※このページに書いてある内容は取材日(2017年06月01日)時点のものです
福井県の郷土料理を次の世代に伝える
私は,福井県に住む「郷土料理研究家」として,福井県の郷土料理を県内外のたくさんの人に伝えることを仕事にしています。「郷土料理」というのは,昔から伝わっている,その土地に根付いた料理のことです。例えば福井県なら,すり潰した大豆を味噌汁に溶かした「呉汁」や,たくあんの塩を抜いてダシで煮た「たくあんの煮たの」などがあります。だけど,福井県の人でも,これらの料理の名前すら聞いたことないという人がいるかもしれません。私は,郷土料理を知らない人が増えて,作り手がいなくなり,郷土料理がなくなってしまうことに危機感を覚えています。このままだと福井の食の原点である郷土料理の歴史が途絶えてしまうからです。だから,県内のいろいろなところに出かけて,その地域の70~80歳くらいのおばあちゃんたちに,受け継がれている料理を教えてもらい,次の世代のために分かりやすいレシピを書き残しています。「郷土料理研究家」と名乗ってはいますが,「研究」だけが仕事ではなく,「今後,どのように郷土料理を残していくか」を考えて,実行していくのが私の役目だと思っています。
レシピを作ったり,商品開発のアドバイスも
現在は,市役所や県庁など,役所からの仕事が多いですね。例えば福井県の依頼で,県内のスーパーマーケットに置くために福井の食材を使ったレシピを載せた印刷物を作ったり,首都圏の人たちに福井県の郷土料理をPRするために,越前和紙や漆器などの伝統工芸品に美しく盛り付けて撮影し,雑誌に掲載するといった仕事がありました。
また,農業や水産業,畜産業などの第1次産業に携わる人が,とれたものを自分たちで加工して販売までを行うようになることを「6次産業化」といいますが,この6次産業化のアドバイザーとして,生産者の人たちと一緒に新しいレシピづくりや商品開発をすることも増えてきました。例えば,梅農家さんとともに福井県産の梅「黄金の梅」のブランド化に取り組み,ジャムなどの商品を作ったり,イカ釣りで有名な福井市の港町・越廼の漁業協同組合と一緒に,イカをぬか漬けにした「へしこ」を使って「イカのへしこのオイル漬け」を作ったりしました。これらは製品として,販売されています。こうした仕事のため,最近では生産現場に足を運ぶ機会が増えましたね。
なるべく多くの郷土料理を残したい
私の一番の目標は「福井県の郷土料理を次世代に正しく残す」こと。しかし,郷土料理を作っているおばあちゃんたちが元気なうちにその作り方を習いたいと思うと,あと10年くらいしか時間がありません。それまでに,なるべく多くの郷土料理に出会いたいんです。そのためにも,私1人だけで活動するのではなく,郷土料理に関心のある人たちを巻き込んで,みんなで活動したいと考えています。
「郷土料理を残す」という仕事は,これまで誰もやってこなかったため前例がなく,周囲の人たちに仕事として理解してもらうのに時間がかかります。そのため,私がレシピを作ったり,役所と組んで仕事をすることで,「どのように郷土料理を広め,保存していくのか」という最初の例になればいいなと思っています。今では農家の人やメディアの人たちなど多くの人が賛同してくれ ,私の手を離れてどんどん活動が広がっています。最初は共感を得られず苦労しますが,こうやって協力してくれる人が増えていくのを見ると「自分のやっていることは間違っていなかった」と嬉しくなりますね。
料理に込められた思いも一緒に伝える
仕事を通して出会った地域の人たちから,いろんな話を聞いてきました。その土地の歴史や文章では残っていないような言い伝え,暮らしや生活の知恵,最近ハマっていることまで。もちろん郷土料理やその食材のことについては詳しく聞きますが,実は,そういった「食」関連以外の話を聞くことが大好きなんです。一見「食」と関係のないことでも,突き詰めていくと,「なぜその土地に,その料理が残っているのか」といったことにつながっていることがある。それが面白いんです。人々の暮らしと食は,切っても切れない関係にあります。だからこそ郷土料理について,レシピを書くだけでなく,料理の由来やその料理に込められた人々の思いなども一緒に伝えるように努めています。
東京などの大都市から,料理研究家やメディアの人たちが,福井の郷土料理を知りたいと来ることも多いです。しかし,日常の食卓に並ぶような郷土料理を外食してまで食べたいと思う福井の人は少ないため,そういう料理を出している飲食店は,あまりありません。だから最近は自宅で,いつも作っている,ありのままの郷土料理をふるまうようにしています。趣味の一環のようなものですが,県外から来た人たちが,実際に食べて感動してくれたり,福井の郷土料理にさらに興味を持ってくれるようになると,とてもうれしいです。
和食の原点にも通じる,福井県の郷土料理
福井県は,豊かな山と海があって食材に恵まれており,また地理的にも,都として栄えた京都や奈良の近くに位置しています。そのため,食文化の研究家たちによると,福井の食には和食の原点に通じる部分が多いそうです。福井では,普段の食卓に郷土料理が並び,そういった料理が今でも生活の一部として息づいています。実はこれは全国的にも珍しくて,とても価値のあることなんですよ。だけど,福井の人たちは,それらを普段から当たり前のように食べているので,あらためてPRするほどのものだと思っていません。だから,私が福井県の食をPRすることで,自分たちの郷土料理の価値に気づき,誇りを持ってくれるといいなと思っています。
私たちのような1960年代ごろの生まれの人は「食の境目の世代」だと言われています。ちょうど日本が高度成長期を迎える中で,食の欧米化がどんどん進んでいきました。インスタント食品が普及して,食生活が変化し,昔からの食事である郷土料理と新しいスタイルの食事が混ざり合うのを目の当たりにしてきた世代です。新しい食が広がっている現代で,それら両方の食を知っている私にできることは何だろうと考えたときに,「郷土料理の良さを,私たちより後に生まれた若い人たちに伝えなければ」と思ったんです。
自分が興味のあることだけやってきた
主婦だった40歳のころにパンづくりを趣味で始め ,その後,自宅の横に設けた石窯工房で,パンや保存食を石窯で作って味わう「石窯体験教室」を開いていました。その参加者たちから「おいしいパンをもっと食べたい」という声をいただいたので,4年間ほどパンのインターネット販売をしました。同じころに,知人に作ってもらったホームページやブログを通じて食の情報を発信していました。その地道な活動がメディアで取り上げられるようになると,やがて県などの行政の目に留まり,福井県の食材を使ったレシピを考えるという仕事を依頼されるようになりました。
自分が興味のあるものを掘り下げたり,周囲の人から求められたものに応えていたら,いつの間にか今の仕事にたどり着いたという感じです。最初は「フードコーディネーター」という肩書きで活動をしていましたが,ある日,東京の雑誌記者に「コーディネーターというより,福井の郷土料理を作って語れる“研究家”という感じですね」と言われたのがきっかけで,郷土料理研究家と名乗るようになりました。
とにかく食べるのが好きだった
私の父は5人兄弟の長男で,子どものころ親戚が集まるときは,いつも私の家でした。集まりの時には,実家の母がさまざまな季節のお料理でもてなしていましたね。田舎で育ったので,近所からのおすそわけも毎日のようにありました。そのおかげで,いろいろな人が作った料理を食べる機会があり,「“たくあんの煮たの”は,隣のおばちゃんが作ったものが一番おいしい」などと,子どもながらに比べていました。
そのころは発売されたばかりのインスタントラーメンなどのジャンクフードも食べていましたが,心の底からおいしいと思えるのは,料理上手な母が作った普段の食事でしたね。母に作ってもらうばかりで,小さいころは自分が台所に立ったこともなく,実は料理を始めたのは結婚してからなんです。だから料理に関する仕事に就くなんて思ってもいませんでした。昔の自分が今の私を見たら,とても驚くと思います。
目の前の課題にしっかりと取り組むことが大事
みなさんには,まずは目の前のことに一生懸命に取り組むということを大切にしてほしいです。最近は何でもまず先の目標を設定して,そこに向かって努力しなければならないという風潮がある気がします。でも先を見据えながら進むだけが正解ではないと思います。正直言って私はこんな形で料理に関する仕事をするとは思っていませんでした。でもパンや石窯に出合い,料理教室の生徒に出会って,みんなに必要とされていることに応えることで,ここまでたどり着いたと思っています。私の経験から言えることは,やらなければならない目の前のことをきちんとこなし,周りから何を求められているのかを考えて取り組むことが大事だということ。そうすれば,いつしか「自分の知らない素敵な自分」に出会うことにつながると思います。
目標に向かって夢を追いかけることは幸せでしょう。だけど,目の前にあることに全力で取り組むことも,いつか幸せへとつながる道の一つなのではないでしょうか。