※このページに書いてある内容は取材日(2019年04月21日)時点のものです
風さえ吹いていれば,どの方向にも進める
「ウインドサーフィン」は,いまから50年ほど前に米国で生まれた「サーフィン」と「ヨット」を組み合わせたようなスポーツです。「セーリング」という名称で,ヨット競技の一種目としてオリンピックにも採用されています。
ウインドサーフィンはボード(板)にセイル(帆)を取りつけた専用の器具を使って,自然の風の力を利用して,海の上を進みます。エンジンなどの人工的な力は一切使用しません。風さえ吹いていれば,ブームと呼ばれるハンドルを操作することで,どこでも好きな方向に進むことができます。たとえ向かい風であっても,風に向かってジクザグに進むことで前に進むことができます。ただし風がまったく吹いていないところでは進めません。少し難しく聞こえるかもしれませんが,専門の人に教えてもらうと,小学生でもすぐに楽しむことができ,海外では多くの人が趣味で楽しんでいます。日本でも神奈川県内は,鎌倉や逗子,江ノ島,葉山といった湘南を中心に,津久井浜や金沢八景の海の公園でも楽しまれています。
私は,ウインドサーフィンを競技として行っている「プロウインドサーファー」です。プロの行う競技は,技を競う「パフォーマンス系」と,決められたコースを回り,順位を決める「レース系」に大きく分けることができます。ほとんどのプロ選手は自分の得意な種目に専念しており,私はレース系の「スラローム」という種目に取り組んでいます。海上に浮かべたブイを,8の字を描くように回りながらゴールを目指す種目です。
プロウインドサーファーは,その日の風の状態で使用するボードやセイルを変えています。波に乗る技術だけでなく,道具の特性を知ることも大切なプロの条件なのです。
風が吹かないとレースは中止
現在,日本ウインドサーフィン協会にプロ登録しているスラロームの選手は男性38名,女性14名です。競技は男女別に行われますが,年齢や体重でのクラス分けはありません。各選手は協会が主催する大会に参加し,1年間の総合成績を競います。
プロの選手は日本国内の大会以外に,海外の大会にも積極的に参加し,上位を狙って自分自身の実力や知名度を高めます。大会で上位に入ると,賞金がもらえます。また,実力や知名度の高い選手は,ウインドサーフィンの用具を取り扱っているメーカーから道具や遠征費を提供してもらえるようになります。有名選手になると多くのメーカーと契約することができます。プロの選手は,各大会の賞金に加え,このようにメーカーからの支援も受けて選手活動を維持しています。
ウインドサーフィンは夏の競技と思われがちですが,大会は1年を通じて行われます。むしろ日本の場合は冬のほうがよい風が吹くため,夏よりも盛んだといえるでしょう。もちろん冬のレースは風も海も冷たく,ウエットスーツが絶対に欠かせません。
大会日程は2日か3日のスケジュールで組まれていますが,その期間中に風が吹かないことも珍しくありません。そうした場合,大会は中止になってしまいます。私も普段,生活している神奈川県から,九州や沖縄の大会に参加するために移動したものの,中止になった経験が何度もあります。風が吹かないとレースが成立しない,自然に大きく左右されるスポーツです。
ウインドサーフィンだけで生活していくことは難しい
日本国内では,プロと言っても,大会の賞金だけで生活を維持できている選手はいません。大会の数が少なく,賞金も限られているからです。そのため多くの選手がウインドサーフィンのインストラクターをしたり,ウインドサーフィンに関係するお店やメーカーに勤めたりしています。またウインドサーフィンとはまったく関係のない,一般企業で働いている人も珍しくありません。私もその一人です。
大会がない期間,私は造園業の会社,つまり植木屋に勤務しています。会社は私のプロ活動に理解を示してくれていて,大会期間中は競技に集中することができています。収入のことだけを考えるなら,ウインドサーフィンの活動をせず,造園業だけをするほうがよいと思います。それでも私は,これからもプロウインドサーファーを続けていきたいと考えています。「継続は力なり」といいますが,ひとつのことをずっと続けることは私にとって大事なことだからです。好きなことを見つけて,それを続けることができている私は,いまとても幸せです。
海外,とくにヨーロッパでは日本よりも競技が盛んで,プロの選手がたくさん活躍しています。日本でもウインドサーフィンがもっと注目されて競技人口が増えていけば,プロの地位も高まっていくと思います。
道具選びやセッティングには正解がない
プロのウインドサーファーを続けていくにあたって,つらいことと楽しいことは表裏一体です。つらいのは,やはり,思い通りに成績が伸びないことです。私が取り組んでいるスラロームという競技では,道具を乗りこなす技術だけではなく,道具選びやセッティング(調節)がとても大切です。そのため,大会の前になると,どの選手もスピードが出る道具選びやセッティングに神経を注ぎます。他の競技にたとえれば,自転車のレースでサドルの高さやタイヤの空気圧を調節するようなものでしょうか。
どのような道具を選んで,選んだ道具をどのように調整するのかには,「これだ!」という正解があるわけではなく,選手一人一人によって異なります。自分自身の体格,レース場のコンディション,天候などを考慮して最適の組み合わせを探ることで,結果は大きく変わってきます。どうすれば大会で良い成績を残せるのか。悩み出すと行き詰まってしまうこともあり,そういうときは本当につらいものです。
しかし,そうした悩みが,ある日,ふとしたことで解決することがあります。誰かの言葉がヒントになったり,他の選手のレースが参考になったりときっかけはいろいろですが,悩みが晴れたときは一気に楽しくなるものです。道具選びやセッティングに関しては正解がないというところも,この競技のおもしろくて魅力的なところだと思います。
40歳を超えても活躍できる種目
瞬発力が必要なパフォーマンス系の種目では20歳前後の若い選手が活躍していますが,スラロームは幅広い年代の選手が競い合える種目です。現在,この種目で日本ランキングのトップにいるのは浅野則夫選手。16歳でプロ入りして19歳で国内最年少のチャンピオンになり,48歳のいまなお,他の選手を寄せ付けない絶対的な強さを持ったカリスマ選手です。浅野選手に勝つことが,いまの私の目標です。浅野選手に勝つことイコール,日本一になることだからです。
浅野選手に限らず,この種目には40歳を超えても活躍する選手がたくさんいます。それは,レースで良い成績を残すためには道具を乗りこなす技術だけではなく,道具選びやセッティングの技術も欠かせないからです。つまり,経験や知識がとても重要な種目であり,だからこそ,30代半ばの私も,まだまだこれから伸びていけると信じています。
最近では技術を伸ばすトレーニングだけではなく,心を整えるためのトレーニングも重視しています。レースをしている最中に,普段と同じような気持ち,平常心を保つことはとても大切です。かつては自分を追いこんだ状態のほうがよい結果につながると考えていましたが,心身ともにリラックスしていたほうが周りもよく見えて,自分の力を発揮することができると気がつきました。おかげで成績も安定し,2017年度には国内で年間ランキング2位という結果も出せました。ちなみに1位はもちろん浅野選手。彼が引退するまでに,必ず追い抜きたいですね。
大学卒業時にプロになることを決意
私は大学に入るまで,ウインドサーフィンという競技を知りませんでした。先輩に誘われ,興味本位で体験入部をしたところ,意外と難しかったのを覚えています。やってみたら楽しかったというより,上手にできなかったことが悔しくて,本格的に取り組んでみようと入部を決めたのです。
ほとんどの選手が大学からウインドサーフィンを始めます。そのため,どの選手も実力差がそれほど開いていません。大学1年生のときに新人戦で優勝できたことで,ウインドサーフィンにのめりこむようになりました。在学中は,団体で日本一に輝きましたが,個人種目で1位になることができませんでした。このままでは終われない。そう思ってプロになることを決意したのです。卒業後はアルバイトをきっかけに始めた植木屋で働きながら,プロを目指してさまざまな大会に挑む日々でした。
プロウインドサーファーになるには2つの方法があります。1つは年に1回行われるアマチュアの全日本選手権大会で優勝すること。そしてもう1つは,プロの大会にアマチュア選手として参加して,規定以上の成績を収めること。私は後者の方法でプロになることができました。それは大学を卒業してから4年後のことでした。
周囲から一目置かれるすごい選手になりたい
小学生のころは愛知県に住んでいました。テレビゲームで遊ぶこともしましたが,外で遊ぶのが好きな,とても活発な子どもでした。家の近くに川が流れており,友だちと一緒に毎日ずぶぬれになって遊んでいたものです。実はいまでも,海より川のほうが好きなくらいです。
本を読むことは多くはありませんでしたが,動物の図鑑だけは大好きで何度も繰り返し読み,いろいろな動物の名前を覚えました。動物をテーマにしたテレビ番組もよく見ていましたね。そのころ,将来は動物カメラマンになりたいと思っていました。
中学校では剣道部に入部したものの,2年生のときに親の転勤で神奈川県へ引っ越すことになりました。新しい学校には剣道部がなかったため,陸上部に入部して長距離走に力を入れていました。このとき身につけた持久力は,大学で始めたウインドサーフィンでも役立ったと感じています。
高校ではふたたび剣道部へ。いま振り返ると,剣道,陸上,そしてウインドサーフィン,それぞれの競技に真剣に取り組んだ理由は,周りから「あいつはすごい!」と思われる選手になりたかったからだと思います。誰からも一目置かれる,すごい選手になりたい。もちろんいまも,その気持ちを持ち続けています。
いま自分が好きなことに全力で打ちこもう
みなさんにお伝えしたいことが3つあります。
まずは,いま自分がやりたいこと,好きなこと,興味のあることに全力で取り組んでみましょう。それが,将来の仕事につながるかどうかなんて気にすることはありません。子どものときは,好きなことに全力で打ちこむことが大切なのです。
次に,いろいろなことに興味を持ちましょう。私はいま,プロウインドサーファーと植木屋という2つの仕事に就いていますが,どちらも子どものころに就きたいと思っていた仕事ではありません。いずれも偶然の出会いが仕事につながったのですが,部活やアルバイトを通じてどちらも大好きになりました。妻からは「好きなことを見つけるのが上手だね」と言われているのですが,いろいろなことに興味を持つからこそ,好きなことが見つかるのだと思います。
最後に,何らかの競技に取り組んでいる人へ。試合や大会では緊張するでしょうが,意気ごみすぎないようにしましょう。練習でしっかりと自信をつけ,試合では普段通りを心がけること。難しいかもしれませんが,ぜひ平常心を身につけてください。