※このページに書いてある内容は取材日(2022年09月15日)時点のものです
人を楽しませるための企画を考えて、実現する
私は映画監督、舞台演出家、プロデューサー など幅広い仕事をしています。仕事内容をひとことで言うと、「楽しいことを考え、それをかたちにしてお客さまに伝えること」です。その方法は、映画、舞台、イベントなどさまざまです。今後は、地方の博物館などをもっと楽しくできるような、地域を元気にする演出もやってみたいと考えており、表現方法にこだわらず作品づくりをしたいと考えています。
私の仕事は、文化祭の企画づくりに近いかもしれません。みなさんの中にも「今年はクラスで何をやろうか」と、お化け屋敷や演劇などの企画を考えたことがある人もいるのではないでしょうか。私は、人を楽しませるための企画を考えて実現することが好きなので、この仕事を続けています。
大学時代にPlanet Kidsという留学生の映画製作サークルをスタートさせ、帰国後、約12年前にPlanet Kids Entertainment(プラネット キッズ エンターテインメント)という会社を設立しました。代表取締役も務めています。最初は私1人の会社でしたが、6年前ころから規模の大きな舞台を手掛けるようになったため、1人では対応が難しくなり、社員も採用し始めました。現在は6人の社員がいます。また、映画では撮影や編集部門、舞台では照明や音響担当など、全体で70人から時には100人を超えるほどの外部スタッフと取引があり、協力しながらエンターテインメント作品をつくっています。
企画からスタッフ決めや現場での指示出しまで、さまざまな準備を重ねて本番に挑む
仕事は、出版社や広告代理店から「こういうイベントを実施したい」と依頼されることもあれば、自分たちから企画提案することもあります。どちらの場合も私が企画を立てるところから始まることが多いです。
例えば、今手掛けている「逃走中 THE STAGE」という舞台の場合は、私たちから企画提案して実現したものですが、「逃走中 THE STAGE」ではまず、著作権(作品を使用する権利)を持っているテレビ局と交渉し、舞台化して公演する権利を取得しました。舞台の場合は、開演の1年前には劇場を確保しておく必要があるため、公演内容が決まっていなくても先に劇場を予約しておきます。そして脚本(セリフや動きが記載された映画や舞台の設計図的役割を担うもの)は、3か月前には完成させます。脚本家に依頼することもありますが、今回は私が書きました。そこから美術などの専門部隊との打ち合わせを開始します。出演する役者を決めて、稽古を開始するのは1か月前ごろからです。その後、役者に演技指導をしながら稽古を重ね、公演本番に向けて準備を進めていきます。
また、映画監督としては、全体の指揮をとり、役者やスタッフに指示を出すのが主な仕事です。例えば撮影現場では、まず動きやセリフを確認する「段取り」という工程で、役者と話をしながらどう演じてもらうかを決めます。それが決まったら役者はメイクをしたり、気持ちをつくったりする準備に入ります。その間に私はカメラマンとどの角度から撮るかを決めたり、照明技師と光の入れ方を決めたりして準備を整えます。役者のメイクなどが完了したら「ヨーイ、スタート!」と、本番の撮影が始まる流れです。
映画監督あるいは舞台演出とプロデューサーの仕事を兼任
映画監督や舞台演出家、プロデューサーの仕事には、それぞれの役割に違いがあります。
映画監督は、作品の方向性を決めることが重要な役割です。「こんな映像が撮りたい」「この場面ではハラハラさせたい」といった狙いを役者やスタッフに伝え、思った通りに撮れているか確認します。方向性を示すためには、自分の中に明確なビジョンが見えている必要があります。目的は何なのか、この映画を作って何をしたいのか、お客さまにどう伝えたいかをしっかり考えることを大切にしています。
舞台演出家は、企画をどう舞台にするのかを考えることが主な役割です。例えば「逃走中」のような鬼ごっこゲームを、どう演劇に落とし込むのかを考えます。演出プラン(計画)を立てて、役者を決めるためのオーデションをしたり、美術、照明、音響について各スタッフと話し合ったりして具体的に決めていきます。
プロデューサーの役割は、企画を考え、お金を集め、その企画を実現させるためのチームを組み、お客さまに届けることです。そして企画を実現することで利益を出すこともプロデューサーの役割になります。また、トラブルが起こったときに対応策を考え、判断する責任も負います。
映画監督、あるいは舞台演出とプロデューサーの仕事を兼任する人は日本では少ないのですが、海外ではよく見られるスタイルです。兼任すると仕事量が多くなるため、時間的には忙しくなります。しかし、プロデューサーもやることで予算配分なども自分でコントロールできるので、私は両方の仕事を兼任することが多いです。
トラブル時に「続けるか、中止するか」を判断する
仕事の中で一番大変なことは、トラブル対応です。舞台や映画の製作中に誰かがけがをしたり、体調を崩したりしたときに、「続けるか、中止するか」の判断をしなければなりません。コロナ禍になり、その判断をするための明確な基準が示されていないこともあるので、特に難しくなったと感じています。役者やスタッフ、お客さまの安全が第一であることは当然ですが、中止すれば、数百万円、時には数千万円の損害が出てしまいます。さらに「逃走中 THE STAGE」のように他社から作品を借りて上映している場合は、作品自体のイメージを守る必要があります。安全と収益、作品イメージの3つのバランスを考えながら判断するのには、苦労しています。
また、演劇では70人、映画でも30~40人ぐらいのスタッフが動くので、何かしら問題が起きます。何かが足りなかったり、伝達ミスが起きていたりするのです。そういったトラブルは、コミュニケーション不足が原因で起きることが多いと思います。そのため、5分10分でも時間を作り、しっかりコミュニケーションを取ることを心がけています。それから、スムーズに仕事を進めるためには、日頃から丁寧で親しみを感じられる対応をすることも大切です。特にメールでのコミュニケーションの場合は、冷たく感じられてしまうこともあるので、堅い感じのビジネスメールではなく、親しみやすい文章で送るようにスタッフにも指導しています。
やりがいを感じる瞬間は、人の心に届いたとき
私が仕事の中でやりがいを感じる瞬間は、お客さまに観てもらい、観た人の心に伝わったことが感じられたときです。劇場で感動して泣いたり、驚いたり、笑ったりしている人を見たときに、やってよかったと思います。いつも人の心に何かを届けたいと思いながら作品をつくっています。
「逃走中 THE STAGE」は、子どもたちに、常にスピード感とハラハラ感を持って観てもらうことを意識して脚本を書きました。本作で特に考えたのは、「演劇を初めて観る子もいる」ということです。初めての舞台がつまらなければ、演劇が嫌いになってしまいます。観終わってからまねして遊んでいる子どもたちを見たときは、楽しんでもらえたことが伝わってきて、本当にうれしかったです。
それから、インターネット上で「この舞台があるから仕事を頑張れる」というコメントを見かけることがよくあります。そういうコメントを見たときに、その作品のファンが、心から楽しみに待ってくれていることを感じます。みなさんも夏休みのお出かけの日などをカレンダーに書き込んで、あと何日と心待ちにすることがあるのではないでしょうか。演劇や映画などで日常から抜け出して、非日常に行くことでまた日常の中で頑張れる。私たちの仕事は、そういった日常を輝かせるための楽しみをつくる仕事だと考えています。
小学4年生のころに、憧れの映画監督と同じ海外の大学に行くことを決意
私が映像を撮り始めたのは、父がゴルフの景品でビデオカメラをもらってきたことがきっかけでした。当時、私は小学4年生でしたが、父はビデオカメラに興味がなかったので、もらうことができたのです。私はもともと映像を撮ることに興味がありましたが、高額なビデオカメラを入手することは無理だとあきらめていました。そのため、ビデオカメラをもらえると大喜びして、友達を集めてすぐに撮影を始めました。初めて撮った作品は、異世界に行くファンタジー系のストーリーだったと思います。実際にやってみると楽しくて、映画監督になることが夢になりました。
そのころ、たまたま落ちていた映画雑誌の付録を発見し、そこに載っていた有名な映画監督の経歴をすべて暗記しました。出身大学を見ると、南カリフォルニア大学やニューヨーク大学が多かったので、「留学して同じ大学で映画の勉強をする」と決めたのです。しかし、英語が苦手だったので、まずは海外の語学学校に入学しました。次に日本の短大にあたるコミュニティーカレッジに入学します。そこから大学に編入できる制度があったので、編入試験を受けて、ついに南カリフォルニア大学の映画学部に入学しました。大学では、有名監督のスティーヴン・スピルバーグやロバート・ゼメキスが講義をしてくれたのをよく覚えています。また、キャンパスで「スター・ウォーズ」などの映画音楽で知られるジョン・ウィリアムズが学生オーケストラの指揮をしていたこともありました。その光景を見たときは、とても感動しましたね。
留学中も大学に通いながら自主映画を撮り続けていました。そのころは製作費がなかったため、一番苦労したかもしれません。大学の食堂で、自分で作ったカレーライスを売ったりしながら、資金を集めていました。そして帰国前になると、日本のいろんな映像プロダクションや有名プロデューサーに作品を送りました。日本で仕事をするために営業をしたのです。そこから映画の製作過程を撮るメイキングの仕事をもらい、フリーで仕事をするようになりました。完成作品を見せて自分を売り込みながら少しずつ仕事の幅を広げ、現在のようにさまざまな仕事をするようになりました。
たくさん悔しい思いをしても、好きだから続けられた
幼稚園のころはヒーローショーや演劇などに連れて行ってもらい、家でまねして遊んでいるような子どもでした。小学校の高学年になると、放課後は友達と一緒に映像を撮って遊ぶようになります。そのころから勉強や運動は苦手で、映像を撮ることが大好きでした。中学や高校になると、テスト前は「終わったらまた映像が撮れる」と思って勉強をしていました。また、文化祭で、自分が撮った映像作品を上映するようになります。内容は、ホラー系やSF映画の「ターミネーター」のようなストーリーなど、当時流行していたドラマや映画の影響を受けたものが多かったです。文化祭の前は、徹夜で編集をして、翌日の午前中は学校を休んでしまうこともあったのですが、親からも特に注意はされませんでした。小学生のころから「映画監督になる」と言っていたので、「映画作りのためならしょうがない」と思っていたのかもしれません。文化祭で上映した作品は、当然のことながら厳しい意見ももらうこともあり悔しい思いをたくさんしました。また大学時代は有名プロデューサーにメールで酷評を頂いたこともあり、空港のトイレで泣いたのを覚えています。それでもずっと続けているのは、映像を撮ることが本当に好きだからだと思います。
やりたいことがあったら、今すぐにやってみたほうがいい
私がみなさんに伝えたいのは、「やりたいことがあったら、今すぐにやってみたほうがいい」ということです。例えば、将来ユーチューバーになりたいと思っているのなら、将来ではなく、今すぐにやってみればいいと思います。
私も映画を撮りたいと思ったときに、すぐに撮り始めました。やってみると、楽しいことや悔しいことがたくさん出てきます。そして、「今度はこうしよう」と、出てきた課題を次の作品に生かすことができるようになっていきます。「やってみること」の一番の効果は、現実感が出て、次の景色が見えてくることです。実際にやってみて、社会に向けて公表するというのは褒められるだけではなく、酷評もされるということです。そのつらさは実際に体験してみないと分かりません。やりたいことがあれば、すぐに動いてみて、厳しい現実を受け入れ、それでも続ける覚悟をすぐにでも持つことが大切です。
大人になるほど失敗することが怖くなり、挑戦しにくくなってしまうので、みなさんには若いうちにぜひ、失敗や成功の体験をたくさんしてほしいと思っています。