• 愛媛県に関連のある仕事人
  • 1953年 生まれ

    出身地 愛媛県

水産加工

西口にしぐち ひろし

  • 仕事内容

    地元の魚でおいしいまるしやものをつくる。

  • 自己紹介

    いつも魚や仕事のことを考えています。人と会って話をするのが好きで,加工所の見学などに来てくださったお客さんには,ものを焼いてもてなすこともあります。おいしいと喜んでくれる顔を見るのが何よりうれしいです。

  • 出身高校

    国立粟島海員学校

  • 【このページに書いてある内容は取材日(2018年05月09日)時点のものです】

西口 弘


仕事人記事

この土地でしかつくれない加工品

この土地でしかつくれない加工品

わたしひめけんあいなんちょうで,イワシのまるしやアジ,サバのものなど,塩を使って魚を加工する仕事をしています。塩を使う加工屋は,地元では「しおき屋」とばれます。わたしは「たけひさかいさん」という会社の社長であり,自ら魚の仕入れから加工までを行うしょくにんでもあります。
会社のかんばん商品は,ウルメイワシのまるしです。イワシにもいろいろな種類がありますが,わたしが加工しているイワシの仲間は,目玉の大きなウルメイワシ,下あごがたカタクチイワシ,黒い点々のようならぶマイワシ,なかの青い線が美しいキビナゴなどです。愛南の海はとくにウルメイワシのさんらんじょうけんにぴったりで,ひんしつのいいウルメイワシがとれます。あたたかなくろしおの分流のおかげで海水の温度がちょうどよい上,川から海に栄養分がながみ,イワシの食べ物のプランクトンがほうです。あぶらののりもいいんです。ですからいい原料を使ったおいしいまるしは,このいきでしかつくれない加工品です。めぐまれた自然を利用できることに,心からかんしゃしています。
しおき屋の仕事では,塩のかげんがうでのふるいどころです。また,原料の魚をとことんえらくことも,同じくらい大事です。まるしやものなどにはしおからいというイメージがありますが,わたしが目指すのは「しょっぱくないまるし」です。昔はぞんのために塩を使いましたが,今はれいとうれいぞうじゅつが発達し,わたしは塩はあくまでも魚の味を引きたてるわきやくと考えています。

りょうさんにいい魚をとってもらう

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加工の仕事の流れを,順を追ってご説明しましょう。
まずは原料の仕入れです。原料がよくなければ,いい加工品はつくれません。原料の魚をとる漁法は,あみ漁という夜中の漁です。強いライトで海を照らしてイワシ,アジ,サバなどの魚を集め,れごとあみきとります。あみ漁はだいな漁業で,小型のあみ漁船でも,ひとばんに15トン以上の魚をとることがあります。
「いい魚」とは,きずがなく氷でよく冷やされてせんがよく,あぶらがのっていて,イワシ類ではないぞうがからっぽで苦くないもの,ですね。こうした「いい魚」をえらく目も必要ですが,何よりりょうさんにいい魚をとってもらわなくては始まりません。そのためにりょうさんと仲よくして,漁のしかたや氷の使い方などについて,ちょくせつお願いをしているんです。
イワシは漢字で“弱い魚”「鰯」と書くように,いたみやすい魚です。魚のとり方,漁船で市場に運ぶまでのあつかかたせんを左右します。長いおつきあいで仲よくなったりょうさんは,わたしがどんな魚をほしいのかかいして努力してくれます。漁の直後の夜中の3時や4時に「今日の魚はすごくいいよ」とか「今日のはダメだ」などと,船の上から電話をくれるりょうさんもいます。ありがたいことです。そのかわり,いい魚はなるべく高いだんで仕入れるよう,がんばっています。

魚を仕入れたしゅんかんから加工が始まる

魚を仕入れた<ruby>瞬<rt>しゅん</rt></ruby><ruby>間<rt>かん</rt></ruby>から加工が始まる

愛南漁業協同組合(漁協)の魚市場のセリは,毎朝6時からです。その時間に合わせて漁船が市場に着いたら,すぐ船倉の中の魚を見せてもらいます。これまでのけいけんから,見ただけで魚のせんがだいたいわかります。なんびきか手にとってたしかめ,体にりがなくウロコがはがれ,黒目がぼんやりにごっていたら買うのをやめます。仕入れをあきらめる日もけっこうあるんですよ。また,いい魚のじょうほうが入ったら,かたみち1時間半の高知県の市場まで仕入れに行くこともあります。
せんがよければ,次にないぞうを見ます。まるしはないぞうも丸ごと食べる食品なので,胃や腸が空っぽでないと味が落ちるんです。胃や腸に食べ物が入っていると,苦くなってしまいます。さらにあぶらののりも調べます。おなかをぐっとすと,おしりからとうめいあぶらがにじみ出るのがベストです。いい魚に出会えると,うれしくてワクワクしますね。
「よし,今日の魚はいい」とはんだんして魚を仕入れたら,このしゅんかんから加工の始まりです。魚はれいタンクに入れてトラックで加工場に運びますが,タンクには真水と氷を入れておき,魚といっしょに塩を入れます。塩ののうは一定ではなく,魚の量,種類,サイズ,せん,さらには加工場での仕事のだんりやどうにかかる時間まで考えて,計算するんです。

ちょうどいい塩かげんは魚が教えてくれる

ちょうどいい塩かげんは魚が教えてくれる

加工の作業は,パートで来てくれる10人ぐらいのじょせいたちとわたしつまいっしょに,加工場で行います。うちの加工には,マニュアルがないんです。その日その日で魚のじょうたいちがうからです。たとえば大きさにしても,ウルメイワシは,さんらんの冬には20cmもの大きさですが,ぎょは春には8cm前後,夏には12cmぐらいです。「ざいを生かしきること」を第一に,魚をよく見ながら作業をしていると,ちょうどいい塩かげんは魚が教えてくれるんです。
魚に塩が回ったなと思ったタイミングで,れいタンクから魚を出し,加工場に運び入れます。加工場ではまず,せんようの道具で魚を4だんかいのサイズ別にざっくりと分けます。パートのじょせいたちがその中からきずのないウルメイワシを選び出し,さらに5mmきざみぐらいに細かく分けます。そして,下あごを長いぼうに通してのれんのように連ねていきます。
メザシは,イワシの目のところをぼうしてすから「し」なんですが,うちのは下あごをぼうすので「あごし」なんですよ。こうするとイワシの口が開き,すときに口からないぞうに風が通って早くかわくんです。せんのヒミツのひとつです。
ぼうに連ねたイワシは,す前に目としたで塩かげんをたしかめます。その日のへいきんより小さいサイズのものは,うすめの塩水につけてぶんな塩分をき,大きいものはぎゃくの塩水につけて塩気を足すことがあります。この作業はみょうむずかしいため,わたしたんとうします。最後に真水で表面の塩分をあらながし,プラスチックのザルにならべてかんそうしつうつしたら,作業は一だんらくです。

ひとばんしたら完成,全国へ発送

ひと<ruby>晩<rt>ばん</rt></ruby><ruby>干<rt>ほ</rt></ruby>したら完成,全国へ発送

量にもよりますが,朝に仕入れた魚は,夕方までにはかんそうこうていに入ります。かんそうしつでは,じょ湿しつしながら18℃の冷風をあてます。ウルメイワシはあぶらが多いので,おしりからあぶらがしたたり落ちないよう,最初はかせたじょうたいで半乾きにします。そして,夜中に頭を上にしてるし直します。この作業はわたし一人で行っています。
いちし」ですから,かんそうよくあさには終えます。朝,ふたたびパートのじょせいたちに来てもらって,長いぼうからとうめいのストローにサイズごとに決まった匹数で通し直し,商品の形にしていきます。このだんかいでも,きずものきびしくチェックします。最後にだんボールの箱につめて商品が完成,マイナス28℃のれいとうぞんして,注文に合わせてしゅっします。
はんばいは数社のおろしうりぎょうしゃさんを通して,東京のつきおおさか,名古屋ほか全国の市場へと送られ,そこで小売店に買われて店先にならびます。おおさかの高級デパートでも売られていますし,インターネットはんばいもされています。最近は愛南漁協のえいぎょうのおかげで売り先のはばが広がり,ありがたいです。ちょくせつの注文も受けていて,こちらはリピーターのお客さんが多いですね。

お客さんの「また食べたい」がはげ

お客さんの「また食べたい」が<ruby>励<rt>はげ</rt></ruby>み

日本人の食生活は,わたしがこの仕事を始めた40年前からずいぶん変わりました。今は食べ物があふれ,健康こうも高まっています。ですから本当においしいもの,ひんしつがすぐれていてばらつきのないものをつくらないと,選んでもらえません。そのひょうがわかるのが,お客さんの声です。一回食べておいしかったから,「また食べたい,もっと食べたい」というリピーターのお客さんの声が,わたしたちには最大の喜びであり,何よりのはげみです。
愛南町水産課と愛南漁協が進めている「ぎょしょく教育」という教育活動のおかげで,東京の学校給食にもまるしをとどけています。東京の先生たちが加工場をたずねてくれたこともありますし,わたしたちが東京の小学校にまねかれたこともあります。校長先生から「たけひさかいさんさんのまるしはおいしいので,子どもたちは残さず食べますよ」と聞かされ,本当にうれしかったです。「魚ばなれ」が進んでいますが,わかい人たちに,イワシのまるしのような昔からの食文化を伝えることは,わたしたちの使命でもあるように思います。

好きでやっているうちに社長に

好きでやっているうちに社長に

わたしは愛南で生まれ育ちました。8人きょうだいの末っ子です。父はわたしが生まれたころに,かまぼこ屋を始めました。昔はあみ漁がさかんで,かまぼこ屋も塩き屋,イリコ屋もたくさんありました。道路わきにどこまでもイリコがしてあるのがにちじょうの風景で,それをつまむのが子どものおやつでした。
わたしは中学卒業後,船乗りを養成する海員学校に進学しました。卒業後は5年ほどこくさい航路の商船に乗り,ほぼ一年中,世界中の海ですごしましたが,ふるさとでらしたくなって愛南にもどりました。そして,4月からおぼんまではカツオいっぽんり漁船に乗り,その他の時期はこのたけひさかいさんで働いていましたが,2年後にたけひさかいさんの正社員になりました。
1980年前後のそのころがイワシ加工のさいせいで,たけひさかいさんだんせい社員が8人,じょせいじょうきんパートが40人近く働いていました。多いときには一日に15トンも魚を仕入れ,今の10倍の量のまるしをつくっていたんですよ。わたしは体を動かすのが大好きで,いっしょうけんめい働くうちに,40代半ばで仕入れと味付けをまかされるようになり,そのころから仕事が本当におもしろくなりました。かたきが「社長」になった今でも,自分で仕入れから加工までを行い,いつも考えるのは魚のことばかりです。

子どものころから生き物が大好き

子どものころから生き物が大好き

小さいころから,海が大好きでよく遊んでいましたね。生き物も好きで,鳴き声がきれいなメジロをつかまえてっていたこともあります(今はほうりつ上,きょがないとえませんが)。商船に乗っていたときは,あらしからのがれて船になんしてきたペリカンやハヤブサをったこともありました。今の仕事で,イワシの体をよく観察したり海の中での様子をそうぞうしたりすることは,生き物好きのえんちょうに近いところがあるかもしれません。
それにしても,海のかんきょうが子どものころにくらべるとあまりにも変わってしまいました。ガタッとイワシがとれなくなりましたし,いそ一面のかいそうも消えてしまいました。海が変わってしまったげんいんふくざつなのでしょうが,やがてあみ漁もイワシの加工業も消えてしまうのではないかと心配です。

人に喜ばれることを見つけよう

人に喜ばれることを見つけよう

何でもいいので,自分にできることをとことんやり切ることは大事ですね。わたしは自分でも「魚ばか」だと思うことがありますが,魚の加工の仕事にとことん打ちこむことで自分に自信がつきました。その自信になかされ,りょうさんやいろいろな人と話すことができるようになったように思います。人と話すことができるようになると,何かと助けてもらえるようになり,そのおかげで今こうして仕事ができているんです。
どんなしょくぎょうもそうですが,世の中の役に立つために働くことが仕事だと,わたしは思っています。世の中の役に立つことは,人に喜んでもらえること。みなさんにも,人に喜ばれることを何かひとつ見つけてもらえたらと思います。それがしょうらい,やりがいのある仕事につながっていくこともあるかもしれません。

  • 取材・原稿作成:大浦 佳代/協力:公益財団法人 日本財団,NPO法人 共存の森ネットワーク

私のおすすめ本

  • この国の食を守りたい―その一端として

    辰巳 芳子

    料理の本には,世の中が求める食べ物を知るヒントがあるので,よく読みます。さまざまな食べものが紹介されているこの本に,私のつくる丸干しがのりました。大衆魚のイワシが高級魚と同じページで紹介されているのが誇らしく,仕事の励みになっています。