※このページに書いてある内容は取材日(2024年11月11日)時点のものです
道路や駐車場などを舗装する
私の経営する「常陸舗道」は、水道やガス工事後の道路、駐車場などの舗装工事を行う会社です。道路の下には、ガス管や上水道、下水道など、さまざまな管が通っています。そういった管を修理したり取り替えたりするときには、舗装を取り除き、地面を掘り起こして工事を行います。工事が終わった後、新たに道路を舗装し直す必要がありますが、まずは水道管やガス管の工事を行う業者が、とりあえず人や車が通れる状態に道路を仕上げます。これを「仮復旧」といいます。その後の「本復旧」という最後の仕上げを行うのが、私たちの主な仕事です。
もちろん、工事の後の復旧だけでなく、新たに道路を造ることもありますし、新たに住宅地を造るときに敷地内の道路を造ることもあります。また、駐車場の舗装や、マンションや住宅地内の敷地を舗装する仕事も行います。私たちが仕事をするエリアは、主に埼玉県と東京都です。依頼主は自治体などの行政がいちばん多く、次に多いのはガス会社や宅地開発などを行う企業です。ときどき個人からの依頼もあります。
仕事の際にはブルドーザーやパワーショベルといった小型車両系建設機械を使用するので、それらを扱うための資格が必要となります。公共工事などを請け負う場合、現場の監督責任者には「土木施工管理技士」の資格が必要になることもあります。また、仕事に使う技術を自分たちで開発したり、それについて特許を申請したりすることもあります。
「仮復旧」を剥がし、舗装し直す
本復旧の工事は、仮復旧からしばらく時間を置いて行います。ときには、「仮復旧から3か月後に行う」と決まっている場合もあります。なぜかというと、工事を行う際、掘った穴に新たに土を入れますが、新しい土が踏み固められるにつれ少しずつ沈下していくため、すぐに舗装してしまうと道路がへこんでしまうことがあるからです。そのため、ある程度の時間がたち、地面が落ち着いてから本復旧の工事を行います。
手順としてはまず、仮復旧のアスファルトを取り除き、次に仮復旧した場所から幅30cmほど、工事前からあったアスファルトを切り取ります。これは、工事で掘ったところだけがへこむのを防ぎ、工事前からあったアスファルトとつなげて均等にするためです。続いて、砕石などを敷き、ローラー車で地面をならして下地を作ります。その後、アスファルト舗装で使う「アスファルト合材」を敷きならし、熱いうちに転圧(ローラーなどの機械を使って、力を加えて地面を締め固める)していきます。最後に、もともと道路の上にあった白線などを引き直して終了です。
一日に作業できるのは一車線分の幅の道路でだいたい7〜80メートルですが、大きな重機を入れればもっと作業できる場合もあります。アスファルト合材は「アスファルトプラント」と呼ばれる工場から、工事のある日に運んできます。熱いうちに作業をしないと固まってしまい、時間とともに冷えてきてしまうので、タイミングを合わせて取りに行く必要があります。
夜間や休日に作業を行うことも
作業を行うのは主に昼間ですが、ときには夜間や休日に行うこともあります。例えば、駅のホームの工事などは、終電が終わった後から始発までの間でないと作業ができません。実質3時間くらいしか作業ができないので、なかなか大変です。同じような理由で、オフィスビルの周辺などは土日に作業を行うこともあります。
アスファルト合材が固まらないうちに作業を行わなければいけないことも、大変なことの一つです。夏は気温が高く、固まるまでに多少、時間の猶予があるのですが、冬は気温が低いので、敷いてから固まるまでが早く、その間に仕上げなければいけません。また、雨が降ると工事ができないので、天気予報には気を使います。
道路の舗装でいちばん大切なのは、水がたまらないように仕上げることです。そのためには水が自然と流れていくように地面の勾配をつけたうえで、凸凹がないように滑らかに仕上げることが重要となります。アスファルト合材は最終的に転圧をするため、仕上がりよりも1cmくらい盛って敷いていきます。敷いた時点ではきれいに見えていても、最終的に固めたときにへこみができていたり、勾配ができていなかったりということもありえます。アスファルト合材の種類によって、転圧したときにどのくらい沈んでいくかも違うので、そのあたりは計算して作業していかなくてはいけません。一度仕上げたらやり直しがきかないものなので、神経を使うところです。
「ありがとう」や感謝の言葉が何よりもうれしい
段差だらけでボロボロだった道路が、自分たちの工事でピカピカの道路に生まれ変わったのを見ると「この仕事をしていてよかったな」と思います。よく笑われるのですが、きれいに道路を舗装し終わった後は、空がとてもきれいに見えるんですね。道路はいろいろな人が通る場所で、お年寄りの方も、足が不自由な方もいて、きれいに舗装がされていなくては、うまく歩くことができません。とても大事な仕事だと思いますし、「ありがとう」の言葉をいただくのはやはりうれしいです。
また、私たちの仕事は、災害時にも大事な役割を担います。なぜなら、災害支援のための救援物資を運ぶためには、道路の復旧が何よりも重要だからです。今でも忘れられないのが、2007年の新潟県中越沖地震のときに、柏崎市に復旧のお手伝いに行ったときの経験です。柏崎は砂地が多く、地盤が崩れやすいため、道路の復旧工事もなかなか大変でした。私たちの工事は大きな音も立てますし、普段は「うるさいなあ」という顔で見られたり、窓を閉められたりすることが多い仕事です。しかしそのときは、地元の方が本当に感謝してくださって、近くで採れたトマトなどを差し入れしてくれました。あのときは本当に「この仕事をやっていてよかったな」と思いました。また、現場から少し離れた場所に宿泊していたので、工事のために毎日、高速道路で現場に通っていたのですが、別の舗装業者さんの手によって、その高速道路が日に日に復旧されてきれいになっていく光景も感動的でした。
社員が誇りを持って働ける場所でありたい
仕事をするうえで大切にしていることは、まずは「常に近隣の方々の気持ちを考えて作業ができているか」ということです。工事中はどうしても騒音が発生したり、車や歩行者の通行を妨げたりすることになり、ときにはお叱りを受けることもあります。だからこそ、そこで生活する方々の気持ちを考え、対応することを心がけています。
もう一つは、「社員が誇りを持って働ける場所であるか」ということです。私たちの仕事には、休日や夜間の作業もあります。社員がみな安心して気持ちよく働くためには、社員の家族の方の理解も必要不可欠です。そのため、社員本人の誕生日はもちろん、家族の誕生日も手帳にメモしておいて、記念日などには気遣うようにしています。また、なるべくかっこよく見えるような作業着のデザインを選んだり、SNSやWEBサイトで会社の紹介や、仕事の内容を発信したりするようにしています。それは、社員の家族に「お父さんが働いているのはこんな会社なんだね」と理解してもらうためでもあります。もちろん、退職金や賞与などの福利厚生や、資格を取ったら奨励金を出すなど、内部の制度を整えることも心がけています。近年はベトナム人の従業員も増えたことから、特定技能制度で受け入れる外国人の書類作成や支援計画などを行える「登録支援機関」の資格も取得しました。
「3年だけ」のつもりが後継者に
実は私が6歳のとき、父が経営する会社は一度倒産しています。その後、私が10歳のときに父が再度立ち上げた会社が、常陸舗道でした。
私は高校時代に音楽が好きになり、高校卒業後は音楽の専門学校に進学しました。ミュージシャンを目指し、ライブハウスに出演したり、プロミュージシャンのバンドでコーラスの仕事をしたりしていたのですが、音楽業界はどうしても夜が遅いなど、不規則な生活になってしまいます。私は幼いころに胆のうを取ってしまっていることもあり、この生活は体力的にも厳しいな、と思い、父親の会社を手伝うことにしました。その後、別の水道業者で働いたりもしたのですが、母親から「会社の状態がよくないから、3年間でいいから戻ってきて手伝ってくれないか」と言われました。「3年間なら」と思い会社に入り、本格的に手伝うようになりました。その後、業績が上向いてきたことや一緒に働く仲間たちにも恵まれたことなどから、そのまま続けることにして、今に至ります。
幼いころの大病が人生観を変えた
小学校1年生のときに生まれつき胆のうに障害があることがわかり、胆のうを取るという大きな手術を行いました。かなり大変な手術だったので大学病院に入院していたのですが、同じ病棟には小児がんを患った子どもたちが入院していました。昨日まで元気だったように見えた子が、急変して次の日にはいなくなっていたりもしました。そんなことを経験したせいか、子どものころの私は「死」というものをすごく身近に感じていましたし、退院して学校に復帰しても、入院する前に比べて同級生たちがすごく「子ども」に見えたことを覚えています。「人はいつどうなるかわからない」という思いが強く、「早く社会に出たい」と思うようになりました。
また、小学校5年生くらいまでは体育の授業にも参加できませんでした。小学生のときはどうしても運動ができる子どもがクラスの中心になりますから、当時は体が小さかったこともあり、自分はそうはなれない、という思いが強かったです。しかし負けん気が強かったこと、徐々に体も回復してきたことから、中学生のときから空手と水泳で体を鍛え始めます。高校卒業後はさまざまな年代の人たちと知り合い、友達も増えました。けれども、やはり小学生のときの入院と、その後の経験が「ものごとはダラダラやるのだったらやめたほうがいい、今しかできないことをやろう」という自分の考え方に、大きく影響しているような気がします。
「なりたい自分」は考えていてほしい
これを読んでいるみなさんに伝えたいのは、「夢」は無理に持つ必要はないけれども、「自分がどうなりたいか」は常に頭の片隅に置いておいてほしい、ということです。「PDCAサイクル」という言葉があります。これはPlan(プラン・計画)、Do(ドゥー・実行)、Check(チェック・評価)、Action(アクション・改善)の頭文字をとった言葉です。計画を立て、実行し、それを評価して、改善し、また計画を立てる、これを繰り返すのが「PDCAサイクル」です。これはビジネスの場面でよく使われる言葉ですが、人生のどんな場面においても同じだと私は思っています。学校というのはルールがありますし、もしかしたら窮屈に思うかもしれません。でもそんな場面でも、「なりたい自分」に向けて自分なりに計画を立てて実行し、この「PDCAサイクル」を繰り返していけば、自分の理想に少しずつ近づいていけるでしょうし、周囲も変わってくると思うのです。もちろん、私たち大人も学ぶことをいつまでも忘れず、努力していかないといけないなと思っています。ぜひ、一緒に頑張りましょう。