仕事人

社会にはいろいろな仕事があるよ。気になる仕事や仕事人をたくさん見つけよう!

東京都に関連のある仕事人
1952年 生まれ 出身地 東京都
長谷川はせがわ ただし
子供の頃の夢: 小説家
クラブ活動(中学校): 陸上部
仕事内容
せいみつ機械などの部品せいぞうを通じて、社会の役に立つものづくりにたずさわる。
自己紹介
わかいころはゴルフやまーじゃんが大好きでしたが、ねんれいとともに体力が落ちたため、休日は植木の手入れとサウナに行くことを楽しみにごしています。

※このページに書いてある内容は取材日(2024年10月18日)時点のものです

社会の役に立つさまざまなせいみつ部品をせいぞう

社会の役に立つさまざまな精密部品を製造

わたしは「せいさくしょ」という町工場の副社長をつとめています。せいさくしょは1961年に、わたしの父と2人の兄によってせつりつされました。げんざいわたしおいが社長をつとめています。東京都あらかわまちには本社と工場があり、また埼玉県しおに5つの工場があります。工場では約90名がきんしており、会社全体では約130名のじゅうぎょういんが働いています。
工場でせいぞうしているのは、せいみつ機械などに使われるきんぞく部品です。そうぎょう当初はスキーブームのあとしもあり、スキー板とブーツを固定する「ビンディング」という金具のせいぞうや組み立てを行っていました。時代の流れとともにせいぞうするせいひんが変化して、げんざいは、あっしゅくした空気の力で機械やそうを動かす「くうあつ機器」などのせいみつ機械の部品をせいぞうしています。身近な例としては、電車の自動ドアをかいへいするためのシリンダーや、スキューバダイビングで使用する空気の入ったタンクに付いているバルブの部品などを作っています。
しかし、わたしたちがせいぞうする部品の多くは、工場や作業げんで使われる産業機械や病院で使われるりょう機器など、にちじょう生活ではあまり目にする機会がないものに使われています。例えば、こくさい通信に使われる海底ケーブルのコネクタや、はんどうたいのチップを作るための機械など、社会で重要なやくわりになうさまざまな部品にも、わたしたちのじゅつが生かされています。

ステンレスなど、加工がむずかしいきんぞく材料にもたいおうできるじゅつりょく

ステンレスなど、加工が難しい金属材料にも対応できる技術力

当社があつかっているきんぞく部品の材料は、約6わりがステンレスです。ステンレスはじょうにさびにくくたいきゅうせいが高いため、水中で使われる海底ケーブルなどにもてきした材料です。一方で、数あるきんぞくの中でもかたくてねばりが強いため、加工がむずかしいというとくせいがあり、加工にたいおうできる会社は少ないのがじつじょうです。ステンレスのように加工がしづらい、「なんさくざい」とばれる材料の加工を積極的にっているのも、当社の強みです。
材料の加工には、主に「ふくごう加工機」という工作機械を使用します。ふくごう加工機は、お客さまからいただいた図面にもとづいて、部品のサイズやあなを開ける位置などをプログラミングして加工する機械です。
この機械のとくちょうは、つうじょうふくすうの機械を使って行うせっさく加工のこうていふくごうし、1つの機械だけで完結できる点にあります。ぼうじょうきんぞく材料を機械に投入すると、プログラムだいで、丸や四角など、さまざまなけいじょうの部品を作ることができます。つうじょう、部品1つあたりのせっさくは1、2分でかんりょうしますが、ふくざつけいじょうの部品の場合、さらに別の機械を使用して加工を行うこともあります。このようなこうていせいひんの場合、生産数にもよりますが、のうひんまでに1、2か月ていの時間を要することもあります。

自社でひんしつしょうできないせいひんは受注しない

自社で品質を保証できない製品は受注しない

部品をせいぞうする上で大切なようは、ひんしつのう、コストの3つです。特に当社は、60年以上にわたってものづくりにしんけんに向き合ってきた会社として、ひんしつに対する強いこだわりがあります。そのため、「自社でひんしつしょうできないせいひんは受注しない」というほうしんもとづき、自社でせいひんひんしつをしっかりとけんするたいせいを整えています。例えば、部品の円形部分をけいそくするためには、「しんえんそくてい」という機械を使います。この機械は、部品の円形部分の外周をなぞることで、円にゆがみがないか、せっけいどおりのサイズであるかをかくにんするものです。一見きれいな円形に見えるものでも、円にわずかなゆがみがあると、機械のそんなどにつながります。こうしたけんせいはいじょするためにも、せいかくけいそくする必要があるのです。こうしてさまざまなそくていもくけんなどを用いてその都度チェックすることで、こうひんしつな部品をていきょうしています。
とはいえ、こうひんしつなものを作れるじゅつがあっても、他社とのコスト競争に勝てなければなかなか受注にはつながりません。そのため、ひんしつにこだわりながらも、コストを下げる努力は欠かせません。例えば、自動で部品加工ができるというふくごう加工機の強みを生かし、じゅうぎょういんたくした後の夜間にも機械をどうさせるなど、生産力を高めるふうをしています。お客さまから「こんなに安くてひんしつがいいものをどうやって作っているの?」とおどろかれるようなせいひんていきょうし、せいさくしょのブランド力を高めていきたいと考えています。

コミュニケーションから生まれるしんらい関係

コミュニケーションから生まれる信頼関係

せいぞうぎょうぜんぱんにいえることですが、この仕事で特にむずかしいのがのうの調整です。動かせる機械の台数にはかぎりがあるため、とつぜんらいが来たときにはたいおうできないこともあります。わたしは長年、えいぎょう部長をつとめていたため、のう調整を行う機会も多く、こうした課題には何度も直面してきました。
このようなじょうきょうで重要になってくるのが、やはりコミュニケーションだと思います。注文をいただいたさい、すぐにたいおうできない場合は、自分たちのげんじょうを正直に説明し、こうしょうを行います。「せいぞう開始までの数日間は今あるざいたいおうし、その間にたいせいを整えさせてほしい」といったていあんをすることで、取引先との調整がスムーズに進むこともよくあります。
また、わたしたちは町工場でありながら商社的な側面も持ち合わせており、多くの町工場と協力関係をきずいています。自分たちの生産のうりょくえる大きなあんけんらいがあった場合には、最初からおことわりするのではなく、同業の協力会社に協業をらいすることもあります。協力会社ともみつにコミュニケーションを取り、こまったときには町工場どうで助け合えるたいせいを整えています。この仕事をしていると、人とのつながりの大切さを実感する機会がよくあります。

そうぎょう当時からの思いとじゅつをつなぎ、100年続く会社に

創業当時からの思いと技術をつなぎ、100年続く会社に

当社は、新しいじゅつりょういきかいたくにも積極的に取り組んでいます。この姿せいは、先代の社長である兄からがれたものです。兄はせつとうに積極的で、仕事を受注するさいそんの機械でたいおうできない場合は、その都度新しい機械をどうにゅうしてたいおうしていました。その結果、受注できる仕事のはんがどんどん広がっていき、会社のも着実に大きくなっていきました。今後もじゅつかくしんが進んでいく中で生まれる多様なニーズにこたえられるよう、じゅつりょくみがいていけたらと思います。
今年、そうぎょう63年をむかえたせいさくしょの次なる目標は、「100年ぎょう」になることです。100年続く会社を目指して、町工場のじゅつりょくを次の世代につないでいくことが、わたしのミッションだと思います。

運動しんけいばつぐん、クラスのまとめ役でたよられるそんざいだった

運動神経も抜群、クラスのまとめ役で頼られる存在だった

子どものころのわたしは明るく活発で、クラスのリーダー的なそんざいでした。積極的にまとめ役をしていたので、先生からのしんらいあつく、かわいがられていたと思います。運動もとくで足がとても速く、徒競走では学校一のせいせきほこっていました。中学時代は陸上部にしょぞくし、あらかわの連合体育大会で400メートルリレーや1,000メートル走の選手をつとめました。当時は1964年の東京オリンピックがかいさいされたばかりのころで、大会が行われたのも東京オリンピックのたいとなった国立きょうじょうでした。1,000メートル走で3位にゅうしょうを果たし、国立きょうじょうの電光けいばんに自分の名前がひょうされたときのうれしさを今でもよく覚えています。
また、読書も好きで、学校では図書委員長をつとめていました。休み時間になると、学校のみんなに本を読んでもらうために、本を読みながらろうを歩いて、自分が読書にちゅうになっている姿すがたを見てもらおうとしたこともありました。自分に自信があり、目立ちたがり屋な子だったのだと思います。

家業の手伝いを通じて、部品加工の楽しさに気づいた

家業の手伝いを通じて、部品加工の楽しさに気づいた

父と兄2人がどくりつして会社をせつりつしたのは、わたしが小学5年生のときです。わたしは6人兄弟の五男で、そうぎょうしゃである長男、次男とは少し年がはなれています。それでも、家族の仕事を手伝いたいと思い、学校から帰ったらすぐに工場に向かい、せいひんの選別などの手伝いをしていました。当時は今のように、機械を使って材料を加工するじゅつがなく、せっさく加工に使うものも自分たちで作り、それを用いて加工を行っていました。父や兄たちが自分でいだものを使って部品を作っていく姿すがたを間近で見ているうちに、ものづくりに対するきょういていきました。
高校進学後もアルバイトとして、友達といっしょに自社の部品加工を手伝っていました。両親はえいぎょうにはリスクがあるため、わたしには別の道に進んでほしいと思っていたようですが、そのころには勉強よりも部品加工の仕事が楽しくなり、「自分はものづくりに向いている」と感じるようになりました。そして、だいに自分も家業に入りたいと思うようになりました。高校を卒業した後はそのまませいさくしょに入社し、以来ずっとものづくりにたずさわっています。
みなさんの中には「せんもんてきな勉強をしていないと工場で働けないのではないか?」と思う人もいるかもしれません。しかしわたし自身、工業高校出身ではなかったので、図面や工作機械について勉強を始めたのは入社後からです。付き合いのあった町工場の社長がしょうになってくれました。ものづくりをせんもんてきに学んでいなくても、やる気さえあれば仕事を通じて自然とスキルが身につきます。工作やものづくりにきょうがある人には、ぜひこの世界にんでちょうせんしてほしいです。

自分だけのゆめさがして、自分の力で道を切り開いてほしい

自分だけの夢を探して、自分の力で道を切り開いてほしい

わたしが子どものころは、東京オリンピック(1964年)や大阪ばんぱく(1970年)がかいさいされ、工業化が進んでけいざいが急成長していた時代でした。日本全体がとても活気づいていて、子どもながらに明るい未来をそうぞうしてわくわくしました。しかし、今の世の中には、そんな「ゆめ」がなくなってしまったのではないかと感じることがあります。景気の悪化もそうですが、かつては世界をリードしていた日本のじゅつりょくも外国にかれ、以前のような活力を失っています。ものづくりに関わる者として、今の日本が世界に発信できるじゅつとは何かを考えると、こうしたげんじょうにがっかりします。
だからこそ、みなさんにはぜひ「ゆめ」を大事にしてほしいと思っています。ただかれたレールに乗って、決められたことだけをやるだけでは、本当にやりたいことを見つけるのはむずかしいです。一度自分が持っているゆめと向き合って、自分がしょうらいどうなりたいのか、どうしていきたいのかをしんけんに考えてみてください。ゆめがないといわれる時代だからこそ、自分でえがいたゆめを信じて、自分の力ですすんでほしいと思います。その力はきっと、日本の未来を切り開く原動力になるはずです。

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エリヤフ・ゴールドラット
工場を舞台に「企業の目的とは何か」を考えていく小説仕立てのビジネス書です。会社のピンチに対しての考え方、進め方がわかりやすく書いてあるので参考になりました。
司馬 遼太郎
新選組副長・土方歳三の生涯を描いた歴史小説です。昔から歴史小説が大好きで、読んでいると、まるでその時代を実際に渡り歩いているかのような気持ちになります。

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取材・原稿作成:粟屋 芽衣(Playce)・東京書籍株式会社/協力:城北信用金庫