※このページに書いてある内容は取材日(2019年01月17日)時点のものです
事業を立ち上げ,設計・施工を経て運営まで行う
私は今,前田建設工業株式会社という建設会社の事業戦略本部という部署で働いています。この部署が立ち上がったのは,2011年のことでした。私たちのようにゼネコンと呼ばれる建設会社は,基本的に,企業や国といった発注主から工事を請け負う立場です。つくりながら「こういう風にしたらもっと使いやすいのかも」「こういう使い方ができるのでは」というのを思いつくことがあっても,できたものを使うのは発注主で,私たちにはどうすることもできないのが普通でした。でも,これからは自分たちでつくったものを運営したり,会社のものとして持ち続けたりといった,請け負う以外のこともやっていこう,という「脱請負」を目指して,今の部署が立ち上がったんです。
自分たちがつくり上げた事業が順調に大きくなれば,それ自体で利益を生んだり,あるいは,軌道に乗ったところで事業ごと売却したりすることもできます。発注する側も施工する側も同じ社内にいることで,施工に関する話し合いもスピーディーに進み,「いいもの」を追求できるというメリットもあります。
今,この部署には大きく2つの柱があります。1つは自治体や公社などが持っている道路や空港といった施設を借りて,自分たちで運営する,という事業。もう1つは,「メガソーラー」と言われる大規模太陽光発電所や洋上風力発電所といった,再生可能エネルギーに関する事業で,こちらは企画から私たちが行い,調査,設計,工事を経て,完成後の経営にまで私たちが関わります。私は今,主にこの再生可能エネルギーの仕事を手がけており,プロジェクトリーダーとして,間もなく完成する秋田県の「八峰風力発電所」など,4つほどのプロジェクトに関わっています。
日本各地でプロジェクトを進める
2011年の東日本大震災以降,太陽光や風力などの再生可能エネルギーに注目が集まり,2012年には,再生可能エネルギーの買取制度も整備されて,こうした発電方法で作られた電気が高く売れるようになりました。もともと前田建設工業はダム建設を多く手がけており,発電所に関するノウハウがありました。そこで,私たちの部署では,再生可能エネルギーに関するビジネスを立ち上げていくことにしたんです。
まずは事業に適した場所探しからスタートし,土地を使えるように,土地の持ち主や地域の人たちと交渉し,資金を調達し,社内の他部署と連携しながら設計・建設を進めていきます。そして完成した後も,たとえば運営する会社の出資者や株主となったりと,さまざまな形で運営に関わります。ときには軌道に乗った後で,事業ごと売却することもあります。
プロジェクトの予定地は日本各地にあるので,出張はひんぱんにあります。下調べのためだったり,地元の方々との交渉をしたり,役所へ許可を取りに行ったりと,現地に足を運ぶことは多いですね。
太陽光にせよ風力にせよ,屋外に建てるものなので,どんな地盤なのか,風や雪などの影響はどのくらいあるのかなど,環境により必要な設計が変わってきます。また,発電所である以上,絶対に安全でなくてはいけません。そのため,準備は慎重に行っていきます。1つのプロジェクトがスタートして,終了するまでは3年以上かかるのが普通で,ときには,10年近くかかることもあります。
1つ1つのプロジェクトがわが子のよう
インフラに関わる仕事というのは1つとして同じものはありません。道路に発電所にと,つくるものも違えば,同じ発電所にしても建てる地域が違えば条件もさまざまに変わり,それぞれの条件に応じてカスタマイズしていくことが必要ですから,いつも,つくっているものが違います。だからインフラに関する仕事は面白いし,働いていても飽きることはありません。
さらに,私たちの部署ならではの仕事の喜びとして,自分が手がけたものができあがり,そしてそれらが稼働する様子を見られる,ということがあります。完成してから引き渡してしまうのではなく,ずっと見守ることができるんです。「請負」でトンネルをつくっていたときには味わえなかったことですし,なんだか,つくるもの1つ1つが自分の子どものように感じることもあります。つくった後に「育てる」ことができますし,それぞれの“育ち方”も違います。「この子はどういう風に手をかけてあげればいいものに育つだろう」といったように,つくったものの未来の成長を考えながら関わっていくことができます。これは幸せなことだと思います。
また,仕事の上で,大きな金額の契約をすることもありますが,大きな契約を問題なく結べたときにも充実感を感じますね。たとえば先日も,風力発電所用の巨大な風車を買う契約を交わしたのですが,何十億円という金額になりました。大きな契約ですから,分厚い契約書を読み込み,技術仕様も詳細に検討する必要があります。大変ですが,技術仕様の部分などは私がエンジニアだからこそ細かい部分がわかり,契約にまでたどり着けるということもあります。自分だからこそできる仕事かなとも思いますし,やりがいを感じます。
相手に理解してもらうため,論理的に考える
どんなことでも自分できちんと考えて筋道を組み立て,結論を出す,ということを心がけています。今,私はプロジェクトのリーダーとして動いているので,仕事の中で本当にいろいろな人と関わることになります。さまざまな立場の関係者の意見を聞きながら,まとめていくのですが,ときには話し合いの中で意見がバラバラになってしまうこともあります。また,どの選択肢を選んでも,チームの誰かが不満に思う結果になってしまう,といった場合もあります。でも,だからこそ,「私はこれがいいと思います。こういう面はあるかもしれないけど,だったらこうしたらいいのでは」というように,みんながなるべく納得するように話をしなくてはいけません。自分の中でまずきちんと理想の「あるべき姿」の結論を出して,その上でみんなと1つずつ確認をしていく。そうすれば,わかってもらえることは多いんです。
今の部署が立ち上がったとき,まだこういう「いろいろな人たちの意見をまとめて,大きな仕事を動かしていく」という経験が少ないまま,プロジェクトを立ち上げていかなくてはいけませんでした。そんな中,周りの人に理解してもらえるにはどうしたらいいか,ということを試行錯誤していくなかで,こうしたことを大切にするようになったんです。
「ものを作って,売る」というシンプルな仕事
高校時代に,親御さんが設計の仕事をしている友達がいたんです。家に遊びに行ったとき,製図道具などを見て「かっこいい」と思い,建築の道に進むことを決めました。そして理系の学部に進み,大学3年生になって専門を決めるとき,建築学科は人気で倍率が高かったのですが「ものをつくる」方面には進みたかったため,土木学科を選びました。
実際に土木学科に進学してみたら,毎日の実験や研究がとても面白かったんです。たとえば土砂を固めて,どう押したらどう壊れるかを研究したり,コンクリートを練って,どのくらいの強度があるかを調べたり。そういうのが向いていたんでしょうね。その後,就職活動をするときも,“現場で仕事ができること”を条件に会社を受けていきました。
私が思う建設業のいいところは,一生懸命ものをつくり,その「ものを渡した対価としてお金をいただく」,という点だと思います。これって,野菜を育てる農家さんや,魚をとる漁師さんたちと同じような,すごくシンプルな仕事だと思うんですね。このシンプルさがすごく好きなんです。自分の子どもに「お母さんはどんな仕事をやってるの?」って聞かれたときに,たとえば「風力発電所をつくっているんだよ」といったように,「こういうものをつくっている」とすぐに答えられる。そういう仕事はいいな,と思います。
法律の壁を経験した,シールドトンネルの現場
もともと現場の仕事を志望していたため,入社して最初の仕事は現場監督でした。東京の霞が関の,巨大なシールドトンネル工事の現場でした。今から15年前で,まだ建設業界では女性の現場監督も珍しい時代でした。それでもうちの会社は「やってみなさい」と背中を押してくれ,私も張り切っていたのですが,そこで問題が起きました。
会社から言われたのは「法律のために,私は現場に行けないかもしれない」ということでした。実は当時,労働に関する法律で,女性はトンネル工事などの現場では働いてはいけない,ということが定められていたんです。かつて,炭鉱労働者として子どもや女性が酷使されていた時代があったので,そういうことを防ぐために作られた法律だったんですが,時代が変わってもずっと残っていたんですね。
このままだと私はシールドトンネル工事の現場で働くことができないし,会社としても建設業界としても,このままではいけないのでは,という話になりました。そんなとき,その仕事は国土交通省の手がける大きなプロジェクトだったため,当時の小泉純一郎首相が現地を視察するということがあったんです。そのタイミングで,この法律と私の置かれた現状について,私から首相に,直接お話しさせてもらいました。その後,いろいろな方の尽力もあり,次の年に法律が改正されることになったんです。今では,管理,監督をする業種なら,女性もトンネル内の作業に従事することができます。建設業界で女性がその後活躍していくためにも,いいタイミングだったのかもしれません。
前例のないことを立ち上げる大変さ
入社して5年ほどは,さまざまな施工現場で現場監督として働きましたが,結婚・出産を機に設計部に異動になり,その後,産休から復帰したタイミングで,今いる事業戦略本部の立ち上げから関わることになりました。今でこそ,「建設会社が自らつくったものを持ち続け,運営に関わる」というビジネスモデルは日本の建設業界でも広まってきていますが,当時は誰も何もわからない状況でした。「何をやったらいいのか」を考えるところからのスタートだったので,海外の事例などを参考にしたり,とにかく勉強することから始まりました。
それまでは現場監督や設計の仕事をしていたのに,いきなり,契約書の交渉や,事業収支を作るといった,これまでとは全く違う仕事が入ってきました。しかも,太陽光発電の事業に関しては,社内に誰もプロフェッショナルがいない状況でした。1つ1つの細かい技術はわかるものの,それらを統括したプロジェクトの経験者がいなかったんです。だからとにかく太陽光発電の経験者などにいろいろな情報や意見を聞いて,何が最適なのかを探りながら,走り回ってプロジェクトを進めていった記憶があります。
当初,6人でスタートした部署の人員は,今では70人になりました。立場上,チームのメンバーをマネジメントしていくことも増え,常に並行していろいろな作業を行っているような状況です。一人では絶対にできない仕事なので,チームメンバーと情報を共有しながら,進捗状況をコントロールしていくようにしています。
目標や夢は変わっていってもいい
社会に出ると,とても広い世界が待っていますし,社会人生活もとても長いものです。だから,いくらでも自分の世界を広げていくことができます。面白いことはどんどん自分で開拓していけるんです。
実際に私も,最初は現場監督や設計の仕事をするつもりで前田建設工業に入りましたが,今では事業を立ち上げる仕事をしています。みなさんも,今「こういう職業につきたい」と思っていたとしても,もしかしたら世の中にはもっといろんな職業があって,さらに面白いことがたくさんあるかもしれません。目標や夢は変わっていってもいいんです。自分の未来を限定してしまわずに,面白いと感じられることを探してみてください。
また,土木の業界というのは,きらびやかではないかもしれません。でもその裏側には力強さや,高い技術を駆使したエネルギーが満ちあふれています。最先端の流行を追いかけるような仕事ではなくても,最先端の科学的な知を結集した現場がここにあります。もし興味を持ったならぜひ,飛び込んできてほしいです。