※このページに書いてある内容は取材日(2018年11月20日)時点のものです
66年間続く幼稚園とこども園の園長
私は東京都北区にある「学校法人石井学園 赤羽
幼稚園・赤羽
こども園」の園長をしています。創立者は私の曽祖父(ひいおじいさん)で,66年前に幼稚園を今の場所に開いたのが始まりです。初代園長は祖母で,2代目は現在,理事長を務めている私の父。私は3代目の園長です。
6年前からはこども園も始めました。幼稚園は基本的に昼間のみですが,朝早くから夕方遅くまで預かってほしいという方たちのために,幼稚園の中にこども園を開設しています。昼間の時間は,幼稚園クラスの子どもたちと一緒に,同じ幼稚園教育を受けてもらいます。今まで保育園しか選択肢がなかったという保護者の方からは,教育もしてくれるし,長時間預かってくれるということで,とても好評です。
幼稚園・こども園の園長という仕事を説明するとき,子どもたちには「何でも屋さん」と言っていますね。園の内外の掃除から,英語の授業,経営のことまで,幼稚園・こども園に関することは何でもやっています。また,こちらの園には温水プールがあり,年間を通して水泳の授業も行っているのですが,この温水プールの管理も私の仕事です。
朝早くから,一日中動き回っている
私の家は,幼稚園の隣にあるのですが,毎朝だいたい4時に起きて,4時30分には幼稚園に来ます。まずすべての教室を見回って,画びょうが落ちていないか,物が倒れていないかなどを,先生たちが出勤する前にチェックします。その後は,幼稚園のまわりの道を掃除します。園長として,地域の方と顔見知りになっておくことはとても大事です。例えば,最近は子どもの声をうるさいと感じる方もいますが,そういう方でも,顔見知りになっておけば,「元気でいいねえ」と声をかけてくれたりするんです。ほかに,プールの授業がある日はボイラーのスイッチも朝につけます。
その後,先生たちが出勤してくるので,7時40分には朝礼をして,先生たちにその日の連絡をします。8時10分から9時40分までが,子どもたちの登園時間。子どもたちの様子を見たりあいさつをしたり,保護者の方とお話をしたりします。10時ごろから教室での保育が始まるので,各クラスを見て回った後,執務室に戻ってきて,報告書に目を通したり,書類を作ったりします。時には水泳や英語の授業を担当することもあります。お昼を食べたら,午後1時からは教室の巡回を始めて,何かトラブルがないか,先生方に声をかけます。1時45分には幼稚園の子どもたちが降園するので見送って,その後は預かり保育の子どもたちの様子を見ます。4時からは終わりのミーティングをし,だいたい6時ごろまで園にいます。研修などで外出する日もありますが,園にいる日は一日中,園の中を動き回っていますね。
自分のやり方が正しいかどうか,アドバイスをもらえない
幼稚園の園長という仕事をしている人は少ないので,自分がしていることがこれで正しいのか,あまり人から指摘してもらえないところが大変なところです。幼稚園の先生や保育士さんだと,先輩からアドバイスをもらえたりもしますが,園長の場合,一番立場が上なので,なかなか人から「こうしたほうがいいよ」などと言ってもらえません。私の場合は,先代である理事長から時々アドバイスをもらえますが,マニュアルみたいなものはないので,そこが難しいといえば難しいかもしれません。自分を客観的に見ることほど難しいものはないですからね。
教科書がないので,いろいろな人を観察して,これはいいなと思ったことはすぐ試すようにしています。この前,ある幼稚園の広報誌を読んでいたときに見たしかけがあって,さっそく真似をしてみました。Suica(スイカ。JR東日本のICカード)のような見た目のカードを紙で作ってラミネート加工をして,子どもに持たせるんです。それで,登園して園に入るときに,私の手を改札機に見立ててタッチしてもらいます。「ピッ」という音は私が口で言います。つまり,改札機を通るような「ごっこ」をするんです。こうしたしかけがあると,幼稚園に来るときに泣いてしまうような子も,楽しく登園できるようになります。電車が好きな子もいて,そういう子も喜びますね。このように,積極的にいろいろ試すようにしています。
子どもたちからの「大好き」の言葉が何よりうれしい
これは,教育に携わる人はみなそうだと思いますが,やっぱり子どもたちに「先生,大好き!」と言われたときが,一番うれしいですね。例えば,一緒に遊んだり話したりしているときに,急にトコトコとやってきて服を引っ張るので,「どうしたの?」と聞くと,「大好き!」と急に言ってくれることもあります。「ありがとう」と「大好き」という言葉は,人間にとって,一番うれしいものだと思います。幼児期の子どもは純粋なので,嫌いな人には嫌いと言い,好きな人には好きとはっきり言います。お返しに「ありがとう。先生も大好きだよ」と言うと,子どもたちもうれしそうにしていますね。
園長という仕事に限らず教育の現場では,先生と子どもたちは一対何十,時には一対何百という関係です。例えば同窓会で,「先生,あのときにあんなことを言っていましたよね」と言われて,こちらが覚えていない,なんていうこともあります。自分が子どもだったときのことを思い出しても,あの言葉は結構ショックだったなとか,あの言葉には勇気づけられたなとか,そういう経験はいくつもあります。こちらが思っている以上に,子どもたちは私たちにかけられた言葉を覚えているものなので,子どもたちに何か伝えるときは,言葉を選ぶように気をつけています。
子どもたちや先生たち,全員の様子を見るように
長年愛されてきた園を存続させるために
もともと私は園長をすることになるとは思っていませんでした。園長になると決めた理由は,大学進学のときに,長年,地元で続いてきた園の長男として,自分がやらないといけないなと思ったからです。この園には,今,315人の園児がいますが,一時は65人まで減ってしまった時期がありました。そこから先代が努力して,300人規模の園に立て直したのです。私自身も卒園生ですし,先代も卒園生です。また,園のある赤羽
という町は地域柄,何代も地元で暮らしている方が多いので,三代続けて赤羽
幼稚園,という方も多くいます。そういった方々に支えられているので,ここで自分が終わらせてはいけないと思っています。
あと,この仕事を選んだ理由としては,やっぱり人が好きだというのもあります。「大好き」「ありがとう」と言われることに,子どものころから喜びを感じるタイプでした。大学ではボランティアサークルに入って,児童館に行ったり,夏休みは東京以外の地域の小学校に行って,デイキャンプをしたりしました。そのときに,竹で水鉄砲を作るスキルや,ベーゴマの技術が磨かれて,今子どもたちに遊び方を教えるときに役立っています。子どもに対してどういった言葉をかけたらいいかなどもそのときに覚えて,それも今の仕事につながっていますね。大学院を出た後はこの園で副園長という形で働き始めて,いろいろなことを学びながら,15年目の今年,園長を引き継ぎました。
赤羽幼稚園からの脱走第一号
子どものころは落ち着きがなく,よく怒られていました。子どものころから動くことが大好きで,裏山でロープを使ってターザンごっこをしたり,納屋の中に秘密基地を作ったりして遊んでいましたね。私の父が園長になったころ,私がちょうど赤羽幼稚園に入園したのですが,この幼稚園から家に帰りたくて脱走した子ども第一号が,実は私だったんです。それで門の扉に二重の鍵をかけるようになって,園のセキュリティ強化にひと役買う形になってしまいました。
中学からは私立の一貫校で,学業も頑張っていました。剣道と柔道が必須の学校だったので,中学3年間で剣道初段,高校3年間で柔道初段を取りました。それとは別に地元の道場では少林寺拳法にも打ちこんでいました。部活は地学部で,天文観察をしたり,夏休みには地方へ化石を掘りに行ったりしていました。
いろいろ言ってもらえることは幸せなこと
若いうちは好き嫌いを作らないで,何でもやってみるといいんじゃないかと思います。何が大事なのか,何が自分の仕事に将来生きてくるのか,今はまだわからないと思うので,やりたいなと思ったことは,何でもやってみましょう。
もうひとつ。みなさんは先生や親から何か言われると,うるさいなと思うかもしれません。でも,私は園長という立場になって,誰からも何も言われないというのがすごく不安なので,誰かに何かを言ってもらえるのは幸せなことだと,今は思います。ある程度の年齢になって,仕事の立場が変わると,言ってもらえなくなってしまうので。自分が不安なときに,いろいろなアドバイスをしてくれる人は,あなたのためを思ってくれているわけです。ですから,うるさいなと思わず,大人が何か言ってくるときは,まずは聞いてみてください。