し販売する
私は,相模湾に面した神奈川県横須賀市の佐島という漁村で,シラス漁とシラスの加工・販売をしています。私と妻,娘,息子,息子の妻の5人で,シラス漁,シラスの加工,発送や直売店などでの販売の仕事を分担して行っています。漁船名も直売店の名前も屋号の「山茂丸」といいます。
神奈川県でシラス漁が許可されているのは,3月11日から12月31日の間です。シラスの漁期には,毎日朝早く息子と2人で漁に出ます。とれたシラスは市場には出さず,直接販売しているんです。一部は生食用としても売りますが,大部分は釜揚げやチリメンなどに加工して,直接販売しています。販売は佐島と近くの国道沿いの直営店のほか,全国からの注文にも応じます。また,釜揚げシラスは冷凍保存できるので,生協や産直の会社からの大口注文も受けています。シラス漁のない1,2月には漁具の手入れや,2月から3月にかけては天然ワカメとヒジキの漁を少しやっています。
イカナゴ,アユ,ウナギなどの稚魚も「シラス」と呼ばれますが,私が漁をしているのはイワシの稚魚で,なかでもカタクチイワシの稚魚が主です。相模湾では小田原から三浦までの範囲で,現在38軒がシラス漁と加工をしていて,相模湾のシラスは「湘南しらす」という共通のブランドで販売されているんですよ。
息子がしっかり家の仕事を継いでくれているので,先日,30年ぶりに漁船を新造しました。孫たちも,海や漁業の仕事に興味を持ってくれたらうれしいですね。
シラスは「海のお米」
私がとるシラスはふ化後20~50日ごろで,大きさは2~4cmぐらいです。カタクチイワシには年に数回の産卵期があるんです。だから4~5月上旬の春シラス,7月下旬~8月中旬の夏シラス,9~10月の秋シラスなど,年に3回,漁のピークがあります。いちばん多くとれるのは春シラスですね。多くとれる時期には,朝だけでなく午後にも漁に出ます。シラスをゆでる加工の仕事も増えるのでお手伝いの人を頼み,暗くなるまで大忙しです。
イワシが産卵するのは黒潮に近い温かな海で,この近辺だと大島の沖合いあたりでしょうか。ふ化した稚魚は,潮流に乗って相模湾や駿河湾などの沿岸にやってきます。イワシの食べ物はプランクトンです。山の栄養を含んだ川の水が海に注ぎこむ沿岸で植物プランクトンが発生し,その植物プランクトンを食べて動物プランクトンが増え,プランクトンを食べるシラスを私たち漁師がとるんです。
シラスは「海のお米」だと思います。人間だけでなく,いろいろな種類の魚がシラスを食べているからです。山や川に人間が手を加えたことや地球温暖化も影響しているのか,最近シラスがとれる量や時期が変わってきています。「海のお米」のシラスがなくならないよう,漁師はもちろん,地球全体で自然環境のことを考えていかなくてはいけないと思います。
息子と2人でシラス漁の網を引く
私は息子と一緒に漁船に乗ってシラス漁をしています。漁場は,海辺の家々がよく見えるような,岸に近い場所です。まず船をゆっくり走らせながら,魚群探知機でシラスの群れを探します。群れが見つかったら息子に合図して,目印の浮きを海に投げ入れます。そして,「荒手網」という目の粗い網でシラスの群れをおどして,「袋網」という目の細かい網に誘導していきます。網を入れたら,歩くより遅い速度で船を走らせながら網を引き,群れを袋網の中に収めるんです。7,8分ほど引いてシラスが袋網に入ったと思ったら,網上げです。機械を使い,U字型の網の左右を均等に引き上げていきます。
袋網に入ったシラスは,袋網の先端につけたファスナーを開けて取り出します。シラスは傷みやすいので,手早く冷やすのがおいしさの決め手です。船上での処理が雑だと,どんなに加工で努力してもおいしくなりません。まず,氷を入れた大きなバケツにシラスを入れ,かき混ぜて冷やします。いったんザルで水を切り,氷を入れた別のバケツに水を切ったシラスを移し,上に氷を乗せてふたをします。この状態で加工所に運びます。
とったシラスはその日のうちに加工
早朝から始めた漁を切り上げるのは,午前9時か10時ごろ。急いで加工所にシラスを運びこみ,すぐに加工の作業を始めます。加工所には釜揚げ加工の大きな機械が設置してあります。大きな釜で塩水を沸騰させ,シラスを12kgずつ入れて1分~1分半ゆでます。ゆで上がったシラスは機械のザルですくってベルトコンベアの上に薄く広げます。ベルトコンベアの上を流れる間に大型扇風機4台で急速に熱を冷ましたら,容器に入れて1℃の冷蔵庫にすぐ収納します。ゆでてから冷蔵庫に入れるまでわずか数分なので,雑菌が繁殖することがありません。釜揚げのシラスを天日で干すとチリメンになります。朝とってきたシラスをすべて加工し終えたら,やっとお昼ご飯と休憩です。
シラスの気持ちになって漁をする
漁は,シラスの気持ちになって考えてみることが大事なんです。海の中で群れがどういう状態なのか,網を見てどう反応し,どう行動するのか。それをシラスの気持ちになってイメージしながら,すんなり袋網に収まるように網を扱うといいんです。
昔は自分で網をつくったんですよ。だから網をつくれない漁師は,シラス漁ができなかった。網の仕立てのよしあしで,とれ高にも違いが出ました。私はまあまあいいほうだったかな。40年ぐらい前から完成品が買えるようになりましたが,網は使ううちに目に狂いが出るんです。荒手網がねじれると,シラスの群れは袋網に入らないで逃げてしまう。漁をしながら網の状態に気をつけて,修理もできないようなら潔く新しい網に買い替えています。
網は一式で100万円を超えるので小さくない投資ですが,パッと切り替える潔さがこの仕事では大事だと思っています。借金してでも先行投資すれば,魚が多くとれて,すぐに投資以上の稼ぎが得られるものなんです。私は,網も加工施設も漁船も,そういう考え方でこれまで投資をしてきました。
自然相手の知恵比べが漁業の面白さ
シラス漁で面白いのは,とれるシラスの顔つきが毎日違うことですね。私の操業の範囲は沿岸の直線距離で20km足らずの海域ですが,この範囲内でも場所によってシラスの姿が違うんです。佐島の前の湾のシラスは色が黒いけれど,湾のすぐ北のシラスは色白です。葉山の御用邸(皇室の別邸)の前でとれたら長浜という別の場所でもとれるとか,お腹が赤いシラスがとれるときは潮の流れがこうなっているとか,これまでの長い経験をすべて頭の中に入れて,「さて,今日はどこに網を入れようか」と考えるのが面白いんです。
シラスは風と潮に流されて沿岸にやってくるので,船を走らせながら,タコ壺漁の目印の浮きなどから潮の速さや方向を観察して,その季節や前後の状況から「今日はここに,こんな顔つきのシラスがいるんじゃないか」と予測を立ててみるんです。
予想が当たることもあれば,はずれて思うようにとれないこともよくあります。漁師の仕事の醍醐味は,自然を相手にした知恵比べや勝負なんじゃないかなと思いますね。
おいしい食べ物を真心こめてつくる
この仕事のやりがいは,何といってもお客さんの「おいしい」という声です。うちは直接販売をしているので,お客さんの声をじかに聞くことができ,ありがたいと思います。
私は若いころからずっと,自分自身が本当に「おいしい」と思える,うそのない安心・安全な食べ物を,真心こめてつくることを心がけてきました。そのために,県の水産技術センターの専門家に相談して勉強したり,駿河湾の先進的な加工業者を訪ねて情報収集したり,常に今よりもいい品物をお届けできるように努力もしてきました。
うちの前の湾でとれるシラスは色黒なんですが,漂白剤でごまかさずに自然のおいしさを大事にしていたことで,添加物や農薬を使わない食品を扱う産直グループとのご縁ができ,30年にわたって大きな取り引きを続けていただいています。
また,おいしい釜揚げシラスをつくるポイントは,高温で短時間でゆで上げることと,ほぐしながら素早く冷ますことなのですが,そのために,14年前に大きな借金をして,最新式の大型機械を入れた加工所を新築しました。よりよい品物を届けたいとの思いからです。
冷凍保存についても勉強しました。マイナス50℃の冷凍庫なら,シラスの水分を失わず長期保存ができるとわかり,そのような冷凍庫を持つ業者を探し,保管してもらうようにしました。おかげで,大口の契約販売にも対応できています。
努力は必ず自分に戻ってくるものです。それを励みに毎日仕事を続けています。
煮干しの加工からシラスへ
私が生まれたころ,うちは半農半漁の生活でした。12人の大家族で,女性たちが田んぼや麦畑など自給用の農業,祖父は漁業,父は煮干しなどの水産加工と魚介類の販売などをしていました。夏には母が,家に都会の人を泊める民宿のような商売もしていましたね。
漁業は季節ごとにいろいろです。2月の天然ワカメ漁に始まり,3月はヒジキ漁,4,5月は近所の漁師と共同でシラス漁,夏の間はアワビやサザエの素潜り漁,昭和30年ごろからは11~3月にノリ養殖もしていました。冬には持ち山の薪取り,シラス漁の網づくりもあり,一年中,休みなく昼も夜も働きづめの毎日でした。
近くに葉山の御用邸や別荘があるので,とくにアワビやサザエはいい稼ぎになったそうです。祖父は,昭和天皇の研究のために潜って貝やカニを集めるご用も務めていたようです。
祖父は私が小学6年生のときに亡くなり,兄は勉強が好きで進学したので,次男の私が中学を卒業してすぐ家の仕事に就きました。その他に進路の選択肢はなかったですね。
わが家は当時,煮干し加工がおもな仕事でした。しかし化学調味料や粉末のだしが登場し,煮干しが売れなくなりました。ちょうどそのころ,漁船が手漕ぎからエンジン船になって魚群探知機やGPSも普及し,冷蔵・冷凍技術も発達しました。そこで,煮干しからシラスに切り替えていったわけです。私は,日本人の食文化の変化を考え,手軽に食べられるシラスに将来性を感じていました。その見こみはかなり当たったように思います。
「いい仕事」は一生懸命やればつくれる
人によって,かっこよく見える「いい仕事」と,魅力を感じない「よくない仕事」とがあるかもしれません。けれどどんな仕事でも,見通しを立てて一生懸命に取り組めば,その人にとってはその仕事が「いちばんいい仕事」になると,私は思います。
私は漁師や加工の仕事がいやだったわけではありませんが,家を助けるために他の職業を選ぶという選択肢がありませんでした。これまで60年近くずっと,漁師がかっこ悪いとかつらいなどと思ったことは一度もなく,「相模湾でいちばん多くとるシラス漁師になるぞ!」という強い意気ごみでやってきました。だから,この仕事が自分にとっては「いちばんいい仕事」になりました。
「いい仕事」は見つけるのではなく,自分の力でつくるものです。一生懸命がんばってください。