社会にはいろいろな仕事があるよ。気になる仕事や仕事人をたくさん見つけよう!
※このページに書いてある内容は取材日(2009年08月14日)時点のものです
私(わたし)は川崎(かわさき)市にある総合(そうごう)川崎(かわさき)臨港(りんこう)病院の回復(かいふく)期リハビリテーション病棟(びょうとう)に勤務(きんむ)しています。大きな病気や怪我(けが)の治療(ちりょう)を受けるために入院された患者(かんじゃ)さんが,手術(しゅじゅつ)などの急を要する治療(ちりょう)を終えた後,筋力(きんりょく)低下や麻痺(まひ),関節が十分に動かないなど,元の生活に戻(もど)ることが難(むずか)しいときに回復(かいふく)期リハビリテーション病棟(びょうとう)に移(うつ)ってこられます。ここでは,理学療法士(りょうほうし),作業療法士(りょうほうし),言語聴覚士(ちょうかくし)など医療(いりょう)の専門(せんもん)技術(ぎじゅつ)を持つ人とチームを組んでリハビリの計画を立てます。そして患者(かんじゃ)さんが日常(にちじょう)の生活動作(起きる,食べる,歩く,トイレに行く,お風呂(ふろ)に入る)をできるだけ自分で行えるように練習を行いながら,心身ともに回復(かいふく)した状態(じょうたい)で家に戻(もど)れるように援助(えんじょ)していくのです。
私(わたし)の勤(つと)める病院は日勤(にっきん)と夜勤(やきん)の2交代制(こうたいせい)です。夜勤(やきん)の日は15時半ごろに出勤(しゅっきん)して,患者(かんじゃ)さんが夕食後や寝(ね)る前,翌朝(よくあさ)に飲む薬の準備(じゅんび)をします。その後,日勤(にっきん)の看護(かんご)師(し)から患者(かんじゃ)さんの昼間の様子を聞き,17時頃(じごろ)からは患者(かんじゃ)さんに「今日は私(わたし)が夜勤(やきん)を担当(たんとう)します」と挨拶(あいさつ)をして回ります。その後,夕食の時間ですので,リハビリも兼(か)ねて患者(かんじゃ)さんを食堂へ誘導(ゆうどう)し,食事や歯磨(はみが)きのお世話をします。その後,私(わたし)も夕食をとり少し休憩(きゅうけい)です。それから,患者(かんじゃ)さんをトイレへ誘導(ゆうどう)し,おむつの交換(こうかん)をします。21時の消灯になると患者(かんじゃ)さんの記録を付け,カルテや看護(かんご)記録をチェックします。消灯後は1時間ごとに患者(かんじゃ)さんの様子を見回り,0時・3時にはおむつチェックを行います。朝6時になると,患者(かんじゃ)さんの体温や血圧(けつあつ)などを測(はか)り,おむつ交換(こうかん)やトイレ,必要な方には注射(ちゅうしゃ)をします。8時から朝食のお世話と薬を配り,8時30分に日勤(にっきん)の看護(かんご)師(し)へ引継(ひきつ)ぎます。
私(わたし)の勤(つと)める病棟(びょうとう)は,患者(かんじゃ)さんの担当(たんとう)看護(かんご)師(し)が決まっている完全受け持ち制(せい)で,看護(かんご)師(し)1人が5~6人の患者(かんじゃ)さんを受け持っています。患者(かんじゃ)さんとの信頼(しんらい)関係が何より大切ですので,患者(かんじゃ)さんが私(わたし)を受け入れやすいように接(せっ)し方,話し方には気を使います。また,患者(かんじゃ)さんの年齢(ねんれい)も性格(せいかく)も様々(さまざま)ですので,会ってすぐに打ち解(と)けることが難(むずか)しい場合には,今日質問(しつもん)したいなと思っても次の日にするなど,じっくり時間をかけることもあります。いつも患者(かんじゃ)さんに声をかけ,表情(ひょうじょう)を見て「いつもよりも少し元気がない」など,ささいな変化に気づくことも大切です。
日勤(にっきん)の日は午後に会議があり,医師(いし),理学療法士(りょうほうし),作業療法士(りょうほうし),言語聴覚士(ちょうかくし),保健(ほけん)師(し)と患者(かんじゃ)さんのリハビリの状況(じょうきょう)を確認(かくにん)しながら,患者(かんじゃ)さんがよりよい状態(じょうたい)で退院(たいいん)できるようにするためには,どうしたらよいかを話し合います。また,患者(かんじゃ)さん本人や家族の方とも話し合う時間を設(もう)けて,患者(かんじゃ)さんが今不安を感じていることを聞き,退院後(たいいんご)の生活に備(そな)えて,自宅(じたく)のどこに手すりをつけるか,ベッドをどこに置くかなどを相談します。退院後(たいいんご)に患者(かんじゃ)さんの訪問(ほうもん)介護(かいご)を担当(たんとう)する人や,家の工事を行う会社の人と一緒(いっしょ)に話し合うこともあるんですよ。
看護(かんご)師(し)という職業(しょくぎょう)は大変なことも多いですが,患者(かんじゃ)さんと共に回復(かいふく)していく喜びを感じられとてもやりがいがあります。また,患者(かんじゃ)さんやご家族の方との関わりがとても深い仕事ですので,患者(かんじゃ)さんが退院(たいいん)される時に手を握(にぎ)って泣きながら「ありがとう」と言って頂(いただ)けることや,退院後(たいいんご)にご家族の方から「介護(かいご)は大変だけど,こんなこともできるようになった」と言って頂(いただ)けることもあります。一方で,どんなに努力をしても患者(かんじゃ)さんの体が自分で思うように動かせないままでいることや,なかなか患者(かんじゃ)さんに心を開いてもらうことができないこともあり,仕事の難(むずか)しさを感じることもあります。でも,自分が日々(ひび)努力を重ねて一生懸命(いっしょうけんめい)でいれば,少しずつよい方向に向かっていけると信じています。私(わたし)は結婚(けっこん)と出産で仕事を休んでいましたが,病院内にも保育室(ほいくしつ)があることや,夫や同僚(どうりょう)に協力してもらえることで,復帰(ふっき)して仕事を続けることができています。
私(わたし)は,幼(おさな)い頃(ころ)からピアノを習っていたり,小さい子ども達の面倒(めんどう)をみるのが好きだったので幼稚園(ようちえん)の先生になるのが夢(ゆめ)だったんです。でも,中学3年生になって進路を真剣(しんけん)に考え始めた頃(ころ)に,高齢(こうれい)化が進む日本では老人看護(かんご)が重要になると思い,衛生(えいせい)看護科(かんごか)のある高校に進みました。高校2年生の病院実習では,脳梗塞(のうこうそく)で体の右半身が麻痺(まひ)して言葉が話せない患者(かんじゃ)さんを受け持ち,とまどいながらも,患者(かんじゃ)さんが気持ちよく過(す)ごせるよう,声をかけながら体を拭(ふ)き,髪(かみ)を洗(あら)いました。そして最終日。患者(かんじゃ)さんに,涙(なみだ)を流しながら「ありがとう」と言われたんです。未熟(みじゅく)な私(わたし)にも感謝(かんしゃ)してもらえたことと患者(かんじゃ)さんの笑顔に,どんなに苦しくても頑張(がんば)ろうと思いました。専門(せんもん)学校に進んでからも病院実習は本当に大変で,レポート作成のために眠(ねむ)れない日も続きましたが必死に取り組みました。
私(わたし)の両親は共働きだったので,祖母(そぼ)が幼稚園(ようちえん)の送り迎(むか)えや遊び相手をしてくれていました。思い返せば,私(わたし)が遊んでいる場所には近所のおじいちゃん,おばあちゃんが何人もいました。体を動かすことも好きだったので,幼稚園(ようちえん)の頃(ころ)から体操(たいそう)クラブに通っていました。勉強はあまり好きではなかったのですが,バレーボール部で鍛(きた)えた体と短期集中で頑張(がんば)るパワーでテスト勉強や試験勉強を乗り切りました。
友達や家族の人と会話をする時間が,ゲームやインターネット,テレビにとられている人が多いように思います。話す機会が減(へ)ってしまった結果,周りに自分の気持ちをしっかり伝えられない子も増(ふ)えているのではないでしょうか。人とたくさん話をすることって,大人に成長していく中でとても大切なこと。友達はもちろん,近所のおじいちゃん,おばあちゃんから昔の話を聞いてみるのも新たな発見があって面白いと思いますよ。色々(いろいろ)な人と接(せっ)して,心が豊(ゆた)かになる毎日を送ってほしいです。