仕事人

社会にはいろいろな仕事があるよ。気になる仕事や仕事人をたくさん見つけよう!

東京都に関連のある仕事人
1976年 生まれ 出身地 兵庫県
土師はぜ ひろし
子供の頃の夢: 画家
クラブ活動(中学校): バスケットボール部
仕事内容
絵画のれっそんしょうを安定したじょうたいしゅうふくし、画家のひょうげんかんしょうしゃをスムーズにつなげる。
自己紹介
気になることがあると、必要以上にこだわったり、とことん調べたりすることがあります。ぎゃくきょうがないこととのギャップが大きいかもしれません。しゅでもじゅつかんやギャラリーに行くのが好きなので、そのようなかんしょう体験も仕事に役立っていると思います。

※このページに書いてある内容は取材日(2025年08月01日)時点のものです

油絵のしゅうふくをする

油絵の修復をする

わたしは、東京都すぎなみのアトリエけんたくをベースに、絵画をしゅうふくする仕事をしています。じゅつひんしゅうふくは、油絵、日本画、ちょうこくなど、ジャンルごとにせんもんせいが高く、わたしは油絵がせんもんです。
東京げいじゅつ大学大学院で学んだのち、じんしゅうふくの仕事を始めました。2017年にアトリエをしんちくしたのと同時に、「かぶしき会社 絵画こうぼう」をせつりつしました。このこうぼうしゅうふくの仕事をしているのは、ほんてきわたし1人です。
おうべいなど海外では、ほとんどのじゅつかんぞんしゅうふく部門があります。日本では、最近ようやくぞんしゅうふくたんとうしゃさいようするじゅつかんえてきましたが、それでも全国で15館ほどです。じっさいしゅうふくの仕事を行うのは、わたしのような民間業者やじんのフリーランスが多いです。

写真での記録はひっ

写真での記録は必須

げんざいわたしへの仕事のらいは、公立やりつじゅつかんからが5わりほど、じゅつひんてんはんばいをするギャラリーからが4わりほど。あとの1わりじんからで、しゅうしゅうのほか、アーティストから自身の作品のしゅうなどをたのまれることもあります。
電話やメールでらいが入ったら、のうな場合はその作品を見に行きます。遠くて行けない場合には、写真を送ってもらいます。次にしゅうふくないようを相談しますが、らいしゃの要望を聞いて、必要さいていげんしょすすめ、「あれもこれも」とていあんしすぎないよう心がけています。が必要のないしゅじゅつすすめないのと同じです。
しゅうふくないようが決まったら、作業にっていや料金を話し合い、正式な受注となります。1点にかかる作業日数は、ふつう数日から10日ほどです。作業は、道具や材料がそろっている自分のアトリエでなるべく行いたいですが、じゅつかんしゅうぞうひんは外に出すのがむずかしいことも多く、週に何日かはじゅつかんで仕事をしています。
作品を前にして、最初に行うのは写真さつえいです。しゅうふく前の記録は、とても重要です。大学でも、そのためのさつえいじゅつを教えるほどです。細部まで記録できるよう高精細のカメラを使い、ライティングにも気を配って、作品のうらがわや、がくを外したじょうたいなどもしょうさいさつえいしておきます。しゅうふく中に、もとのじょうたいを写真でかくにんすることもありますし、やぶれや絵の具のはがれなどの記録は、らいしゃとのトラブルをけるためにもひっです。写真さつえいは、しゅうふくちゅうでもこまめに行います。作業のかんりょう後、何をどのようにしゅうふくしたかしょうさいほうこくしょを作成しますが、そのりょうとしても必要だからです。

ようざいテストの後、細かい作業をコツコツと

溶剤テストの後、細かい作業をコツコツと

しゅうふくの作業はまず作品のじょうたい調ちょうから行います。ライトで照らしながらよく観察した後、「ようざいテスト」といって、水やシンナー、エタノールなどのようざいふくませた綿めんぼうで、作品のはしの目立たない部分をこすってみます。よごれがどのようざいで落ちるのか、どのようざいなら絵の具がいたまないかなどを調べるテストです。油絵と聞いていた作品が、水で絵の具がけ、「すいさいだ!」とわかって、おどろいたこともあります。
テストでしゅうふくほうしんが決まったら、いよいよしょに入ります。しゅうふくは大きく分けると、「ぞん」のためのしょと、「見た目を整える」しょの、2だんかいがあります。ぞんのためのしょとは、たとえば、はがれそうな絵の具のせっちゃく、ほこりのじょきょ、絵がえがかれているぬの、キャンバス)のやぶしゅうやたるみのかいぜんわくの調整などです。その作品が長く良いじょうたいぞんされ、かんしょうできるようにするためのしょですね。
しゅうふくの仕事は、細かい作業を地道にコツコツやることが多いです。たとえば、油絵具のはがれ止めのしょには、「にかわ」という動物の皮由来のせっちゃくざいをよく用います。にかわを小筆にとって、ひびれた絵の具の下に差し入れ、せっちゃくざいがつかないシートを置いて上から熱を当てると、にかわがかわいて絵の具がくっつきます。にかわは、水にけるので、はみ出したぶんかんたんれます。

作業前のじょうたいもどせるように

作業前の状態に戻せるように

あとでかせるせっちゃくざいや絵の具を使うなどして「しょ前のじょうたいもどせる」ように作業をすることは、げんだいじゅつひんしゅうふくほんてきな考え方です。はるか昔には、絵の一部をそうぞうき足したり、色をり直したり、オリジナルとはかけはなれた作品になってしまうしゅうふくが行われた時代もありました。しかし20せいに入ると、年月による自然なれっは作品の持ち味として受け入れ、必要以上のしゅうふくをせず、しかも「作業前のじょうたいもどせる」しょをして、後世にわたすことがほんの考え方となりました。写真や文書で作業ていくわしく記録して残すのも、このためです。
「見た目を整える」しょも、この考え方にしたがって行います。「見た目」のしょは、ギャラリーからのらいではいっぱんてきです。絵を売るために、見た目は大切ですから。具体的なしょとしては、絵の具がなくなってしまった部分に色づけする「さい」や、絵の表面のよごれを落とすクリーニングなどがあります。油絵のさいに油絵具は使わず、後から落とせるせんようの絵の具を用い、クリーニングも作品をきずつけないよう、細心の注意をはらって行います。

げきてきに見た目が変わった、きしりゅうせい作品

劇的に見た目が変わった、岸田劉生作品

わたしは、げきてきに見た目が変わるしゅうふくを行ったけいけんが何度かあります。そのうちの一つは東京国立近代じゅつかんかららいされた、きしりゅうせいの作品でした。きしりゅうせいは、たいしょう時代を中心にかつやくした画家で、むすめをモデルにした「れいぞう」シリーズは有名です。しゅうふくらいされたのは、《むら直臣なおみ七十さいねんぞう》という人物画でした。
この作品では、表面にられたワニスが変色していました。ワニスとはじゅようざいかしてられたまくで、作品をこうたくを調整するこうがありますが、年月がたつと茶色っぽく変色してしまうことがあります。らいされた作品をがいせんライトなどで調ちょうした結果、せいさくのかなり後に第三者がワニスをったことがわかりました。そこでじゅつかんと相談し、作者の意図ではないことなどから、変色したワニスをのぞくことにしました。
ワニスは有機ようざいふくませた綿わたでやさしくこすると、絵の具をかさずうまく取れることがあります。変色したワニスの下からは、せいさく当時のじょうたいに近いしきさいがあらわれ、細部もはっきり見えるようになりました。

画家とかんしょうしゃをスムーズにつなげる

画家と鑑賞者をスムーズにつなげる

わたしは《むら直臣なおみ七十さいねんぞう》のほかに5点、きしりゅうせいの作品のしゅうふくを東京国立近代じゅつかんかららいされて行っています。これらすべての作品のしゅうふくを通じて、100年も前の画家のひょうげんげんざいかんしょうしゃをスムーズにつなげることができたのではないかと思っています。この仕事のやりがいは、そこにあります。ただししゅうふくは、目立ってはいけない仕事です。しゅうふくなど何もされていないように作品がじゅつかんてんされ、見る人の心にスムーズにとどくことが目的です。
むら直臣なおみ七十さいねんぞう》は、特にワニスのせいで色合いが暗く、わたしも「りゅうせいらしくない作品だな」と思ったほどです。じゅつかんでもあまりてんされてこなかったようですが、ワニスをのぞいたら、あざやかな色とせんさいひょうげんがあらわれ「さすがりゅうせいだ!」と、息をのみました。今後この作品のてん機会がえるのではないかと期待しています。

せいかいがない仕事

正解がない仕事

しゅうふくの仕事のむずかしさは、「せいかいがない」ことです。
たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》は、長い年月の間にくすみ、昔のしゅうふくきずあとも見えますが、あの古びたしきさいのイメージが世界中に広く定着しています。それもあって、ルーヴルじゅつかんはクリーニングせず、あのままにしているのだと思います。ぎゃくに、りゅうせいの《むら直臣なおみ七十さいねんぞう》はこれまでさほど注目されてこなかった作品だったので、ワニスのじょきょによるイメージの変化をけつだんしやすかったともいえます。
しゅうふくはんだんは、その時代の社会はいけいや考え方に左右されます。じゅつや材料も進歩します。しょうらいじゅつが進みしゅうふくじょうしきも大きく変われば、げんざい行われているしょは「ひどいやり方だった」と言われる時代が来るかもしれません。「せいかい」がないのです。だからこそ、しょうらいやり直しができる材料を使い、記録を残すなど、今の時代にできるさいぜんをつくすのが、わたしたちしゅうふくの使命です。
今、世界は、「ぼうぞん」という考え方に向かっています。人間も健康しんだんで生活を見直し病気をぼうしますが、じゅつひんも同じです。「れっしたらしゅうふくすればいいや」ではなく、作品がいたまないようぞんかんきょうを整えることがさいゆうせんされています。わたしも、しゅうふくらいしゃに作品のぞん方法をアドバイスすることがよくあります。
絵の具もぬのも、さいげつとともにさんするなどしてれっします。これは自然なことです。80さいの人にシワがまったくないのが不自然なように、絵画も、えがかれたばかりのように生々しくしゅうふくしてしまったら不自然になります。作品が自然で健康的に年を重ねられるよう、手助けするのがしゅうふくやくわりでもあります。

しゅうふくになるまで

修復家になるまで

わたしは中学時代、仲よし5人組の友だちがいて、少しびしたえいや文学にれていました。あるとき「しょうらい、何になる?」という話になり、わたしはなぜか「画家になる」と答えました。絵はちょっととくていでしたが、せんげんしたら本気になってしまって。高校時代にじゅつけい大学を目指すこうに通って、武蔵むさしじゅつ大学の油絵学科にごうかくしました。
卒業後はアルバイトをしながら絵をいていましたが、やがて「自分は画家より別の道のほうがいいのでは」と思えてきました。であればこれからの人生をどうしようかと考えていたある日、たまたまテレビでしゅうふくの特集を見て、絵が好きでコツコツ作業をするところが自分に向いていると思い、「これだ!」と直感しました。ネットで調べたら、東京げいじゅつ大学の大学院にせんもんの研究室があることがわかり、受験したら運よく入学できました。30さいのときです。
ただ、大学院を卒業してもしゅうふくへの道はなかなかけわしかったです。当時、ぞんしゅうふくたんとうしゃがいるじゅつかんはまだ5、6館で、民間のしゅうふくこうぼうのスタッフも数人てい。じつは、じゅつかんしゅうしょくするでもなく、こうぼうしょぞくすることもなくしゅうふくとして一本立ちしたわたしけいれきは、かなりめずらしいんです。ある日、知り合いのギャラリーの店主から、おかもとろうの小さな作品のしゅうふくを「やってみる?」とまかされました。勉強だと思ってしゅうふくしたら、とてもよろこんでもらえました。ギャラリーはわざわざしゅうふくこうぼうたのむほどでもないと思ったのか、わずかな絵の具のはがれでした。気軽に安くたのめ、一定のじゅつもあるわたしは、便利だったんでしょうね。このギャラリーから別のギャラリーをしょうかいされてだいきゃくえ、何とか生活していけるようになりました。

ともに学び合いぶんざいを守る

ともに学び合い文化財を守る

しゅうふくとして仕事を始めて間もない2011年に、大きな転機がおとずれました。神奈川県立近代じゅつかんしゅうしたぞんしゅうふくのインターンとして、2年間、けんしゅうできることになったのです。ここでどう研究員の方にじっせんてきじゅつをたくさん教えていただき、その一つ一つが目からうろこの大きな学びでした。またしゅうふくとしてもなかしてもらえた気がして、だいに仕事に自信をつけることができました。
2011年といえば、東日本だいしんさいが起きた年です。「全国じゅつかん会議」というじゅつかんのネットワークがあるのですが、そこが中心となって岩手県のりくぜんたか市立博物館のなみをかぶったしゅうぞうひんもりおかの建物にうつし、どろやカビを落とすおうきゅうしょをみんなでやろう、ということになりました。しゅうふくをとったのがインターンのどう研究員の方で、わたしもお手伝いをしたいと手を挙げました。しんさい後は絵画の売買がぴたっと止まり、わたしの仕事も開店休業のじょうたい。時間だけはあったのです。そこで1か月ほどもりおかじょうちゅうして作業に加わり、わりで全国からボランティアに集まるじゅつかんの学芸員やしゅうふくれんらくがかりつとめました。
このけいけんが、思いがけないざいさんとなりました。それまでしゅうふくどうしの交流はあまり活発ではありませんでした。それがボランティアの作業中にじゅつを教え合うなど、じょうほうこうかんが活発に行われました。しかもまいばん、大交流会です。わたしは1か月もたいざいしていたおかげで多くの知り合いができ、やがて各地のじゅつかんから仕事をらいされるようにもなりました。
岩手県立じゅつかんの方々とも交流の機会をいただき、そのごえんは今も続いていて、しゅうふくこうこうまねいていただいたりしています。このような開かれた場づくりは、とてもうれしいことです。じゅつひんは公共のざいさんです。しゅうふくじゅつみつにするのではなくオープンにして、ともに学び合うことは、とても大切だと思います。

好きなことを見つけてほしい

好きなことを見つけてほしい

何かのしょくぎょうくには、少しでも好きなこと、きょうのあることを追い求めるのがいちばんだと思います。きょうのないことは努力も長続きしないし、仕事の中で成長するのもむずかしいでしょう。はばひろじょうほうれれば、きょうのあることを見つけられるかもしれません。
絵画しゅうふくになるにも、絵画にきょうがあることは、ひとつのさいのうだと思います。絵をくのがヘタでもあまり関係ありません。自分のけいけんからいうと、じゅつのことだけではなく化学の勉強もしておいたほうがいいですね。作品の調ちょうかいに必要ですし、しゅうふくではようざいなどの化学薬品を使います。わたしは化学のを学んでおかなかったので、大学院に入った当初は苦労しました。
最近はじゅつかんぞんしゅうふくたんとうさいようえるなど、絵画しゅうふくになる道も広がってきています。きょうがあれば、チャレンジしてみてはいかがでしょう。

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森 直義
現場で実際に手を動かす修復家の視点から、修復のプロセスや、そこから見えてくる絵画の知られざる裏側などについて書かれています。作品の保存・修復には、手先の技術だけでなく、幅広い知識や高い倫理観が求められるということを、学生のころに読んで学んだ一冊です。

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取材・原稿作成:大浦 佳代・東京書籍株式会社