※このページに書いてある内容は取材日(2018年08月22日)時点のものです
新しい事業の提案と運営
私は,東京都港区に本社がある「ソニー株式会社」という会社で「社内起業家」として働いています。一般的に「起業」というと,ベンチャー企業の社長のように,自分で新しい会社を立ち上げる場合が多いのですが,起業という言葉自体は,「新しく事業を始めること」ですので,会社をつくったかどうかは関係ありません。私のように,会社員として会社に所属しつつ,新しく事業を始める人たちのことを,とくに「社内起業家」といいます。社内で起業するメリットは,所属している会社の支援を受けながら事業を育てられるところです。 ソニーでは,まだ社内で手がけていない新しい事業を考えて,会社に提案できる「SAP(シード・アクセラレーション・プログラム)」という制度があります。提案が認められるとプロジェクトが発足し,プロジェクトリーダーとして全体の進行と管理を任されます。会社員でありつつも,事業全体に責任を負うことになるので,経営者としての視点が求められます。
「MESHプロジェクト」のリーダー
私は,「MESH(メッシュ)」という製品を考えて会社に提案し,「MESHプロジェクト」のリーダーになりました。MESHは,センサーなどの機能を備えた消しゴムくらいのサイズのブロックと,専用のアプリケーションを使って,いろいろなアイデアを形にできるツールです。この製品を使うと,プログラミングなどの専門知識がなくても,センサーやインターネットを活用した仕組みが簡単につくれるようになります。 MESHには現在7種類のブロックがあり,明るさを検知する明るさセンサーや,人や動物の動きを検知する人感センサーなど,それぞれに違った機能が備わっています。個々のブロックを,専用のアプリケーションを使って制御することで,例えば,「部屋が暗ければ,LEDライトをつける」,「部屋が明るければ,LEDライトを消す」,といった作業を自動化することができるのです。
自分たちで進めていかなければならない
MESHプロジェクトは少人数で運営しているため,多くのことを自分たちで進めていかなければなりません。大きく分けて2種類の仕事があります。 一つ目は「開発」の仕事です。例えば,MESHを制御するためのアプリケーションの開発があります。最近ではWindows(ウィンドウズ)で動作するMESHアプリをリリースしました。今まではAndroid(アンドロイド)とiOS(アイオーエス)でしかMESHを動作させることができなかったのですが,対応するOSを増やしたことで,より多くの人に利用してもらえると期待しています。また,MESHの基本的な使い方や活用例をわかりやすく伝えるためのウェブサイトやコンテンツも開発しています。 二つ目は「事業」の仕事です。事業の計画を立てることや,MESHのブロックを製造する工場とのやりとり,お客様のサポート業務などを行っています。例えば,販売した製品に不具合があった場合には,お客様に対する補償などのサポートや原因の調査を行います。他にも,お客様にMESHの活用方法を知ってもらうためのワークショップを開いたりもしています。こういったお客様とのコミュニケーションを通して,製品に対するご要望を知ることができるので,それを受け止めて,開発の仕事に活かしていくのも大事なことです。
アイデアを形にしていくことの苦労
プロジェクトを始めたとき,MESHという製品どころか,世の中にはそれに似た商品もまだありませんでした。だから,このアイデアの内容を人に説明するのは難しいことでした。まだ存在しない物のイメージを言葉だけで伝えるのはとても難しいことです。そこで,イメージを伝えやすくするために,“プロトタイプ”という最初の模型をつくりました。最初は,適当な大きさに切り抜いたスチレンボードに,機能を示すアイコンが描かれた紙を貼り付けただけの簡単なものでした。もちろん,実際の機能は備わっていません。それでも,そのプロトタイプを手に持って利用シーンを演じることで,一緒に開発する人や,使ってくれそうな人に対して,MESHのイメージをわかりやすく伝え,さまざまなフィードバックをいただくことができました。このように数百円でつくれるようなプロトタイプでも,いろいろなアイデアやつながりが生まれていくきっかけとなり,次第にMESHを応援してくれる仲間も増えていきました。 その後は実際にセンサー機能が備わった試作品をつくっていきましたが,そのときはかなり苦労しましたね。私はこのプロジェクトを始めるまで,ネットワークを活用したサービスの企画運営をする仕事や,ソフトウェアが動く仕組みについて研究する仕事をしていたので,ハードウェアという機器そのものの開発は初めてだったのです。あまり知識がなかったので,周囲の仲間に教えてもらいながらたくさん勉強しました。
MESHは「課題解決のための道具」
私はMESHを「課題解決のための道具」だと思っています。文房具で例えるとわかりやすいかもしれません。紙と鉛筆を使って絵を描く場合は,“絵を描く”という「目的」のために,“紙”や“鉛筆”という「道具」を使いますよね。MESHの役割はこの紙や鉛筆と同じです。MESHを使うこと自体が目的ではなく,ある課題や目的を解決するために使える道具なんですね。 例えば,「飼い猫のトイレに人感センサーを付ける」という使い方をされた方がいました。猫が健康かどうかを知るためには,排せつの頻度を確認すると良いと言われていますが,飼い主も毎日,猫を見張ることはできません。そこで,その方はMESHを使って「トイレ」に「人感センサー」を組み合わせて,「猫がいつ排せつをしたか」という情報をオンライン表計算ソフトに記録する仕組みをつくったのです。この仕組みを使えば,飼い主はインターネットを通じて,いつでも,どこからでも,猫がいつ排せつをしたかを知ることができます。 私たちの生活の中にはさまざまな課題があります。その中にはセンサーやインターネットを使えば解決できる課題も多いのですが,そうした方法には高度な専門知識が必要になるので,今までは実践できる人が限られていました。私にはその不自由さがとても残念で,MESHという,大人も子どもも簡単に使いこなせる道具をつくったのです。
課題解決のきっかけをつくりたい
小学生や中学生を対象にしたMESHのワークショップを行うことがたまにあります。そこでは,MESHの機能をただ体験してもらうだけではなく,その機能を活かして身近な道具をパワーアップしてもらいます。そうした経験を通じて,身近な課題を自分の力で解決することができるということを知ってほしいのです。 例えば,ワークショップで出会ったある小学生は,街でよく見かけるポイ捨てをなくすために,とても面白いゴミ箱をMESHで開発してくれました。そのゴミ箱にゴミを入れると,ゴミ箱が「ありがとう!」とお礼を言ってくれるのです。そんな素敵なゴミ箱があったら,ちゃんとゴミを捨てようと思いますよね。そして,自分で思い描いたアイデアを実現できたことで,「こんなことができるかも」「あんなこともできるんじゃないか」という気づきが生まれていきます。この例では小学生でしたが,小学生に限らず,MESHを使うことで,いろいろな方が,身の回りのことを便利にしたり,面白くしたりするアイデアを形にしていっています。それを見る瞬間が一番うれしいですね。
新しいものを生み出したくてソニーへ
私は大学生のころに「メディアアート」や「メディアデザイン」という分野に出会い,コンピュータを使って表現することについて研究していました。ものや情報をデザインするとき,まずはそれを使う人の気持ちを考える必要があります。つくり手と使い手の気持ちにズレがあると,情報は伝わりにくくなってしまうからです。そうして,使う人の気持ちとコンピュータの関係を考えているうちに,人々に対して自分がどのように貢献できるかということも意識するようになっていきました。 ソニーに入社したのは2003年のことです。「アイボ」や「ソニー銀行」などに代表されるように,当時のソニーも今までにない新しいコンセプトの製品やサービスをたくさん生み出していました。だから,この会社でなら何か新しいものを生み出すことにチャレンジができると思ったのです。入社してから10数年はエンジニアや企画の仕事をしていましたが,そこで身につけた技術力や企画力が,現在の社内起業の仕事をしていく上でも活かせています。
電動工作やプログラミングは子どものころから
小学生のときは,足をけがしやすい体質だったので,室内で過ごすことが多かったですね。そのせいか,性格はのんびりしていました。それでも,問題プリントを解くのは早かったと思います。早く解いてしまって余った時間は,大好きな科学雑誌を読むことができたからです。 夏休みの自由研究には真面目に取り組みました。さまざまなテーマに挑戦しましたが,中でも電動うちわの工作は難しかったです。うちわの柄のどの位置を機械に持たせるかが肝心なのですが,機械として安定する位置と,風を効率的に送れる位置がそれぞれ違っていて,調整に苦労しました。実際に挑戦したからこそわかる難しさでしたね。 中学生のときは,プログラミングに夢中でした。「LOGO(ロゴ)」という教育用のプログラミング言語に出会い,それからパソコンで動くゲームをつくったりしましたね。そのうちに,LOGOでは実現できないことが出てきて,もっと難しいプログラミング言語にも挑戦したり,プログラミングで楽器をつくったりなど,プログラミングでつくれることの面白さにはまっていきました。
まずは身近な誰かを喜ばせてみよう
私たちの身近にはさまざまな課題があります。みなさんもまずは日々の生活の中で,いろいろな物事を見聞きして,身の回りにどんな課題があるのか探してみてください。そして,課題を見つけたら,どうやったら解決できるか考えてみましょう。 そうした課題を解決するときに役立つツールの一つがコンピュータです。みなさんの身の回りにはコンピュータがあふれていて,パソコンやスマートフォンだけでなく,テレビやエアコンにだってコンピュータが組み込まれています。だから,コンピュータやMESHのようなセンサー,プログラミングなどを活用して解決できる身近な課題は,まだまだたくさんあるはずです。みなさんにはコンピュータという道具をどう使うのか,よく学んでほしいと思いますし,プログラミングに挑戦するのも良いでしょう。できることの幅が広がると思います。 最初はどんな小さな課題から始めても良いのです。ぜひ身近な誰かを喜ばせてみてください。その積み重ねがやがて,身近な誰かから社会へとつながっていき,大きな課題を解決するための力につながっていくのです。