仕事人

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東京都に関連のある仕事人
1965年 生まれ 出身地 宮城県
山本やまもと 敏晴としはる
子供の頃の夢: 新聞記者
クラブ活動(中学校): 卓球部
仕事内容
世界を救う医師,国際協力という職
自己紹介
内向的で引きこもりがち。昔から,漫画まんがが大好き。自己改革じこかいかくのため英会話スクールに行き無理やり外交的な性格せいかくに。以後,世界数十か国に行ったが,やっぱり自分の家に一人でいるのが好き
出身大学・専門学校

※このページに書いてある内容は取材日(2016年07月25日)時点のものです

人の健康を守り,世界のさまざまな問題を救う

人の健康を守り,世界のさまざまな問題を救う

わたし医師いしであり,国際協力こくさいきょうりょくでもあります。「国際協力こくさいきょうりょく」というのは,ボランティアではなく,生活するのに十分な給料をもらいながら,プロとして,仕事として国際協力こくさいきょうりょくを続けていく人たちのこと。実は「国際協力こくさいきょうりょく」という名称めいしょうは,わたしが考案したものです。
医師いしは人の健康を守るのが仕事です。わたしは病院やクリニックで内科の外来診療しんりょうをしてきましたし,今もやっています。また,国際協力こくさいきょうりょく団体だんたいに登録して,ボランティアで,アフリカやアフガニスタンでの診療しんりょうをおこなっていた時期もあります。
国際協力こくさいきょうりょく」は世界で起こっている,さまざまな問題を救うのが仕事です。内容ないようとしては,貧困ひんこんらす,義務ぎむ教育を普及ふきゅうさせる,医療いりょう状況じょうきょうを良くする,環境かんきょう問題を解決かいけつする,女性じょせい権利けんりを向上させる,紛争ふんそう解決かいけつする,など,本当にさまざま。具体的な職場しょくばとしては,国連の職員しょくいんや,開発途上国とじょうこくへの国際協力こくさいきょうりょくをおこなう国際協力こくさいきょうりょく機構きこう(JICA,ジャイカ)職員しょくいん,開発コンサルタント会社の職員しょくいん,NGO(政府せいふ組織そしき)の有給職員しょくいん(給料をもらって働く職員しょくいん)などがあります。

持続可能じぞくかのう援助えんじょをめざす「国際協力師こくさいきょうりょくし

持続可能な援助をめざす「国際協力師」

わたしは医学部を卒業した後,日本で普通ふつうに内科の医者として働いていました。その後,つとめていたクリニックを辞めて,複数ふくすうのNGO(政府せいふ組織そしき)に参加の登録をし,ボランティアで海外での医療いりょう活動をおこなっていた時期がありました。例えば,かつて「国境こっきょうなき医師団いしだん」に所属しょぞくし,西アフリカのシエラレオネという国で,9か月ほど活動をしていたことがあります。朝6時半から夜まで診療しんりょう,夜間も入院患者かんじゃ容態ようだいが悪化すれば,トランシーバーでびだされて診察しんさつ……という,いそがしい毎日でした。
しかし,わたしはこうした活動に疑問ぎもんを感じるようになっていきました。なぜなら,ボランティアの医師いしまずしい地域ちいきに行って一時的に医療いりょう活動をしても,その医師いしはどうせすぐ自分の国に帰ってしまい,現地げんちに医者がいないという状況じょうきょう改善かいぜんしないからです。現地げんち状況じょうきょうを本当に改善かいぜんするためには,「現地げんち人による医療いりょうの自立」が必要で,それを持続的にささえる「国際協力こくさいきょうりょくのプロの存在そんざい」が必要だと考えました。そこでわたし所属しょぞくする団体だんたいを変えながらも,まずしい国に行ったさいには,自分で医療いりょうをおこなうだけでなく,現地げんち人の医師いし看護師かんごしの教育や育成をおこなうようになりました。同時に,日本にもどっている間は,一時的な無給の(給料をもらわずに働く)ボランティアではなく,一生の仕事としての有給の(給料をもらって働く)プロの仕事,すなわち「国際協力こくさいきょうりょく」という職業しょくぎょうがある,ということを生徒や学生たちに提唱ていしょうし,そのためのキャリアプラン(その職業しょくぎょうになるためにどのような学歴や資格しかくが必要か)の紹介しょうかいをするようになりました。また,私自身わたしじしん,「国際協力こくさいきょうりょく」としては,日本政府せいふの関係団体だんたいばれて,アフリカなど途上国とじょうこく医療いりょう関係者に医療いりょう保健ほけん技術ぎじゅつを伝える仕事などをしていました。日本にまねかれた途上国とじょうこく政府せいふ保健省ほけんしょう(日本の厚生労働省こうせいろうどうしょう)の役人や,指導しどう的立場にある医師いしらに,その国の医療いりょう保健ほけん予防よぼう接種せっしゅなど)の制度せいどをどう作っていくか,を教える仕事です。

国際協力こくさいきょうりょくなや

国際協力の悩み

実際じっさいに日本政府せいふがおこなう国際協力こくさいきょうりょくの仕事に参加する場合,途上国とじょうこくの「えらい人」から日本政府せいふに「~をやってほしい」という「お願い」が来て,その人たちの望むようなことをやる,という形になります。えらい人は,通常つうじょう,その国の中のお金持ちで,まずしい人たちとはちがう考え方をもっています。このため,えらい人たちの望んでいることをしてあげても,その国のまずしい人たちの状況じょうきょう改善かいぜんしないこともあります。でも,現地げんち政府せいふは,お金持ちたちでめられているため,まずしい人しか得をしないプロジェクトは,実際じっさいのところ,実施じっししてもらえません。そのあたりが国際協力こくさいきょうりょくとして,いつもなやむところです。女性じょせいや子ども,まずしい人など,社会的に弱い人からも意見を聞きつつ,お金持ちもまずしい人も,両方が得をする政策せいさく実施じっしできるように調整していくことが必要だと思っています。

結果を実感できるとうれしい

結果を実感できるとうれしい

医師いしとしての「うれしいこと」はやはり,自分が診察しんさつした患者かんじゃさんが治ったとき。「やった!良かった」と思います。特に,他の病院を数回受診じゅしんしても,なかなか病名もわからず治らなかった患者かんじゃさんが,わたしのところに来たら,病名もわかり,病気も治ったという場合。このときは,難解なんかい推理すいり小説をいたような満足感があります。当然,患者かんじゃさんも,すごく感謝かんしゃしてくれます。
国際協力こくさいきょうりょくとしては,人々ひとびとが喜ぶ姿すがた直接ちょくせつ見ることは少ないのですが,社会の裏方うらかたとして,人々ひとびとの幸せをささえている実感がもてた時は,やりがいを感じます。それ以外では,途上国とじょうこくの役人や医師いしなどに授業じゅぎょうをした後で,授業じゅぎょうをよく聞いていたことがわかるような,「いい質問しつもん」がきたときは,うれしいです。「ああ,この人は,よく聞いていてくれたんだな」とわかるので。

自己じこ満足にならないように

自己満足にならないように

わたしは,「人々ひとびとが望んでいることは何か?」を見つけ出し,それに対応たいおうすることを心がけています。紛争ふんそう地帯や災害さいがいの直後の現場げんば,あるいは本当にまずしい国の人々ひとびとほっしていることは,「医療いりょう」ではないことが多いんです。医療いりょうではなく,食べ物や水がしい,仮設かせつ住宅じゅうたく(テントなど)を作ってほしい,と言われることは,ざらにあります。だから,こまっている国に,いきなりボランティアの医師いしが行くのは,あまり意味がないと思います。まず,国際協力こくさいきょうりょくの分野の全体にくわしい人が現地げんちに行き,「この地域ちいきではどんな援助えんじょをするべきか」を判断はんだんし,それに対して必要な物資ぶっしや人材を,後日,おくりこむ,というのが適切てきせつです。
また,援助えんじょをする場合は,ひとりよがりの自己じこ満足になってしまわないように,「確実かくじつに結果を残せたという客観的な数字」をプロジェクトの結果として出すことを心がけています。例えば,わたしがアフリカの病院の再建さいけんをしたときだと,当初,その病院は,肺炎はいえんになった子どもが3分の1以上,死んでしまうような医療いりょう状況じょうきょうでした。でも,わたしはそれを,10分の1未満の子どもしか死なない病院に改善かいぜんしました。このように「数字で残る形にする」ことを心がけています。

なんとなく医師いしに,そして国際協力こくさいきょうりょくの道へ

なんとなく医師に,そして国際協力の道へ

わたしは,高校時代まで,特にめざすものがありませんでした。両親は医師いしだったので,親の言うとおりに医学部に入り,そのまま医師いしになりました。
国際協力こくさいきょうりょくへの関心については,小学校6年生,12さいのときに,父に連れられてアフリカに行ったのですが,ところかまわずハエがたかっているんです。ハエで真っ黒になっているスイカを,現地げんちの子どもたちが平気でバクついている,という光景が衝撃しょうげきで……。日本に帰ってからも,ずっと心に引っかかっていました。医師いし免許めんきょを取った後に,国際協力こくさいきょうりょくの道に進もうかとも思ったのですが,「国際協力こくさいきょうりょくとはしょせん自己じこ満足ではないか?」という思いがあり,すぐにはれませんでした。しかし「本当に意味のある国際協力こくさいきょうりょくとは何か?」とは,ずっと考えていました。そして35さいぎたころに,「現地げんちの自立と,持続可能じぞくかのう援助えんじょをめざす」という方針ほうしんが立ったので,国際協力こくさいきょうりょくの道にみこんだのです。その後,さまざまな団体だんたい実績じっせきを積んでいくうちに,政府系せいふけいの機関などから声がかかり,「国際協力こくさいきょうりょく」として仕事をたのまれるようになりました。
現在げんざいわたしは,「NPO法人 宇宙船うちゅうせん地球号ちきゅうごう」という団体だんたいを立ち上げて,「日本人のプロの国際協力こくさいきょうりょく」たちを育成することを一番の目的にしています。そして,そのためのガイドブックを書き,インターネット上にも多くの情報じょうほうせる,ということをしています。

笑いが好き,戦略せんりゃく的に考えるのも好き

笑いが好き,戦略的に考えるのも好き

小学校時代,放課後はマンガばかり読んでいました。今でもギャグは好きで,わたしが書いた十数さつの本の中にも,ギャグの要素ようそは多く取り入れています。
中学時代は卓球たっきゅう部。高校時代は将棋しょうぎ愛好会に入っていました。もともと算数・数学が得意だったのですが,将棋しょうぎ愛好会で将棋しょうぎに取り組んだことで,論理ろんり的にものを考える傾向けいこうが,さらに強くなった気がします。自分がこうしたら,相手がこう反応はんのうし,次に自分がこうして,それに対し相手は……ということを通常つうじょう,15手先ぐらいまで予想するんです。
国際協力こくさいきょうりょくの世界にかかわるとき,わたしは「本当の意味で,まずしい国の人々ひとびとを助ける,ということは,どういうことだろう?」ということを考えます。では具体的にどうしようか,というときに,さらに問題を細かく分けて,できることを一つひとつ,戦略せんりゃく的に,計画的に考えていきます。これは将棋しょうぎをやっていたからできるようになった面もあるかもしれません。

「いま」を一生懸命いっしょうけんめい

「いま」を一生懸命に

わたしは子どものころ,漫画まんがの主人公のような,「巨大きょだいてきに立ち向かって,がんばっていく,努力していく。あるいは,自分のゆめに向かって,ひた走ってゆく」というような姿勢しせいがかっこいいものだ,と思っていました。ところが,自分には特にやりたいゆめもなく,また,すごく努力をつづける根性こんじょうもなかったので,何となく人生を送ってきました。ですが,ひょんなきっかけから始めた国際協力こくさいきょうりょくの世界で,それなりに「がんばって」いたら,これまで受けてきた教育や,自分で選んで活動した将棋しょうぎなどの経験けいけんなど,わたしの中でねむっていた能力のうりょくが目覚めて,思ってもいなかった能力のうりょく発揮はっきされ……いつのまにか,「自分の進む道」ができてきた,というのが,わたしの場合です。だから,今,ゆめなどが見つからなくても,いつかそれが見つかった時に,なんらかの役に立つかもしれないので,勉強でもクラブ活動でも,今,目の前にあるものを一生懸命いっしょうけんめい,がんばるのがいいのではないか,と思います。なりゆきで進むことになった道でも,それなりに真面目にやっていると,だんだん,それが自分のやりたいことに変わってゆく,ということもあると思います。
そして,「国際協力こくさいきょうりょく」という職業しょくぎょうは,日本だけでなく「世界を守る」仕事です。各国の国家予算から自分の給与きゅうよがもらえる立派りっぱな仕事でもあります。興味きょうみがあったら,ぜひわたしの本を読んで,国際協力こくさいきょうりょくをめざしてみてください!

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山本 敏晴
世界のために仕事をする国際協力師という仕事の内容と,その仕事に就職するために何が必要か,をわかりやすく書いたガイドブックです。無給のボランティアではなく,有給のプロの仕事として,世界のために働くことを主眼に書いたものです。仕事の内容は,紛争停止,貧困削減,教育の普及,医療の普及,環境問題など多彩で,就職する組織も数十か所以上あります。将来,大人になったとき,「国際協力」という職場がある,ということを思い出して頂ければ幸いです。
シェル・シルヴァスタイン
主人公は,子どものころから「理想の自分」と,それになるための「かけら」(必要なもの)を探します。長い間,いろいろ探し回ったのですが,なかなか見つかりません。ですがある日,ついにその「かけら」を見つけだします。主人公は大喜びし,その後しばらく幸せな日々を過ごします。ところが,「理想の自分」だと思っていた状態になってから,ほどなく,再び主人公は疑問を持つのです。「これで良かったのか?」と。その後の展開は読んでのお楽しみです。私はこの本を読んで「人間が生きる」ということの意味が少しわかった気がしました。

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取材・原稿作成:東京書籍株式会社