仕事人

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東京都に関連のある仕事人
1972年 生まれ 出身地 千葉県
須崎すざき 昭治しょうじ
子供の頃の夢: 自衛官
クラブ活動(中学校): 柔道部
仕事内容
食を通じて人々に楽しんでもらうために,料理やパンを作る。
自己紹介
しゅうおどろくほどのポジティブ人間です。こうしんおうせいで,楽しいことにどんよくです。仕事もプライベートも全てが“生きること”と考えているので,そこにきょうかいせんはあまりありません。休みの日も,問屋街に調理道具を買いに行ったり,会社のてきな作業をしたりして,お客さまに最高のパフォーマンスをていきょうできるようじゅんをしています。
出身大学・専門学校

※このページに書いてある内容は取材日(2020年10月07日)時点のものです

お客さまのために,おいしいフランス料理を作る

お客さまのために,おいしいフランス料理を作る

わたしとうきょうだちきたせんじゅにあるかぶしき会社suzaH(スザッシュ)という会社の代表をつとめています。suzaHでは,SUZA bistro(スザ ビストロ)という名前のフレンチレストランをやっていて,ここでは国産小麦と天然こうを使ったてんパンのはんばいも行っています。ホテルやレストランで料理のうでみがいてきたわたしと,パン作りをたんとうするパンしょくにんの二人でお店を立ち上げようと相談し,2015年にお店をオープンしました。
わたしは,オーナーシェフとしてメニューを考えたり,調理をたんとうしたりしています。料理は,ほんかくてきなフランス料理です。鹿やいのししといったジビエ(しゅりょうかくされた野生のちょうじゅう)を使った肉料理,せんぎょのポワレや季節の魚を使ったパイつつみ焼,ほかにもサラダなど野菜をたっぷり使ったメニューやチーズなどもほうです。これらの料理に合わせて,パンしょくにんがお店で焼いたパンもいっしょに楽しんでもらっています。
店頭でパンのはんばいもしています。一番人気は,1250円の「こうちゃのクリームパン」です。テレビやざっなどで取り上げていただいたこともあり,今では行列ができるほどたくさんのお客さまが来てくれます。なかには,名古屋からわざわざクリームパンのために来店してくださった方もいるんですよ。
げんざいじゅうぎょういんは,わたしとパンしょくにん以外にも,調理じょたんとうするスタッフと,2名のホールたんとうしゃがいます。ホールたんとうしゃは交代できんしていて,つうじょうは4名のスタッフでお客さまをおむかえしています。

朝から深夜までいそがしいけれど,やりがいのある仕事

朝から深夜まで忙しいけれど,やりがいのある仕事

わたしの一日は,食材の仕入れから始まります。毎朝7時に家を出発して,店からそう遠くないだち市場へ向かいます。都内だと車よりも小回りがきいて便利なので,どうは自転車です。大量の食材を持ち帰るために,かごを2つ付けて走ります。とはいえ,仕入れるのはその日に使う分のみです。食材がしんせんなうちに使い切ってしまったほうがよいと考えているからです。
主に野菜とせんぎょを仕入れます。フランス料理といっても,あまり変わった材料は使いません。ほんてきにはだれもが食べたことのある,つうの食材がメインです。にんじんや玉ねぎ,きのこ,さつまいも,などですね。お店の各メニューには,サラダをたっぷりとえるので,レタスやベビーリーフなども買います。魚料理も多いため,だいや季節のせんぎょも選びますし,ホタテやズワイガニ,コース料理用にオマール海老えびを買うこともあります。
8時30分ごろにお店へもどってからはおおいそがしです。ランチタイムのためのじゅんを急いで行い,そして11時30分からのランチタイムをむかえて,15時30分まで働きます。30分くらいでまかないを食べて,しばらくきゅうけいし,次は18時からのディナータイムです。お店が終わるのは22時なので,それからかたづけをして帰ると,家に着くのは深夜になります。るのは日付が変わった1時くらいで,次の日は朝6時にしょうします。体力的にはとてもハードですが,お客さまに「また来るよ」と声をかけてもらえると,つかれもぶほどにうれしくなります。
ほかにも,わたしにはsuzaHの代表としてのやくわりもあり,けいなどの作業もたんとうしています。お店のけいえいぜいきんについては,信用金庫のえいぎょうたんとうの方やぜいさんに相談することもあります。また,スタッフが働きやすいしょくかんきょうを作ることも,わたしの大切な仕事です。

プロの料理人に大切なじゅつは「おくすること」

プロの料理人に大切な技術は「記憶すること」

料理人の仕事は,「おくする仕事」とも言えます。完成した料理の味を覚える,食材のパーツの味を覚える,ということです。完成品の味を覚えるのは,お客さまにいつでも同じ味の料理をていきょうするためです。同じメニューなのに,お店に来ていただくたびに味が変わってしまっていては,お客さまのしんらいを失ってしまいますよね。食材のパーツの味を覚えるのは,おいしい料理を考えるために,頭の中で食材の味を思い出し,それらを上手に組み合わせるためです。例えば,同じ小松菜でも,葉っぱとくきと根っこでは味が全てことなるので,パーツごとにどんな味,どんな香りがするのかをおくしなければいけません。調味料についても,自分の料理に合うのは,イタリア産のぎょしょうなのか,フランス産のガルムなのか,はたまた日本のしょっつるなのか……。それぞれの味と香りを覚えておかなければ,料理を完成させることができません。つまり,プロの料理人には,切る,る,焼くといったいっぱんてきじゅつとはまたちがう,「おくする」というじゅつが必要だということです。「おくする」ことは,時間をかけて訓練を積めばだれでもできることだと思います。しかし,それを何年も続けられるか,がかんじんです。
わたしは,料理人をもう30年やっています。しゅぎょう時代から考えると,数えきれないほどの食材と出会ってきました。だから,わたしには食材や調味料の味のおくがたくさんあります。レシピはいつも市場に行って食材を見ながら考えているのですが,頭の中で調理して,料理を完成させることができるんです。

パンしょくにんほしさんからもらったバトン

パン職人の星野さんからもらったバトン

SUZA bistroを始めて4年目の2019年に,お店のそんぞくに関わるほどの大きな出来事がありました。お店をいっしょに立ち上げたどうであり,かんばん商品であるパンを作っていたパンしょくにんが,すいぞうがんをわずらい,くなってしまったのです。かれの名前はほしさんといいます。ほしさんはわたしより10さい以上,年上ですが,地元が同じけんたてやまで,わかいころは二人ともじゅうどうが強くて県チャンピオンになったこともあり,地元では名が通っていたという共通点がありました。そのため,昔からおたがいのそんざいを知っているという仲でした。そして,えんあっていっしょにお店をりするようにもなって,二人の付き合いは,かれこれ20年以上になっていました。わたしつまや子どもともとても仲がよく,言いたいことをえんりょせずに言い合える仲で,ときにはなぐすんぜんになるほどのげきろんわしたこともある,そんな家族のようなあいだがらでした。ステージ4のがんだとしんだんされ,年はせないだろうとに言われたとき,わたしは,自分の体が半分もっていかれたような気持ちになり,「ほしさんがいないなら店を続けても仕方ない。もう,やめよう」と思ったのです。
ところが,そんなわたしほしさんは,「死ぬまでパンを焼かせろ。最後までしょくにんでいたいんだ」と言いました。そして,くなるぎわには「お前に教えていなかった」と,最後の力をしぼって書いた,パンのレシピをわたしてくれたのです。そんなほしさんの姿すがたを見るうちに,わたしはだんだん,「このお店をたくさんの人に知ってもらい,ほしさんのパンをもっと色んな人に食べてほしい」と思うようになっていきました。
ほしさんがパンを作っていた部屋には,パンはっこうに欠かせないこうきんがずっと生きています。ほしさんが作ったパンではなくても,ほしさんのきんを使ったパンならわたしたちでも作れます。わたしはお店を続け,パンを売り,しっかりとえきを出していこうと決意して,今にいたっています。

フランス料理で人々に楽しんでもらうために

フランス料理で人々に楽しんでもらうために

フランス料理には,日本とことなる食文化から生まれた料理であるというところにりょくを感じます。例えば,日本人は魚をおさしにして食べますよね。でも,フランスでは生魚は食べないという大きなちがいがあり,食材を油につけたり,ペーストにしてパテにしたり,火を入れて調理したりという文化があります。そうしてできたのが,ぎょかいるいや野菜をんだなべのようなブイヤベースや,うなぎの赤ワインなどの,フランスの家庭料理です。
そんな,日本の料理とはことなる味や調理法をもつ料理でお客さまをハッピーにできるというのは,料理人のだいです。わたしは自分の仕事を「食を通じて,人々が楽しめることをやること」だと思っているので,お客さまはもちろんのこと,じゅうぎょういんやその家族,そして自分の家族へと,たくさんのがおれんを生み出したいと考えています。
これからのために,今,さまざまなことを計画しています。例えば,キッチンカーを出店したいと思っています。そこでは,人気のこうちゃのクリームパンで作ったフレンチトーストや,鹿肉のミートドリアやそぼろどんなどのメニューを出そうかと考えています。公園の一角などにお店を出し,近所の人たちが来てくれるようなお店にしていきたいですね。ほかにも,こうちゃのクリームパンの全国発送をしたり,お店もランチ中心のぎょうたいに変えたりと,どんどん進化させていきたいと思っています。
それから,わたしにはさらなるゆめがあります。それは,地元のたてやまにある海岸での,カフェのうんえいです。ねんれいはなれているのでおとずれていた時期はちがいますが,わたしほしさんの二人ともがよく行っていた,夕日がれいに見られる海岸があります。その海岸でしょうらい,カフェをやろうと,生前,ほしさんとよく話していたんです。ほしさんはいなくなってしまいましたが,いずれ,わたし一人ででもカフェをオープンさせたいと思い,ゆめに向かってがんばっています。

子どものころの「おいしいね」のおくから料理人の道へ

子どものころの「おいしいね」の記憶から料理人の道へ

わたしが小学生のとき,母と妹がきゅうしゅうの実家に里帰りをするということで,父がはね空港まで見送りに行ったことがありました。わたしは,家でばんをしていて,父のためにチャーハンを作って待っていました。帰ってきた父は,それを「おいしい」と言って全部食べてくれたのです。また,高校でわたしじゅうどうに入っていましたが,その合宿のときも,食事当番で作ったみそしるに,かんとくが「うまいな」と言ってくれたこともありました。そのときに,「ああ,おいしいって言われるとうれしいんだな」と,料理は楽しいものだという感覚が芽生えたことを覚えています。そして,高校3年生で進路を考えたとき,わたしは料理人になることを決めました。
高校を卒業し,調理のせんもん学校へ進みました。ちゅう・和食・西洋のカテゴリーのなかから「なんとなく楽しそう」という理由で西洋料理を選びました。その後,レストランなどで働くうちに,フランス料理をしょうがいの仕事にしようと決めたのですが,そう決意するにあたって,わたしが29さいのときに出会ったおんである,たかはしとくシェフに大きなえいきょうを受けました。とてもかんがするどく,料理のじゅつじょうに高い方で,わたしはフランス料理についての多くをたかはしシェフのもとで学びました。また,人間的なりょくにあふれた人でもありました。
いっしょにいるだけでいつもワクワクさせられて,たとえおこられたとしても「料理が楽しい」と思わせてくれる人でした。わたしは,たかはしシェフにほれて,フランス料理を好きになったんだと思います。

「作る」ことが大好きな少年だった

「作る」ことが大好きな少年だった

子どものころは,とにかく外でよく遊びました。公園でサッカーしたり,キャッチボールをしたり,とても活発にごしていたと思います。小学生のときは学級委員をつとめ,中学生のときはおうえんだんちょうのほか,生徒会の活動もしていました。そして高校生のときは,じゅうどうみました。
また,ものづくりがとても身近なかんきょうで育ちました。父の仕事が土木関係だったこともあり,家にはいつも木材などのはいざいが転がっていました。父は手作りすることが好きだったようで,そうしたはいざいを使って,家の門を作ったり,庭をそうしたりかべを作ったりと,けっこうおおかりなものでも軽々と作っていました。おさないころからそういう父の姿すがたを見て育ってきたので,自分で作るというのは当たり前なことだと思っていました。わたし自身も,木を使ってさまざまなものを作ることにちゅうになり,くぎを打って飛行機を作ったりもしていました。プラモデルの組み立ても大好きでしたね。こうした子ども時代の「作る」というけいけんが,げんざいの料理人という仕事につながっているのかもしれません。プライベートでも,今回のコロナで時間ができたときに木材を買ってきて,たくでテレビラックを作ったりもしました。

考え方を変えると道はどんどん開ける

考え方を変えると道はどんどん開ける

わたしはよく「ポジティブな人」と言われます。ポジティブといっても,単に楽観的なだけではありません。楽しいことが大好きだから,どんな問題が起きても前向きにとらえて行動するようにしているのです。一番大切にしているのは「できないことをわけにしない。できることだけを考える」ということです。
みなさんも,学校ではさまざまな出来事があると思います。いやなことも多いかもしれませんね。問題にぶち当たったとき,もしかしたら「しょうがない」と思ってあきらめてはいないでしょうか。「あの子が悪いからできない」「こうだから無理」と,自分にわけをしてはいないでしょうか。
そういうときは,「できない」と考えるのではなく,「どうしたらできるのかな」と考え方を変えてみるとよいと思います。すると,その問題はすでに問題ではなくなり,あとはかいけつに向けて行動するだけになります。めいかくな目標をもってそこに近づく努力をしたほうが,ぜったいによい方向へと進みます。自分もスッキリするだろうし,みんなもハッピーになれるからです。なやみごとができたらぜひ,「考え方を変える」ということを思い出してみてください。

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私のおすすめ本

ミシェル・ガル
近代フランス料理の父と呼ばれる,オーギュスト・エスコフィエの伝記です。「○○のマリアージュ △△添え」などと,フランス料理のメニューを詩のように表現したり,コース料理を始めたりと,次々と新しい発想を取り入れてフランス料理を進化させた人物です。常に考え続ける姿勢に感銘を受けました。
遠藤ケイ
この本には,山で暮らす人々の熊やいのししなどの猟法や,山でやってはいけないとされることの言い伝えなどが書かれています。私自身も以前,狩猟をやっていた時期があります。私の料理の師匠に「料理人なら,命をいただくことも経験しなさい」と勧められたのがきっかけでした。そのころによく読んだ本で,私たちは生き物の命をいただくことで生きている,ということを意識させてくれました。

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取材・原稿作成:瀬戸川 彩(Playce)・東京書籍株式会社/協力:城北信用金庫